[[小説まとめページへ>テオナナカトル]] [[前回のお話を見る>テオナナカトル(7):神憑きの子と正義のヒーロー]] &size(20){暴れん坊ハッサム}; #contents ***1 [#ec8b704e] 忘れてしまいたい出来事があるその少女は、夜の街を叫びながら走り回っていた。 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 ローラは叫んだまま街を流れる川にたどり着き、そして勢いよく飛びこむ。水しぶきが上がり、川べりに掘立小屋を立てているスラムの住人が何事かと次々起き上がってもお構いなし。そのまま犬かきの要領で泳ぎ始めた。暑さで血管が開いた耳((エーフィの耳は放熱器官で、暑いところにいくと血管が開く様子がよくわかる))が水に触れて冷えて、耳の火照りが徐々に冷めて行く感覚がローラには気持ち良かった。 夏の暑さと運動によって生じた熱が一気に冷めて行くのを感じるが、冷静になって見ると思いだされるのはあの日ワンダと酒と雰囲気と勢いに流されて交わしてしまった情事。 「はぁ……私何やってんだろ……」 ワンダの街でも一回走り回っては湖に飛び込んだローラだが、いまだにふっきれていないらしく、精神的にかなり参っている様子である。 (そもそも悪いのはワンダなのよ……はぅぅぅ……) ローラは水面に顔を沈め、泡を漏らしながら体を沈めてゆく。当然、後々苦しくなってまた水面から顔を出すのだが。ローラは川を下ったまま街を出る寸前までその不毛な行為を繰り返しながら浮き沈みしていくことになる。 *** 「と、まぁ……これが『シード』の活動ってわけです」 「こっちのお仕事では木の実を巧みに使うのですね……オボソの実なんて初めて聞きました。何だか物騒な木の実ですね……」 ローラが感心する。挿し木や接ぎ木と言った技術はなんとなく聞いてこそいたものの、まさかオボンの木とオレソの木を接ぎ木する技術があったなんて。不思議な木の実は接ぎ木出来ないと聞いていた常識が覆された気分だが、やはりそこは神の力を借りているらしいので一般的にその技術が存在しないのも当たり前なのだと。 なので、そういった木の実を用いた仕事の数々はテオナナカトルが使う怪しげな薬の数々と同じく、原因の特定が非常に難しい。 「でも、変な木の実や物騒な木の実だけじゃないのですよ。本当にほっぺたが落ちるくらいおいしい木の実もあってですね……それで作ったお酒……お酒は飲めます?」 「飲めますよ。美味しいお酒があるんですか?」 「えぇ、それはバッチリ」 こうして進められたお酒は、強い酸味と僅かな苦みに爽やかな甘みが混ざる葡萄系の果実をメインに据えた酒。甘く口当たりも良く、何より一つの果実から作られた物ではないそれは、ローラの敏感な嗅覚をもってしても全てを把握し切れるものではない。 加えて、その香りの一つ一つ自体がいちいち上質であり、匂いを嗅ぐだけで酔ってしまいそうなほど。不思議な木の実の接ぎ木によって出来た上等な果実を混ぜたのだという酒の味を存分に堪能すると、ローラは上気した頬を無意識にワンダにすりよせる。 「ふぇ~……このお酒もですが、ワンダさんもすごくいい匂いですねぇ……」 自身の尻尾をワンダの尻尾に絡めつつの頬擦り。アルコールの強い酒であるにもかかわらず、それに気づかず飲み過ぎてしまったローラはいつもと違って開放的だ。 「あ、あの……俺はそんなにいい匂いかな?」 「ですよぉ。昔の父さんみたいですね」 ふふふと笑って、ローラは頬擦りを続ける。当のローラには全くソノ気は無いのだが、される側のワンダはと言えば堪らない。からめられた尻尾がこすれあう感触が背筋を強張らせ、ついついローラはどんな女性なのだろうと体の面での想像をしてしまう。 素面ではないとはいえ、酒の量を加減して飲んでいたワンダはまだまだ正気に近い。湧き上がる欲求をぐっとこらえることもできたのだが、相手が誘っていると勘違いしても仕方ない状況。 それに、相手も理性が弱まっているのだから――ここで、『チャンス』と考えるのか、『だからこそ踏みとどまらなければいけない』と考えるのか、それは人それぞれである。だから、理性がいくら後者であることを声高に叫んだとしても、ローラの求愛のような行動や酒の勢いのせいで前者を選んでしまったワンダの行動もある意味では仕方がないと言える。 「ねえローラちゃん。ちょっと待ってて。もっと香りのいいもの持ってくるから」 「え―ホントですか? 期待してますよー」 ローラはワンダが立ちあがろうとするので、大人しく顔をどける。酒に酔ってとろんとした瞳を向けるローラの顔を見ると、ワンダはまた興奮を抑えきれない。無意識に立ちあがってしまいそうな自身の欲求の象徴が暴走しないように冷静を装いつつワンダは目的の木の実を持って来た。 ワンダが持って来たウイの実酒は猫系のポケモンに対して非常に速攻性の高い酩酊((酒などに酔うこと))症状を起こさせるものである。生憎これは接ぎ木の技術を使ってもそれほど成果を上げられたものではないのだが、すでにして酔っているローラを更に堕とすには十分すぎる。 「さ、これどうぞ。強い酒だからごく少量しか飲ませられないけれど……」 と、小さなコップに注いで渡した酒の匂いを嗅いだ瞬間、ローラの脚がおぼつかなくなり、仰向けになって無防備な肢体をさらけ出す。ふにゃあ、と緩みきった顔はいつものすましたローラのような妖艶さは無いが、魅力的である事は変わらない。 二股の尻尾が力なく地面に置かれ、甘える相手を求めているかのように手足がパタパタ動いている。 罪悪感がないわけではないが、耐え難い欲求が『やってしまえ』と突き動かす。酩酊症状が治まるまでの制限時間は数分。その間にカタをつけられる気はしなかったしする気もないが、意識を取り戻してその後拒絶されたら、どれだけ収まりがつかなくてもすっぱりやめよう。 それだけは最低限するべきだと心に決めて、ワンダは水かきのある指をそっとローラの秘所に這わせる。 ローラが時おり漏らす甘い声は、酩酊症状によるものなのか、それとも自分の愛撫が原因なのか。罪悪感を感じながら行為に及んでいるワンダには、後者のように思えて仕方なく、声を上げるたびにビクビクして肩がすくんでしまう。 しかして、長く続けて行く内に自然と漏れ出す雌の香り。自分が水タイプであるせいか気が付くのが遅れたが、明らかに水ではない液体が指にまとわりついてきたのも感じられる。 呼吸の様子も変化が現れ、口を開けながら荒い息をついている。興奮も高まるが、代わりに罪悪感はさらに高まった。心の高ぶりを押さえて、ワンダは手を止める。これ以上やって取り返しのつかないことになってしまっては、せっかく仲良くなったというのにそれも無駄になってしまう。 このまま何もなかったことにしてしまおう――と思ったのだが。 「ねぇ、もう終わり? もっといい子いい子してよ~」 と、言ってローラが起きあがりワンダに抱きついた。ローラは相変わらずその気の無いようだが、抱きついた拍子にローラの腹がワンダの肉棒に触れている。鎮めようと思っても頬擦りによるマーキングを止めないローラのせいで、ワンダのそれは鎮まるタイミングを完璧に見失ってしまった。 なんとか精神を落ち着けながら、頼まれた通りローラを撫でているのだが、ローラが余りに気持ちよさそうな反応を見せるのが辛い。頭を撫でられて喜ぶ様はまるで子供のように愛らしいのだが、ワンダの下半身があからさまな状況になっているというのに反応一つしないというのは如何なものか。 実はローラ、子供のころは父親が大好きでダイスで仕方なく、毎日のように一緒に寝ていた。父親は娘に対してそういった感情を抱くことなどもちろん無かったのだが、不可抗力的な生理現象で今のワンダのような状態になってしまう事は日常茶飯事であった。そのため気にしない――と言うのは流石に無理があるが。 これはローラが酒のせいで図太くなったもしくは幼児退行してしまうという事の相乗効果で、ワンダの下半身の事情などどこ吹く風で居られるのだ。 「父さん……」 と、寝言のように言っていることから後者の幼児退行である可能性も高いが。ただ抱きついてくるだけでも、きめ細かでさわり心地の良い体毛を持つローラの毛皮はメロメロ的な意味での効果が高い。その上、頬をすりよせる過程で腹の毛が肉棒を揺さぶる。強い酒のせいですっかり出来あがってしまったローラの前に、ワンダの理性もそろそろ限界になった。 夢うつつの中で父親と勘違いしながらのほお擦り。ただしローラにはその気がないため、このまま性交渉に及んでしまうことに対するワンダの罪悪感――も、ついに崩壊する。 ワンダは胡坐をかいて、ローラをその上に座らせる。そのまま、胸……ふさふさの体毛に守られたそこを撫でながら徐々に下へ。そしてワンダは乳房が並ぶ原へと手を伸ばす。 「ふぇ?」 と、幸か不幸かそんな絶妙なタイミングでローラが起きる。ワンダは思わずローラを抱いていた手を離し念力でローラを浮かせて胡坐をといた。 「あ、あの……これ、どんな状況ですか……?」 口の端からよだれをだらだらと流し、胸が濡れた感触に驚いて起きたローラは、素面ではなくとも幾分か酔いが冷めしまっている。後ろを振り向いてみれば雄の象徴を起たせたワンダ。素面でこの光景を見れば戸惑うほかない。 「いや、あの、その……ごめん。抱き付かれて……つい」 「抱きつかれって……私、夢の中で……え? アレ、現実ですか? ちょ、私抱きついてほお擦りとかしてませんでした?」 どうやらローラは夢うつつの中で現実と同じ行動をとっていたらしい。 「ば、ばっちりと……だからってこんなことしちゃいけないよね……ごめん」 そうしてワンダが謝れば、二人の間に流れるは沈黙のみ。恥ずかしそうに眼を伏せる二人はどちらから話しかければいいのかも全くわからない。先に沈黙に耐え切れなくなったのはローラだ。 「あ、あの……本当にごめんなさい。わ、私ソファで寝ますので……あの、気にしないでください、抱き付かれたら多分、男の人は普通ああなりますから……多分。ですから、なんでもしますから……私達とのお祭りの約束のほうは……破棄しないでください。お願いします。 え、えと……でも今日はもう遅いので……」 まともに眼をあわせられないまま、ローラはそういってワンダの部屋を去ろうとする――が。 「な、何でも……?」 「え、えぇ……はい。常識的なことなら……」 と、ローラが言い残すと、ワンダは自分の下半身を物足りなそうに見つめる。 「あ、いや……なんでもない」 しかし、そういう考えを一瞬でも持ってしまったことが恥ずかしくて、ワンダは結局ごまかすことにした。そして再び沈黙である。 (き、気まずい……ローラちゃん絶対に呆れているよね) 「えと……その……イイデスヨ」 変に上ずった声を上げ、ローラは再び顔を背ける。 恥ずかしいなら言わなければいいのに、なんて疑問もあればこそ。その疑問が完成する前に、ワンダはまず最初に『いいの?』と言う言葉が浮かぶが、ここでがっついてしまったら印象は良くなさそうだ。 「む、無理しないでもさ……」 「いや、その……ワンダさんなら構いませんよ……その、ワンダさんが魅力的過ぎるから悪いんですっ!!」 はにかみながら、ローラはそんな事を口にする。 「わ、分かった……気を使わせちゃってごめんね」 肩をすくめながら、何処か怯えたような仕草を混ぜながらワンダはローラの頬をそっと手で包み込む。そのまま自分の顔を近づけ、ワンダはローラに軽く口付けを交わした。 「君も十分魅力的だよ、ローラ……」 *** 「やっぱりどう考えても私のせいよね……」 ブクブクブクブクブクブクブク……ローラは自己嫌悪に陥ってもう一度顔を沈める。当然苦しくなってまた水面に顔を出すのだが。 「酒に酔っていたとはいえ……あんなことしてしまうなんて……私は馬鹿だ。どうしてあんな強い酒に気付かずに飲んでしまったのよ本当に……」 ブクブクブクブクブクブクブクブクブク…… *** 「ふふ、魅力的だなんて、お上手ですね」 「決まり文句さ。というか、ローラちゃんを見ていてそう思えない方が難しい」 「ふふ、嬉しい事を言ってくれますね」 ローラはワンダのくちばしに舌を這わせながら押し倒す。ローラはワンダを見下ろしながら、どう料理しようかと嗜虐的な笑みを浮かべる。しかし、ここまで準備万端なワンダを見ているとそっちを攻めないわけにはいかない。 ローラはすごすごと後ずさりしながら、口の中に唾液をため込みワンダの肉棒を見下ろせる位置に立ったところで、思いっきり口に含んだ唾液を滴らせる。突然水気を帯びて、ワンダのそれはピクンと小さく反応を見せた。 「なんだい、それは」 「まあ、黙って見ていてくださいよ」 (そんな反応されると……もっと正直にさせたくなってしまうじゃないですか) 滴った唾液を拭うように、ローラは舌を這わせる。呼吸の中に気持ちよさそうな甘い声が混じっている。経験豊富なワンダも顔だけは余裕ぶっているがきちんと感じるものは感じている。 「舌がざらざらしてるけれど悪くないものだね」 「あ、痛くないですか?」 「それなり……」 ワンダは苦笑する。 「言った通りで悪くはないよ……それに、君がやってくれるってだけでも気持ちいいくらいだよ。ほら、君って存在自体が媚薬みたいなものじゃないか」 「んもぅ、さっきからそんな言葉ばっかりじゃないですか」 ローラははにかみ、前脚で顔を掻く。 「そうやって話しかけてばっかりいると、舌の動きが止まっちゃいますよ。いいんですか?」 「がっつかなきゃならないほど俺も飢えちゃいないさ……レディを相手にするときほど丁重に扱わないとさ」 「丁重ですか? でも、積極的な方が良いと思いません?」 ローラは妖しく微笑み、ワンダの上に乗る。ワンダの肉棒と自身の秘書がこすれ合う状態、いわゆる素股の体勢になってローラはワンダの胸を舐める。 「私だけ何も無しってのも、ちょっとばかし不満なんで……いきなり本番とはいかずともこんな感じでやらせてもらいますね」 「おいおい……いやに積極的だね」 ずり、とローラは腰を動かす。お互いの性器が触れ合って快感が泉のように湧きあがった。同時に漏れる、くぐもった甘い声。快感に促されるままワンダは腰が浮いてしまい、余裕ぶったローラの笑顔も歪む。 「どうです? 気持ちいいですか?」 「うん、結構ね……にしても、大胆だね」 余裕が少ないせいか、僅かにワンダの顔はひきつっている。 「そりゃ、相手がワンダさんですもの……大胆になったっていいじゃないですか」 言いながらローラは尻尾でワンダの内またをさする。くすぐったさに脚先をぴくぴくとさせて耐えるワンダと、素股のほんのりとした快感を味わうローラ。共に呼吸の震えが抑えきれなくなったところを見計らってローラは一時中断する。 「ふぅ……ちょっと疲れた」 「だ、大丈夫……?」 体を起こしてローラを気遣うワンダに、ローラは微笑み返す。 「今度はワンダさんが動いてくださいよぉ……」 熱を帯びた視線、濡れた舌先を覗かせる口。そして、すでに液体が滴りそうなほど濡れた秘所。ローラがワンダに背後をとらせればやることは一つ。ローラもそれを望んだ。 ワンダがローラの体を抱きしめる。腕が絡みつく感触が優しく暖かく、まだ暑い季節だというのに水タイプのワンダの体はひんやりと気持ちよい。ローラは温かみは無いがその触れる感触そのものを味わい、脇腹にかかるほど良い圧迫感を楽しむ。 抱きしめられて、自分で自分の鼓動が分かるほど激しくなる。ワンダもまたローラの鼓動を感じながら締め付ける力を強くした。 (ワンダさんの呼吸が激しい……興奮してくれるんだ) と、酒で高揚した思考の中で、ローラは更に気分を高揚させて震えながら息を吐き出す。 