[[小説まとめページへ>テオナナカトル]] [[前回のお話を見る>テオナナカトル(6):無血の決戦]] **神憑きの子と正義のヒーロー [#y6b53aa8] サイリル司教を陥れてから数日後。魔女狩りの開始という心配事もひとまず消え去った今、テオナナカトルは以前よりも活発に活動することが可能になった。表向きには日雇い労働で日々の糧を得ているローラとユミルは、それぞれ色んな街へシャーマンや神子の才能のある者を発掘・勧誘するために赴いていた。 しかしながら、そんなことはお構いなしに街に残ったナナ達はナナ達で、テオナナカトルのを活動している。 「そうですか、では手筈通り」 ナナは依頼人のペルシアンに対して微笑みを見せる。 「あの……これで本当に子供は大丈夫なのでしょうか?」 「えぇ、特製の幻覚剤と向精神薬……この二つを使えば、貴方の夫を狂ったように行動させることが出来ますわ。そのための素材は、今ちょっと切らしておりますが……すぐに入手可能ですので。 それを、このように幻覚を見せることで……」 言いながら、ナナは幻影を使って忍び寄り、全く気づかれないまま後ろに回りこんで依頼人の優雅な尻尾を撫でる。 「ひゃっ!!」 正面に居たはずのナナは忽然と消えて、体の横にナナ。 「こんな風に気取られないように唇へと塗ります」 「す、すごい能力ですね……」 心臓を激しく波打たせながら、依頼人は驚いて褒める。 「お褒めの言葉ありがとうございます」 ナナは笑顔で会釈をする。 「貴方の夫は舌舐めずりする癖がおありのようなので、コレを唇に塗れば……あとはもうお分かりですね?」 「狂ったような行動をして、収容所行き……」 「えぇ、誠心誠意やらせていただきます」 「お願いします……」 依頼人は、藁にもすがるような顔で頷いた。 「全く、子供に暴力振るうとか、最低の奴がすることだぜ」 ロイが肩をすくめる。 「レントラーの雄は……他人の子供と同居するのが許せない性質だからね。昔は平然と子供を殺す文化があったくらいだし……今でも本能的な名残があるのね。だからって、そうしていいわけじゃないという事は分かっているはず……」 親を思い出して色々気にしているのか、ナナは火傷しているはずの腕をじっと見た。 「どっちにしろ罪深いってことは代わりはねぇよ。ブラッキーに進化した俺から言わせりゃ最低だ。ま、俺たちに任せろよ」 ロイが依頼人を正当化するように元気づけ、安心させるよう頼もしい言葉を吐いた。 「私も……頑張ります」 歌姫も力ない声で依頼人を元気づける。 「さぁ、ロイ。まずは薬の材料を出しなさい!!」 「おぉ!!」 と、ロイは元気良く頷くが、大事なことに気が付く。 「……って俺かよ!?」 肩を怒らせ、ロイはノリのいい突っ込みを入れる。 「テオナナカトルを食べて出る汗を使うのよぉ。&ruby(アレ){精液};の方は残っているし、用途も別だからいいけれどぉ」 ナナは悪びれることなく笑顔であった。 「あー……アレね」 ロイは物凄く嫌そうな表情でナナに抗議してみるが、ナナは聞かない。 「じゃ、依頼人さん。お疲れ様です。今日はもう帰ってもいいですよ。お気をつけて」 「ちょ、ちょっと待てナナって何をするんだお前……耳はダメだっていててて……」 重くなる気を抱えながら、ロイは引きずられてゆく。 「美しき神、レシラムがために頑張ってください……さ、依頼人さんも、ごきげんよう」 そんなロイを、歌姫は手を振って見送った 数時間後――ジャネットの家にて。 「ドーブルさんの染め物屋。レシラムさんは真っ赤に染めて、炎の色になりました。でもでもでもねレシラムは、パンを焼いてる最中に、小麦粉ぶちまけ真っ白け」 集合住宅の廊下を、娘と共に歌を歌いながらジャネットは歩く。不妊症に悩む女性の元へ出かける前に娘のシーラを大家さんに預かってもらわなければならない。そうして大家さんの一室へと向かおうとしたジャネットの目に映ったのは、お目当ての老婆が外へ行こうとする姿。 「おや、ラージャウスさん……今日は外へお出かけですか?」 この集合住宅の大家であるローブシンのラージャウス。普通は巨大な石柱を二本持つローブシンも、老いてはその限りではないらしい。まるで赤ん坊の時のように細い木の枝を杖にしている。物心ついた頃には大きな材木を背負い、進化と共に鉄骨・石柱と持ち物を変える本能も、寄る年波には勝てないようだ。 「ジャネットさんのくれた薬はとってもいいからねぇ……今でも杖無しじゃ歩けないとはいえ、調子も良いから……今から日向ぼっこに行くところさね」 「あー……そうなんですか。無理はせんでくれ。今なんか真夏じゃし……あんまり日向ぼっこもお勧めできんぞ?」 「日差し浴びながらぽっくり行くってのも悪くないとは思うんだけれどねー……」 「ぽっくりというよりはジリジリと逝きそうな気もするのじゃがのう……と言うよりは、そんなことになっちゃったらワシら入居者はどうすればいいのじゃ? 引っ越すのも面倒じゃから、もっとちゃんと生きて引き継ぎの方もしっかりやってくれんかのう」 「はっは。もうこの家もガタガタさね。修理しようにも建て直した方が安いとまで言われちゃあさぁ……私が死んだら自由に住んでくれても構わんよ」 「んもぅ、弱気なんじゃから……」 ジャネットはふぅ、と溜め息をつく。その足元で、シーラは退屈そうに欠伸をしていた。 「老婆心((これを言わせたかっただけ))ながら言わせてもらうけれどねぇ……もうこの家もあたしみたいにガタガタなんだから、崩れる前に引っ越しときなよ」 「お主が生きているうちに誰もいなくなったら、誰が貴方の死を看取るのじゃ?」 ジャネットは肩をすくめて困り顔。しかし、ラージャウスは呑気に笑うばかり。 「もう60年生きた。十分さね。死んだ後で息子や孫に葬式を開いてもらえばえぇよ」 「だからこそ死をみとる必要があるってことじゃ。ワシはお主の遺産は狙っておらんから、そんなこと言わんで下され」 「はいはいっと」 ラージャウスは微笑んで外へと向かって行った。 「そうじゃ……今日もシーラを預かってくれって頼もうと思っておった所じゃ。お願い出来るか?」 「おやおや、今日もこんな年寄りにひ孫が生まれた気分を味あわせてくれるのかい。ありがたいねぇ」 「押し付けているだけですよ……そんな、大したことじゃありません。ところで、日向ぼっこをしたいのでしたっけ?」 言いながら、ジャネットはラージャウスの手をとりその体を支える。そのまま、アパートのすぐそばにある木漏れ日の差すベンチにまで付き合い、座らせる。 バッタなどの虫と戯れている無邪気なユキメノコ、シーラを尻目に二人は少しばかりの世間話をして、それを切り上げた所でジャネットは言う。 「それでは、シーラをお願いします……シーラもいい子にしているんじゃぞ?」 「うん、お仕事がんばってね、ママ」 「はいはい。お仕事がんばってね……ジャネットさん」 そうして二人は手を振って別れた。客の元へ向かうジャネットが建物の影、ラージャウスから見えない所へ行った時、彼女は虚空に独り言。 「ナナ、いつからそこにいたのじゃ?」 壁に寄り掛かるようにしてそう話しかけると、見た目何も無い空間からナナが姿を現す。 「貴方があの人の手を引いていた時よ」 「そう……待たせてしまったようじゃな。それで、お仕事のようなのじゃろうが、緊急?」 「いや、明日までにお薬を一つ作ってくれれば構わないわ。作ってほしい物と材料は家において行くから……今はとりあえず産婆さんのお仕事がんばってね」 「かしこまり、リーダー」 ジャネットは振り向かずに背後のナナに手を振って別れる。 「さて、これでお薬の準備は完了ね」 ナナが握りしめた薬のメモには『惚れ薬"スーパー"』と言う名の怪しげな薬の名前が記されていた。 ◇ 一方ユミルは、ムクホークの姿になって陸上を行くポケモンでは数日かかるほど、かなりの遠出をしている最中だ。それほど遠くを行く旅路でも、機動力が高い姿ゆえか荷物は少なめで、足爪で掴んで持っていけるだけの水と僅かな食料とお金のみである。 ユミルは、ロイ達が暮らす街である三方向が湖に面したアルナ半島の根元に存在するイェンガルドを出て遥か北西へ向かっている。ミリュー湖の水が長い川を通じて流れ込む湾岸都市にシャーマン候補として最高とも言える者が住んでいると聞いたのだ。年齢的に考えても処女である可能性は高く、神子としての活躍も期待できるであろう。 端から端まで水平線に隠れる大きさの湖であるミリュー湖から緩やかな運河を超える途中、豊富な水から得られる水を使った農業がそこかしこで見受けられる。夏の暑さを愚痴る歌詞が農作業中に聞こえる今の季節、熱を帯びた体を休ませようとユミルは木陰の下に逃げ込んでいる。 休憩中に農奴たちが歌う歌を聞きながら、歌姫ならこれをどんな美しい歌声で歌うのかなんて考えながらユミルは旅を続ける。 目的の街は、これでもかというくらいの港町で、街の名はソーウェルカンダ。潮風にやられて劣化するのを防ぐため、木造建築は少なく石造りの建物がよく目立つ。 職に困る事がないのだろう、街は全体的に活気づいていてホームレスの存在もかなり少ない印象がある。潮騒の音、行き交う人々の喧騒に負けないよう話す人々の声は怒号といっても差し支えなく、夜まで待たないと静かになる瞬間など訪れることはなさそうである。 さっそく以って情報を集めようとしたユミルは、まずは多くの情報が集まる酒場へと向かう。イェンガルドで偶然その子の情報を聞いた時から捜索は難航すると思って、身構えていたが…… 「あぁ、神憑きの子だろう? あのユンゲラーの子ならよく知ってるよ。よく7番街の大広場で木の葉の数を数えている……正直気味悪いっちゃあ ありゃしないんだが……何だか不思議な魅力のある子だよ。神龍信仰じゃわかんねぇけれどさ、どっかの土着信仰じゃめでたい奴だって言うんだろう? あんたも御利益を求めて来たクチかい?」 まさか聞き込みをした人数がたった4人で見つかるとは思っていなかったユミルは、思わぬ展開に驚いた。 「もっと探すのに時間がかかるかと思いやしたが……有名人なんでやんすね」 「あぁ有名人さ。なんせ、あのシオンスティー家のみなしごだからな。商売が成功したのもあいつのおかげってもっぱらの噂だよ……いや、俺もあやかりたいもんだけれど、俺は文字もほとんど読めねえからさぁ。布商人の職場になんて入りこめねぇや。世知辛い世知辛い。 なぁ、そんなことよりも聞いてくれよ。俺は前から狙っていた女がいるんだがな」 「お、マリーちゃんの事か? 進展あったのかよベルリオーズ!?」 情報をくれたニョロトノはまだ昼だというのに(今日は仕事がないからだそうだが)少し酔っていた。女の話と聞いて囃し立て始めた周りの客も同様だ。聞いてもいない事をベラベラ喋られて、しかもそれが大声なのでユミルは苦笑した。さらには、自分の身の上話を話すように強要され、何度ともなく『声が小さい!!』と笑われて、ユミルはへとへとになるまで喋らされる。 散々な目にあったユミルだが、嫌ではなかった。周りの物は皆が皆海産物の美味しい食べ方や今旬の魚などを教えてくれたりと根は親切な男たちであるから、嫌いになれるはずもない。 とはいえ、やっと解放されて宿をとる段階になった頃には、酒場で働くロイの仕事がどれほど辛いのかが伺えた。一緒に飲むだけであれほど疲れるのだ、イェンガルド港町ほど元気な客は少ないだろうが、客と従業員という関係になったら、その疲労はこれよりはるかに上だろう。 酒のせいで少々おぼつかない変身と足取りを抱え、ユミルは辺りを見回す。宿はすぐに見つかったが、さて明日はどうするか? (木の葉の数を数えているということでやんすし……そこを見計らって話しかけてみやすかね。) 変身を解いたユミルは、自身の体内に埋め込んだ&ruby(シトリン){黄色水晶};を取り出し、ぐっと握る。 (膨大な数の変身の記憶を保持するためにユクシーの加護が籠るこの石を装備しているが、これを触れさせた時……その神憑きの子はどう反応するでやんすかね?) 『どうしました?』 シトリンから声が聞こえる。 「何でもないでやんすよ。アッシが柄にもなく緊張しているからって、知識ポケモンのあんさんに感情の心配される必要もないでやんすよ」 『そうですか。