「……そう言えば、初めてだったりする?」 ワンダが突然訪ねたこの内容。ワンダは処女が好きというわけではなく、気遣う必要がどれほどあるかを踏むための質問である。 「さー、どっちでしょーね。正直、どっちって言っていいのかもわからないし……貴方がしたいように攻めてくれるかしら」 酒の力とは恐ろしいもので、ローラは前脚を屈めて尻を突き出した体勢をとる。ワンダがこの動作を見て、ローラは手慣れていると理解してそれならそれなりの激しさを見せてやろうと意気込んだ。実際、ローラは卵グループが飛行にあたる陰茎の無いポケモンを相手にした経験があるために、処女は破られていない((第3話参照))。 そのため、どっちと言っていいのか分からないというのは紛れもない本音である。が、男性が喜ぶポーズについては心得ている。それが先程見せた尻を突き上げるポーズである。ワンダはそんなこと知る由もないが、処女でない事を気にするような処女崇拝の気も無い。 今は昂ぶった性欲を発散することだけ。ワンダはくちばしでローラの首筋を小突き、その不意打ちでナナを鳴かせる。 「ンッ」 と、情けない鳴き声を上げた所でローラの秘所にワンダの肉棒が触れる、先端が潜り込んだ。 「ちょ、不意打ち……」 と、ローラは渋い顔で不平を漏らすが、眉間の縦じわの奥では隠しきれない笑みが残っている。 「したいように攻めていいんでしょ?」 「ワンダってばがっつき過ぎ」 くすくすと笑って、ローラは後ろに曲げた首を前に戻す。 「いいわよ。元はと言えば私が誘惑しちゃったわけだし」 ワンダはそれを言い訳にして、自分のやっている事は悪いことじゃないと言い聞かせる。ローラはワンダが与えてくれるであろう快感へ期待に胸を躍らせる。きちんとした男性器が体内に入ること自体は初めてである事をいささか忘れている節もあるが―― そんな無防備で楽観的なローラの体は、手なれたワンダが違和感を感じないように、するするとワンダを受け入れる。流石に途中破瓜の痛みで顔を歪めはしたが、それも酒に酔った脳には知覚される量も僅かな物。愛おしい異物が入る感触でローラは背中にヒルが這うような快感を感じて痛みどころではない。震える甘い吐息と一緒に思考まで吐き出され、ジンジンとした快感に呑まれた理性は本能の前に蚊帳の外。 ローラはワンダの攻めに晒されるうちに、より強い快感を得ようと腰を曲げる。強烈な猫背になったローラは求めた快感をより強く。攻めるワンダに対しても締め付けをより強めて、ワンダの快感を増幅させた。 そうして続けられる淫靡な往復運動。ローラから発せられる甘い声の回数も大きさも増していった頃に、沸点に達したローラの快感がはじけ飛んだ。 「んぁっ……」 今までで一番間の抜けた声を上げて、ローラは上半身を完全にベッドにへたり込ませる。前脚はベットのシーツを破りかかねないほどに爪を立て、襲いかかる官能の嵐に大きな声を上げてしまわないようぐっとこらえる。 目を瞑り息を飲むような快感の中、収縮したローラの秘所はワンダの肉棒から精を搾りつくすように、貪欲に食らいつくのだが、それでもワンダは終わらない。 「ちょ、ちょっとまだやるの」 「ごめん、俺結構長持ちで……」 「そんなぁ……ぁ」 と、このままローラはワンダが満足するまで、頭が真っ白になるほど攻められる。終わった時は疲れてそのまま眠ってしまい、酒の効果も相まってほとんど何も覚えていなかったのだが。 日光が目に入り、眩しさで目が覚めると頭が妙に痛い。どうやら悪酔いしてしまった事が伺える。目覚めたばかりのピントの合わない目が徐々に鮮明になるにつれて肩地図来る水色のワンダの体。ベッドの上で恋人のように寄り添いあって眠るワンダがいるという事は、何を意味するのか。それは本来恋人同士がやること(というローラの純粋なイメージ)をやってしまったという事。 それは昨日の出来事が夢ではないということである。 「あのー……ワンダさん、起きてください」 「ん……お早う……って、やばい!! もうこんな時間じゃないか!!」 窓から差し込む光で時間を計ったワンダはベッドから飛び起きて、母親の手伝いに向かおうとするのだが―― 「あの……ワンダさん。昨日、私達って昨日……その、セックス……しましたよね」 上手い言い回しも見つからず、ドストレートな言葉で表現してしまって、ローラは体毛を逆立てて恥じらう。 「……まさか覚えていないとかいうんじゃ」 「いえ、逆です……覚え過ぎているから……うわぁぁぁぁぁぁ!!」 ローラは急激にこみ上げてきた恥じらいに耐え切れずに全速力で走りだし、湖へと向かって行く。 *** それを思い出しながら、ローラはその日と同じような状況になっていた。 ブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブク……ローラは浮き沈みを繰り返す。 「目覚めた瞬間の恥ずかしさったらもう……はぁ……」 目覚めたローラは昨夜の出来事が夢でも幻でもないことを確認してから、街へ飛び出し絶叫しながら湖に飛び込んでしまった。入水自殺と勘違いしたワンダに助けられてしまったが、真相はこんな風にずっと浮き沈みして自分を見つめ直してみたかっただけである。 なんせ、ナナ達への報告中、これを思い出しただけでも顔から火が出ると思ったのだ。 その日の顔の熱さは今日よりもさらにパワフルだったのだから、陸に引き揚げられると非常に具合が悪かった。 そして、心の整理が付かないローラはワンダと二人きりのときはまともに話も出来ないまま、結局気まずい雰囲気でローラは街を発つことになってしまった。その時の後悔諸々を全て忘れたいローラは、呼吸の苦しさと水の冷たさでただただ頭を一杯にした。 そして、夜が明ける。 「くしゅん!! うぅ~……」 馬鹿な事をやっていたローラは、結局風邪をひいてしまい、何かくしゃみに効く薬は無いかとジャネットの家を訪れていた。 「全く、ローラ……夏風邪は馬鹿がひく言うのじゃが……お主何をしておったのじゃ? 体は大事にせんといかんぞ」 「そうでやんすよ。体は資本なんでやんすから、大事にしやせんと」 ローラは流れ出る鼻水をすすって、充血した瞳をジャネットに向ける。 「ちょっと泳いでました……」 「泳いでいた……ですか。またなんで深夜にそんなことを?」 「とても言えません……少なくとも、ユミルさんがいるうちは……」 「おや、男子禁制のお話でやんすか? それなら、アッシはそろそろ退散しやすが……」 ユミルに言われて、ローラはシーラとじゃれ合うユミルに目を向ける。 「あ、いや……出来ればシーラちゃんにもあまり聞かれたくないというかなんというか……」 「なるほど、そういう話ですか……いいでしょう」 「あ、それは暗にとっとと行けって事でやんすか?」 ジャネットが納得するのをよそに、ユミルはまだまだ子供を可愛がっていたい。 「いや、悪いですよ……子供を可愛がるのを邪魔は出来ませんし……」 「私ももっとおとーさんと一緒にいたいもーん」 ローラと眼を合わせないように、シーラがユミルへ甘えた。 「すみません、シーラちゃんに風邪を伝染さないようにちょっと寝室借りますね……」 「はい、お大事に。気分が悪くなったら言ってくださいね」 そして数分後。昨日眠っていなかったローラはくしゃみに苦しみながらも何とか眠りについていた。誰かが氷水で濡らしたタオルをかけてくれたのを感じてローラが眼を覚ますと、ローラの額に冷たくなったジャネットの手が触れた。 「お目覚めかのぅ? シーラは遊ばせておるから、女二人きりで心おきなく話すがよい」 「は、はい……ありがとうございます」 「で、どうしたんじゃ? 昼からは仕事があるから手短にな」 言われて、ローラはワンダとしてしまった過ちのことを話した。いろんな部分をぼかしたが、その気がなかったとはいえ抱きついてしまうなどして挑発したり、求められてしまったら簡単に了承してしまったことなど。 「ふぅ……なんというかまぁ、若いのぅ」 話を聞き終えて、ジャネットはそう呆れる。 「まぁ、なんと言うのか。その話じゃワンダは確かに耐えるべきだったとは思うのじゃが、そこまでされたのでは我慢が出来なくとも仕方ないじゃろうな……」 「ですよね……はぁ」 ローラはうなだれ、酒に酔った挙句の自分の行為を恥じる。 「しかしまぁ、ローラとワンダ、お主ら相性は悪くないんと思うぞ?」 「と、言うと?」 精神的な疲れを抱えた視線で、ローラはナナを見る。 「女性というのは、大人になると自分と違う匂いを好むものなんじゃ」 「は、はぁ……」 「もちろん、父や母との種族が違うものもあるのじゃが、そういう表層的な違いではなくもっと知覚し難いところでじゃ……そうすることで、小さい頃は自分の家族を好きになれるものじゃ。逆に大きくなれば家族とは違うものを好きになる……そういうことなのじゃ。 近親相姦をすると、子供に出来損ないが多くなるということ、それは古来よりなんとなく経験則で知っていたことなんじゃ。王族に病気が多いのもそのせいだろうといわれておる。それらを本能的に防ぐために、自分と違う匂いを求めるのじゃ。 お主はホレ、ワンダの匂いがいい匂いだと思えたのじゃろう? それならお主らは最初から結ばれることが正しかったと……神の采配という奴じゃのう」 「そ、そういうものなんですか……」 うむ、とジャネットが頷く。 「じゃが気をつけるのじゃぞ。こういう男性とは逆に出産するとその匂いを嫌いになるのじゃからな……子供を愛するためにも、自分に近い匂いを好きになり直すのじゃ。子供を嫌いじゃ母親はやっていられんからのう。そういうお客さんが結構後を立たなくってのう……そんな人のために、惚れ薬スーパーというお薬を使うのじゃが……」 「は、はぁ……」 「原液をこの前作ったのじゃが、良く効くぞ。使い方は100倍に薄めた薬品を麻紐に浸し、火の近くで熱によって飛散させるのじゃ……ま、夫婦が倦怠期になったらお主にならタダで譲ってやるぞい」 「あの、話が飛躍しすぎです」 「ふむ、コレは失礼。ま、とりあえずアレじゃ……ゆっくり愛を育むのも悪くはないが、直感を信じるのも良いということじゃ。どちらにせよ、一回くらいの過ちなんぞ気にせんでええ……それで身篭ってしまったのならワシが何とかしてやるが、一応中には出されておらんのじゃろう?」 「そこは最低限……子供出来たらいろいろ困りますし」 「中に出されていないからといって絶対安心ではないのじゃが、まぁお主の生理周期から考えれば問題ないじゃろ」 ジャネットが言い終わると、沈黙が通り過ぎて気まずい雰囲気になる。 「いや、な。堂々としておれ。ワシはなじみの客と体を重ねているうちに身篭り、なおかつ妊娠したと知るや否や旦那が別れ話を切り出したなんて事例も知っておる。万が一のことがあってもワンダなる男もそれなりの誠実さは持ち合わせておるようじゃし……それなりの責任は取ってくれるじゃろうし。 それにロイだって色々体を重ねてもあまり気にしておらんのじゃから」 「男と女は違いますぅ!!」 身を乗り出してのローラの抗議にジャネットは苦笑した。 「ともかく、下半身の事情というのは女性が被害者になりがちじゃし、今回も結果だけ見ればお主が被害者じゃ。じゃが、お主が被害者であったとしても今回のことはお主が原因じゃ…… ワンダとやらがもし自己嫌悪に陥っていたら、どれだけ自分が悪いと思っても自分から謝るのじゃぞ? お主は意地っ張りな性格でもないじゃろうし、出来るな?」 「うぅ……気まずいですが、やってみますぅ……」 「ま、とりあえず謝るのも新たな仲間を探すのも、とりあえずはその風邪を治してからじゃな……薬を各種置いておくから、量とタイミングをきちんと守って使用するのじゃぞ?」 「は~い……」 ローラは耳を垂れ下げて力なく返事をする。 「では、今日はシーラの面倒お願いじゃな」 「え?」 「よろしくおねーちゃん」 シーラがローラにすり寄る。 (お、押し付けられた……私病人なのに) ◇ 抜けるような青空。夏の日差しを余すことなく届ける空。熱を届ける空!! 「暑い……」 ローラは歩きながら愚痴をこぼしていた。元々は教育役のイーサンに逆らいたいがために体を鍛えるなどしていたやんちゃガールとはいえ、根は箱入り娘である。雪解け人の季節にロイを探して旅に出た時は寒い寒いと愚痴を漏らしていたが、分厚い体毛が覆っている上にセーターを着込んでいたので寒さに耐える手段もあったのだが、夏は暑さを防ぐ手段は無い。 前回、湖の向こう岸のシャーマンに会いに行った時はほとんどが船による旅路であったために耐えられたものの、今回は湖を越えれば後は延々と歩きである。 もちろん、飛行タイプのポケモンによる高速移動も無いわけではないのだが、それには非常に料金がかさんでしまう。兄にもたまには自分で歩けと言われているため、こうして仕方なく歩く道のり。容赦ない日差しには気が滅入り、重い荷物を捨ててしまいたいと何度思った事か。 (ユミルはムクホークの姿になることで荷物を少なくし、適時街へ立ち寄ってその時必要な物だけ補給をするのよね……それがうらやましくて仕方ないな。あぁ、鳥ポケモンさん……私を乗せてってくれないかな?) もはや何度目かもわからない思考を張り巡らせつつ、ローラは空を見上げる。たくましい足から炎を吹き上げつつ飛行し、巨大なバックパックを背負うそのゴルーグは宅配便か何かだろうか。何故だか今日はやけに宅配便らしきポケモンを多く見かける。 如何に太陽ポケモンのエーフィといえど、真夏の太陽の眩しさを見上げ続けるのは流石に応えた。眩しさにこらえきれなくなったローラは視線を落としてゆくべき道を見据える。人々が歩き続けることで形成された獣道じみた山道は長く長く続いている。 (この崖をひとっ飛び出来たらなぁ……直線距離なら何てことないのに) また溜め息。そして溜め息に交じって、羽音が聞こえる。羽ばたきによって巻き起る風を背中に感じてナナは振り返る。 「よう、お嬢さん」 ホバーリングしながらゆっくりと降り立つゴルーグが背後に。三倍以上の身長差のあるゴルーグに見下ろされると、肩が思わずすくんでしまう。 「な……何でしょう?」 無機質な体から発せられる匂いは雄のものでも雌の者でもない、上質な陶器や磁器の中間の香り。性別も無いので下心を警戒する必要はないが、余りにインパクトの強い登場シーンに苦笑したローラの顔を見てゴルーグは親に咎められた子供のように慌てふためき、かぶりを振って見せた。 「怪しいものじゃないって。ナンパでもない」 「そりゃナンパじゃないでしょうね……では、用件は何でしょうか?」 「おう、よくぞ聞いてくれました。号外があるんだな号外が。それを他の街に届ける所だったんだがよ。こうやって旅人を見つけたら売らなきゃ損だろ? さ、まずは無料でちょっとだけ読んでみないかい? 字が読めないなら俺が読んであげちゃうよ。と言いたいところだが元貴族の刺青のしているお嬢ちゃんには大きなお世話か」 気さくなゴルーグはそう言って、粗末な紙に書かれた新聞をローラへ差し出した。ローラは念力で新聞を広げ、読み始める。 「……船が潰されている? でも、民間の船も含まれて……狙いは軍用の船じゃないのね」 驚いてローラが尋ねると、ゴルーグは得意げに説明を始める。 「あぁ、船が潰されているってのはあれだ。真っ先に潰されたのが奴隷を運ぶ船だ。……しかも、整備のための僅かな人員しか残っていない時だから、人的被害を望んで潰したわけじゃないってこった」 「そう……」 「あらら、見入っちゃってるな。でもそこまでだお嬢さん」 ゴルーグが指先で新聞をつまんでローラの新聞を奪う。 「ここから先は、企業秘密よ。続きを見たいなら出すもん出してちょーだいな」 すっかり商売人の顔のゴルーグは歯を見せながらニシシと笑っている。ローラはむっと睨んで見せるが、商売ならば仕方がないとしぶしぶながら銅貨を一枚差し出した。 「へへ、毎度あり。じゃあな、勉強家のお嬢ちゃん」 ゴルーグは笑い、さっさと新聞が入ったバックパックを背負い、脚から炎を吹き上げて飛んでいった。 「私も乗っけてってくれれば良かったのに……まったく」 またもや往生際の悪い独り言を呟いて、ローラは新聞を読むためという理論武装をして休憩時間を伸ばすことにした。 『内海ジェルト海に面した港町、シルヴェーギア、アンクシル、ソーウェルカンダの三つの都市の船が相次いで破壊されている。シルヴェーギアで奴隷船、ハンターネスト号を潰したのを皮切りに、交易船シーギャロップ号、客船レジギガシアン号……計8隻の主だった船を沈めた後、場所を変えてアンクシャナスの船を破壊。交易船ベア・ベア、軍船…… 以上の港町で合計37隻の船が沈められる事ととなった。また、奴隷船に乗せていた奴隷たちの鎖が全て壊されており、喉の渇きと飢えにかられた暴動で、奴隷・市民合わせて数百人の死者が出た模様。 目撃者の話によると、犯人と思しきポケモンはハッサムとされ、信じられないことにたった一人で船を潰し、追跡するポケモン達も驚異的な足の速さで振り切ったとされている。 現在、株主や船の持ち主、事業主など一同は目撃情報を求めている。ただし、もしも見かけても決して手を出さないよう注意するべきである。すさまじい強さを持ちながらも直接人を狙わないなど人的被害を望んでいるようではないが、前述した暴動などで間接的な死者はすでに出ている。 見つけた場合は、すぐにお近くの飛行ポケモン情報伝達&ruby(ギルド){協同組合};情報をお寄せ下さい。有力な情報を(真偽の確認後、審査により査定します)見つけた方には株主および事業主、船の持ち主から募った調査金の一部を懸賞として譲渡します』 (ソーウェルカンダ……って言ったら、クリスティーナちゃんのいる街じゃない。育ての親は布商人って言っていたけれど、大丈夫かしらね? 人命はともかく経済的な打撃は計り知れないはず……) それよりもローラが気になったのは犯人が虫の楽園から訪れたと思われる奴隷階級のポケモンがやったという事実。奴隷船を真っ先に潰したというのも恐らくは運ぶ船がなければ本国の者はさらわれないとか、そういうことなのだろう。 (全く……戦争のために奴隷を調子に乗って狩り続けたからよ。それについては、奴隷を見下している人たちはいい気味だけれど……でも、その後はどうなったんだろう? 奴隷たちは殺されたか捕えられたか……結局自由は手に入らなくって……可哀想に) とりあえずクリスティーナの安否は気になったが、屈強そうなリングマが守っていたというし、もしもの時はマナフィの力があるだろうと、ローラは無理矢理納得する。まだまだ休んでいたくはあったが、涼しい夜は兄や明かりなしでは暗くて歩けなくなってしまうため。これ以上休んでもいられない。 旅路の気の重さは、休めば休むほど増すばかり、少しでもそれを振り払うためにローラは立ちあがって胸を膨らませて息を吸う。 「ぬあぁぁぁぁぁぁ!!」 大きく深呼吸し、やまびこが聞こえるほどの大声を張り上げてローラは立ちあがる。 「元気出していこう!!」 ローラは目的とする街へ急ぎ足で向かい、新しいシャーマン候補であるライボルトについて探り始めたのだが、すでにそのライボルトは他の街に旅立ってしまったと言う。ただ微弱な電流を流すだけで体の悪い所を次々と治してゆくと言うライボルトのヒーラー。滅びの歌で病気だけを滅ぼすアブソルのヒーラー。電気刺激が体に良いこともあるが、それだけでは説明できない神がかった力でもあるのだろうと、ワンダ達は踏んでいたのだが。 ローラも追って行こうとは思ったが、ローラが越えられない関所を越えてその向こうに行ってしまった以上、追いかけっこは終了だった。兄に会う時は命がけで荷物にもぐりこませてもらったが、今はもうそこまでの意欲もない。 流石に命がけで行う必要もないだろうし、スカウトは他の者。例えばユミルあたりに任せようかと。とりあえず報告に戻ろうと今は帰路についている。その途中、ローラはライボルトの情報を提供してくれたワンダ達の元へ結果を報告しに訪れた。 「そうか、もう旅立ってしまっていたか……すまんね、情報が遅くって」 情報をくれたクルヴェーグに住むキングラーのシャーマン、クラヴィス=カウフマンに事情を説明すると、言葉通りのすまなそうな表情をして、頭を傾け詫びを入れる。ローラはそんな謝罪よりも別のほうに目が行った。 美しく色づいた赤い甲殻から伸びるハサミは左右非対称で一方がとても大きい……のだが、今は無い。 前回訪れた時もそうだった。『俺の腕を食べろよ』などと、どや顔で言っては、今日の食事にも事欠く子供達に渡すのだ。クラブの頃から変わらず再生能力の高い(自称)そのハサミだが、何でもレジロックが岩をくっつけて傷を治すようにこの男はハサミを治せると言う。 その際は、ワンダの母親であるメアリーが『カウフマン!! 新しい腕(の材料)よ!!』と言って、パン生地で岩石砲を放つのだ。 (正直、ナナさんよりも謎が多いよなぁ……この人達。どういうつながりなんだろ……?) オボンの絞り汁を混ぜた小麦粉をくっつけるだけで、腕なんてすぐに治ると言っているクラヴィスは、確かにもう半分ほど生えてきている。先程この家を訪ねた時はパン生地岩石砲の痛みにのたうちまわっていた最中だったと言うのに、なんという恐ろしい再生能力だ。 そんなクラヴィスは、自分が与えた情報が役に立たなかった事を謝っているわけだが、無料で宿を提供してくれおまけに美味しいパンを差し出してくれているのだ。パンや宿はクラヴィスのものではなく、弟子が住むレシラムベーカリーの作ったものだが、パンの具に使用されるドライフルーツや食卓に添えられる木の実は彼の作った物。 こんなに至れり尽くせりな事をしてくれるクラヴィス達を、ローラは咎められるわけもない。 「いえいえ、イェンガルドに戻ったら関所を越えられる仲間に頼んで追ってもらいますので……そう謝る事なんて無いですよ。宿代も出さないのにこんなに美味しいパンまでもらっちゃったわけですし、むしろメアリーさんには悪いくらいです……もう6時ですし、休む前に報告しようと寄ったんですが……まさか泊めてくれるとは」 「いいってことよそれくらい。美味しいパンを食べさせてあげるのがこいつの趣味みたいなもんなんだからさ」 こいつ、とハサミで指し示されたドサイドンは照れ臭そうに笑う。 「まぁね。クラヴィスの客とあっちゃあ、私の客でもあるんだ。金を取るわけにもいもんねぇ……」 「メアリーさんのパンをただで食べられるなんて贅沢ですよ……ま、客というのなら……恐縮ですが」 そのドサイドン、メアリーさんはクラヴィスがシャーマンの身分を明かす前からの友人だそうで、親子ともども懇意にしている仲である。その縁あってかクラヴィスとメアリーの仲は単なる異教の共有者では収まらないほどに深いようだ。 職業がバラバラであるテオナナカトルと比べると、最初から友達というこの関係は一緒に居る事が不自然ではないし、職業上の付き合いもあるから、集まったり暇を作ったりするのはしやすいのだと言う。入ってくる情報や出来る事は狭まってしまうという点では一長一短ではあるが、ロイの酒場のような&ruby(わきあいあい){和気藹々};としたこの雰囲気がローラは好きだった。 「それで、これからはどうするんだい? ローラちゃん」 「私は……明日の朝には、イェンガルドに戻ろうと思います」 ローラが言い終えると、クラヴィスは怪訝そうな顔で脚をひねる。 「どうしました?」 「いや、な。暴れん坊のハッサムの話、知っているか? 今、旬の話題なんだけれどさ」 「もちろんですよ。今この辺で知らない人なんて……」 ローラが言うと、クラヴィスは頷いた 「彼奴は、ついにミリュー湖の北西湖岸まで到達したようでな。次の日っていうか……今夜あたりにこの街の港の襲撃が予想されているんだ。ミリュー湖の大きさはジェルト内海と同じくらいの大きさだし、大体今日来ても全くおかしくないものでな……まーなんつーのー? 今日中に行かないと船が出ないかもしれないってわけだ……と言っても、船はもうすでに出ちまったがな。 まぁいいや、とりあえず港に行かなければ危険ってことも無いだろうから、そっちの事は俺たちに任せてこの家でゆっくりしているといいよ」 「ちょ、ゆっくりって……まぁ、確かに私に出来る事は何もないですけれど……それより、ワンダさんが留守って言っていたけれど、もしかして港に出かけているんじゃないでしょうね」 ワンダとは曲がりなりにも、出会って二晩目に成り行きで一夜を共にしてしまった仲である。ローラはそれをやってしまったと後悔してこそいるが、それはそれで大切な繋がりなのだ。 ハッサムのことは噂に聞いただけとはいえ、あれほど強い相手に挑むなんて酔狂な真似をしているとなればローラも心配せざるを得ない。 「いや、港に出かけているよ」 はたして、そのローラの予想は見事に当たっていた。 「だがワンダー仮面とて一人では勝てないだろうから、戦うなって命令している。不穏な気配を見つけたら、すぐに連絡するように……ってだけで、ただの偵察だ。大丈夫、今までのパターンからすればまだハッサムは来ない。多分……だがね」 「多分って……そんないい加減な、大体、ワンダ君を呼ぶ時にワンダー仮面って呼ぶのはやめさせなさいな。そこはかとなく危険な雰囲気が漂いますから」 「大丈夫だ。あいつは解けない氷っていうレジアイスの加護を受けた神器を持っているんだがな……そう、それによって氷タイプの威力がすこぶる上昇するんだ」 「そういう問題じゃないでしょ!! ワンダー仮面っていう呼び名そのものが頭悪そうとか、頭おかしいんじゃないかという雰囲気を醸し出しているって言っているのです!! 大体、相手鋼タイプよ……氷タイプはあまり通用しないんじゃ?」 興奮したローラは二つの話題を交互にとがめて見せる。 「おいおいおいおい、確かに氷を使う戦法はいけないかもしれねーが、正義の味方クラヴィス=カウフマンとワンダー仮面として退くわけにゃあいかないだろー」 わざとらしく慌てふためきながらクラヴィスが言う。 「っていうか、なんで戦うこと前提で話を進めているのよ!! 危険でしょ? ワンダさんをそんな危険な戦いに向かわせるわけ? ワンダさんがもし障害を負う程のお怪我をしたら……無責任な行動させたあんたを許さないからね。大体、ワンダー仮面とかとち狂った格好させるのは止めて」 またも二つの話題を咎めるローラに気おされて、クラヴィスは苦い表情をする。 「……俺、いちおーローラちゃんより目上の立場なつもりなんだけれどなー。まぁ、いい。真面目に話すとだな、ローラ」 わざと間の抜けた声を作っていたクラヴィスは急に言葉通り真面目な声色を取ってローラを見据える。 「時間的には、0時過ぎに奴が来るのが通例だ。さっきも言った通り、見張らせているのは念のためだし、一人では絶対に戦わせない、そこまでは問題ないな?」 「えぇ」 ローラは頷く。 「で、時間が近づいてきたら俺も現地へ行く。その時はまぁ……なんだ、必勝戦法があるんだ。そいつで捕まえて見せる」 必勝戦法と言われても胡散臭く、どうにもローラは信用できない。だが、今はとりあえずそれを口に出す事をせず話を進めることにした。 「では、捕まえてどうなさるつもりでしょうか?」 「捕まえても殺すつもりはないが……そうだな。何故そういう事をしたのか問い詰める。……まぁ、答えは決まっているだろうがな。神器を私利私欲のために悪用した奴は始末するのが基本だが……奴はきっと違うだろう」 「でしょうね。敵さんは奴隷狩りを止めさせたいだけでしょう……首や脚に鎖嵌められて船に積まれる仲間を見るのは嫌でしょうから」 おぅ、とクラヴィスが頷く。 「それに……敵さんもきっと俺達と同じシャーマンだ。俺はそっちの方向にも興味がある。あっちの信仰がどのような形でなされているのかとか、どんなものを使用してすさまじい力を発揮しているのか、とか。だから、殺しはせずに出来れば生かすつもりだよ」 ローラはクラヴィスの言葉に呆れて言葉を詰まらせる。 「そ、そりゃね……数々の妨害をものともせず船を破壊できる力があるわけだし……『普通のポケモンが鍛えただけ』じゃあれだけの強行は説明が付かないわよね。私達と同じく神の力を片鱗でも扱えるポケモンだと考えた方が納得いくわ…… しかし、船だけを破壊する理由なんて……『船さえなければ奴隷を運ぶ事は出来ない』って、そういう考えの元に壊して回っているのでしょうけれど、中々大胆なことするわね……ハッサムさんも。でも、それを捕獲しようとか言う貴方も大胆すぎませんかね?」 ローラが溜め息をつく。 「相手は正義のためにやっている。たとえそれが正義という名の自分勝手だったとしても……殺すまでやることないって訳さ。非は明らかに俺たちにあるのだからな」 クラヴィスは力なく小さいほうのはさみを振るう。キングラーにとってのお手上げ的な動作だ。 「どちらにせよ、奴の行動で起きる経済的混乱はこの国に留まらない。このまま放っておいては、運搬業や漁に携わる者、商人などに影響が出て、この国のかなりの広範囲で失業者があふれてしまうだろう。そうなってしまえば、この国の財産、例えば貴金属か何かを売り払ってまで穀物を買い付けるか、もしくは餓死者が続出するかのどちらかだ。 借金払えなかった奴が続々と奴隷になって国外に売られるかもな。 ま、俺はこの湖があれば藻でも砂の中のプランクトンでも食べて生きていける。だが、そうもいかない奴らは辛い。御国様が国民に対して死んでくれっていうわけにもいかないからな……そうならないためにもな、正義の味方として戦う義務があるってもんだ」 ローラは呆れてため息をついた。 「勇ましくていいことだけれど、なんだかなぁ……あの格好とかファッションセンスとか」 「いっつもこうなのよ、&ruby(この人){クラヴィス};は。」 正義の味方などとのたまうのは勝手だが、そのテンションで突き進むのは何か危険な気がしたがそれを止めることは不可能だとローラは悟っている。このクラヴィスという男はナナのやり方とは違うシャーマンの力の高め方を持っている。それは、陶酔し役になりきることだそうだ。 このように正義の味方を演じるのが彼にとって世界と一体化する方法であり、シャーマンとしての力を高める方法なのだ。そして、空腹に耐える断食とは違い、周囲の視線に耐えることも試練の内であるとクラヴィスは言う。 (だから仕方がないと言ってあげるべきなのだでしょうかね……?) 「で、その必勝戦法とやらはどれほどのモノなの?」 「一応、成功率100%だ……ま、今回ばかりはわからんがね」 「言葉どおりなわけね。分かりました。一応信用してあげることにします」 (なんというか呆れちゃうなぁ……ま、悪い人じゃないみたいだし、しょうがないから付き合ってあげるかしら。でも、ワンダ君の格好よさが台無しになるあの格好だけは何としてでもやめさせなければ) 「まぁ、それならいいでしょう。私は正義の味方ではないですが、テオナナカトルの一員としてゲスト参加させてもらいます。微力ながら力になれれば……とは思いますが、私は正義の味方では無いので危なくなったら逃げますからね。一応、敵は殺傷が目的ではないとはいえ、私は痛いのは嫌ですから」 「おうおうおう、ローラちゃんには正義の味方の才能があるんだから、衣装そろえて仲間入りさせてやりたいってぇ言うのに」 「結構です!! 私は上司からもらった服があるのでっ!!」 ローラは全力で断わりを入れ、尻尾でクラヴィスの顔をはたく。