眠れないのでしたら私が良く眠れる方法をあっ』 ユクシーの長無駄話が始まる前にユミルはシトリンをベッドの上に置き、会話をシャットダウンする。長無駄話を聞けば眠くなれそうな気がするが、その話を聞くためには意識を集中しなければいけないというジレンマがある。 そのため、黙っていてもらうのが一番だ。 「明日は普通に話しかければいいでやんすね。トラブルはなるべく避けて……頑張ろうでやんす」 自分に言い聞かせるようにそう言って、ユミルは静かに眠りについた。 「7番街の大広場……と」 翌日、地図を手にした(神憑きの子がいる場所を記憶してすぐにしまったが)ユミルは昨日教えられた場所へと赴く。 (いつもいるとは聞いたものの、そう都合よく……いた) 広場に降り立ったユミルは件のユンゲラーを探そうとサーナイトの姿へ変身しなおして探そうとして、探すまでもなかった。 そのユンゲラーは口をもごもご動かしながら木を見上げていて、左手に持ったスプーンをクルクルと時計回りに回している。虚ろな眼の色をしているのは、その子が生まれて間もない頃にミュウに取り憑かれ、思考を奪われた証だと言われていた。 幼い脳にミュウの思考能力はとても耐えられず、その子供は悪戯心と並はずれた能力だけを残して心と常識を失うと言われていて、それゆえ神憑きの子と言うのだ。神龍信仰では悪い妖精の仕業と言われ、これに出会う事は不幸な事とされている。黒白神教は、それを不幸なことと考えず、むしろ幸福なことと考えた。それが、ミュウに取り憑かれたという結論なのだ。 切っ掛けは、おかしな成長をしてしまった我が子の姿に親が嘆かないようにする周囲の心遣いだったのかもしれない。しかし、実際に神憑きの子に備わる能力は素晴らしいものがある。例えば記憶力が恐ろしく良いとか、計算能力が恐ろしく優れているとか。 「2864……2878……」 そして、このユンゲラーは恐ろしいまでのスピードで木の葉の数を数え続けていた。無表情で、他のユンゲラーの個体とは目の色が違う。虚ろというよりは血走っていて、木の葉のどこにも焦点が合っていないようで、どこを見ているのかも定かではない。 指を使って指し示すこともせず、ただ黙々とカウントを続けるユンゲラー。なるほどこれでは気味が悪いと思うのも仕方ない。 「あの、こんにちはでやんす」 ユンゲラーは答えない。 「2914……2923……」 「こんにちは……」 「2933……2941……」 再度の呼びかけにもユンゲラーは応じない。 「どうしたもんでやんすかね……」 困ったユミルは、このユンゲラーに熱烈な視線を向けている者の方を見る。サーナイトの角で感じただけでは種族まではわからなかったが、熱烈な視線を向けていたポケモンは、胸に大きな月輪模様のあるポケモン、リングマだ。肩に自分の体毛と同じく茶色の大きなショルダーバッグを持っていいて、そのバッグの巨大さたるや詰め込もうと思えばヒメグマくらいなら詰め込めそうだ。 体格もそれに見合った巨漢であり、ただでさえ大きなリングマの中でもさらに大きな体、さながら要塞か壁のようだ。 「……あんさん、この子の親でやんすか?」 訝しげな視線でユミルを射抜いていたリングマは、尋ねられたことが嬉しかったのか、角が受け取る感情が心地よい。 「いや、そのクリスティーナお嬢の親は俺じゃない。そもそも俺には子供を作れる女もいねぇ……まぁ、養子という意味で言ったのかも知れんが、生憎それでも間違いだ。俺はお嬢のボディーガードみたいなものさ。 お嬢は誘拐すりゃ身代金を要求できるくらいの価値はあるからな……一応ってことで」 どこか誇らしげなその言葉。生みの親でも育ての親でもないと言うのに、リングマはその子のことを語るのが嬉しそうだ。 「ところで、お嬢に何の用だい? メタモンのお兄さん」 「う~ん……アッシは、今訳あって条件に合う人を探しているでやんす……例えば、普通の人には聞こえないものが聞こえるとか……」 言いながらユミルは自分の胸の中に埋め込まれたシトリンを取り出し、リングマに見せる。 「あのユンゲラーのお嬢さん……アクアマリンのような宝石を首にかけてやすが、あれは……マナフィの加護が込められた宝石でやんすよねぇ?」 「マナフィの加護……そうだが、それを知っているってこたぁ……お宅、何者だい? まさかとは思うが教会のお兄さんじゃないよな?」 「アッシらは、その……秘密って言うわけにも行かないでやんすよね。神龍信仰とは違う宗教を信じるものたちでやんすよ。平たく言ってしまえば異教徒でやんす。もちろん、誰にも内緒でやんすよ?」 ユミルは舌を出してお願いする。 「あの子の存在めでたいと言うのは『知恵の実を食べる前のポケモン』解釈する神龍信仰の者と、神憑きの子と解釈する別の宗教の二つ……。後者の方がが圧倒的に多いから大体は見当が付いていたから、お嬢を尋ねてきた奴が異教徒であるのを内緒にしておくのは慣れている。 あぁ、内緒にするのはそれは構わんが……お前が大事そうに手に持っている黄色い奴は一体なんだい? タダの宝石ではなさそうだな?」 どうやら何かを感じるのか、シトリンを指さしてリングマが尋ねた。 「あ、これは知識の神ユクシーの加護が込められた&ruby(シトリン){黄色水晶};でやんすよ。身に着けていると記憶力が結構よくなりやす……アッシは、それでたくさんの姿を正確に記憶しているんでやんすよ」 「ほう、あのアクアマリンと同じように加護を受けている……と? ちょっと失礼、危ないものじゃないか確かめさせてくれ」 「あ、はい……どうぞでやんす」 そこまで聞き終わると、リングマは一応の断りを入れてシトリンに触れる。 「ほう、俺を感じてはいるようだ……何かを言っているが……だめだ、聞き取れない」 リングマは眼を閉じ集中してみるが、シトリンに宿る意思がつぶやくその言葉を解することは出来ないようだ。 「聞こえるでやんすか?」 「あ、あぁ。だが、あの子が5歳の頃から7年間……それだけやって、マナフィの声がやっとかすかに聞こえるくらいだ。お嬢にとっては俺達の声よりもよっぽど大きな声が聞こえるんだとよ……そのアクアマリンって宝石からな。まぁいい、危ないものでもないようだし、いいだろう……で、お嬢には何の用なんだ?」 「う~ん……あのお嬢さんにそれほどの才能があるんなら是非アッシらの開催するお祭りに参加して欲しいのでやんすよ……といいたいところなんでやんすが、それは……まぁ、祭りの内容については後で親御さんやお嬢さんと一緒に話そうと思いやす。 今はとりあえず……お嬢さんに挨拶だけでもしようかと」 といってユミルは木の葉の数をカウントし続けるクリスティーナを見る。 「お嬢になんの才能があると言いたいのかは知らんが……いや、コレは俺が決めることではないか。」 渋い顔をして顔でリングマは言う。 「お嬢の意思もあるだろうし、何より俺達の子供を奪っちまうわけではないんだろうから……貸し借りって言い方だとまぁ気分は良くないだろうが、お嬢を貸すくらいなら俺の主人も了承してくれるかも知れねぇ。 とりあえず、お嬢を乱暴に扱わないって言うんなら……話し掛けてもかまわないさ。主人の商売を盛り上げたあの子のご利益に預かろうとする奴がよく訪れるもんでね。 とりあえず仲良くなって損は無いだろうからな。そうそう、あの木の葉っぱは4000枚ちょっとだ、無視されたくなかったら数え終わった時を見計らって話しかけてやればいい。 初対面の奴には、興味持てる奴じゃないと話しかけてもなかなか応えてくれないんだ」 「分かりやした……しかし、もう3500まで数えていやすね……速い事……」 「それが神憑きの子の、神憑きたる所以だからな。あの子は、俺達には聞こえないものが聞こえるし、世界の全てが数字に見えるらしい。そんな能力のために、あの子は普通の幸せを失っちまった……」 遠い目をするリングマを見ていると、ユミルには疑問がわき上がる。 「不幸な子なんでやんすか? そうには見えないでやんすがねぇ」 「なんだ、よくわかっているじゃないか。普通の幸せを失ったのならば普通じゃない幸せを与えれば済むことだ。だからあの子が不幸だなんて一度も思った事は、俺には一度も無い……まぁ、親に愛されなかったのは不幸かも知れんがな。奥様が拾ってやったからには……そんな不幸も吹き飛ぶさ」 主人なのか奥様なのか、とりあえずクリスティーナの親と思われる人物を自慢してリングマは笑う。 「なんだ、なら安心でやんす。きちんと幸せな子なんでやんすね」 リングマの感情が非常に心地よくなったので、ユミルは胸の角を気持ちよさそうに撫でる。 「ところで、メタモンのお兄さん。あんた、名前は?」 「ユミルでやんす」 「そうか、俺はウィン。まぁ、お嬢に手荒なまねはしないでくれ」 「心得ているでやんすよ。荷物を扱う時のように丁重にやらせていただきやす」 ウィンへ柔和な笑顔を向けて、ユミルはゆっくりと歩み寄った。3000の後半まで達していたカウントに耳をそばだて、腰をかがめてる。頭の高さを合わせたユミルは、そのまま数え終わるのを今か今かと待ち続けた。 「4289……枚」 どうやら数え終えたそのユンゲラー、クリスティーナはトコトコとリングマの背中に隠れ、様子を伺うようにユミルのほうへ向き直った。 「2897のときと2930のときに話しかけてきた人……こんにちは」 「こんばんは。えっとね……突然ですまないんでやんすが、あんさんのそのアクアマリンに、ちょっとでいいから触れさせてもらえるでやんすか?」 「嫌……」 「う……そうでやんすよね。で、でも盗んだりしないでやんすから……ほら、なんならアッシも、このシトリンを触れさせてあげるでやんすから」 「触れる……その子に?」 クリスティーナはぼぅっとしたうつろな目でシトリンを指さし、『その子』と言う。ナナがフリージンガメンに触れるときと同じような言い方で、それはまるで物言わぬ石に人格が宿っているかのような口ぶり。 普通の子供はそんな事を言わないが、無論のこと先程までの行動を見ただけで普通でないことなど一目瞭然なのだが。 クリスティーナはアクアマリンとシトリンを交互に見つめる。 「アクアマリンが、貴方のことを気にしている……その子も。なぜ?」 「少なからず、アッシがあんさんと同じ世界を見ることが出来るからでやんすよ……でしょう? アクアマリンに宿るマナフィの魂よ……」 クリスティーナがアクアマリンを強く握りしめ、目を見開いた。 「何者……貴方は私と同じなの? 私と違うの? 貴方は何?」 詰め寄り、ユミルの腕を掴んでクリスティーナが尋ねる。ウィンは一瞬クリスティーナを止めようとしたが、クリスティーナを見つめるあまりに真剣なユミルの表情を見て、伸ばした手を下してしまった。 「ずっと寂しかったんでやんすね。同じ世界を見ている人が何処にもいないというのは、即ち感動を共有できないことになるでやんす……流石のアッシも、数字の世界と言うのは見えやせんが、あんさんの持っているその宝石の声を聞く事は出来るでやんすよ。 そう、『君と同じものを見れる人』で、やんすね」 「私と同じ……貴方は、私と……やったー!!」 突然のクリスティーナの豹変ぶりにユミルは肩をすくめた。非常に強い喜びの感情――なのはいいのだが、突然陸に上がったコイキングのように跳ねまわり、腕はエレキッドが電気をためる際にそうするよう振り回す。 思わず助けを求めるユミルの視線に、ウィンは苦笑して止めに入る。 「ほらほら、お嬢。少し落ち着け。お友達が呆れて帰っちゃうぞ」 「うふふふふふ!! そうだねウィン。帰ったら嫌だね、じゃあやめる」 ピタッ 本当に止めた。ユミルはその様子を絶句して眺めていた。 「そう言えばおじさん……この子触ってみたいんでしょ……? 良いけれど、後でおじさんの持っているその子も触らせてもらっていいかな?」 「構わないでやんすよ。ちょっとだけ交換でやんすね」 ユミルはクリスティーナの小さな手をとり、それに重ねるようにして自分の手を重ねる。 「マナフィよ……人の輪を広げ、世界に共生の道しるべをするものよ……アッシに力を貸してくれでやんす……」 ユミルが言うなり、美しい蒼色の光がユミルの手元に灯る。その光が周囲に広がるだけで、周囲の者にはある気持ちがゆっくりだが確実に芽生えてゆく。 それは『他人を理解したい』『隣の物と仲良くしたい』という気持ち。知らず知らずのうちに思考の中に侵入しては、そういった気分にさせるのがマナフィの力だ。使用者であるユミルには効果がないようだが、ウィンやクリスティーナには確実に効果があるようで、すでにしてウィンにはユミルに対する好感が芽生えている。 「うん……マナフィが喜んでいる。今までは私だけにしか話しかけてもらえなかったけれど、ようやく他の誰かにも話しかけられた……って、アクアマリンが言ってる。私もすごく嬉しい……だから、そっちの子にも同じように嬉しくさせてあげたいなぁ……良いでしょ?」 「うん、もちろんでやんすよ。アッシにアクアマリンを触らせてくれたお礼でやんす」 と、ユミルはクリスティーナへアクアマリンを渡す。 「&ruby(君){シトリン};は……知恵を与える者……あらゆるものに生活へ役立つ知恵を。そして、知識をもとに物を作る力を与える者」 クリスティーナはスプーンを持っていない右手でシトリンを鷲掴みにすると数秒押し黙ったと思えば前触れなく囁いた。 (流石でやんすね……早速のユクシーの長無駄話を聞いているでやんすか……) ユミルが感心している最中に、シトリンが燃え上がるようなオーラが放たれる。宝石だけでなく彼女の目も合わせて爛々と輝いき、彼女の髭も尻尾も逆立ち、全体的にはフレアドライブか火炎車でも使っているような光を纏う。蜂蜜色の波紋が彼女の周囲を渦巻いては、周囲は息も止まるような幻想的で荘厳な色合いを呈して美しい。 ……のはいいのだが。 「『二つの角の大きさと、それを挟む一辺の長さが等しいとき、その三角形は合同である』『二辺の長さの二乗の和がもう一つの辺の二乗と等しい時、その三角形は必ず直角である』」 「なっ……」 クリスティーナは突如わけのわからない事を口走り始める。光の波紋に晒された周囲が、微弱な電流を長時間流された時のように骨の髄まで痺れるような熱が伝わり、思わずユミルは跳び退いた。 「『球体の体積は半径の3乗かける3分の4かける円周率であらわされる』『ある数を素数をpとし、その数と互いに素である数をaとした時、aをpのマイナス1乗した……』」 「ユクシー!! 安眠の力を我に授けたまえ!!」 あまりにも怖くなったユミルは、シトリンからユクシーの力を借りて催眠術を発動。無理矢理クリスティーナの視線をこちらに向けさせ、ユミルは怪しく眼光を躍らせる。瞬間、クリスティーナの爛々と輝いていた眼も光が消えて同様にシトリンも輝きを失う。ほっと息をついたユミルは、すぐさまさらなる安眠を与えようと荷物から三日月の羽を取り出してクリスティーナの胸にあてがった。 「……すみません、ちょっと手荒なことしちゃいました」 倒れるクリスティーナを抱きとめ、ユミルは一安心といった表情でウィンの方を見る。 「おい、兄さん……今のはなんだ?」 「ユクシーの力を極限まで引き出した結果みたいでやんす……催眠術で寝かせてなんとか止めやした。もしかしたら止める必要無かったかも知れやせんが、取り合えず続けているとまずそうな気がしやしたので……。と、ともかくすみません……手荒な真似してしまいやした」 ユミルは相性が良すぎる道具と持ち主が一緒になればこうなる事を忘れていた。それを酷く恥じて深く頭を下げる。ナナが&ruby(レプリカグレイプニル){ダークライの髪を編んだ紐};で街の区画を三つ巻き込むほどの広範囲に悪夢を見せ、ロイが三日月の羽のせいで淫夢を見たように。そして、ジャネットが山火事を消そうとして普段浸水しない場所にまで水があふれる大洪水で街を沈めかけたたことも……。 そういう惨事にならずほっとした反面、自分の浅はかな行動は酷く後味が悪かった。あまりにいたたまれないユミルはウィンに対して深く頭を下げるが、静かな寝息をたてて眠るクリスティーナを見てウィンは首を横に振った。 「何だか俺にはよく分かんねーがよ。死んでいるわけでもないみたいだし、とりあえずはこのまま目覚めないってことでもなければ怒らないでおくよ。あぁでも、一応奥様に報告しておくべきだな……兄さんもこのお嬢をどうこうするとか言っていたし、奥様に会っておいた方が良いだろう? ついてこい」 ウィンは面倒くさそうに溜め息をつきながら、サーナイトに変身したままのユミルの手を引く。ユミルは逆らわず、連行されるがままに任せた。 「ん……」 「おや、お嬢がお目ざめのようだ。これでお前を罰する意味も無くなったな」 ゆっくりと目を開けたクリスティーナの顔をのぞき、暖かな笑顔でウィンが言う。 「ま、まだ分からないと思うでやんすがね~……起きたら何か異変がなんてことも……」 空気を読まないユミルの発言に、ウィンはジロリと睨む。その表情に見え隠れする呆れの感情を読み取ってユミルは苦笑した。 「9467億8791万4355……」 「お、大丈夫なようだ」 目を見開いてからそんなことを言うクリスティーナを呆然と見つめるのはユミルで、ウィンは何やら手持ちのショルダーバッグを漁っている。 「大丈夫なんでやんすか……あれ?」 「あぁ、大丈夫だ。今の言葉の意味を訳すとだな……」 言いながらウィンはクリスティーナを地面に下ろし、丸められた髪を開いてみる。 「94が『間が抜けている』67が『大らか』。87が『優しい』。91が『幸せ者』。43が『気さく』55が『器用』……ほとんど奇数のプラス印象だけとは珍しい。お嬢に相当気に入られたようだな」 「もう、わけわかんないでやんすが……」 「奇数桁の数が奇数であればプラスの印象。奇数の桁の数が偶数であればマイナスの印象だ。俺達には到底わけの分からないことだが、お嬢には俺達の顔が数字に見えるらしい。……しかも、その数字は俺達の性格を大まかに見抜いちまう。……ともかく、お嬢によればお前は間が抜けているが、優しくて気さくで幸せ者で大らかで器用。なんというか、損しそうな性格だな」 「そ、損しやすい……言ってくれやすね……確かにそう言う所もあるでやんすが」 褒められて気分が良くなった所で、最後の一言が突き刺ささりユミルは落胆する。 「それにしても、その意訳作るのに苦労したでやんしょ?」 「まぁな……お嬢は、自分が普通ではない事を自覚している。しかし、どうして皆は自分と同じ世界が見えないのかをとても気にしている。少しでも弓寄ろうとした結果がこれさ。だから、これを作ってやれて正直良かったと思っている」 「私も……」 誇らしげにウィンが微笑む。本当の親子ではなくとも、そこらへんの親子よりかはずっとそれらしい雰囲気を感じさせた。 「何度も何度も、奥様と一緒に思考錯誤を重ねた結果の意訳だからな……そこらへんの外国語の辞書よりもよっぽど高い値段をつけたいくらいさ」 「でも、売り出しても需要なさそうでやんすよ」 「違いねぇな……だが、それでもこれ以上の辞書があるなら俺はいくら払ってでも買いたいと思っている。この子を理解してやれるには、まだ足りない、物がたくさんあるからな」 「……47」 ユミル達の話に興味を失ったのか照れたのか、クリスティーナはそっぽを向いて47をカウントする。 「おっと、お嬢は鳥の数を数えていたようだ」 それを数えるクリスティーナに対してはもちろん、すぐに鳥の数だと分かるウィンに対してもユミルは驚く。 「あんな動きまわるものをよくまあ数えられやすね……それに、どうして鳥の数だとわかったでやんすか?」 「長く一緒にいてあげるとね、大分分かるものさ。どうしてあんなものを数えられるのかは知らないよ……クリスお嬢を知らないものは気味悪がるだけだ。けれど、俺の奥様はどうやればお嬢の能力を役立てられるかを知っている……いい人さ」 「その奥さんというのがどんな方なのか知りやせんが……べた褒めでやんすね」 ユミルのひやかしにウィンは照れる。まぁな、と目を逸らしたウィンを見ていると実は夫婦なんじゃないかと思えてくる。 「つ、つまんねぇ冷やかしはよせ。俺は……」 「……つまんない。何処へ向かっているの?」 会話の流れを読まずにクリスティーナが口を挟む。 「そういえば話していなかったな……今からこのメタモンのお兄さん……まぁ、今の見た目はサーナイトのお兄さんのようだが、こいつを奥様の所へ連れて行くんだ。そうだな、お前と同じ世界が見えるお兄さんを俺が独占しちまったのは悪かった」 気にしてないよ、とクリスティーナは言って、ユミルを見上げる。 「お兄さんは、世界が数字に見えないの?」 突拍子もないクリスティーナの発言にユミルは苦笑する。 「そうでやんすね……者の声は聞こえるんでやんすが。さっきやって見せたようにね」 言いながらユミルは手に持ったシトリンを見せる。 「その子、面白かった……頂戴」 無邪気なクリスの頼みを聞いてユミルは苦笑する。 「そ、それはちょっと……さっきみたいなことにならないというのなら貸してあげてもいいでやんすが……」 「さっき……?」 抑揚の無い声でクリスティーナが首をかしげる。 「そうでやんすね。シトリンを受け取ってもさっきみたいに強い光を放ってしまわない程度に……」 「分かった……さっきみたいに、あの短い時間で36の数学の証明を覚えちゃいけないわけね……?」 「さ、さんじゅうろく……多いね。その1000分の1くらいのスピードでお願いできるかな……」 すさまじい数を『覚えた』ものだとユミルは驚愕する。ウィンにとっても想像する術の無い事であるのは変わりないが、『相変わらずだ』と笑っていた。 「わかった……貸して」 ちょいちょいとユミルの真っ白な腕を引っ張って、クリスティーナが頼む。 「そんな堅い事を言わずに一緒にやるでやんすよ」 ユミルはシトリンを自分の手に握ったまま、クリスをお姫様抱っこにする。続いて、驚いて見上げるクリスティーナの手を軽くサイコキネシスで誘導して、シトリンを握る手の上にクリスの手を置くように促した。 自分の手に包むことで少しでも自分が力の制御の主導権を握られるようにと考えての行動だ。 ユミルが意識を集中して力をシトリンへ送り込めば、じんわりとした温かい力が手の平から伝わってくる。先程のような骨の髄まで沸騰させられるような熱は感じない。 『さぁ、まずは三角関数から。三角関数とは、かくCをちょっかくとするちょっかくさんんかっけいABCにおいて、かくAいこーるしーたをあたえれば』 ゆっくりとユクシーの言葉が流れ込んでくる。そして、その声を聞きとれる二人は一緒に復唱していた。復唱下はいいものの、ユミルが何を言っているのか全く分かっていないのは言うまでも無い。反面、何の事だかとてもよくわかっているクリスティーナはとても楽しそうな顔をしている。ユミルの胸の角もその楽しい感情をきちんとキャッチしているため、とても心地がよい。 (いつも役に立つ情報が与えられるとは限らない……というか役に立ったためしがないし、特にこのシトリンに宿るユクシーは数学好きなので日常生活においては何の役にも立たない長無駄話ばっかり。けれど、本当に限られた場面では役に立つでやんすねぇ。 こんなに楽しそうな、嬉しそうな感情を出せる子もいるんでやんすね……初めて知ったでやんす) 変な満足感を感じつつ、ユミルは音の羅列でしかない三角関数の概要をひたすら復唱する。傍から見れば変な二人。道行く人々は冷ややかな視線を向けて、何があったのかと口を開けてみるばかりである。そんな中、ウィンだけは心底うれしそうな顔で暖かい視線を送っていた。 「こいつはすげぇ……本当にお嬢と同じものが見えていやがる」 そんな褒め言葉はいいから、内心早くこの音の羅列か念仏でしかない三角関数とやらの概要の復唱から解放して欲しいと思っていた。 ◇ 一方その頃、ローラは怪しげな力を使うポケモンがいるという情報を元にミリュー湖の北東湖岸に位置する港町、クルヴェーグにたどり着いていた。なんでも、情報によれば表向きではパン屋をやっているとのことで、たまに来る客にはテオナナカトルがそうしているように薬を渡したり、公には出来ない仕事を受けているらしい。 黒白神教の流れを汲んでいる者が近くにいる事を風の噂で知っていたナナではあるが、干渉し合うのは初めての試みだと言う事。神龍信仰を見ればわかるように、同じ神を信仰していても対立することはよくあることだ。