格下の者に顔をはたかれたクラヴィスはしかめっ面をしてローラへのささやかな抗議を行うが、ローラは無視をした。 「じゃ、早い所合流しましょう」 ローラは立ちあがる。 「慌てるな、まずは食休みからだ。あんた時計持っているんだろ? まだ奴が今まで現れた時間帯の0時には遥か遠い」 流行る気持ちもあったが、クラヴィスの言う事はごもっともだ。ローラは溜め息をついて座り込む。 「確かにそうですね。時計の針はまだ7時ですし……」 ローラは首にかけたポーチから懐中時計を繰り出し、確認した。 「そういうことだから待て。シャーマンとしての力を高めるには世界と一体化すること。それには、忍耐力だって大事なんだ……焦り過ぎは禁物だよお嬢さん」 いつの間にかこの国の命運を左右しかねない問題に発展していたハッサムの船舶襲撃事件。それに対して何ともゆるい対応をするクラヴィス達の態度に棘を抜かれた気分でローラは溜め息をつく。 「分かりました、従います」 (なんだかんだ言って、クラヴィスはこのやり方で黒白神教を維持してきた実績があるのだから、一応任せても大丈夫だろうし) ローラは時間まで寝て待つことにした。旅の疲れも相まって、ローラの眠りは素早く訪れ、眠りの世界へいざなわれていった。 そして、午後11時。 「よう、ワンダー仮面。異常は無いか?」 「異常無しです、クラヴィスさん」 真っ白で、目の周りに空いた穴の部分に赤い円形の縁取りがしてあると言うおかしな覆面をかぶったゴルダック、ワンダがきびきびとクラヴィスへ答える。普通にしていれば格好いいはずのワンダなのに、覆面のせいで台無しだ。あの赤い額の珠もかなり親近感を感じるし、端正な顔立ちは乙女心をくすぐられると言うのに、あのコスチュームには親近感よりも嫌悪感を感じてしまう。活動時間は夜だと言うのにわざわざ目立つ白だし、肩からは何故か用途不明のタスキのようなものが伸びている。もう少しまとも且つ機能性の高い衣装は作れなかったのかと目を疑うデザインだ。 ただ、おかしな覆面や手袋にも意味がないわけではなく、こだわりスカーフの上位交換となる布で出来ているとか、所々に電気対策の羊毛があしらわれているなど、まるっきり無意味なわけではない。デザインがひたすらダサいので、装備を整えると威厳に充ち溢れる兄や父親を見て育ったローラには耐えられないのだ。 「ワンダさん……本名を名乗るのは控えた方が……なんというか、危ない人に見られます」 「問題ない。危ない人とは正反対が俺のモットーだからな!!」 「そういう意味じゃなーい!! お願いだからワンダー仮面なんてやめて普通のワンダ君に戻ってよ!! これじゃ落ち着いて話も出来ないじゃないのよぉ!!」 呆れを通り越して躍起になったローラは声を張り上げる。周囲に響かない程度に抑えたとはいえ、夜だけに少々響きそうである。 「もう……つくづくテオナナカトルと違うのですね」 環境の違いに戸惑いながらもローラはなんとか頭の整理をして続ける。 「ともかく、例のハッサムに挑むとのお話ですが相手は無茶苦茶な強さを持つ相手ですよ? 肝心の必勝の戦法とは如何な方法で?」 「よくぞ聞いてくれた!! 我々が行うのはフーディンのスプーン曲げを参考にしての集中をこちらに向け、ワンダー仮面が必殺の一撃を叩きこむのだ!! 俺が注意を引く方法は、腕を千切って投げると言うこと……というわけだな」 「そんな方法であんたら今まで悪人倒してきたのかい!? どんだけ腕を粗末にしているのよ!?」 口調も滅茶苦茶になってローラが尋ねる。 「あっはっは。俺の腕なんてすぐに生える!! そんなこと気にするよりかは、目の前の敵に集中しろい。それに、俺には&ruby(ヽヽ){これ};がある」 と、言いながらクラヴィスは自身の体に巻かれている帯を強調して見せる。 (メギンギョルズ……強大な力を持ったハンマーを扱うために雷神ゼクロムが使用したと呼ばれる帯。力が無尽蔵に上がる代わりに、使用出来る技は制限される。要はこだわり鉢巻きの原型となったものなわけだけれど……大丈夫なのだろうか?) 「はぁ……そのメギンギョルズがあるのでしたね。でも本当にやるのですか?」 「強大な敵と対峙した時こそヒーローとしての素質が試されるのだ。それに……」 呆れるローラにクラヴィスはまくし立てる。 「……それに?」 「そのハッサムを止められるか否かでこの国の未来を左右されるんだ。誰かが止めなきゃならないのに、俺らシャーマンにしか止められない相手ならシャーマンが止めるんだ」 「は、はぁ……まぁそうですよね」 「もし俺ら『シード』が失敗したら、次はテオナナカトル……お前らがやってくれ」 「はぁいぃぃ?」と、ローラが聞き返す。 「な、なぜ……私達が? そんな役勝手に押し付けないで下さいよぉ。押し付けは嫌いですぅ!!」 「決まっている。なんだかんだ言って他人の身を案じているあんたなら……見過ごせないだろ?」 クラヴィスの言葉は正直図星であった。相手は何らかの神の力を行使して戦うポケモン……ならば、確かに同じく神の力を行使できる自分達にしか例のハッサムは倒せるものではない。 「そんな君ならワンダー仮面の2号にしたいくらいだね」 しかし、今の未熟なローラにはワンダの言葉は無視することが出来ない。 「ワンダさんの言うワンダー仮面の2号件は丁重にお断りします。しかしまぁ……失敗した後の事は上司に掛け合ってみますよ。一応……後味悪いから死なないで下さいよ?」 「任せておけ!! ヒーローは死なない!!」 いつの間にか完全に治っている大きなハサミをググッと握り、クラヴィスは言う。 「ワンダー仮面も同じく!!」 「いいからその名前をどうにかしなさい、ワンダ」 どれだけ突っ込みを入れても動じない二人のテンションに、ナナは精神的な疲労を隠せず溜め息を漏らす。 「そうだ、ワンダー仮面。今日はその解けない氷の力……全力で開放していいからな」 「全力で開放……ですか、クラヴィスさん? そんなことしちゃって大丈夫なんですか?」 ワンダに諭したクラヴィスへ、ローラが尋ねる。 「お嬢ちゃんも知っている通り、あいつの持っている解けない氷はレジアイスの体から作られた特別製でね。シャーマンとしての力が優れた奴が、全力で冷凍ビームなんて放とうものなら家一つ丸々氷塊に出来る。周りの奴らは巻き込まれて危ないし、何より目立つ。 とは言え、正直なところ危ないのはどうでもいいんだ……巻き添えにならないように威力や着弾地点、タイミングなどを調整すればいいだけだし。だが、周囲に目立つのはいけねぇ……どっかのお偉いさんにこの力の秘密が漏れて、なんやかんやで戦争にこの力が使われたらまずいからな」 「戦争に……ですね。何度もナナさんから聞いておりますよ……」 「あぁ。だが確認のためにももう一度聞いておけ。黒白神教が本気を出せば、神龍信仰の信者達がやりやがった魔女狩りやら侵攻やらをみすみす許す事なんて無いさ。敵の中隊を一瞬で氷漬けにしたり、津波を起こして敵軍を全て洗い流してしまえばいい。だが、先祖はその力を戦争に転用することを恐れた……理由は言わなくても分かるよな? とりあえず、人がたくさん死ぬ戦いになるのは嫌だったってことでさ。 ともかく、ワンダー仮面や俺の力が見られないように、周りで待ち構えている賞金稼ぎ達が全員やられるまで俺達は待機だ。じゃないと、目撃者を全員殺さなければいけないことにもなりかねないしな。だからいつもはワンダー仮面に対して力を抑制するよう言いつけているってわけだ」 「目撃者皆殺しのルールは知ってますよ。そっちにまでニュースが届いたとは思えませんが、レシラムの逆鱗と言う者を使って目撃者全員を皆殺しにしたこともありますので」 「ほう、レシラムの逆鱗なんて物騒なものを使ったのか。そりゃよっぽどだな」 クラヴィスの言葉にローラは頷く。 「あの、クラヴィスさん……私、街中で全力を出すのは初めてなんですが……本当にいいんですか?」 クラヴィスの言葉に驚きを隠せないワンダは、何処か怯えるような表情でクラヴィスを見る。 「構わん。というか逆に聞こう。奴隷船を1分かけずにお前は破壊できるのか? そう言う奴を相手にするんだから、全力でやらざるをえまい」 「そんなこと出来ないさ……分かった。全力で行かせてもらいます……クラヴィスさん」 クラヴィスに諭されて、ワンダはコクリと頷く。 その会話が終わってしばらく、静かだった。湖は海のような潮騒もなく、ただただ静寂。人々が寝静まってしまえば時折風の音が流れるくらいで、気を抜けば眠ってしまいそうな雰囲気の中、最も感覚を研ぎ澄ましているのはローラであった。港の倉庫の屋根に上り、よく手入れされたきめ細かな体毛をざわざわと震わせ、尻尾を揺らしながら周囲の空気の流れを感じては敵の到来を予知する。 閉じられた瞼。何かを探すように揺れる尻尾。その感覚をより鋭敏にするように妖しく光を放つ額の珠。 「捉えた!! ワンダさん、クラヴィスさんあっちです」 カッと眼を見開いたローラが、前脚を上げて方向を指し示す。 「よっしゃぁ!!」 初見の時は横歩きしか出来ないキングラーがどう動くのか? という疑問を持っていたローラだが、それを初めて見たときと同じく彼の走りは驚嘆に尽きる。 目を疑うほどに素早かった。屋根から屋根を閃光のように跳び、出発の際には棒状の物を素早く振った時のように風切る音が聞こえる。種族柄それなりに素早いはずのローラでもひとたび離れてしまえば追い抜くのに苦労しそうだ。 「横歩きのくせに……」 ローラは嫉妬とも自嘲ともとれない独り言をつぶやいては、遅れて後を追う。 ローラが発見した時のハッサムはまだ行動を起こす前であったが、ローラが発見して数秒後にはハッサムは行動を開始していた。火山が噴火したかのような轟音と崖崩れのような地鳴りの声。すでに一般人は居なかったが、賞金稼ぎの類とみられる人物達が次々とハッサムの元に殺到していた。クラヴィスはそれに混ざることなく、待機することにした。 ワンダの冷凍ビームは冗談抜きで威力が強く、また手加減も出来ないので誤射も怖く、そういう意味でも巻き込んだりしないように待つ必要があった。 その待ち時間も長くはかからなそうだ。ハッサムは瞬く間に敵を打ち倒した。バレットパンチで素早く間合いを詰め、的確に意識を失うような急所を狙っては屈強そうな面々を打倒している。 すでに麻痺や眠り対策の木の実は飲んでいるのか、ラフレシアの粉を吸い込んでも特に気にするでもなく攻撃を続けている。 こうして落ち着いて観察していると攻撃の瞬間、彼の首に下がった水滴を角ばらせたような形のプレートが光り輝いているのが分かる。あれが彼の神器なのだろう、とローラ達3人は分析した。 「さて、味方は全員やられたかな? そろそろ潮時かもな……」 と、その様子を見守っていたクラヴィスが呟いた。 『おい、そこのハッサム!!』 次の船を破壊しようとハッサムが移動した所、クラヴィスが彼の眼の前に位置する倉庫の屋根からクラヴィスが語りかける。シャーマンとしての心得があるものであれば共通の言語は必要ない。例えば、湖の三神の一柱であるアグノムの加護が込められたスモーククォーツの力を行使すれば、言語の違いに関係なく会話を交わす事が出来、クラヴィスはその力を行使している。 『アンタはおいたし過ぎだ。そろそろ休め』 『……貴様も、アグノムの加護を受けしものか』 ハッサムが答える。 『あぁ、だがそんなことはどうでもいいだろう? 大人しく捕まれとは言わんが、これ以上勝手なことは慎んでもらおうか。みんな迷惑してるんだ』 『断る……迷惑しているのはこっちだしな。我らが故郷のため、奴隷を運ぶ船を出来る限り壊すのが……私の使命だ』 『そうかい……ぬかしていろ。喰らえ!! クラブハンマー!!』 言いながらクラヴィスはおもむろに腕を千切り、痛みで僅かに顔をしかめながらも投げる。技を放つ時に技名を叫ぶのはヒーローの嗜みであるという理由だけではなく。 「#'%&$?」 スモーククォーツに意識を集中するのを止めたクラヴィスは、ハッサムが何を言っているのか理解できなくなる。しかして、腕を切り離して行う奇想天外なクラブハンマーに、ハッサムが戸惑っている事はその表情から読み取れた。その時、あんまりに奇抜な攻撃にハッサムは反応が遅れ、投げつけられたハサミがまともに顔面にヒットする。 その刹那、今まで息をひそめていたワンダがすかさず物陰から冷凍ビームを放った。完全なる死角から放たれ、しかも意識が一瞬曖昧になっていたハッサムにはそれを避けられない。 「くっ……」 全身が凍結しないように腕でかばう。ワンダの冷凍ビームは強力無比で、腕でかばったくらいでは全身が凍りついてなお止まらず、氷で家を作れそうなほどの範囲が凍結してしまう。対抗してハッサムは体中から鋼の力を出してビームの威力を弾き飛ばし、また受け流しもする。そうして往なされた冷凍ビームによって凍りつくのはハッサムの十数メートル周囲ばかりで、肝心のハッサムは左手しか凍りついていない。 ハッサムはすぐさま冷たく透き通る氷を鋼の力で砕き、振り払う。はじけ飛んだ氷が周囲の地面や壁に当たるや否や、本来体温調節に使うだけの翅を加速に利用し、風を切って距離を詰める。 鋼の矢となったハッサムは、まず第一に倒すべき驚異と判断したワンダへと向かって行った。まずは、瞬間的な高速移動のために発動させたバレットパンチ。ハサミの間合いに入った瞬間、的確にワンダのくちばしを避け、眉間を狙い視界を潰す。視界を潰されたワンダは、水かきのある腕で咄嗟に急所を庇う。 しかしハッサムはワンダがかばった上半身には目もくれずに堅い脚でふくらはぎに蹴りを叩きこんだ。 鈍く、しかし重い痛みで体勢を崩したワンダをハッサムは見逃さない。頭の上で交差させた腕に虫の力を纏わせて、袈裟がけの軌道を描いて切り裂く。 渾身のシザークロスが決まったワンダは、水タイプの技も氷タイプの技も出す暇なく吹っ飛ばされて気絶した。 ワンダを仕留めたハッサムにクラヴィスが追いついた頃にはすでに、一連の事が終わっていた。クラヴィスとて馬鹿ではなく、すでに勝ち目は無いと悟っていた。だが、ヒーローの意地にかけて立ち向かないわけにはいかなかない。先ほどと同じくバレットパンチを起点に攻撃を始めるハッサムの突進を、クラヴィスはサイドステップで避ける。横歩きしか出来ない反面、サイドステップによる回避は得意だ。 特に、自身の大きなハサミは攻撃力を高める反面機動力を大幅に奪っている。それが無くなった今、クラヴィスには攻撃力を期待するべくもないが、反面ともかく疾かった。 防戦一方とはいえ、何とか凌いでいるクラヴィスを見て、ローラはつぶやく。 「クラヴィスさん……避けてばっかりじゃ、いつかはやられるわよね」 その戦いを、ヒードランの力が込められたピアスの力で壁にへばりついているローラが見ていた。攻撃力は何らかの方法で強化されているとはいえ、それ以外の事も兄や父親でさえ凌駕しかねない領域の強さを誇るハッサム。見ているだけでもとても怖くて、すぐにでも逃げたい気分だ。だが、やるしかないと心に決めてローラは技を発動していた。 (私の目覚めるパワーは炎じゃなくってドラゴンだから有効な攻撃も出来ないし。でも……) 言葉と同時にローラが数秒前に送った念が、不意にハッサムの上空から降り注ぐ。 (未来予知とサイコキネシスを合わせさえすれば、隙くらいは作れるはず!!) ローラの額の赤い玉がまばゆく光り輝く。未来予知の念の力とローラのサイコキネシスが合わさってハッサムを叩く。完全に地面に縫い付けられたハッサムにクラヴィスが残った小さなハサミを叩きつける。普通の相手にならば必殺級の威力になったであろうそれも、このハッサム相手にはトドメになりえなかった。ハッサムは体の上に乗るキングラーを無造作に振り払い、吹っ飛ばす。 