干渉しあって、それがマイナスにならないとも限らず、特にサイリル司教が生きている間は無用なトラブルも避けるべきだと踏んだために今までは何もしなかった。 今でも、干渉し合うことで生じるトラブルについての恐れは消えていなかったが、そうやって恐れ合うのも潮時だろう。何十年も行われていない祭りを復活するためにも、信仰心を何十年も人知れず守り抜いてきた者同士、手を取り合うべきだ。 ……と、いうのがナナの弁。その言葉に対しては即座に『祭りを復活させようとしているのはテオナナカトルだけであって、そっちのパン屋とやらのシャーマンは現在無関係なのでは? 今から関係を持とうとしているだけであって……』と、ローラの鋭い突っ込みが入ってしまった。 『ま、まぁいいじゃない』と悪びれずにナナが言うので、ローラは少々呆れながらも確かにそのとおりだと納得し、今ここに居る。 目的のパン屋は、レシラムベーカリーという美しき龍の意匠を施した看板を掲げている。大小さまざまなパンが売られるだけで、バリエーションはサイズを除けば5種類ほど。見た目はいたって普通のパン屋である。生地が焼ける匂いや、パン生地が発酵する匂いはイェンガルドで見かけるパン屋のそれよりは香ばしく数段は上等なのだという。 あいにく、朝食に間に合わせるための焼きたてのパンはすでに店内にはないようで、今は昼食用の生地を熟成させているところであろうか。生地が発するほのかに甘い匂いが鼻に心地よい。 さまざまな香料となるハーブが使われているのだろう、洒落た香りは食欲をそそられる。ゆったりと歩みながら店内に入ると、何倍にも強くなった香りの中で思わずローラは深呼吸をした。焼きたての濃厚な香りとは行かないが、室内で濃縮されたそのパンの香りはイェンガルド行きつけのパン屋とは一味違う。 「いい香りね」 思わず笑顔になってつぶやくと店の奥からの視線が強くなった気がした。 (熱い視線を送るのは……全身ブルー、水かきのある四肢、額の赤い珠……ゴルダックか) よく鍛えられているのか結構な筋肉質で、喧嘩にでも明け暮れていたのか体には結構な数の傷が刻まれている。しかして爽やかな笑顔はなかなか格好いいと、乙女心がくすぐられる容姿である。 ゴルダックがローラへ熱烈な視線を送るのは下心か、それとも赤い珠に親近感でも覚えたのか、はたまた見かけない客に興味を持ったのか。 (もしくは……彼も私に何か異様なものを感じている?) ローラは眼を閉じ、周囲の空気を感じた。すると、そのゴルダックは間違いなく異様な雰囲気を持って居る。天候の影響を全く受けないノー天気の特性によるものなのかもしれないが、それとは違うもっと異質なものだ。 (氷……?) ローラがかすかに感じられたのはそこまでであった。氷の力を持った何か。そこまでだ。 「ヒードラン、何か感じる?」 違和感を確信に変えるため、ローラはゴルダックの死角でナナから譲り受けた自分専用の神器である火山の置石に語りかける。汎用性の高い三日月の羽以外のものを与えられるのは初心者卒業の証と言うことで、これを受け取っている以上いまやローラのシャーマンとしての力はそれなりのレベルに達しているという証拠でもある。 もちろん、まだ一人前とはいえないが、この近くに火山はないから暴走させてもそう問題はないだろうと。 『レジアイス……』 消え入りそうな小声でピアスに宿るヒードランの声が聞こえた。 (レジアイス……氷のゴーレムか。あのゴルダックが持っている水晶の首飾りはもしかして水晶じゃなくって氷の塊……? よし、ほぼ間違いなくあいつもシャーマンだ。きっとあのゴルダックも私に何かを感じて私を見ているんだ) 確信したローラは、パンを念力で手繰り寄せトレーへと置き、それを会計らしいゴルダックへと持ち寄る。 「お兄さん、このパンください」 「はいよ、毎度あり」 ゴルダックはローラが差し出した小銭を受け取って、パンを油紙へと包む。 「ところでゴルダックのお兄さん」 「はい、なんでしょう?」 ゴルダックはローラへ営業スマイルを向ける。 「レジアイスってポケモン知っていますか?」 数秒間、ゴルダックの男性は営業スマイルのまま言葉を捜していた。 「参ったなぁ……どう答えればいいのか。今までの女性客の中でも最も難関だよ。君もそういう子なんだね……」 「はい、貴方の噂を聞いて尋ねさせてもらいました」 ローラは笑って頷いた。 「まぁいいさ、こっちから俺の家にいける。秘密のお話をしたいなら、すまないが居間で待っていてくれないかな? しばらくしたらおふくろと店番変わってもらうからさ」 自身の背後を指差してゴルダックは笑う。 「レジアイスが好きか否かという……質問の答えにはなっていませんが、質問の意図は理解はしていただけたようで感謝します。話をしたいと言うことまでも汲み取ってもらいまして……ところで、私の名前はローラ=ロースティアリと申します。貴方のお名前は?」 「ワンダ。ワンダ=ラーベンソンって言うんだ。ローラちゃんだな、宜しく」 そう言った彼の笑顔は、『今までの女性客』という言葉から察せられる彼の女性事情の理由がわかるような柔和で端正な表情であった。 ◇ ウィンに連れられて高級感漂う館に連れてこられたはいいものの、いい加減クリスを支える腕が疲れてきた上に、少ない腕力を補助するためのサイコキネシスも長時間続け過ぎてこめかみの奥で鈍痛がする。その上、ずっとクリスティーナにしか理解できなそうな理論や関数、定理などを暗唱させらるのだからユミルはたまったものではない。 それでさえ重労働だというのに、クリスティーナから髪を引っ張られたり胸の角をごしごしされたりと色々ちょっかいを出されて、さらに言うなら今は真夏だからとても暑い。汗がぽたぽたと流れ落ちてはクリスティーナの肌を濡らしている始末だ。 疲労を感じる要素のコンボ攻撃をまともに受けたユミルは、まだ昼前だというのに今日は宿に帰って休みたい気分になっていた。 (でも……このまま帰るわけにもいかないでやんすしねぇ……) 館の入り口の美しい庭園も、有名布商の底力を見せつけるような美しい色彩の絨毯も見れず仕舞いだ。『これ、全部お嬢が描いた絵なんだぜ』とウィンが得意げに話すが、よそ見する気力もない。上手い絵だというのに、それを楽しむ余裕がないとあれば気が滅入る。 「ここが奥様の部屋だ。くつろげとは言わないが、まぁ気負う事は無い。そんだけお嬢に懐かれているんだからな。さぁお嬢、ユミルお兄さんはお疲れのようだ。降りてやれ」 その疲れをようやく理解したのか、もしくは知ってて気が付かないふりをしていたのかウィンがそう言えば、クリスティーナはぴょんと跳び下りてユミルへ微笑む。その時のユミルの安堵と言ったら今までになかった。クリスティーナの微笑みのあまりの純粋無垢さに心癒されはしたものの、疲れまではどうしようもなく、ユミルは変身を解いて元のメタモンに戻る。 「奥様、入ってよろしいでしょうか?」 ウィンがノックしてお伺いを立てると中から女性の声がする。歌姫ほどではないが、ドア越しでさえ美しい声だと感じさせる、水晶のように透き通った声だ。 「どうぞ、今日は早くに戻ってきたけれど何かあった?」 「客人ですよ」 ウィンは柔和な笑顔で言ってユミルを手招きする。 「あら、そのお客さんはいったい……」 声とはだいぶイメージの違う姿をしたその女性は、群青と紫と黒と、夜を連想させるカラーリングの三つ首竜サザンドラであった。三つ首のそれぞれが厳つい顔をしているのが普通だが、平穏な日々と社交場に必要な笑顔の鍛錬がそうさせたのか、三つ全ての首が浮かべる柔らかな笑顔は警戒心を根こそぎ取り去る力があった。 「この方は、お嬢と同じく宝石の声が聞こえるそうなのです……で、見ての通り打ち解けあっているんです。で、まぁ……この方はお嬢を借りて何か行いたいらしく、そのお話をした方がいいと思いまして……。この方は、お嬢の生まれた意味を教えてくれるような気がして……ね」 「え、そ……ちょっと、なんか大ごとになっていないでやんすか? アッシ、そんなつもりで来たわけでは……」 戸惑いながら否定するユミルを見てウィンはドシンと大きな音を立ててユミルの背中のような部分を叩く。 「謙遜するな。俺達がこの子に与えられた役割なんてソロバンの代わりにしかならねぇんだ……でも、あんたはこの子にそれ以上の役割を与えてくれるんだろう?」 港町特有の大声をこんな静かな室内でやられて、ユミルは背中の痛みと相まって顔をしかめた。 「ま、まぁ……そうでやんすが」 「話が見えないのだけれど……どういうことだか説明してもらえるかしら、ウィン?」 「……いや、アッシが説明しやす。まずは……クリスティーナさん。アッシにそのアクアマリンを貸してくれでやんす」 何も数える者が無くて暇だったのか、壁に向かって軽く頭を打ち付けているクリスがユミルに向き直る。 「うん……」 言われるがままにクリスティーナがアクアマリンを手渡すのを見て、奥様と呼ばれたサザンドラは感嘆の声を上げた。 「マナフィよ……人の輪を広げ、世界に共生の道しるべをするものよ……アッシに力を貸してくれでやんす……って言いたいところだけれどいったい何に使えばいいんでやんすかね……」 ユミルは淡い光りながらも蒼く光るアクアマリンを握ったまま立ちつくす。 (アッシどうすればいいんだろう……? マナフィの使い勝手が分からんでやんすし……さっきみたいに適当に力を垂れ流していればいいでやんすかね?) と、ユミルは困惑しながらそれを使用していたのだが。 「すごいじゃない……」 「でしょう、奥様?」 ただ、特に何か効果が出ているふうでもないというのに、二人は絶賛してくれた。 「う~ん……これでいいのでやんすかね?」 首をかしげるユミルとは逆に、奥様と呼ばれたサザンドラは三つの首全てで頷いて見せる。 「あの子がアクアマリンの力を引きだした時と同じ感覚だわ……他人の気持ちが少しずつ伝わってきて……他人の事を理解したい気持ちになる。お陰で貴方の事、ちょっと気に入ってしまったわ。メタモンのお兄さん……でいいのかしら? 私はダービーっていうの。貴方の名前はなんて言うの?」 「アッシでやんすか……アッシの名前はユミル……でやんす」 「そうですか」 ダービーが目を閉じて澄まし顔をする。 「では、ユミルさん。そのマナフィの加護がこもる宝石には、人間関係を円滑にする力があります。ですから、貴方とクリスもすぐに仲良くなったようですし……ね。いつもクリスが葉っぱの数を数えているあの広場も、クリスが来てから争い事が少なくなったのですよ。 今では縁結びの広場と呼ばれるくらいですよ……そして貴方も、その能力を使えるのね。なるほど、クリスと同じように物の声が聞こえるというのはそう言う事……初対面だというのに、そんな気がしないこの気持ちはマナフィの力なしにはあり得ないわ」 「は、はぁ……マナフィの能力は知っていやしたが、実際に使ってみると効果が以外と高いでやんすねぇ……」 なんだかマインドコントロール気味の行為を働いてしまった事が無性に申し訳ない気分のユミルは控えめに言う。 「それで、貴方はクリスをどうにかしたいそうだけれど、具体的にどうしたいのかしら?」 ダービーが身を乗り出して、興味しんしんと行った様子で尋ねる。 「お祭りに参加させるでやんす。その祭りっていうのは……」 そうして、ユミルはテオナナカトルの本来の目的である祭りについてを話せるだけ話した。ゼクロムかレシラムのどちらかを呼びよせて行う黒白神喧嘩祭りの内容について。その祭りが異国で始まった魔女狩りの余波を受け、活動を自重せざるを得なかったこと。その祭りを復活させるにはシャーマンや神子を集める必要があり、その役としてクリスティーナは最高の逸材であること。 具体的には祭りの時にその舞台であるヴィオシーズ盆地に連れて行きたいという所までユミルが話し終えて、ダービーは言った。 「そうね、クリスが行ってもいいというなら構わないわ。それに……クリスはそう言うの好きだもんね?」 クリスティーナは控えめに頷く。 「うん、伝説のポケモンさんは数字以外の物でも見えるから好き……そういうポケモンさんに会えるなら……わたし、行きたい」 無邪気で無防備な笑顔でクリスティーナが笑う。年不相応のこういった笑顔はこの子の大きな魅力かもしれない。 