クラヴィスが気絶したかどうかを確認もせずにハッサムは走りだし、ローラを討とうとしたが、ローラはすでに姿を消していた。実のところは屋根の淵に張り付いてじっと息をひそめているだけなのだが、ハッサムも体力を消耗してしまったのか船には手を出さずにどこかへ逃げていった。 (ふぅ……全く、ヒードランの加護が込められた神器がなかったら私もやり過ごす事が出来なかったかもしれないわ。危なかった) 「……ワンダさん大丈夫ですか?」 ローラはワンダの元へと歩み寄って、鼻でワンダを撫でる。 「あ、あぁ……何でも無い。ほら、何でもない」 息も絶え絶えなワンダが強がりでそう言うので、ローラはあきれ顔で溜め息をつく。 (全く、強がっちゃって……) ワンダのそんな所に愛着を感じながら、ローラはサイコキネシスでワンダを抱き上げた。 ***2 [#s385ee3c] 「カウフマン!! 新しい腕(の材料)よ!!」 家に帰って開口一番、メアリーのパン生地岩石砲が唸りを上げる襲いかかる。メアリーは気持ちよく眠っていた所を起こされたから気分でも悪いのだろうか、彼女はなんとなくクラヴィスをいたぶる事を楽しんでいるような表情である。 「ギョアァァァァァ!!」 クラヴィスは叫び声をあげながら吹っ飛ばされる。そしてあのパン生地を材料に腕が再生するわけだが。 「毎回思うのですが、岩石砲でやる意味は何ですか?」 「そりゃ決まっているさね。パン生地をこねる時には力がいる。その生地をこねる時のとどめの一撃には岩石砲やギガインパクトが有効なんでねぇ。美味しいパンを作るための秘策って奴だよ。お陰で筋肉がそこいらの男よりもついちゃったよ」 「メアリーさんがメギンギョルズを使いこなせればもっと美味しいパンが作れたかもしれませんね」 「あはは、無理だってば。これ以上私の岩石砲の威力がアップしたら、次は作業台がぶっこわれちまうよ、ローラちゃん。それに本当の理由を言うとだな……レジロックの力を借りて再生能力を上げる俺には、岩石砲で岩タイプになったパン生地の方が都合がいいってこった」 それならそれで、なにも岩石砲じゃなくてもいいような気がしたが、ローラは無理やり納得する。納得した上でも色々突っ込みがある気がするが、ローラはあえて突っ込むことはせずにメアリーの冗談を笑う。 そんなクラヴィスの事はさておいて、ローラは心配していたワンダの怪我を見る。敵とはいえ、ハッサムの力加減はやはり大したものであった。ワンダの怪我は非常に軽く、ちょっとした脳しんとう程度で意識もすぐに回復した。頭の怪我は気をつけないといけないが、眩暈や吐き気などの様子も特になくバランス感覚も正常と言うことで、とりあえずは問題なさそうだ。外傷の方もローラの願い事の力によりすぐに完治したようで、今は特に支障も無く動き回ることも可能だ。 ただし、ローラが願い事の力を使ったのはワンダに対してだけであり、クラヴィスに対してはぞんざいな扱いが目立つ。ワンダのダサいことこの上ない格好をクラヴィスがどうにかするまではこの関係が続くだろう。 「さて、冗談言いあうのはいいんだが、ローラちゃんこれからどうする気だい?」 クラヴィスがローラに問いかける。 「とりあえず一度イェンガルドに帰って……ナナさんに掛け合ってみます。一度奴隷として使われていたビークインを……まぁ、その他にも私が入る前にどうやら何人か助けていたようです。とりあえず虫タイプのポケモンだって分かりあうことは可能なはずですから、クラヴィスさんが言うように仲間にしてみるかどうかも聞いてみます。 私もできる事なら、あのハッサムを私達の計画に引き入れられれば――なんて、野心も沸いてきましたし」 まだ恐れの消えていないローラだが、少々強がってその野心を口にして笑う。 「なるほど、やっぱりローラちゃんはヒーローの才能があ……」 ローラは眼を鋭く光らせる。眼光を鋭くするのではなく、文字通り光らせてクラヴィスを威嚇した。 「丁重にお断りします。せめてコスチュームのセンスをどうにかしてから寝言を言ってください」 クラヴィスの申し出を笑顔で断わって、ここぞとばかりにローラはファッションセンスを否定する。 「あ~もうこのパターンか。まぁいい……ちょいと待っていろ」 そう言うと、クラヴィスは物置の方へと消えてゆく。 待っている間に、メアリーは再び眠るために寝室へと向かって行った。なんだかんだで疲弊しているワンダは何も喋ろうとはせず、ローラも無理に会話に付き合わせることはしないでいた。だが、しばらく経ってローラも謝るなら今しかないと気付き、切り出した。 「あのー……二日目の晩は色々と失礼しました。私のせいで色々気を使わせちゃって……お酒とかで色々と混乱してましたし、あの日は心の整理が全く付かない状態でしたから、貴方とまともに話も出来ませんでしたが……明日からはまた、何でも話せるといいですね」 「う、うん……ありがとう」 何がなんだかよくわからないままにワンダはお礼を言ってしまった。そしてそれっきり二人は黙りこくって、再び雰囲気は重くなる。気まずさをを打破したのはクラヴィスであった。 「あいつに勝つには多分これっきゃねぇ」 「これは……パン生地……じゃないですよね」 ワンダが首をかしげた。クラヴィスが差し出したそれは確かにパン生地のようにこねたり出来る粘土状のものだと言う事は分かりやすい。ローラも似たようなものには見覚えがあったが、コレをアレと認識するにはいささか無理がある品質の違いをしていた。 「光る……粘土ですか? リフレクターや光の壁といった攻撃を緩衝する技の効果を長持ちさせてくれる効果がある……」 ローラの問いにクラヴィスは一応頷く。 「ですが、こんなに輝いている物は見たことないです。なんというかその……これはイルミーゼやバルビートの尻を鏡を粘土にしたような……鏡か水銀を粘土にしたみたい」 「その通りだ……あ、尻じゃなくって『光る粘土』のくだりね。これはレジギガスがレジロックを作る際にの中心部に使ったと言われる……まぁ、とても強く光る粘土だ」 何が不満なのか、ローラは思いっきり溜め息をついた。 「相変わらずのネーミングセンスですね……その胸糞悪いネーミングセンスはどうにかならないんですか?」 「か、カウフマンさんを馬鹿にしないでくださいよ……一応師匠なんですから 相も変わらないセンスの悪さを貶すと、ワンダが喰いついた。ローラは溜め息でワンダのそれをかわして続ける。 「ふぅ……で、それどうやって使うんですか?」 「あぁ、これは普通に使えばいい。そこいらの奴が使っても普通の光る粘土と変わらんが……まぁ、俺達が使えばかなり強力な障壁を張れるはずだ。だが……あのハッサムは相当高レベルなシャーマンである上に、道具無しで普通に戦っても強そうだ。あくまで条件を良くするくらいで圧倒出来るなんてことは無いだろうよ」 「道具無しでも強い云々は……まぁ、なんとなくわかりますが、シャーマンとしてのレベルも上なんですか?」 ローラの問いにクラヴィスは頷く。 「あぁ。シャーマンとしてのレベルも上だが、さらにおまけに持っている神器も優秀だなありゃ。オースランド大陸の神話知っているかお嬢ちゃん?」 「……南の大陸でジュプトル達が世界を救った建国神話ですよね。シャーマンの先輩方に教えられましたよ」 「そうそう。その神話の中でも前半のクライマックスで語られる、『暗黒の未来』編の中の一節『朝日の中で』で語られるディアルガよりもさらに上位の存在が世界を緑で満たすために使用したものがプレートっていうんだ。地面、水、草、ドラゴン、電気……たった5つで世界中を緑で覆った程の力を持っている。 恐らく、奴が装備しているのはそのプレートの子供みたいなもので、恐らくは1%かそこいらほどの純度を持った奴だろう……が、それでさえ最大の力を引きだす事は俺達には無理だ。実質、俺たち人間が扱う範囲で考えれば、シャーマンの力に比例して無限大に力を上げられると思っていた方がいい。 全く、ありゃあんなふうに首に下げておくものじゃない。本来なら博物館に収めておくべき品だよ……ま、こんなモノを持っている俺が言えることじゃないがね」 クラヴィスは光る粘土を指さしておどけて笑って見せる。相当珍しい代物であることは容易に想像できたが、想像と相違はないらしい。 「そこでだお嬢ちゃん、あんた……あのハッサムを超えると断言できるシャーマンを知らないか? そいつにこれを使わせれば勝てるかもしれない」 「心当たりですか……リーダーのナナさんはリフレクターとか使えませんし……あ、一人います。けれど、その子を戦わせる事なんて絶対にできませんから……」 「あぁ、例のあれか? 神憑きの子っていうユンゲラーのお嬢さんだと聞いたが」 「えぇ……」 ワンダの問いにローラはそっけなく答え、考え込む。 「いや、あの。もう一つ心当たりがあります」 「居るのか?」 「二人一組でシャーマンをやるっていうのがありますよね?」 ワンダは何のことかわからない様子であったが、クラヴィスは頷いたので、ひとまず話を進める。 「えっとその……私にはブラッキーの兄がいまして。その兄と二人でならおそらく……かなりの域に達しているかと思います……一人ずつならせいぜい子犬レベルですが、二人でなら……神器に宿った神の意思もその力を使ってくれとわが身を差し出すレベルです」 「そう来たか……ふむ、頼もしいお兄ちゃんだねぇ」 と、それだけ言ってクラヴィスは考え込む。 「あの、二人一組でシャーマンてのはどういうことですか?」 置いてけぼりなワンダが二人に尋ねる。 「あ、えっとですね……相性の良いポケモンの種族、性格、異性同士でタッグを組むことによってシャーマンの力を高める事なんです。ウィンディとキュウコンとか……さらに、それらが異性同士であれば童貞や処女でなくとも神子になれるのですよ。私は、兄さまと一緒に神子をやるつもりなんです……そのために、テオナナカトルに勧誘されたのですし」 「そう言うことだ、ワンダ。とりあえず、他に昨夜考えも無いし……俺もこのお嬢ちゃんの策で保留しておこう。だが、その前にその兄さまとやらにも話しをするべきだろうし、ついでに言うとテオナナカトルのリーダーとやらにも挨拶しておきたい。俺かワンダ、どちらかがイェンガルドとやらに行きたいが……」 と言って、クラヴィスはワンダとローラを交互に見る。 「そうですね……船、壊れちゃったので通常通りの運航が出来ないでしょうし、明日にイェンガルドに最寄りの街……ケルアントに渡るための船があるかどうかわからないんですよね。で、えっと……モノは相談なんですが、明日の船があるならクラヴィスさんと一緒に行きます。無いならワンダさんと一緒でお願いできますでしょうか? 泳いで送ってってもらえると嬉しいのですが……ってか、そうしませんと時間掛かりますよねぇミリュー湖を迂回するとか無茶ですし」 「わかった、それで行こう。だがその前に……もう時間も遅い。ワンダもローラも、明日に備えて一旦休もう」 ◇ 「悪いですね……ここまで付き合ってもらって」 「ローラだってなんだかんだ言って付き合ってくれたじゃないか。こうなったら最後まで付き合うさ……それじゃ、師匠。行って来ます」 結局、ケルアント行きの船はすでにここより前の街で破壊されてしまっているとのことで船も予定通りの航行が出来ないと船着き場の労働者は言っていた。結局、ローラはワンダの背中掴まってケルアントまでの道のりをゆくことになり、イェンガルドでのナナとの顔合わせも必然的にワンダが行うこととなった。 ワンダの肩につかまっている最中に思いこされるのは、出会って二日目の情事ばかりで、その時ワンダの攻めに喘いでいた自分の声や姿を想像すると顔が焼けるように熱くなる。たまらず湖に顔を突っ込んで冷まそうと努力してみるが、表面ばかり冷たくなるだけで肝心の内側は全く冷えてくれない。 (ワンダー仮面の衣装をきっちりと持って行っているが大丈夫なのかいな? ナナさんは呆れる……いや、案外うち解けるかもしれない。もしくは器用なナナさんなら新しいワンダー仮面の衣装を作ってくれるんじゃ……そうよね、それがいいわ。ナナさんなら、せめて夜の活動に適した濃い色合いにしてくれるといいんだけれど) などと、自身の気を逸らすために余計なことを考えるのも終わりにして、ローラは切り出す。 「ワンダさん……」 「何かな?」 「いえ、その……私ってふしだらな女でしょうかね……?」 「まだやっぱり気にしているんだ……」 ワンダは困ったような、呆れたような、なんともいえない苦い笑みを浮かべた。 「ローラちゃんは、誰とでも寝るとか、股を開くとか……そんな感じでもないし。それに……」 「なんでしょう?」 恥ずかしそうに目を伏せるワンダを怪訝な眼差しでローラが見る。 「あの時はなんだかんだ言っていい雰囲気だったじゃん……だからそういうことになっちゃっていいって訳でもないけれど、あんな雰囲気に簡単になれるものかな? 俺は……その、ローラちゃんだからっていうのはあったと思うよ、確実に」 「そ、そりゃ……ワンダさんが甘えられそうな雰囲気でしたし、いい匂いですし……だから安心して擦り寄ることも出来たわけですし……」 言っているうちに恥ずかしくなって、ローラは水を念力で掬い上げて耳や顔にぶっ掛ける。 「でしょ? 嫌いあっている感じでもないしさ。だからといって好きって訳じゃないかもしれないけれど、俺たち悪くないと思うんだ……相性はさ。ちょっと早足過ぎたけれど……このまま擦れ違い続けるってのはもったいないような気がするよ」 「はぁ……まぁ、そういうものですか?」 「そ、最初はなんとなくでもいいと思うよ。別に友達として付き合っていっても構わないしさ」 ワンダの言葉にローラは首をひねる。丸め込まれよとしている気もするし、もやもやした気持ちが恋なのかと勘違いしてしまいそうにもなる。 「憧れていた……戯曲のように情熱的な恋物語なんて無いのかなぁ……何だか、文章にしたら溜め息が出そうな出会い方だわ……」 ローラはつぶやき、ワンダに掴まったまま頭を沈めて顔を冷やす。 「しょげるなよ。所詮戯曲なんて憧れを書いたものさ……現実を見ろとは言わないけれど、目の前にあるものまで見逃しちゃダメだよ。今は目の前にないかもしれないけれどさ……綺麗なのは何も高嶺の花や夜空の星だけじゃないって」 その気が無いとも照れ隠しとも思えるワンダの発言が、ローラのもやもやを恋と勘違いさせる。恋の初心者のローラには、なんとなく抱いていた恋愛に対するイメージのせいで、照れ隠しと理解してしまう。本当はローラに目をつけたワンダの駆け引きなのだが、ローラはそれとも知らずにワンダに惹かれていった。 会話しながら泳ぐのは辛いものがあるのか、その後のワンダは一切喋ろうとはしなかった。ローラの住む街イェンガルドから最寄の港町、ケルアントについてから陸路を歩く間も疲労のせいか口は重い。 あまり喋らないせいで悪い雰囲気になりはしないかと心配しつつも、ワンダとナナを引き合わせて数分、その心配も杞憂だったとローラは安心する。 ワンダはリーダーが桃色の髪を持った色違いのゾロアークであること、リーダーの割にはずいぶん若いことをまず最初に驚いた。しかし、ナナが笑いながら正体を明かすと、実際の見た目は美人だが年相応のおばさんで、しかも色違いではないことにもう一度驚いた。 ローラもわざわざ驚かせるために、ナナの素性を説明をしなかったわけだが。ワンダがあまりにナナの期待通りの反応だったおかげで、ナナは勝ち誇ったような笑みを浮かべている。勝ちはあっても負けの無い気持ちのいい勝負で終えた顔合わせの導入は部分は決して悪いものではない。 そのためか、シリアスな話も含まれているというのに緊張よりも親しみやすさが前面に押し出されて、ことのほかうまく話しがすんなりと進んでゆく。 