「しかし不思議でやんすね。アッシらは数字に見えちゃうけれど、伝説のポケモンは見えない……って、今なんて言ったでやんすか!? 伝説のポケモンに何回も会ったことがあるような言いぐさでやんしたが……」 あらあら、とダービーは笑う。 「海のお祭りに毎年行っているのですよ……海のど真ん中で歌を歌ってその歌声を競い合うのです。昔は私も行っていたのですが……今は心臓が弱っているので……ウィンとクリスの二人に行かせているのです。 アクアマリンもその時に、優秀な成績をおさめられたので入手したものなのですよ……マナフィはクリスティーナよりも先に育てた子供でして……海のお祭りに招待してもらったのも、当時は本当に特別扱いだったのです」 「なんとまぁ……アッシらもそのお祭りの事は知っていやしたが……あの祭りは水タイプ以外は禁制だと思ってやした……アッシらにも参加出来るんでやんすね」 ユミルの言葉にダービーは微笑んだ。 「私達のおかげ……というべきかは分かりませんがね。最近はどんなポケモンに対しても門が開かれております。興味があるのでしたら、ラプラスの案内人を紹介ますので行ってみてはどうでしょう? 貴方が行おうとしている喧嘩祭りとは違って……穏やかな歌謡祭ではありますが……・神と呼ばれるポケモンに触れる経験は良いものですよ」 「あぁ……そうでやんすか。でも、良いでやんすか? アッシらのわけのわからないお祭りの計画に……そんなに簡単に賛同しても。クリスティーナさんは大切な娘さんなんじゃ……?」 えぇ、とダービーは頷いた。 「9467億8791万4355の貴方なら、信用に値しますので。だからこそ、大切な娘を預けられるんです。ね、ウィン? 貴方も私も、とてもいい数字だったものね?」 「は、はい奥様」 クリスティーナの見える世界には相応の定評があるのか、ダービーはユミルにはいまいち実感の湧かない理由を提示した。唐突に話を振られたウィンは慌てて肯定する。 (ウィンが照れている表情に見えるのはやはり……恋仲なんでやんすかねぇ?) 無粋なことを考え口元が緩みそうになるのをユミルはこらえた。 「分かりやした……では、こっちの方で喧嘩祭りの準備が完了したら、アッシら再びこの街に迎えにきやすので……そういうことでよろしいでやんすか?」 「えぇ、祭りの準備が出来たという良い知らせをお待ちしております」 「あぁ、それはどうもでやんす……」 ユミルはそう言って床面にのっぺりと広がった。頭を下げて礼を言っているつもりなのだが、やる気がなくダレているのと大した相違がみられない動作でもある。 「ところで、海の歌謡祭の件はどういたします? 今年も九月中旬……満月の日に行われる予定なのですが……」 「招待してくれるのならせっかくでやんすし、行ってみるのもいいかな……って思っているところでやんす。知り合いに一人歌の上手いポケモンがいるでやんすから、その子と一緒に行ってみようかと……もしかしたら海にもシャーマンの一人や二人もいるかもしれないでやんすし」 「かしこまりました……。では、話しも終わったことですし、今日はゆっくりして行ってください。それとクリスティーナとも仲良くしてあげてくださいね……クリスティーナはきっと、貴方のような人を待っていたと思うので。 ……この子を幸せに出来る力があるのなら、是非お願いします」 ダービーは三つの首を全て笑顔にして首を下げる。なんとなく誇らしげな気分になる反面、ユミルは嫌な予感に溜め息をつきたくなった。 (何だか本当に大ごとになってきたような……アッシ、妻も子もいるんでやんすがねぇ) ◇ 一方、その頃のローラはと言うと…… シャーマンの正体を明かしあった二人は、お互いの身の上を話しあう。互いに仲間内にしか話せない事柄を、仲間以外に話しあう事は面白く新鮮な気分のようで、話はとても弾んでいた。 特に、仲間の多いローラと違って、二人で黒白神教の活動をしているワンダは色々と話したくてしょうがない事がたくさんあったのだろう、気が付けば身の上話のほとんどはワンダがしているという始末。師匠のキングラーと二人きりだという身の上を考えればある程度は当然のことなのかもしれない。 「へぇ、ワンダさんは人知れず正義のヒーローをやっているんですか? なんというかまぁ、報われない仕事をしますね……」 「まぁね。夜の見回りをやっては。銅貨一枚と引き換えに悪人をつかまえているもんでね……いつの間にか有名人さ。でも、俺が正義のヒーローの正体だってのには誰も気が付かない。この街はゴルダックだけで200人以上いるからね」 「確かに、シャーマンは誰にも正体を知られてはいけないって言う決まりはありますけれど……それを堅実に守りつつも街の平和を守る、ですか。何だか格好良いですね」 ローラがワンダに微笑みかける。ワンダは照れたように頭を掻いて笑う目を逸らす。 「ローラさんって笑顔……素敵ですね」 「あらやだ、ナンパですか?」 ローラは流し眼でワンダを見ながら、意味ありげに尻尾を振る。 「まぁ、そんな所……」 ワンダは肩をすくめて苦笑する。 「ねぇ、今日の夜一緒に行ってみない? 俺は正義の味方だから一緒に居ても安全だよ」 「襲ってきたら半殺しじゃ済まないかもしれませんよ?」 「何言ってんだ、正義の味方だから襲わないんじゃないか」 「ふふ、何言っているのですか。いいですよ、信用して付き合うことにいたします。互いのシャーマン集団の腕前を見せあいとしゃれこみましょうか」 「ありがとう……けれど、その……俺から誘っておいてなんだけれど。やっぱり一応師匠に確認をとっておかなきゃいけないと思うんだ。色々話しちゃったけれど、他の組織のシャーマンと勝手に行動を共にするのは流石にまずいだろうしさ。あんたが信用におけるかどうかは置いておくとしても……勝手なことしてしまったのを謝罪しないと」 「なるほど。確かに、勝手にいろんなこと話したらまずいですよね……すみません、無神経で」 ローラは謝罪の意を込めて頭を下げる。 「いやいや、気にしないで。俺の方も色々話せて楽しかったし……それに、その……こっちも君たちテオナナカトルの情報は風の噂で聞いていたからさ。興味があったのは事実だし。例え怒られたとしても価値がある一日だったよ、ありがとう」 「あらら……大変そうですね」 ローラは苦笑して見せる。 「ところで、そのお師匠さんとやらはどんな方なのですか?」 「パンの香りづけに使う果実とかを育てながら悠々自適に暮らしている人なんです。キングラーなので、色んな作業が大変そうなんですが……でも、シャーマンとしての腕前は俺よりは確実に上なんですよ。だから、頭があがんなくって……身の回りの世話をよく頼まれちゃうんです。 掃除とか、料理とか……俺、毎日パン届けに行っているんですよ。今日もまだ果樹園に居ると思うので、行ってきます……ローラさんはここで待っていてくださいね」 「分かったわ。怒られてもしょげないでね」 「ありがとう」 去っていくワンダに、ローラは尻尾を振って見送った。 ◇ その日、ユミルは食事に誘われ豪華な食事をふるまわれる。そう言った席でのマナーもまともに知らないユミルは見よう見まねでの食器の扱いに苦労したがなんとかそれを終えた。すでに予約を取っていた宿もキャンセルし、強引にクリスティーナと一緒の寝室へと付き合わされる。 やはりというべきか、シャーマンとしての才能がユミルの遥か高みをいっているクリスティーナはユミル以上に宝石の声が聞こえる。ユミルにとっては力なんて何もこもっていないように見えるただのクズのような宝石でさえも、敏感に力を見つけては引き出してゆく。 ユミルには微かにしか聞こえない宝石の声を聞きとってはそれを耳打ちするクリスティーナ。クリスティーナは、違う世界を見られる仲間が出来て非常に嬉しいようで、ウィンが驚くほど遅くまで起きて二人は語り合った。 「久しぶりだなぁ……お嬢があんなに楽しそうにしているの、マナフィとルギアを初めて見た時以来だ」 「寝顔も可愛いでやんすね……幸せそう」 「あぁ、幸せの形は違っても、喜んだ時、幸せな時の表情は同じなんだ……たまに、お嬢は狂っているから人並みの生活なんて与える必要は無いっていう奴がいるが、俺はそうは思わねぇ。だからこそお前……お前が今日来てくれてよかったと思う」 「それは、どういたしまして……」 「明日にゃ帰るんだろ?」 「えぇ、そうでやんす……。まあ、後2~3日はいられないこともないでやんすが」 「お嬢が寂しがるかもな……」 「そんなこと言われてもアッシにはどうにも……」 「分かってる。お祭りとやら、早い所出来るように祈っているよ」 「えぇ、ありがとうございやす」 ユミルが笑顔でお礼を言った所で、ウィンは異常なまでに甘い匂いのするつぼを取り出す。 「じゃ、景気付けに蜂蜜酒を一杯付き合え」 「うわぁ……」 その蜂蜜のあまりに濃厚な香りにユミルは圧倒される。唯一の救いは杯が小さいことだが、それでも甘ったるくて嫌になりそうな香りであった。 「ユミル。お前に『幸運を呼ぶ者、神憑きの子』の幸運があらんことを」 「あ、はい。ありがとうでやんす。アッシに神憑きの子の幸運があらんことを」 ワイングラスたった一杯の酒だが、それに気分をよくしたウィンはお嬢と初めて出会った時の話を始める。 なんてことはない。当時、賭場の用心棒をやっていたウィンが、5歳のクリスティーナと出会い、そして奥様ことサザンドラのダービーに出会うまでのお話だ。親に捨てられたクリスティーナが、物乞いの最中に気味悪がられて石を投げられていた所、ウィンが岩をブン投げて粛清した。 僅かばかりの食料を恵んで、あとはサヨナラしようとしたウィンを追って、クリスティーナは何処までもついてきた。結局仕事場にまでついてきたクリスティーナが仕事中にもついて回ってきて、あまりにうざったくなったウィンは少しばかりの小遣いを渡して、とっとと出てけとまくし立てた。 そんなあどけない子供をカモにしようとする連中もいたのだが、クリスティーナは逆に全てを返り討ちにしてしまったのだという。結局、激昂してクリスティーナに刃物をつき付けたカモの一人をウィンが叩きのめしてしまい、さらに懐かれることとなってしまったのだが。 そんな事を話しているウィンはとても幸せそうだったし、サーナイトの姿になってみればあからさまに幸福な気分が感じられた。 尽きない話題を肴にしたその晩酌は中々終わることなく、予想外に永い時間の夜を過ごすことになった。 ◇ どうにも、師匠のクラヴィスと言う名のキングラーやらもローラのことは歓迎してくれるらしく、とんとん拍子でローラの同行は許可された。ワンダ達が属する組織の名前である『シード』も、テオナナカトルとの交流をいつかしたいとは考えていたらしい。 『もはや信仰する者の少ない宗教を信仰する同士、手を取り合っていければ』なんて、ナナと同じ考えで。 そうして動向を許可された二人は、変装というか、顔を隠す準備に勤しんでいた。ローラはナナからもらった専用の黒装束があるが、流石に今は持っておらず、布切れを捲いて代用することにした。 「でも、悪人なんてそうそう見つかるものでもないでしょう?」 テキパキと布切れを播きながら、ローラは尋ねる。ワンダもまた、純白の服をいそいそと着込んでいる。 「うん、だからこそやりがいがあるんじゃないか……100と99の間にはあまり差は無いけれど1と0の間にある差は相当大きいものだからね……この街から悪人をゼロにしたいって、そう思うんだ。 俺はさ、子供の時から童話に出てくる魔法使いに憧れてさ……悪い魔法使いばっかりだったけれど、俺は魔法使いになったら絶対に良い魔法使いになって見せるって親に言い続けていたっけ。 魔法使いになるのが叶った時、俺はこんな風に正義の味方をやっている……夢に見たほど希望の持てる仕事じゃないんだけれど、今は夢がかなって嬉しい気分だよ」 「そうですか……それはいいのですが、そろそろ突っ込むべきなんでしょうかね?」 「な、何が?」 首をかしげるワンダに、ローラは戸惑い気味に尋ねる。 「いえ、&ruby(なにゆえ){何故};に夜だというのに真っ白な服を着るのかなぁ……と。