「ふーん、なるほど。ハッサムをシャーマンとして仲間に引き入れるねぇ。ローラったら、だ・い・た・ん」 ナナは笑ってローラの頭を撫でる。 「元はクラヴィスさんが言い始めた事なんですけれどね。私も手っ取り早くシャーマン仲間が欲しいですし……。で、大胆かどうかはともかくとして……勝算としてはどうなんでしょうか、この戦い?」 「わからないわ。正直、貴方達兄妹は二人掛かりなら私達よりはるかに上のシャーマンなわけだし……ロイとローラが徒党を組んだ状態の貴方達以上のシャーマンが存在するかと聞かれたら、私は神憑きの子のような特別な存在でもなければ、ほとんどいないと言えるわ。 そんな貴方達は、シャーマンとしてではなく……戦士としての腕前もそれなりのローラちゃんと、かなり高い水準のロイ君。勝算としては悪くないわ。 でも、自分が殺されそうになった相手と戦うのならば、流石のハッサムも手加減できないでしょうし……そうなればそのとても強く光る粘土とやらでも立ち向かえるかどうかっていうか、この名前つけた奴ネーミングセンスないわね」 さりげなく悪態をついて、『もう、面倒だから輝く粘土って呼びましょ』と言ってナナは続ける。、 「ローラちゃんの見立てでは、クラヴィスさんやこのワンダ君相手にも手加減していたって言うんでしょ?」 「えぇ……私の見立てでもありますが、クラヴィスさんの見立てでもあります」 と、ローラは答えた。 「ワンダ君は私と比べればシャーマンとしての力も戦士としての力も弱いけれど……神器を手に戦えば素手の私なんて問題ないくらい強いはずよ。それに手加減するねぇ……そのハッサムってばすごいわね。惚れちゃいそう」 ナナは言いながら微笑む。 「え、ちょ……戦っても居ないのにどうして俺の戦士としての力が弱いとかどうして……」 ナナの『弱い』発言をスルー出来なかったワンダが食って掛かる。 「まぁまぁ、若い子が年長者より弱くたって恥ずかしいことじゃないから気にしちゃダメ。たとえば……うん、好きに攻撃してみて」 「こ、攻撃って……まぁ、いいや。行きますよ」 ワンダ言いながらがナナの腹を殴ろうとするが、ナナはすかさず体の側面へいなして、間合いを詰めつつ彼の肘を取る。ワンダのひじを沸きに挟んだまま、首筋に向けて鋭く研ぎ澄まされた爪をなぞるように這わせてナナは笑う。 「ほら、死んだ。貴方の負けよ」 いつでも命を奪える体勢をとって、ナナは笑った。 「簡単に関節を取られるようじゃ、まだまだ戦士として未熟よ。でも、貴方はまだまだ若いんだし、もっともっと強くなれるだろうからがんばって。私との約束よ」 「は……はい」 圧倒的な実力差を思い知らされたワンダは、ナナに頭を撫でられながらおとなしく頷いた。 「話が横道にそれちゃったけれど……今みたいに実力差があるうちは手加減できるのよ」 さりげなく言った酷い一言にワンダは顔をしかめた。 「でも、実力が拮抗している相手には手加減できないのよね。それが子供の喧嘩ならともかく、達人レベルになると打ち所が悪ければ即死級の技もある。だから……なおさら危ない。ローラ、貴方はそういう戦いを挑もうとしているのよ。 最悪、兄と一緒に介護の手無しじゃベッドから起き上がれない体になったり、悪くすれば死ぬことだってありうる。ローラちゃんはそれも覚悟の上かしら? 介護するほうも楽じゃないのよねーアレって」 そうなった父親を介護した経験のあるナナは、ローラを脅しにかかる。ローラはごくりと喉を鳴らし、覚悟を口にする。 「元より、兄さまに会うために捨てた命です。だからと言って失っていいってわけじゃないですが……国の経済が立ち行かなくなれば流石のテオナナカトルも活動がままならないでしょう。それを防ぐためにはハッサムを止めなければ。奴が壊した船の数を考えれば、経済はすでに破壊されているも同然ですが、止めないよりかはいいはずです。 それに……祭りを行うには、優秀なシャーマンをもっと仲間に引き入れる必要がありますから……ナナさんの目的のためにも、シャーマンを引き入れる方面でも頑張らせてもらいます」 「ふふ、私の目的のためだなんて嬉しいわ。あ・り・が・と」 ナナは上機嫌になってローラの頭を撫でる。 「ま、危なくなったら逃げますよ……兄さんが参加するとなれば私にはムーンライトヴェールの加護がありますし、それにいざとなったらナナさん。幻影でなんとかしてくれるでしょう?」 「うふ、頼られるなんて嬉しいわ。分かった。ロイが良いというのなら、私は止めないし可能な限り援護する。ただし、死んだらアンタの死体掻っ捌いて薬の材料にさせてもらうからね。女の子の恥ずかしい所から、とても言えないような所までバラしてお薬にしちゃうから。 そうならないように頑張りましょう」 半分冗談だが半分本気であろうナナの宣言にローラは苦笑して肩をすくめた。 「……かしこまり。そうならないためにも頑張って見せますよ」 「よし、いい子ね」 決意を固めたローラの頭を撫でながら、ナナはワンダの方を見る。 「そう言えば、ワンダ君ってワンダー仮面とかいう変な服装を持っているんだっけ? ローラちゃんが口を酸っぱくして言っていたわ」 「へ、変じゃないです!! クラヴィスさんがデザインして俺の母親が仕立ててくれたものなんですから」 「変じゃない理由になっていないじゃない?」 ナナがほとんど感情を込めない淡々とした口調で言うと、ローラは吹きだし笑う。悪いとは思っていても、止められず、笑っている顔を見せないように眼を逸らしている間、ローラはワンダに睨まれていた。 「私から言わせてもらえば……夜の仕事を主にしているのに白を基調としている時点で正気を疑うデザインですよ……黒ければ接近戦では間合いが掴みにくくなるので一方的に攻撃できると言うのが兄さんの強みですし、本来なら衣装を着て戦うならばそうやって色も考慮すべきです。 吹雪の中で戦うのならば白い色も生かしようがあるのですが……」 「ふむふむ。今日の戦いでサポートをお願いしようとも思ったけれど、そんな格好ばかり気にしている典型的な馬鹿みたいな格好したヒーロー失格の奴ではサポート係には向かないわね。あぁ、私ならもっといい変装用の衣装を仕立ててあげられるのに……ワンダ君。うちに来て、採寸でも取らないかしら?」 さらりとかなりひどい事を言ってナナは笑う。 (兄さまを襲った件といい、リーバーさんを襲った件といい、ナナさんは美少年や美青年……っといってもワンダは兄ほどではないけれど、そういうのが好きなのだろうか? それとも本当に私の援護をさせるためだけに黒い服を着せようって言うの? どっちだろ……) 考えても、ナナは本心を見せてくれない。ナナ=シェパードは自分の感情さえも化かす狐なのだから。 しばらく時間が経って、ロイの働く酒場の営業が終わりロイとローラで二人きりになった室内。ローラはスープ皿につがれた葡萄酒を片手に、これまでの経緯をこれからの予定についてを話す。 「それを……俺らがやるのか……?」 「うん、このまま放っておくわけにもいかないし、上手くいけば優秀なシャーマンを仲間に引き入れるチャンスだし……」 揺ぎ無い眼差しで、ローラがロイを見据える。 「……父さんがな」 ロイは、ほっと息をついて微笑む。 「父さんが弟の目付きを褒めた時に、弟はそういう目をしていた。今のお前なら、父さんも『いい目だ』って褒めてくれるだろうよ……。お前はさ、貴族時代に英才教育が嫌で、教育役のイーサンにさえ勝てればいいって鍛えてきたけれど……今もトレーニングは怠って無いだろうな?」 「毎日、たしなむ程度には体を鍛えてます。兄さんにもナナさんにも足元にも及びませんが、リーバー君くらいなら相性差の無い技を選んでも圧倒出来るくらいには」 「……まぁ、それなら足手まといにはならないレベルだな。それで何処まで通じるか分からないが……とにかくだ。やばくなったらすぐに逃げるぞ? サンライトヴェール((イーブイとその進化形の生命力を増大させる能力))の力も万能ではないのだからな」 「逃げるときは兄さんのムーンライトヴェール((イーブイとその進化形の持久力を増大させる能力))があるじゃないですか。大丈夫、捕えることには失敗したとしても……きっと生き残りましょう。兄さま」 ロイは苦笑して足で頬を掻く。 「たくましいことだな。全く、男だったら俺や父さんがもっと鍛えてあげられたのに……もったいない」 ロイは笑って葡萄酒をすくい取る。 「……だが、そのハッサムの行為を止めるのはいいとして俺達は何処へ行けばいい? クルヴェーグの隣のサントライドか? それとも……その間にある小さな漁村かな?」 「分からないけれど、とりあえず行動しなければ何も始まらないし……お店は大変だろうけれど歌姫さん達に任せて、なるべく早く片をつけましょう。ねぇ、ナナさん?」 驚嘆したロイの顔。ローラが振り向きながら話しかけた先には何も居なかったが、コツコツとわざとらしく爪が木の床を叩く音が聞こえる。ローラに比べれば鈍いロイでも、その足音の正体に気が付かないわけにはいかなかった。 「盗み聞きとはいい趣味とは言えないな……ナナ」 名前を呼ぶと、ナナは髪の毛をたくし上げてポーズを決めながら目の前に現れる。 「あら、私は元から悪趣味よ、ロイ」 ナナに笑顔ではぐらかされ、ロイはお手上げといった様子で眉をひそめる。 「で、なんの用だよナナ? デートのお誘いだったら嬉しいんだけれど」 「うん、私もそうしたかったところなんだけれどね」 冗談めかすロイに対して、動じることなくナナは返す。 「フリージンガメンからのお達しよ。明日……もし通常通りの運航であればサントライド行きの船が出る船着き場に案内されたわ。もう通常通りの運航は望むべくもないけれど……ま、今うちの家で疲れて寝ている水ポケモン君もいることだし、小舟を借りて引っ張っていってもらいましょう。サントライドへ向かってね」 どうやらナナはワンダを自分の家に連れ込んで何か変なことをさせているらしい。ロイもローラもそれには苦笑する他無く、ロイやリーバー(ついでにテオナ((『Bキャンセルの語源』に登場したビークイン)))の時と同じく、ワンダが手を出されないように祈るばかりである。 「ところで、ナナ。出来ればハッサムを仲間に引き入れたいとかローラが言っていたが……正気か?」 「そりゃ、いざとなれば私達の命を優先よ。危なくなったら敵を容赦せず殺してしまっても構わないわ」 ナナの答えが求めていたものと違っていて、ロイは首を振る。 「そういうことじゃなくって……異教徒だろ? まぁ、神龍信仰から引き入れたやつが居る以上、異教徒でも受け入れようって精神はあるんだろうけれど……強引に仲間に入れようとして、神に対する考えを改めてくれるかどうか……そういうことさ」 「ふむ……」 と、ナナは鼻息を漏らす。 「別に、黒白神教は二人の神を主神とあがめているだけで、他の宗教で信じられている神が、もっとも偉いという考えを否定するつもりは無いわ。だから、強引というよりか……むしろ興味を持ったら掛け持ちしても構わないって感じでね」 「改めて言われると、黒白神教って適当だなぁ……」 「適当じゃなくって柔軟といって欲しいわね。大体、世界にはいろんな考えがあるのよ……男のほうが偉い、女のほうが偉い。肉には赤ワイン、いや白ワインだ……ってね。でも、そういった対立した考えを持つ者は共存してはいけないのかしら? 隣に異教徒がいたらそいつを何が何でも排除させるか改宗させたいと思うのが正しい信仰の形なのかしら? そうじゃないでしょ? 黒と白ではなく灰色だって悪い色じゃないし、黒と白が混ざっても必ずしもどっちつかずな灰色になるわけじゃない。シママやゼブライカになることだってあるでしょ? 肉にかけるのは、真っ白な塩? それとも黒コショウ? いいじゃない、塩コショウは美味しいわよ」 「塩コショウとそれはちょっと違うような気がするけれどなー……」 「ふふ、そうかもしれないわ。白が砂糖で黒がゴマかもしれないものね。そんな調味料で味付けられたお肉は個性的な味になるでしょうね」 と、言ってナナは笑う。 「まーた訳のわからないことを……」 「確かに混乱させちゃったかもしれないわ……でもね、私達は一人一人姿かたちも生きている場所も生態も違う。そうなると、その人にあった価値観が存在し、またその地域にあった価値観というものがどうしても存在する。とある水が豊かな国では一日一回お湯浴みしなければ気持ちが悪いと思う者もいる。 けれどその常識を砂漠に持ち込めるわけは無いでしょう? だから、『水浴びしなくっても大丈夫』と考える者を頭ごなしに『不潔』だなんだと蔑んじゃいけない。この国にも『鱗剥がしの咎((体に溜まる垢は神龍の鱗であり、それを剥がしてしまえば神龍の加護が受け取れなくなり梅毒などの病気にかかりやすくなるといわれている言い伝え。現在では衛生的・医学的な面からこの考えは真っ向から否定されている))』なんて考えがあるけれど、それを汚いからやめろなんて否定してはいけないの。 レシラムとゼクロムもかつては別々の対立した意見を持った英雄に力を貸しあったりと世界を左右することもあった。宴の席に用意する物を酒かパンかで言い争ったりもした。しかし、最終的にはどちらの意見も尊重しあい、和解しあったんだから。 元々一つのポケモンから生まれたと言うその二つのポケモン……今その大元となったポケモンは名前すら調べようもないから、代わりにゼブライカを平和の象徴として伝えているけれどね……ゼブライカほど美しく白と黒が共存する世界、見てみたいとは思わないかしら? ゼブライカの白と黒のように、争い合ったりせずに互いを認め合う柔軟な思考で共存していけばね……フリージアやその家族のように、白い者が黒い者に心を開いてくれるものよ。ウーズ家と今のような関係になるために、2代前のテオナナカトルのリーダーは色々苦労したそうだけれど……先代が出来たんだもの。やってやれないことは無いわ。 黒白神教は柔軟な宗教。たとえ、崇める神が違っても、神を歓迎する心あればあれば私達の祭りに参加できるのだもの……他国の王を敬うように、異教徒の神を歓迎すればいいのよ。それが許されるっていうのは黒白神教の強みであり弱みなの……揺らぎやすい信仰心という弱みであり、しかし柔軟な信仰は時代の変化に容易く順応できる。 相手にとって……私の祭りに参加することが、神に対する冒涜になったりする教義でもなければ、好奇心が祭りへの参加を促してくれるわよ。むしろ、異教徒にこそ参加して欲しいお祭りだわ。私達のお祭りは……だってそれは、参加することそのものが平和の象徴なんだもの。 ハッサムはきっと、奴隷として同胞を攫い続ける私達に憎しみを持っているから、きっと私達の事を理解しようとはしてくれない。でも、理解するきっかけを私達なら与えられる気がするの。 ま、そこはアレ。ハッサムの信仰する宗教が神龍信仰みたいに頭の固い宗教じゃないことを祈るばかりね……私達のように、柔軟な思考の持ち主だといいのだけれど」 「ふむぅ……とりあえず、ナナはそのハッサムを仲間にするという戯言を正気で言っているってわけね。こりゃ、俺が反論しても梃子でも動きそうにないな」 「うん、私はいつでも正気だもの、ロイ。ハッサム君はきっと捕まえて見せるわ」 ナナの笑顔にロイは溜め息が出た。 「どうあっても、全てはハッサム捕まえなきゃ始まらないって訳ね……疲れそうな仕事だな」 「ふふ、そういうこと。それじゃ、その疲れそうな仕事に備えて今日はゆっくり寝ておきなさいな」 ナナはいいながらウインクを一つ。ローラの見ている前でロイに軽く口付けをした。驚くローラと、ローラに見られて気まずいロイ。二人を取り残して、ナナは悠々と自宅へと帰っていった。 翌朝、ワンダは眠たそうな目をして待ち合わせ場所に現れた。 