目立つし、敵は間合いを掴みやすいですし、そもそもデザインがダサイと言うか……簡単に言うと、その服を着る意味が分からないです」 竹を割ったようにきっぱりとローラは言い切り、爪先から頭、尻尾に至るまで制止してワンダに目を合わせる。 「なに、気にする事はありません。ダサいという印象が強ければ強いほど……こう言っては何ですが、俺の格好良くてモテるイメージから外れていきますし……それに」 と、覆面や手袋などのパーツを全て着込み終えたワンダが言う。 「地味で目立たず、常に有利な条件で戦おうというヘタレ根性ではヒーローに相応しくない!! ワンダー仮面は派手に行く!!」 「……誰?」 普段の物腰柔らかな、初夏の木漏れ日のように優しい笑顔はどこへ行ったのか。 「この姿の時はワンダー仮面と呼べ」 「いや、ワンダー仮面って殆ど本名ですし、その呼び方すると正体ばれません?」 「世間では顔は良いけれどヘタレで通っているからな!! ワンダー仮面のイメージとは似ても似つかないのさ!!」 ググッと拳を握り、ワンダはアピールする。 「あぁ、そうなんですか……はい」 「さぁいくぞ!! ローラ!!」 「貴方のこと……見直そうかな」 (悪い意味で……) 揺れ動く心を胸に秘めて、ローラは呆れていた。 「港町とは言っても……淡水の湖ですから潮風のような独特の匂いがなくって心地いい街ですよね」 ローラはクンクンと鼻を動かしてみるが、水と草と木の匂いがするばかりで鼻に心地よい街だ。夜の街を二人並んで歩く、デートのような様相になると、このなんとなしな雰囲気が楽しめてしまい匂いでさえも話題に出来る。 「あぁ、家も劣化しにくいから木造で作りやすい。おまけに泳げるってことで、水タイプの俺にはありがたいね」 「水タイプっていうのはやっぱり泳ぐの好きなんですね……」 「暇な日……ってのは年中無休のパン屋なだけに無いんだけれどさ、ちょっと暇が出来るとふらりと泳ぎたくなるね。やっぱりさ……陸で暮らす事が出来ても、何処かで体が水を求めちゃうんだよなぁ。 今は夏だし、結構泳ぎやすい季節でしょ? 明日一緒に泳いで見ない?」 「ふふ、どうしましょうかね」 と、二人で並んで歩いている時だというのに前方から人が通り過ぎる。 「あ、あれワンダー仮面だ」 「噂には聞いてたけれどダサいわね……あの黒いの着ているやつは仲間かしら?」 フローゼルとビーダルのカップルもしくは夫婦と言ったところだろうか、男女二人組だ。 (『あれ』扱い……) 全身の体毛が敏感な上に耳も大きなローラにとってはこそこそした話ももう少し厳重でなければ意味を為さない。 「やだ。また都市伝説が増えるのかしら?」 「だとしたら俺達がその第一発見者だな……」 (私……都市伝説扱い……) やがて後ろに消えていった二人の発言にショックを受けながらローラは落胆する。尻尾も耳も首も垂れ下がって大きくため息をつく様子を、『落胆』以外に形容する言葉は無い。 「あの、やっぱり白い姿は目立ちます。それにダサいです」 「目立つからこそ、って言うのもあるんだぜ」 ワンダは得意げにローラを諭す。 「今では、やましい事がある奴はこの姿を見ただけで目を逸らすんだ。それに、黒でも目を逸らす事は結局同じじゃないのかい?」 「確かに黒でも結局は同じことだと思いますがね……黒でも結局ワンダー仮面認定は変わらないけれど、どちらにせよ黒の方が闇夜での活動には良いですよぉ。ってか、今更ですけれど一度も尾行されないんですか?」 「いつも尾行には気を配っている。それに……この布はスキーズブラズニルと言ってだな。こだわりスカ……」 「こだわりスカーフの上位交換バージョン、でしょう? 神々を乗せて天を行く船の帆に使われていた布……心得のない者に装備させてもただのこだわりスカーフですけれど、シャーマンが装備すれば……」 「……俺のような者が使えば脚の速さは文字通り2倍はいける。ってなんだ、良く知っているじゃないか」 「私の上司がたまに使っていますので……それで尾行を撒くわけですか」 「あぁ。君が巻いているその黒い布もスキーズブラズニルだ。あんたなら使いこなせるはずだ」 ワンダは笑いかけるが、ローラは逆に不安そうな顔をする。 「あの……こだわりスカーフってのはその……内なる波導の力を制限することで身体能力に変換するアイテムですよね? 私、悪タイプに出会ったら私どうすれば……補助技無しで勝てっていうんですか?」 「俺に任せろ!! ワンダー仮面は決して敵から逃げない!!」 「やっぱり見直そう……」 (悪い方向に……) ワンダー仮面に豹変したワンダの点所について行けず、図らずもローラは溜め息を漏らした。 しばらく歩いていると、種族柄で親譲りな敏感さを持ったローラが街の路地裏に耳を傾ける。 「あっちに恐喝か強姦か何かの現行犯が……強烈な空気の乱れ……恐らくは脅されて戸惑う様子が……」 ローラは感じた方向に向かって前脚を伸ばす。 「感覚、鋭いね……」 ワンダが感心して目を丸くする。 「まぁ、種族柄……」 種族柄にしてもローラは鋭い。数々の戦場で武功を上げた親譲りの勘の良さである。 「とにかく、行ってみましょう。屋根を超えてショートカットしますよ」 「OK、ワンダー仮面出動だ!!」 ワンダはそう言って屋根に飛び乗る。ローラは屋根に飛び乗るというよりは、壁を這うようにして歩き、屋根の返しも何ら危なげなくスタスタと歩む。あまり騒音を立てる大ジャンプを良しとしないのは良いことなのだが、まるで虫のようですらある。 「さ、行きましょうか」 と、ワンダに微笑んだ後は、音をほとんど出さない滑るような足取りでローラは進む。ワンダはガタガタと家に住む者に対して明らかに騒音となる音を立てながらの足取りだというのにローラに追いつけない。身につけているスキーズブラズニルは、使用すれば更に騒音を出してしまうため、今は使えない。 「おっとと……何やってんのーあんた達?」 「わ、ワンダー仮面!? ではないな……誰だお前」 エモンガを足蹴にしているエビワラーが屋根の上を見上げて驚く。 (どんだけ噂になってんのよ……ワンダは) 「ちがうわよ。私はワンダー仮面じゃなくって……」 (本名を名乗るわけにもいかないし……なんて名乗ろうかしら?) 「『神速の陽光』よ!!」 (って、これ父さんの通り名((ロイとローラの父親はエーフィである))じゃないのよ。私何言っているの?) 「ただいま名前売り出し中の私に見つかるとは……これこそ因果応報と言うものね」 ローラは路地の壁をまるで床であるかののようにスタスタと歩き。敵を驚嘆させる。 「うわ、歩き方が気持ち悪っ!!」 「気持ち悪い言うな!! ヒードランのように神々しいと言え!! サイコキネシスで壁に足をくっ付けているのよ!! 訓練すれば誰でも出来るわ!!」 (まぁ、父さんでもここまで上手くはなかったけれど……この程度ならば神器の賜物ではなく才能で片付けてもいいわよね? ナナさん……) ヒードランの神器を持つローラ((何故ヒードランなのかは『パルキアはレシラムになる』参照))は、発言通りサイコキネシスによって壁に足をつけたまま移動する能力を得意とする事が出来た。本当はこのまま地上とほぼ変わらない速度で走る事も、電光石火の如きスピードで飛び出すこともできるのだが、流石にそれは緊急時以外に使う気はしない。 「と、ともかく……」 「ワンダー仮面参上!! 正義の名の元に成敗する!!」 「後ろから五月蠅い!! ワンダー仮面!!」 夫婦漫才のようなやり取りだが、観客はどちらも笑っていない。 「ひえぇ……ブルブル」 「ワンダー仮面だ……助けに来てくれたんだ」 まるでオオスバメに睨まれたケムッソのようにエビワラーは体を震わせる。エモンガは天の助けのような気分でワンダー仮面を羨望の眼差しで見る。 「神速の陽光はエモンガを安全な所へ連れて行ってくれ。俺はあいつをやる」 「いえ、相性的に私の方が良いですし……」 ローラは二股の尻尾を揺らしながら、藍色の瞳を左から右へと動かす。腰が抜けているエビワラーにサイコキネシス発動して、そのまま壁に落ちるようにしてエビワラーは叩きつけられた。 汚い叫び声が上がり、その後は力ないうめき声が漏れる。 「うぐぅっ……」 オーバーキルにならない程度に力を加減したつもりで、そして加減は正しかった。敵が戦う気満々でなかったら反撃の可能性はあったが腰が抜けている相手に対しては気持ち半分程度の力でも問題なく戦闘不能に出来る。 「ひゅう!! やるなぁ、神速の陽光さん」 ワンダが手放しでローラの事を褒めたたえる。咄嗟に名乗ってしまった格好悪いあだ名と共に。 「ごめんなさい……やっぱりその名前やめてください。その名前で呼ばれるとものすごく恥ずかしい上に、父親に申し訳ない気分になるので……あ、とりあえずそこのエモンガのお兄さんは早く逃げた方が良いですよ。お金とかはとられませんでしたか?」 「あ、その……まだ盗られる前だったので……とりあえず、ありがとうございます」 所々痛そうな腫れ跡を残しながらも、エモンガは笑顔でお礼を口にする。 「ふふ、どういたしまして」 お礼を聞くだけでローラは暖かい気分になったが…… 「それと、ワンダー仮面さんと『神速の陽光』さんはお似合いですね。これからも街の平和をお願いします」 と言って、エモンガは銅貨を二枚投げる。銅貨を投げられたのは良いのだが、ローラは台詞の前半で心がうすら寒くなった。 「ありがっとさん」 ワンダは銅貨を一枚受け取り、もう一枚をローラに渡す。 「報酬だ、受け取っておけ」 ローラは、なんとなく屈辱的な感覚が拭えないままにその銅貨を受け取る。 (ワンダさんとお似合いって言われたら嬉しかったんだろうけれどなぁ……ワンダー仮面とお似合いじゃあ……はぁ) 「今日は色々とありがとう」 ワンダモードのときはワンダも普通で、初夏の木漏れ日のようなやららかな表情も健在である。一体先程までの不快なワンダー仮面は何だったのかと思わせる変貌ぶりである。 「い、いえ……父さんのように立派になるためにはあぁいったことも通過儀礼のようなものですし……父さんも、旅の最中にトラブルに出会っていたらよく首を突っ込んでいたりもしたんです」 「なるほど……いい父さんなんだね」 「えぇ、今は神権革命の関係で、生きているうちに会えるかどうか不明ですが……」 「そっか……生き別れっているのは辛いね。俺は母親と一緒に住んでいるからいいけれど……でもさ、忘れろとは言わないけれど、新しい出会いを無為にしちゃダメだよ? そうやって沈み込んだ顔でさえ可愛いけれど……ローラはやっぱり笑っていた方が良いし……」 「えぇ、そうしようと思います」 ワンダの笑顔に、ローラもまた笑顔で返す。 「ところでさ、父さんのことを随分と尊敬しているようだけれど、どんな人だったの?」 「う~ん……普段の感じはワンダさんに少し似ています。ワンダー仮面には欠片も似ていませんが。私と同じエーフィで……遊ぶ時はとても優しいのですけれど、悪い事をした時は厳しく叱ります。でも、マナーなどを間違えた時は私の手をとって優しく教えてくれるんですよ」 「へぇ、そう言う所、君も似るといいね。時にやさしく時に厳しくって言うのは大事だし……」 「そうね。親もその親もエーフィだったから、きっと似ると思います。それで、子供は絶対にエーフィかブラッキーが欲しいって……なんで私こんな話しているんだろ? そうだ、貴方が父親の話を振ってくるからじゃない」 ローラは恥ずかしそうに顔を赤らめながら抗議する。 「ん、え、あ……俺のせい? 何で?」 肝心の抗議されたほう名何故怒られたのか全くわからないようであったが。 「そういえば、パン屋ってみんなの朝食を作るわけだから朝早いんでしょ? 話に夢中になるのもいいけれど、そろそろ寝たほうが……」 「ん、そだね……とは言ってもまぁ、朝の仕事は母さん一人で出来ちゃうからなぁ。俺の母さん見てのとおり馬鹿力だから、手伝い必要ないんだよね」 「どっちだっていいじゃないですか。親孝行出来るうちにしときませんと、私みたいにチャンス逃すことになりますよ? 平和を守る立派な姿を見せるのも大事ですけれど、仕事手伝ってあげるのだっていいじゃないですか」 「わかった……寝よう。それじゃ、このベッド使ってよ。俺はソファで寝るからさ」 言いながらワンダは立ち上がり、ベッドのある応接間へと歩き出す。 「そ、そんなの悪いですよぉ……いや、でもこういうときって男性は中々引いてくれませんよね」 「よくわかっていらっしゃる」 ワンダはおどけて言い、部屋を後にした。 「ふー……」 一日の疲れを吐き出すように、ローラは大きくため息をつく。 「兄さんと違って、ワンダさんって良い匂いだなぁ……昔は兄さんもいい匂いだったのに、何でだろ?」 ベッドに染み付いたワンダの匂いを嗅ぎながら、ローラは静かに眠りに付いた。 ◇ 翌日、結局ユミルはクリスお嬢から執拗な誘いによってのデートの誘いを受けてしまった。妻も子供もいるけれど、ここまで年齢が離れていれば浮気にはならないだろうなんて理由で、苦笑しながらもユミルはそれを承諾する。スケッチブックと絵具を持って来ているのは、恐らく絵を書こうということなのだろう。 名目上はただのデートだというのに、きちんとウィンが付いてくるのは親馬鹿と言うべきか心配症と言うべきか。用途不明の巨大なバッグも健在である。 親のダービーがあれだけの大きな店を持っている以上、これまでも拐されそうになった事はあるのだろう。それをウィンがなんとかしているのだとすれば、相当な強さだということだ。そう思えば、頼もしい反面とても窮屈な気分である。 「でも、何処に行くでやんすか?」 「どこでもいいよ……あ、でも声をたくさん聞ける場所があるからそこに行きたいな」 「かしこまったでやんす。案内してくれやすか?」 クリスティーナは街を歩く間も、何かを数える事を止めなかった。石畳の数を数えてみたり、かと思えば雲の数を数えてみたり。節操がない。何故そう言う風になるのか全く見当がつかないのだが、楽しそうに数えている彼女のことを見るとどうでもよくなってくる。 ユミルがサーナイトの体に変身した際にこれほど心地よさを感じたのは、妻であるジャネットに対してでさえ無かったことだ。 そんなクリスティーナは話しかけてもひたすらマイペースだ。どんな所に行くのかと尋ねても、『綺麗な所とか』。もっと具体的な説明を要求すれば色の名前を数字で表したり、木の生え方を数字で表したり。そして極めつけは、 「う~ん……やっぱり説明しにくい……どうしてみんな、私の説明じゃ分からないんだろ」 これである。 「そうやっていっつも、寂しい思いをしてきたんでやんすよねぇ」 「でも、貴方は少しだけだけれど歩み寄ってくれた……仲間が出来た気がして……すごく嬉しいよ、私。すぐ帰るなんて嫌……けっこ」 「む、無理でやんすよ……結婚なんて」 「それなら……これからも会ってくれるかな?」 不安そうな眼差しでクリスティーナはユミルの腕を掴む。 「ま、住んでいる場所は結構遠いでやんすが長い付き合いしようでやんす……それに、アッシの他のシャーマンも紹介するでやんすよ」 幼い子供が不安がってそうするようにギュッとユミルの手を掴む。そのぬくもりを感じてユミルは思わずはにかんだ。 (出会った順番と年齢が違えば、どうなっていたかもわからんでやんすね) 二人とおまけが並んで歩くその道を、クリスティーナは終始静かな幸福を感じながら歩む。殆ど聞こえないような自然の声でも、たまにユミルが協調してくれることが嬉しくて、ユミルに何か聞こえるものはあるのかとしょっちゅう聞いてくる。 「聞こえるものでやんすか? あるでやんすよー。心を落ち着けていれば、アッシは自分の姿に関係なく明日の天気を感じることが出来るでやんす。例えばその天気を当てるという行為はエーフィの得意分野でやんすし、ユミルもエーフィに変身すればむしろそっちの方が精度は高いでやんすが……自然の声を聞けば明日の天気くらいは余裕でやんす」 「へぇ、じゃ明日の天気は?」 「山の方は晴れ。しかし、海は少々波が強くなる……ってところでやんすかね」 「うん……それで合っているよ。私は一週間先も分かるけれど、驚かない?」 「すごいという意味では驚きやすが……でも、二日後の天気でも正確に当てるポケモンがアッシの妻でやんすし。そう言うこともあるでやんすよ」 「そうやって、驚かずにいてくれる人が……私はずっと」 「む、胸が……」 ユミルの角が締め付けられるように痛む。思わず蹲りながら胸を押さえる。 (感情の起伏が……激しすぎるでやんす!) 「ごめん……私、あまりに寂しくて、哀しくて、訳分からなくって……」 クリスティーナが駆けより、膝をついてユミルの胸の角を撫でる。一切合財の感情が心配に向けられる事でユミルの胸の角は幾分か楽になった。後ろから感じた強烈なまでのウィンの気配や足音も、今は必要以上に距離を近付けることはしていない。 (ひと安心でやんすね……) 「そうやって、嘆いたりするよりも天真爛漫な方が良いでやんすよ。クリスティーナは良い感情を出せるでやんすから……」 うん、とクリスティーナは控えめに頷いた。 少し気まずい雰囲気だった気もするが、こう言う時ばかりはクリスティーナの空気を読まない発言が役に立った。変わらずに、クリスティーナは話しかけてくるのだ。応じるユミルもさっきと同じように対応する。 街にいたころは聞きとる事が出来ない声も多かったが、街外れの自然に満ちた所に行くと、ちらりほらりと見える樹齢の高い樹から聞こえる唸り声のような、小鳥のさえずりのような声を聞きとって感覚を共有してあげると、これでもかと言うくらいに喜んでくれる。 その際の飛びはね方は正直に言うと酷く煩わしいし、笑顔も剥製のような不自然な笑顔だ。だが、反面角の感触が心地よい。サーナイトに変身していれば男女の交わりにも匹敵する快感が胸に走るから、むしろ変身状態を解けないくらいだ。 そんな道中を、クリスティーナと共に楽しく過ごして数十分後。 「ここ!!」 腐葉土の匂いが立ち込める目的の場所。透明度の低い小さな池があって、そこには様々な水草が浮かんでいる。クリスティーナは尻尾を振ってユミルに抱き付く。その勢いでユミルが仰向けに倒される。風景をじっくりと見る前に倒されてしまったが、じっくりと見るべきは――空。 池に沿って、木々が円形に避けているその場所。春には葉を殆どつけずに、淡い色の花弁を咲かせる木々が生い茂っている。生憎今は夏。どうやっても花は咲かない季節だ。 「本当はもっと綺麗なんだけれど、緑も好きだから……ねぇ、ユミルはピンクの方が好き?」 その木の美しさを知っているユミルは素直に頷いて見せた。 「じゃあ、描く」 と、言って嬉々としてクリスティーナは絵を描き始めた。驚いたのは、『描く』と言い始めてからクリスティーナはよそ見一つせずに描き上げることだ。キャンバスとパレットしか見ない。景色すら見ない。それでどうやって絵を描くのかと思えば、描けてしまっている。 「あのー……アッシはどうすればいいんでやんすかね?」 「さぁ? 出来るまで待つしかないと思うぜ。あぁなってしまったら、お嬢は完成するまで何を話しかけてもほとんど反応しないからな」 と、言うことでユミルは結局ウィンと世間話をする事になってしまう。これでは何のためのデートなのかもわからない。乾くのを待たないために重ね塗りもせず、ついでに常人離れした記憶能力でよそ見一つしないその絵が驚くほど早くに描きあげられたのが唯一の救いか。 「出来たよ…119日前のここの景色」 と、言ってクリスティーナが渡した絵は、目を疑うほど写実的な代物だ。寝転んで空を見てみると、木の形が殆ど一緒。しかしながら美しい花弁に彩られたされたそれは、手を伸ばせば届きそうだ。絵に厚みがない事が唯一の残念だが、短い時間で描いたとは思えない、見事な物だ。 「これ、貰っていいでやんすか?」 「うん……でも……私は貴方を離したくない。それを上げるから……もっと一緒に居て欲しい」 「そこで寂しい……感情でやんすか」 胸の角が痛む。恋慕ともとれるウィンへの信頼の感情はあるものの、どれだけ安心できる相手がいても満たされなかった孤独感を埋める存在として認識されている事をユミルは理解する。 「アッシは……会おうと思えばいつでも会える距離の街に居るでやんすよ。だから、そんな顔しちゃダメでやんす」 「私は……半端な気持ちじゃないのに……」 さらに感情が強くなった。あまりの角への負担に耐え切れず、ユミルの変身が解けた。それに追い打ちをかけるようなクリスティーナのセリフ。 「絶対に一緒に居させて見せる」 クリスティーナがアクアマリンを手に、シャーマンの力を高める。ユミルが頭に違和感を感じると同時に、アクアマリンが蒼く燃えるように光り始めた。『仲良くなる』というのがマナフィの力だが、それ以上にマナフィにはあらゆるポケモンを服従させる力がある。 ユミルが服従させられそうになることを恐れた頃には、ユミルは言いようのない虚脱感と共にクリスティーナの前に跪いてしまった。 (嘘でやんしょ……感情の起伏が激しい子だとは思っていやしたが……こうまで突然豹変するとは……) 「この場所……風の声も森の声もすごくよく聞こえる。私自身の力もずっとずっと強くなるから……絵を描きながら瞑想して……力を高めていたの。私の仲間……せっかく見つけたのに……いなくなるなんてダメ。私と一緒に居てよ……私、皆と同じものを見たいの。その『皆』になってよ……ユミル……」 頭を垂れたまま何もできないユミルは、徐々に自我が保てず、クリスティーナを王か何かのように見えてしまう錯覚に陥ってしまう。が、 「お嬢、そりゃ反則だ」 ウィンはクリスティーナに足払いをかけて転ばせ、手首の関節を極めて握ったアクアマリンを手放させる。 「お嬢。求める者はそんな風に奪い取るもんじゃない……積極的なのは良いが。そういう方法よくない」 「ウィン……邪魔、しないでっ」 「おい!!」 涙目で見上げるクリスティーナに、ウィンは凄む。 「ひっ!!」 肩をすくめて怯えるクリスティーナの関節を取ったまま、ウィンは溜め息をついた。 「すまねぇな……ユミル。この子は突飛な行動が多くってな。昔これと同じ方法で海に飛び降り自殺を命じたこともあったんだ……俺を傷つけちゃった奴を……その、殺すためにね。 お嬢がこうなっちまったら俺の制止しか聞かねえから一応ついてきたが。大事にならずに済んでよかった」 と言って、ウィンは肩をすくめた。 「ってことは危ないのはクリスティーナじゃなくってアッシだったんでやんすかぁ?」 「まぁ、な。お嬢がここまで気に入った相手は初めてなもんで心配していたが……案の定だ。この子は常識知らずな面があるからな」 「……ケチ。どうしてダメなの? アクアマリンでどうにかすれば簡単にモノに出来るのに」 淡々と喋るウィンに、クリスティーナは頬を膨らませて不平を述べる。 「ん~。ダメな理由ねぇ。そうだな、そのやり方だと、ユミルがアクアマリンの支配から逃れた時に確実に逃げられるからだ。しかし、普通にモノにしたなら、ユミルはいつでもお前と一緒にしてくれるぜ」 「あのー……アッシ、妻も子もいるんでやんすが。色々前提条件間違っていないでやんすか?」 ユミルを無視して進む話しに、ユミルは苦笑する。 「どうやってユミルをモノにした方がどっちが得かを考えても見ろ。クリスティーナ?」 「……分かった。私ゆっくりユミルをモノにする」 「な、なんでそうなるんでやんすかぁ!?」 戸惑うユミルをよそにウィンは笑顔でクリスティーナの頭を撫でて―― 「よし、よく言った!! 偉いぞ」 彼女を褒めるのだ。ユミルは溜め息をつくばかりであった。 ◇ その頃、イェンガルドではテオナナカトルのメンバーが仕事に勤しんでいた。 「さてと、歌姫。準備はいいかしら?」 「ばっちりですよ、ナナさん」 ペルシアンの母親から受けた依頼は、再婚した夫がどうしようもないほど子供に対して暴力を振るう男であったため、別れたいのだがなんともしがたい。この街を出るわけにもいかず、かといって同じ街で怯えて暮らすこともできやしない。 困り果てて最後に頼んだのがここ、テオナナカトルである。 今回の仕事は、夫と顔を合わせなくても済むように――とのことなので、適当に暴れさせて収容所に御退場願おうという算段だ。 心を惑わす薬をターゲットの唇に塗る。そしてターゲットが舌舐めずりをする。薬の影響で狂ったように行動する。今回はそれだけの簡単なお仕事だ。とはいえ、そのお薬を作るためにロイが幻覚剤の作用を持つテオナナカトルを食す羽目になったり、薬の調合に慣れたジャネットでなければ調合出来ないような加工を施したりと、それなりの苦労はある。 