「どうした? ナナに何かつき合わされたか……?」 ロイはワンダの体調を案じて尋ねた、 「逆だ。俺たち『シード』にはない薬学の知識や、神器の使い方などに目を輝かせていただけさ。むしろ付き合わせたのはこっちだよ。今度来るときまでに写しを作ってくれることまで約束してくれて……興奮して読みふけっていたらいつの間にか朝になっちまってな……眠い眠い」 「眠いって……そんなんで大丈夫なんですか? ミリュー湖は結構大きいですよ? 寝ないと体が持ちませんよ」 見るからに疲れた顔のワンダを一応は心配するも、ワンダは首を横に振る。 「大丈夫だ。頭はさえていないが、体のほうはばっちり。疲れも取れている」 「馬鹿かお前は? 遠征の前に休息を怠るのは素人のすることだ。以後、改めるように」 ローラはやさしく諭したと言うのに、なぜかここでロイがでしゃばる。ロイとワンダは同年代のはずなのに、ロイはすでに上官気取りのようだ。確かに、従軍経験がある以上はロイが上官をやっても違和感がないのだが、ワンダは少し納得がいかない様子。とはいえ、ロイが言っていることは正論であるから反論も出来ず、結局ワンダは何もいうことが出来なかった。 イェンガルドから港町ケルアントまで歩いて約3時間の道のり。ケルアントからサントライドまでの水路は、引っ張る連れの重さとワンダの体力とも相談して4時間ほど。ボートに乗っている者たちもサイコキネシスを駆使したり、ナナはオールで漕いだりと、申し訳程度に補助していたがあまり足しになっている様子もない。 結局サントライドの街並みが見えた頃には、ワンダは水ポケモンだと言うのに溺れそうなほど疲弊していた。そんなワンダに追い討ちをかけるように、浮き草が矢印で方向を示すように生長する。フリージンガメンのお導きであった。 目の前でみるみる内に浮き草が育ってゆく様子に、ワンダは感動を覚えるよりも先にまだ泳がされることに対して意気消沈していた。他のメンバーも流石に可哀想と感じたのか、ボートの上にワンダを上がらせ、おとなしくオールを漕いで進むことになる。 全体的な道程は10時間に及び、小さな漁港ヴェルサンドライドに付く頃には、誰も口をきく者が居ないほどに全体が疲弊していた。ワンダ以外の3人はすっかり体温が上がり、舌を出しながら荒い息をついている。 「水辺だけあって蚊が多いし……野宿はきついわね。宿でもとって休みたいところだけれど、この街に宿はあるかしら?」 ナナは荒い息に途切れ途切れの言葉を混ぜながらそう尋ねた。 「小さな漁村で、旅人も水路を取ることが多いところだが、一応商人達の通り道の一つでもある。だが、今の季節は宿なんてガラガラのはずだから、寝床には困らないはずだ」 一応地元クルヴェーグに近い街でもあるためこの辺りのことには詳しいのか、ワンダが答える。 「そう……でも、宿を探す前に、ちょっと水浴びしていきましょう。みんな、暑いし疲れているみたいだし……」 ナナはロイとローラ、二人を見て提案する。 「賛成だな……俺もサイコキネシスのしすぎで疲れた」 「兄さまに同じく」 汗をかけない((ブラッキーの汗は体温調節のためではない))3人は、暑さをしのぐために水浴びを決行する。すでに日は沈みかけているので、水を浴びてじっと風が吹くに任せていればそれなりに涼しいだろう。 「じゃあ、俺は宿を探してくる……ゆっくりしていてください」 水ポケモンでもない者達は不便だなんて思いながら、ワンダは宣言どおり宿を探しに行く。目的の宿はすぐに見つかった。今の季節は旅人は少ないかと思ったが、ハッサムが原因で水路に任せることに若干の不安があるそうだ。それゆえか、例年よりもかなり多くの者が陸路を取っている。相部屋をお願いされるほどではなかったが、このまま放っておけば、じきにそういう事態にも発展するだろう。 水辺に近い宿屋の主人も、客が増えるのは嬉しいことだが……と難色を示している。すでにハッサムが経済に与えたダメージは計り知れないようだ。 「大変ですね」と声をかけて、ナナはこっそり室内に雑草と土を持ち込んで小さな鉢に植える。何のためにそんなことをするのかとワンダが聞けば、フリージンガメンの導きを聞くためだという。鉢に植えた雑草が急激に育ったときに出発すれば間違いないはずだと、ナナは言う……のだが。迷惑じゃないかとワンダは苦笑した。 ◇ 「起きろ、ナナ」 「……ん、あぁ、おはようロイ」 無防備に眠っていたナナは、本来の姿である火傷のケロイドと年相応の見た目、さらには色違いでも何でもない通常色に戻っていたが、起きた瞬間に彼女はいつもの若々しいナナに戻る。起きてすぐに幻影を纏えるあたりが、ナナの寝起きの速さをうかがわせ、ロイはいつも『戦士の才能があるんじゃないか』と感じている。 「今日はまだ来ないみたいだな……ナナ、確かにこの街で合っているのか?」 0時近くまで交代で鉢を見張っていたが、フリージンガメンはうんともすんとも言わない。見張りの交代の時間も近いのでロイがナナを起こした時、ロイの開口一番は愚痴であった。 「う~ん……私に言われても分からないけれど……そもそもここには襲うような大きな船は無いのよね」 「船がないってことは……ここは襲うことなく通り過ぎるつもりなのかもしれないし……通り過ぎるということなら深夜だろうが真昼間だろうがいつ来てもおかしくないってことだろうし、そこは頑張って見張りましょうよ。待つこともまたシャーマンの修行の内だと思いなさい」 「頑張る……ねぇ。まぁいいや。とりあえず俺はまた寝るから……ナナ、次の見張りお願いね」 「かしこまり。ゆっくり休んでね。戦う前に疲れなんて残さないように」 「心得てるよ。そんなのは貴族の時代からね」 ナナの言葉を聞いて、ロイは見張りを交代してさぁ眠ろうと四肢を投げ出そうとして、頬を撫でられたかと思えば口付けを強引に交わされた。 「御休みなさい」 と、ナナは微笑んで舌舐めずりをした。 「あ、あぁ……御休み」 寸止めのままお預けを喰らって以降すっかり性交渉もご無沙汰で、ナナには性的な意味でのやる気がないのかともロイは思っていたが、どうやら違うようだ。まだ脈ありなんだと安心した反面、ロイは口付けのせいでガラにもなくセックスを連想してしまい悶々とした気分を抱えることになる。再び眠れるかどうか怪しくなってしまった。 そして、数時間後…… 「おい、皆起きてくれ。草が見る見るうちに成長している」 ワンダ声掛け一つで全員が飛び起きる。全員の視線が鉢に植えた雑草の方へ殺到し、確かに成長している事を見届けては、あるかないかの準備を1分もかけずに終えて(ワンダがワンダー仮面に変装していたために一番時間を掛けた)立ちあがる。 宿代は前払い。金を払わずに逃げたなんて思われることもないだろうと、全員が窓から飛び出し、ローラはまず空気の流れを感じ、それ以外はフリージンガメンのお導きとなる不自然な生え方の雑草を探す。最初こそその導きもあって、村の外まで誘導されたはよいのだが―― 「雑草……無いわね」 一本の木の前でその導きも止まっていた。 「ここから先はローラの感覚頼みってことじゃないのか? なんだかんだ言ってローラは親父よか敏感だし……フリージンガメンだってそうそう何度も神託やってたら疲れるだろうよ」 父親以上に物音に敏感であったローラの幼少時代を思い出して、ロイがぼやく。 「とりあえず、木の上に上って待っていましょう。もしかしたら、鉢合わせになるかもしれませんし」 「わかったわ……ローラちゃんお願い」 と、言うわけで一行は木の上で気配を殺して待ち構えることになる。そのまま、何もないままに数分。ローラはせわしなく尻尾の先を動かし何かを感じ始める。 「湖の水面に……何かが居るような気がするんですが……兄さま、見えますか?」 ローラが尻尾で差し出した方向を見ると、ブラッキーでもやっと見えるくらいの位置を何かが横切っていた。 「……遠すぎて流石にハッサムかどうかは分かりにくいが……確かに何か居る。辺りを気にしているが……水を飲むのか水浴びでもするのか……」 「どっちでも良いわ。みんな、相手が水辺に居る場合の作戦は覚えているわね?」 「当然だ、俺が考えた作戦だもんな」 ロイは頷く。 「忘れるほど難しい作戦でもありませんし……」 「一応……ね。ヒーローはもの覚えが悪くてはやっていけない!!」 ローラ、ワンダともに頷き、ナナは満足そうに微笑んだ。 足音を立てないよう、夜目の利くロイが慎重に足場を選んで先導する形で接近。先ほどまで走っていたのか、ハッサムは水をかぶった上で羽ばたき、体温を下げている。その仕草が接近の音を程よく掻き消してくれるので、接近は容易だった。 走ってきた以上、疲労しているであろうことは容易に想像が出来る。仕掛けるのにコレほど都合の良い状態もないだろう。 「ロイ、ローラそろそろ仕掛けなさい」 街から数百メートル離れた辺りだろうか。ナナがロイに指示を下す。 「分かったよ。5秒後にサイコキネシスを使う」 ロイの言葉にナナが頷くのを確認して、ロイはカウントを始める。 「3・2・1……サイコキネシス!!」 ロイが大声で宣言する。ローラもタイミングを合わせてロイと共にサイコキネシスを発動した。 突然の不意打ちに為すすべなくハッサムは吹き飛び、湖の深みに沈んでゆく。水によって光が屈折し、目測ではは距離を測り辛いが水深は4m程だろうか。距離が遠かった事や、相手が重い上に効果は今一つな鋼タイプであったがために二人掛かりであっても大した距離を飛ばせなかったが、これでもよく出来た方だろう。 すかさずワンダとナナが湖に飛び込み、ワンダは湖底にハッサムを縫いつける。ご丁寧にハッサムの頭を下になるようにサイコキネシスを操作し、踏ん張り辛い体勢で。 プレートには防御能力を上げる力がないのがハッサムには致命的だった。ただでさえ、ハッサムの体重は重い。湖に沈めてしまえば何もできなくなるわけではないが、体力を削るにはむしろ普通に攻撃するよりも遥かに有効だった。 「うふ、トドメね」 ナナが口の端を吊り上げて言う。ナナの言葉は呪詛のように水面に波紋を作り出し、次いで湖の底に大穴が開きその穴の中から触手のように伸びる黒い手が脚へ絡みつく。もちろんこれは幻影なのだが、まんまと幻影に騙されたハッサムは体内に残された空気を一気に吐き出す勢いで泡を噴き出した。鋼鉄の爪で触手を攻撃しようとしてそれは叶わない。犬かきで泳いで接近したローラとロイとワンダが3人掛かりのサイコキネシスでハッサムを湖底に縫い付け、そうなってしまえばもがくことすらできやしない。 状況を把握することもままならないままハッサムは水中で力尽きた。ワンダは救出する前に、まずナイフで首に提げられたプレートを切り離し、それをナナに預からせた。 ナナがプレートを自身の髪の中に収納した所で、ようやくワンダは安心して水底からハッサムを救出した。 「強いと聞いていたんだが……意外と呆気なかったな」 がんじがらめに縛られた状態のハッサムを見ながらロイが感想を述べる。 「そりゃアレよ。どんなポケモンだって、呼吸が出来なきゃ死ぬもの。それに、どんなに強かろうと心が強くなければ幻影は効くわけだし……幻影を見ただけで取り乱しちゃうなんて……この子も、まだまだ未熟だったってわ・け・ね。 こうやってゆっくりと寝顔を見ると、結構可愛い顔しているしぃ」 ナナが舌舐めずりをする。ここでナナとハッサムを二人きりにすると何だか(性的に)酷いことになってしまいそうで、ロイとローラは気が抜けない。 「さて、どうやって口車に乗せようかしらね」 言いながら、ナナは髪の毛の中に収納しておいた蜜と乳の匂いのするこの香油を振り掛ける。こういうところが、ナナのやり方が徹底していると思わせる要因だ。あの香油の匂いは嗅ぐだけでも警戒心が薄れてしまう魔性の香りだ。警戒心を根こそぎ奪うあの香油の前には、ハッサムの反感も殺されてゆくのだろう。 「それにしてもいい作戦だったわ。まさかサイコキネシスでひたすら溺れさせるだなんて……ロイってば賢い」 ナナが笑顔でロイの頭を撫でる。 「親父からの受け売りだから大したもんじゃない。サイコキネシスは冷静であるほど簡単に振り払える……ならば、冷静じゃない状況にするには、炎や水の中に飛びこませるかナイトヘッドで幻を見せろって……それを実践したまでだ」 「んもぅ、謙遜しない。誰もが輝く粘土を使って対等の条件で戦う事を提案したのに、貴方だけは真っ向から戦わずにこう言う戦いを提案したんだから。これぞ悪タイプって感じで好きよ、そういうの。 ふふ、っていうか私も馬鹿だったわ。こんな簡単なこと考えつかないなんて……」 「だから、それは父さんのおかげだってば。やっぱり父さんは百戦錬磨だよ。父さんのよう立派になるには……自分で作戦を考えるくらい通過儀礼みたいなものさ」 生きているかどうかも分からない父親の顔を思い出して、ロイは力なくため息をつく。 「ふむ。一度やられた相手に勝つというのはヒーローの誉れだな……」 「あの……ワンダー仮面を名乗るのは良いのですが、これからはせめて普通に黒装束の格好してくださいよ、お願いですから」 「ご、ごめん……」 ローラのため息交じりの頼みにワンダは平謝り。 「……で、どうしましょう? ……相手がどう出るかによっても私たちも対応を変えなければなりませんし」 ここで捕えたはいいが、このハッサムを連れて街をうろつくわけにもいかない。ナナのイリュージョンで透明人間のように振る舞わせるのも少々時間が限られている。 「どっちにせよ、まずは起こしてからよね。&ruby(スモーククォーツ){アグノムの加護を受けた宝石};の準備よーし」 と、言いながら、ナナはハッサムの背中を起こして軽くひざ蹴りをかます。グハァッとばかりに息を吐き出し気付けされたハッサムは、縛られている事を確認した上で力なく辺りを確認した。 『はぁい、お目ざめの気分はどうかしら?』 アグノムの力の籠った神器を扱いながら、不気味なほどに明るく語りかけるナナ。異様なナナの振る舞いに恐怖を覚えたハッサムは、今にも泣きそうな恐怖を抱いた顔のまま答えない。 『ねぇ、悪いようにしないからなんとか言ってみたらどうかしら?』 『……我を始末しないのは何故だ?』 &ruby(虫の楽園){南西の大陸};で使われる奴隷の言語がすんなり頭の中に入っていることにロイは驚くが、すでに体験済みのワンダとローラは特にこれといった反応も見せない。 『……何故って、そうねぇ。貴方を殺すメリットがないからかしらね』 『メリットがないだと……?』 『うん、私達は貴方のようなシャーマンを探しているの。私達、長いこと行われていないお祭りがしたくってね……そのためには腕のいいシャーマンが必要だわ。貴方がそのシャーマンになってくれないかしら?』 子供をあやすような滑らかな声でナナがハッサムに語りかける。 『ふざけるな!! 何故我が同胞を攫い、酷使する蛮族の片棒なんぞ担がなければならない』 『ストーップストーップ、クールダウンよ。そうね、まずは自己紹介から』 ナナがハッサムの口を強引に塞ぐ。指一本で軽く触れただけだが、叱られた子供のようにハッサムは言葉を噤んだ。 『私はナナ。ナナ=シェパードよ。こっちの人たちは順番に、ワンダ、ロイ、ローラ。さて、貴方の名前は?』 『……マンヅ(鎌)』 『へぇ……素直に言えるじゃない。それが貴方の名前ね、分かったわ……それで、貴方は何故あんなことをしたの?』 『決まっている……これ以上蛮族共が我が祖国の土を踏まないように、だ』 『やっぱりそうよね。でも、奴隷を運ぶ船以外にも壊したのは何故?』 『替えの船を作らせる速度を遅らせるためだ……奴隷を運ぶ船だけを壊したら、次に作られるのは奴隷を運ぶ船だけだ……』 幼稚な発想とはいえ、意外と考えているんじゃないかと、ナナは感心する。 