そしてその苦労に見合うだけの効果がある薬故、頬に塗られて気づくか気付かないかの少量でさえ十分な効果を発揮する。 歌姫はターゲットとすれ違いざま、幻影に護られながら筆を走らせる。触覚にすら作用するナナの幻影は、筆が唇に触れた違和感を感じさせず、また歌姫の腕の動きも誰にも悟られることがない。ただそれだけの仕事ならナナ一人でも出来るのだが、参加することに意義があるからこそ、こうして皆での作業をする。 「ばっちりですよ、ナナさん」 「うん、上出来ね」 もちろん、ロイもまた仕事がないわけではなく、監視及び狂ったように行動し始めたターゲットを大人しくさせるという仕事がある。 「じゃ、後は俺の仕事だな。二人とも、お疲れ様」 「私達は後ろで見守っているから、頑張ってね」 ナナが笑顔でロイに手を振る。それに笑顔で応えて、ロイは悠々とターゲットを尾行し始めた。 舌舐めずりをする癖と言うのは本当に何気ないものであって、その際の動作も集中していなければ見逃してしまいそうなほどだ。 (さて、薬を塗られた部分を舐めた……これで仕事はほとんど成功なのか?) 半信半疑なロイではあるが、異変は数分と経たないうちにすぐに現れた。ターゲットのレントラーは道行くオオタチの女性をぼんやりと見上げ、そして襲いかかった。絹を裂くような悲鳴が耳をつんざく。 「何!? いったい何よアンタ!!」 「へ、良いだろ!! やらせろよ!!」 どうやらターゲットは発情のような事をしているらしく、公衆の面前だというのに見境なく襲いかかってる。 (どんな薬なんだアレは……まるで野獣じゃないか……ってか、止めなきゃ) 『惚れ薬スーパー』なる薬の威力に言葉を失っていたロイは我を取り戻して駆けだし、レントラーの脳天に向けてアイアンテールをぶつける。ゴツンと鈍い音と共にターゲットは沈黙した。 「大丈夫ですかお嬢さん……?」 ロイが荒い息をつきながらオオタチの女性に尋ねる。 「え、あ……は、はい……ありがとうございます」 これで、収容所にこのレントラーを放り込む口実もできたわけだ。今回のお仕事も成功である。 ◇ デートの翌日。中々起きないクリスティーナが起きるまで待ってイェンガルドへと戻る。クリスティーナはサーナイトに変身したユミルの脚を抱き締め、別れを惜しんでいた。ユミルもこれほどまでに子供に懐かれたことも無く後ろ髪を引かれる思いでクリスティーナの頭をそっと撫でる。 互いに多くの言葉は必要としなかった。本物のサーナイトほどでもないがユミルはその能力を十分に生かし、二人はシンクロの特性同士で通じ合う事が出来る。ユミルがクリスティーナの額にある星形の模様に触れ、クリスティーナはユミルの胸の角に触れる。 『離れたくないな』 『大丈夫、また会えるでやんすよ。だから我慢して』 互いに目をつむったまま、言葉も交わさないまま、傍から見れば何やっているのだろうと思える時間が十数秒。クリスティーナが満足するとユミルは手を離し、ムクホークの姿へ変身する。 「まだ、旅をするには幼い年齢でやんすが、ウィンさんがいればその気になればどこへでも行けるはずでやんす。クリスティーナちゃん……」 「はい……」 「本当に、会いに来たかったらイェンガルドに来るといいでやんす。そこにはアッシらと同じシャーマン仲間が沢山いるでやんすから……その時は、一緒に街を見て回りやしょう」 ムクホークになって大きく変わった声質で、しかしいつも通りの優しい口調でユミルは諭した。クリスティーナは表情もつけずに黙って頷く。 「あの、最後に……」 「ん?」 ユミルが見上げるとクリスティーナは、口を寄せて口付けを交わす。 (笑った……) その時、クリスティーナは初めて自然な笑顔を見せた。 「世界を共有する方法は……私にはなかったけれど貴方がいてくれたから……私は伝説のポケモン以外に縋る事が出来た。 貴方は私の寄る辺となって、舞い降りてきてくれた……数字だけで見える世界までは共有できなかったけれど、私だけの世界の扉を開き、世界を共有出来た事は素直に嬉しい…… 伝説のポケモンは住む場所が違うと言われ続けてきたけれど……貴方となら、きっと一緒に……」 ユミルは苦笑して溜め息をつく。 「何度も言いやすが、アッシは妻も子もいるでやんすから、浮気はしないでやんすよ?」 「うん、浮気はしないから一緒に暮らそう」 「あー……もう。クリスティーナお嬢ちゃんが大人になって、それでも魅力的だったら考えやす」 結局ユミルは適当にあしらう形でクリスティーナの要求を受け入れることにした。 「約束だよ」 「はいはい」 ユミルはクリスティーナの頬を撫でて、その約束を受け入れた。 「それじゃ、お元気で」 「おぅ。そっちに行くことがあれば礼の酒場の酒とやらを楽しみにしているからな」 「えぇ、ウィンさんもお元気で」 言いながらユミルは跳躍し羽ばたいて、よそ見もせずに帰って行った。 ◇ 「……と、いうわけでアッシからの報告は終わりにしやす」 テオナナカトルのメンバーが勢ぞろいした閉店後の『暮れ風』にて、ユミルは得意げに報告を終える。神懸かっていると言える程有能な力の持ち主を仲間に引き入れたとあって、メンバーからは口々に賞賛の声が上がる。 「まさか神憑きの子をこうもあっさり仲間に出来るとはね。やるじゃない。ほ・め・ちゃ・お」 何とも奇妙なアクセントをつけて、ナナはメタモンそのままの姿をしているユミルの額のような所にキスをした。ユミルは何ともなかったが、無関係なジャネットが火花でも立ちそうなほどナナを睨みつける。 二人の関係はなんだかんだでもう慣れ切ったことなので、歌姫もローラもロイも気にしない。 「じゃ、次は時計回りでローラちゃんに報告をお願いするわね」 「分かりました、ナナさん。私の方も収穫はばっちりです! ユミルさんには質で劣りますが数では勝っておりますよ」 ローラも収穫があったのか、彼女は自信満々にそう言った。 「私はミリュー湖の北東湖岸の街、クルヴェーグにいるテオナナカトルとは別の組織のにシャーマン『シード』に会いに行ったわけだけれど……『俺の腕を食べろよ』が口癖のキングラーのおじさん、クラヴィス=カウフマンさんも、ワンダー仮面とかわけのわからない正義の味方気取りのゴルダックのお兄さんのワンダ=ラーベンソンさんも、私達の事を風の噂でなんとなく知っていたようです。 始めは双方共にぎこちない感じではありましたけれど、テオナナカトルがやろうとしているお祭りの復活について話したら、快く賛同してくれました。お祭りの時は一緒にシャーマンをやってくれる約束を取り付けましたよ。それに、機会があればこちらの持つ薬学の知識を好感し合おうとも言ってくれました。挿し木によって新しい木の実を作る実験が出来るそうです。ジャネットさんが使うような自然の恵みでも特殊な効果が出るんですって。 ただ……一応問題もあって、どちらも処女でも童貞でもないから神子の役にはなれないけれど……神子はあとで補充すればいいので構いませんよね? これで祭りを行うために必要な神子はあと2人……シャーマンは4人ですね。順調順調、これで私からの報告は終わり」 「そう、ローラちゃんもいい子ね。後でテオナさんから貰った蜜で作った焼き菓子を上げるわ」 春先に出会ったビークインからもらった絶品の蜜を使ったナナの焼き菓子は店に出せるレベルだ。それこそ、この場にいた誰もが焼き菓子を上げると聞いてローラに嫉妬しない者はいないようだ。 「ナナさんの焼き菓子ですか? 是非」 「アッシもキスよりかはそっちの方が良かったんでやんすがねぇ……」 喜ぶローラを尻目に、ユミルは納得いかなそうな態度をしている。 「大丈夫よ。皆の分もちゃんと用意してあるから」 「おぉ、ナナでかした」 ロイもまたその焼き菓子好きは例外ではなく、真っ先に称賛したのは彼だった。ユミルや他のメンバーも期待に満ちた顔をしている。 「っていうか、ローラちゃんはもう少しだけ太ったほうが可愛らしいと思うのよね。そのための特別製よ」 「私……痩せすぎですか?」 「うん、女の子は子供を産む体よ。赤ん坊を温めてあげるためにはもう少し太らなきゃ。あくまで健康的にね」 子作りを連想させるあからさまな言動に、ナナ以外の者は聞いているだけでも恥ずかしそうだが、ナナはそんなこと気にしない。 「さて、焼き菓子を振る舞うのは話しあいの後。で、だ。二人は色んな街に寄って行って来たと思うけれど、シャーマンの噂は聞いていないかしら? ついでに、ロイ君の家族の噂も」 「私は……世俗騎士と同じく元貴族だから関所を越えずに済む近場にしか行けないし……情報は似たり寄ったりよ。一応、の『シード』の二人からヒーラーのライボルトとアブソルの二人組の情報を聞いたから……そこに行ってみようと思います。ギリギリ関所を通らなくてもいけますので。ユミルは?」 「港なら情報集まると思ったんでやんすがね……無理でやんした。ロイさんの家族も……生きているといいでやんすがね」 ロイ、ローラ共に肩を落とす。 「……死んでないといいけれど」 うつむき気味にローラが漏らした。 「それでさ、今後の予定は?」 暗い気分になったロイが話題を逸らす。 「アッシは、とりあえず行ける所に行ってみるでやんす……適当に探して見つかるもんじゃないとは思いやすが、何もしないよりは絶対にいいでやんすし」 「私もユミルさんと同じく……関所を通らないで済む程度に色々回ってみます。兄さん達は兄さん達で頑張ってくださいませ」 「分かったわ皆。これで報告会も一段落ね」 言いながらナナは神の中に手を突っ込み、油紙に包まれた焼き菓子を出す。 「……本当にお前の髪はどうなっているんだ」 「だから、この中にはゾロアを入れられるくらいの容量があるんだって言ってるじゃないの、ロイってばぁ」 呆れ声で突っ込みを入れるロイにも、ナナは動じず笑い飛ばした。そういう問題じゃないんだがなぁ、とロイは苦笑しつつも差し出された焼き菓子はしっかりと口に入れる。ナナの髪の中で温められたそれは、ほんのりと暖かくなっていた。 *** 『ローラも本当にたくましくなったなぁ……。それにしても、例のキングラーの事を詳しく聞いてみた時は思わず笑ってしまった。なんでもレジロックの加護を受けた神器を持っているらしい彼は、元々再生能力の高いキングラーの再生能力をはるかに上回る速度で回復するらしい。雑穀を練った生地を腕にくっつければ1時間もせずに生えてくるのだとか(本当かよ?)。懐中時計で測ったのだから間違いないとローラは言うが、如何にも胡散臭い…… ユミルの方は……まぁ、良かったよな。人が良いだけあってプラス印象ばっかり認定してもらっていたというが……そのお嬢さんの見る目はかなりいいものだと思う。その場にいたら、良い嫁さんを見つけたなって言ってユミルをからかってやりたかったところだが……その神憑きの子とやらは俺達の事はどういう風に見るんだろうか? 一応俺たちだって普通の人には聞こえない神器の声が聞こえるから……まぁ、起きない事を考えても仕方がない。 追記:ところで、歌姫とユミルが海に出て歌謡祭へ行くそうだ。マナフィやルギアに会える祭りだそうで、そこで参加するついでにシャーマン探しを行うらしい。マナフィとルギアか……そのお祭り少し羨ましいもしれない』 RIGHT:テオナナカトルの構成員、ロイの手記より。神権歴2年、7月18日 LEFT: ◇ 「…………」 ローラはすっかり寝静まった街を歩いて、酒場から大声を出しても届かない距離まで離れた所でピタリと止まった。 報告会の時に思い出されるのは、二日前にワンダとしてしまった過ちの事ばかり。過ぎた過去はもうどうにもできず、なんとかそれを忘れたい。 「うわぁぁぁぁぁぁぁ!! やっちゃったぁぁぁぁぁぁ!!」 しかし、簡単に忘れる事が出来ないので、突如叫び出して夜の街を駆け抜ける。わざわざヒードランのように壁を這いまわるような動作を取り入れるのは混乱している証拠なのか。とにもかくにもローラは絶叫しながら壁や地面を走り回っていた。 [[次回へ>テオナナカトル(8):暴れん坊ハッサム]] ---- 何かありましたらこちらにどうぞ #pcomment(テオナナカトルのコメントページ,12,below);