『奴らは船さえなければわれらの大陸に大群を派遣することはできないだろう? こっちに潜入するために……そのプレートを翅の裏側に隠して、飢えにも渇きにも耐え抜いて、だ。我には、私の土地を守る義務があるのだ。その義務を果たそうとして何が悪い!!』 いきり立つマンヅの顔の前に手を翳し、ナナは再びクールダウンを促す。 『悪くは無いわよ。むしろ共感するわ。でも、悪いかどうかと迷惑かどうかはまた無関係なの……だからこそよ』 悔しそうに呻くハッサムをナナが笑う。 『これから先、迷惑掛けなければ、今回の事は許してあげるし、貴方が望む人達に釘をさしておいてあげる……。悪いようにはしないわ』 ナナが素敵な笑顔を見せた。縛られて『ん』の字になっているハッサムに抱きつき、半ば誘惑するように(というよりかナナ以外の4人は少なくとも誘惑だと思った)ハッサムに頬を寄せる。 『放せ、このまま晒しものにして我を愚弄する気か!?』 『だから悪いようにはしないってさっきから言っているじゃないの。貴方をしかるべきところに突き出せば、お金っていういい物が貰えるんだけれど……そんなものはいらない』 ナナが諭すようにハッサムに語りかけるが、マンヅと名乗ったハッサムは頑としてナナの言う事を聞こうとしない。あまつさえ、息を大きく吸い込んでは、 『放せ!!』 と、耳元で叫ぶ始末だ。 「ふむ……」 ナナは大声によって生じた耳鳴りに顔をしかめながら、マンヅを片手でひっつかみ湖に捨てる。もちろんマンヅは縛られたままなので溺れるのは必至だ。 「イェンガルドに戻りましょう。マンヅに会わせたい、テオナって人がいるので」 溺れるハッサムを尻目に、ナナは笑顔でワンダの知らない人物の名を挙げる。 「テオナさんですか? 良いですね、あの人幸せそうに暮らしていますし」 ローラは一枚噛んだビークインを思い浮かべて笑う。 「うん、それもだけれど、イェンガルドにいる知り合いの裏運び屋さんにこのハッサムの運搬をしてもらいたいし……素直になれない子は、ちょっとばかし荒療治で素直にさせるの」 ふふ、と笑いながらナナは湖に投げ込んだマンヅを引き上げる。咳こんでいるマンヅは、恨めしそうにナナの方を睨んでいた。 「じゃ、ワンダ君。明日もボートを引っ張る係を頑張ってね」 ナナからさりげなく重労働を任されて、ワンダは思いっきり苦い表情をする。ただし、ナナは誰にも有無を言わせず、四の五の言わせずワンダのその表情を眺めることはしない。ただ、笑顔で水中に落としたハッサムを救出しに行くだけだ。 翌日の道程の最中。縛られたまま何もやる事がないと寂しくなってくるのか、船に乗っている最中マンヅは少しずつナナやロイやローラへ話しかけるようになった。ワンダはずっと船を引っ張っているので、話が出来ない上に話す気力もないというふうである。 再び、「なぜ殺さないのか?」というマンヅの質問には、やはりナナは「殺す必要がないから」と、答えた。 『貴方の仕事はもう終わり……これ以上船を壊し続けても、状況がよくなるとは思えないわ。だから、私達に仕事を任せてくれないかしら。』 『何をする気だ? お前らが私の代わりに船を壊すとでもいうのか?』 『そんなこと出来ないわよ。ただし……この国の言葉を書き記すだけでも、きっと貴方がしたことの効果は倍増するわ。文字って知っているかしら? 便利な物なのよ』 ナナが尋ねると、マンヅは首を横に振る。 『ふふ、喋る言葉と同じ意味を、こういった記号に持たせるのが文字という物よ。例えば、こう言う風に書けば「おはよう」の意味になるわ。喋る言葉の代わりになるのよ……この記号がね』 『それを使ってどうする気だ?』 尋ねられて、ナナはギラリと眼光を光らせて舌舐めずりをする。 『次、「奴隷船を作ったらまた船を破壊する」って脅してやりましょう。そしてもう一度破壊するその時くらいは、私も協力してあげるわ』 クスクスと笑い、ナナは縛られて『ん』の字になっているマンヅを後ろから抱きしめ耳元でささやく。 『これだけの事をしでかした後よ。ほとぼりが冷めるまで彼奴等も奴隷船なんて作ろうとしないはず。重要なのは、それを伝える手段を声ではなく文字にして伝えられるという恐怖……なぜならね。 貴方は、この国では奴隷。「文字の勉強を受けておらず、文字を掛けないはずの蟲の楽園からの無作法な訪問者」よ。しかしこの短期間で貴方は文字で物を伝える手段を学んだ……なんてことは有り得るわけないわよね? それが意味するのはそう。この国に協力者がいると言う事。ハッサムはのたれ死ぬことなく、何処かで息を潜めて待っているという恐怖感の演出……素晴らしいと思わないかしら?』 ナナの提案にハッサムは沈黙するが、やがて顔を上げてナナに言う。 『すまん、もう一回説明してくれ』 あらら、と間の抜けた声を出しつつも、ナナは分かりやすいよう筋道立てながら説明し直す。 懇切丁寧なナナの説明。マンヅはあまり難しいことを考えない性質なのか、非常に理解力が悪かったがきちんと聞いているうちにそれなりの理解をしてくれたようで、しだいにナナの話を面白そうに聞くようになる。 『と、言うわけで文字の力と言うのは偉大なわけよ……その文字の力を使えないはずのハッサムが文字を使う……それは不可能だって皆考えるでしょう?』 『なるほど……不可能を可能にする方法がお前のような協力がすでに我の背後についていると考させれば……』 『貴方の姿が消えたからと言って、その記憶を風化させることは出来ない。つまり、奴隷を輸入する船を作ろうなんて気も起きないでしょう? そうすれば、私達はもう船を壊されない。貴方は貴方で、奴隷としてこの国へ運ばれる同胞を少なくできるし、安全なところで平穏に暮らす事が出来る。利害は一致するのよ、このお話は。 どうかしら? このお話に乗って見ないかしらね……きっと、みんなが幸せになれるわ』 ナナは手首の裏に振りまいた蜜と乳の香りのする香水を思いっきり嗅がせる。甘ったるい匂いに警戒心をはぎ取られたマンヅは、ナナの話を良い話と信じてやまなくなる。ほどなくして、ナナもそこまで計画通りに行くはずはないと思っている計画に対して、マンヅはうんと頷いた 『ふふ、それじゃあ後は世間話でもしましょうか』 と、ナナは縛られたままのマンヅへ笑って持ちかける。どうやってあのプレートを入手したのか? 奴隷船なんかに乗ってきてどうして体力を消耗することなく速攻で活動で来たのかなど訪ねるナナの後ろでは、たった一日で敵を懐柔するナナの腕に感心した二人が、それについてを小声で話しあっていた。 対してマンヅは一つ目の問いには、「拾った」と答える。ナナはナナで、首にかけているフリージンガメンは拾いものだと答え、『奇遇ね』と笑い、二つ目の問いには、「あれほどのプレートを装備しているのなら体力の消耗を抑えるくらい造作もなく出来る」と、答えた。 なんだかんだ言って、ナナは世間話の間でさえ何度も『奴隷貿易なんてしてしまって済まないと』謝っている。それは自分達、黒白神教の力が足りないせいだ、と付け加える。ナナが謝った所でマンヅの気が晴れるわけではないが、ボートの上や縛られたまま街道から外れた道を行く道程などで会話するうちに、徐々にナナとはうち解けていく様子が見て取れた。 途中、マンヅを積み荷の中に隠しながらたどり着いた先は、Bキャンセルなる道具を作成する際にお世話になったあのビークインが働く果樹園。ナナによって酷過ぎる悪夢を見せられ、奴隷を酷使できなくなってしまったトロピウスの雇い主はすっかりビークインを気遣うことに慣れている。 職業選択の自由がないという意味ではそのビークインはまだ奴隷であるが、明るい表情を見せることが多くなったそのビークインは当時付いてなかった名前をもらい、テオナと名乗って日々充実した暮らしをしている。テオナと名乗ってくれた理由は、恐らくお世話になったテオナナカトルにちなんだのであろうことを誇らしげに自慢して、ナナは微笑む。 『見なさい……私達が色々やって、あの子の待遇を改善したのよ。奴隷という言葉の定義からは解放されていないし、本当にごく少量の成果の一つでしかないんだけれど……それでも、一応私達も頑張っているんだってことは伝えたくってね』 『私の……私のいた場所にもどうしようもないクズはいた。そして、逆にいい奴過ぎて損する者もいた……お前達も、いい奴なのだな』 『さぁね? いい人かどうかなんて、建前以外では考えることは止めたわ』 『そうか……ならばどっちでも良い。お前がこういうことをしてくれたこと。それだけで私はお前を評価したい……お前をこんな風に育てた神の教え、少し興味がわいてきたぞ』 あらぁ、とナナはわざとらしく喜んで見せる。 『うふふ。私達は美しき神レシラムや、猛々しき神ゼクロムのために祈るのよ。貴方が祈る神は何かしら?』 『それはもちろん、アルセウスさ』渋い顔ばかりしていたマンヅは笑って答えた。 *** 『マンヅと和解するのに一日掛けないとは……ナナは恐ろしい奴だな。マンヅの奴、最終的に黒白神教の総本山というか本拠地であるヴィオシーズ盆地へ送られることになったが、別れ際にはナナとの別れを惜しんでいたくらいだ。どうでもいいことだけれど、ユミルが好んで変身するムクホークは裏の運び屋さんだったんだなー……ナナの知り合いがユミルが好んで変身するムクホークのオリジナルだったとは……予想外だ。 ナナによれば、マンヅは&ruby(虫の楽園){南西の大陸};にいた頃の事なども話してくれたらしく、やはりと言うべきかマンヅはかなり地位の高いシャーマンだったようだ。部族の皆がとった獲物を切り分ける権利を持つ。その集落に数人しかいない稀有な役割を持った人物だそうで、冠婚葬祭のみならず日常の食事ですら彼の手の内なのだと言う。全く、俺たちよりも遥かにシャーマンとしての力が強いわけだよ。 しかし、マンヅの凶行は途中で止めたとはいえ経済の混乱はすさまじい。運河によって大量の物資が海から流れていたジェルト海からミリュー湖への道のりは実に停泊中の20%程の船舶が破壊され……失業者があふれるとか、そう言うレベルじゃ済まないだろう。海では少数ないしは少量の物資や人員を運ぶラプラス便が大盛況し、需要の向上と共に賃金の向上も起こった今ではラプラスが海に運河に湖に、ひしめき合っている。 地上の酒だとか木の実だとかというものに興味を持ったラプラスが、無邪気にも金でそれらを買おうとしているのだ。そのおかげで物流が途絶えないのは良いことなのだが……ジェルト海周辺やミリュー湖周辺の治安は経済に比例して悪化していくだろうな……すでにして失業者も出てるみたいだし。 山の上でははげ山になりそうな勢いで木が切られている……材木になるんだろうけれど、酷い光景だ。山の上ではそうして特需の好景気になっているようだが、それもいつまで続くことやら。 神憑きの子だとか言うクリスティーナとやらは無事らしいが……全く、マンヅは酷い爪痕を残してくれたもんだ。 俺達の店は湖の貝や魚しか取り扱っておらず、まぁ食料の心配はしなくってもいいだろう。どうせ、香辛料も当分尽きる事は無い。 だからまぁ……いつも通りトニーとジョーが来るんだよな。あいつら暴れん坊ハッサムのニュースなんて知らないのだから気楽で羨ましいくらいだ。 心配なのはむしろ奴隷たちの行方であった。船の底でオールを漕いだり、船を直接泳いで引っ張ったりといった役割を持った奴隷たちは、仕事を失ってしまったわけで……結論から言えば国外へ売られることになった。 戦へ投入できる財力を失ったことや、東方で起きた、炎と捩じ切りによる神龍軍の壊滅(雪解け人の季節に聞いた奴と同一人物らしい)に合わせて、交易の街や防衛の要となる街が軒並み攻め込まれたらしい。神龍軍のいないその街は抵抗のしようもなく、事実上の無条件降伏((軍隊または艦隊が兵員・武器一切を挙げて条件を付することなく敵の権力にゆだねること))となった。 全く、聖地防衛や奪還のためには足並みをそろえる癖に……敵の敵は味方っていうのも、敵の敵と戦う時だけってことかい。 防衛拠点の街や国境の周囲では敵軍の襲撃が相次いで、強盗、略奪、強姦、虐殺、……やりたい放題だそうだ。交易の街でも強盗や略奪が絶えないそうだ。俺達を没落させた神権革命の後から連戦連敗だな。 もはや抵抗する気概も失った大司教連中の命により、他国からの侵攻に備えて奴隷を大量に仕入れていた奴隷も驚くほどの安値で売られている。タダ同然だから、もはや戦利品扱いと言ったところか。戦争に利用するはずだった奴隷が思わぬ形で役に立ったと言う事だな。 ま、奴隷を大量に仕入れたせいでマンヅをこっちに呼び寄せてしまったわけなのだから、皮肉としか言いようがないが……笑えない冗談だな。 社会の動きとは別問題の所で、ナナはワンダ達が属する黒白神教の集団『シード』から本や木の実を受け取って喜んでいた。どうやら不思議な効果を持つ木の実に関する技術についてまとめたものらしい。例えばオレソの実((オレンの実にそっくりだが、食べるとダメージを受ける実))にオボンの実を接ぎ木((2個以上の植物体を、人為的に作った切断面で接着して、1つの個体とすることである。&br;通常、遺伝的に異なる部分から構成されている個体を作る技術として用いられるが、果樹等の育種年月の短縮化、接ぎ木雑種の育成などの目的で行われる場合もある))することでオボソの実なる物を作ることが出来るのだとか……その木の実も一つもらったそうでね。 『色々危ない木の実だけれど、何かに使えるかもしれない』と……ナナ、お前なぁ。頼むからその辺に置いておかないで欲しいのだが。 そうそう。話しあいの結果、海の歌謡祭の開催地である魔の海域へはワンダも神に会う経験のためについて行くことになったそうだ。嵐を引き起こす力を持つと言うルギアが来るそうだし、『ノー天気の特性が意外に役立つ』……といいのだけれど。ノー天気の特性が役に立つとはワンダの弁だが、ルギアの起こす嵐を相手に普通のポケモンの力が通じるのだろうか? それに合わせて海の歌謡祭が始まるまで、ローラは『シード』の方へと研修に行くそうで、接ぎ木技術の写本を作るとかいう役目も背負うことになってしまったらしいし。まぁ、それはいい……それは良いんだ。だがローラ、なんというかお前、ワンダがワンダー仮面の時と普通の時では明らかに態度違うけれど……もしかして、ワンダに対して特別な感情でも抱いているんじゃなかろうか? だとしたら、こんなに付かず離れずな関係を続けている俺達は、一ヶ月の研修期間の間に追い抜かれてしまいそうで怖いんだが……はぁ。 この事件の後に聞いたのだが、ナナはナナで、ハッサムよりも気になる事があるらしい。最近になってよく噂を聞く神龍軍と事を構えている奴について調べているらしい。春先に聞いた、麻薬の売人を始末しようとした神龍軍のポケモンの体が捩じ切られ、消し炭になるまで焼き払われ全滅したとか言う噂のアレを。大きな教会のある町が狙われているとかで、その地を立ち去る時には教会を燃やして行くらしい。徐々に東から西にじり寄ってくるんだよなぁ……いつかこっちにも来そうで怖いな。 そいつらの殺し方の特徴が、炎タイプはともかくもう一つのタイプは恐らくエスパー。もしかしたらそいつはビクティニ。その二人組は、黒白神教の神が命がけで戦った炎の軍勢の王の残留思念が籠ったモノにでも憑かれているんじゃないかとナナが言っていた。 まったく、色々と勘弁して欲しいものだ』 RIGHT:テオナナカトルの構成員、ロイの手記より。神権歴2年、8月4日 LEFT: [[次回へ>テオナナカトル(9):海の歌謡祭]] ---- 何かありましたらこちらにどうぞ #pcomment(テオナナカトルのコメントページ,12,below);