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Vortice Rovente 02 の履歴(No.2)


全体的にグロ描写多めです、苦手な方ご注意ください



物語を振り返る


Vortice Rovente


written by 慧斗



TURN04.25 死神が目覚める日 その1


 7月に入って日中は暑くなったが、夜になれば少し肌寒いぐらいの涼しさに変わっていく。
 公園のベンチで特にすることもなく夜空を見上げてボーっとしていると、遠くで楽しそうな親子の笑い声が聞こえてくる。
 7月に何か大きな行事があるのかどうかは知らないけれど、家の中でパーティーでもしているのかな?とっくに9時を過ぎてる気がするよ…
 弟のユアンはもう寝かせておいた。ヒメグマという種族の影響なのかは分からないが、結構寝るのが早い。
 最も、早く寝ていた方がある意味安全かもしれないから…

 夜の街は嫌いだが、皮肉にも貴重な安息の時間をくれる存在。出来る事ならあいつには1秒でも長く夜の街に滞在してほしいし、何ならずっと帰ってこないでほしい。
 右腕に巻き付けた端切れ布に血がにじんでいる。昨日から数えて血がにじんだのはこれで3回目。後で傷口を水で洗って布を取り替えなきゃ…


 ふと耳を澄ませると、笑い声やエンジン音、街の喧騒に混じって小さな泣き声が聞こえる。こんな時間に一体誰が?ゴーストタイプのポケモンのいたずらか?
 周囲の様子を警戒しながら公園の様子を調べていると、ブランコの陰に何かがいる。
 街灯の灯りはギリギリ届かない位置だし、僕はあまり夜目が効かないので接近しなければ正体を突き止めることもできない。
 万が一に備えて素早く行動できる態勢のまま近づくと、それは一匹のアシマリだった。
 どうやら泣き声の主みたいだし、幽霊やゴーストタイプのポケモンでもないらしいので内心安心しつつそっと声をかける。

「どうしたの?迷子になったの?」
「迷子じゃない、お父さんに𠮟られて…」
「そっか、君も大変なんだね…」
「…あれ、君はどうしてここに?」
「僕は…ちょっと散歩してたんだ。 良かったら話聞かせてくれる?」
 家族に酷いことされたなら、僕に何かできることあるかもしれないな…

「…大きくなったら何になるかで意見が食い違っちゃったんだね」
「うん。お父さんは私が大きくなったらお医者さんになった方がいいんだって言うけど、私は本当は歌手になりたいのに…!」
「そっか、そのことはちゃんと話したの?」
 再び泣き出すアシマリの背中を撫でながら優しく問いかける。
「えっ、どうして?」
「君の家族はエスパータイプだったりするの?」
「ううん、でもどうしてそんなこと聞くの?」
「相手がエスパータイプじゃないなら、自分の思いをちゃんと伝えなきゃ分からないよ。自分の思いを伝えてもないのに泣いてばっかりってのも変じゃないかな?」
「そうなの…?」
「そうだよ、ちゃんと自分の気持ちを伝えたら分かってくれるかもしれないよ」
 まぁ、ちゃんと聞いてくれるならの話ではあるけれどね…
「…そっか。私、ちゃんと私の思いを伝えてみる!」
「うん、その方がいいと思うよ」
「だよね、ありがとう!」
「痛っ!」
 怪我をした右腕を掴まれて思わず痛みに声をあげる。
「ごめん、ってどうしたのコレ?」
「これは…ちょっと転んじゃったから」
「ねぇ、良かったらうちで手当てしてもらって行ってよ!」
「いや、そろそろ帰るから…」
「いいからいいから!」
 左の前足を鰭で包んでアシマリは走り出した。
 前足掴まれると歩きにくい…!

 半ば無理やり連れてこられた先は、この辺でも名のある総合病院だった。
「ここって、かなりの大型病院だよね…?」
「そうだよ、今日はお父さん夜勤だからね。こっちから入って!」
 そう言って【急患用入口】と書かれたドアから入っていく。
 入って大丈夫なのか?
 というか、ちゃんと字を読めているんだろうか…

「急患用の入り口から入ってきたらダメだって何度も言ってるだろう!」
 案の定診察室っぽい所から出てきたダイケンキに𠮟られちゃってる。やっぱりね。
「お父さん、怪我した子がいるの!」


「!」


 ダイケンキは僕を見て固まっている。何かあったのか?

「…確かに怪我してるね。ちょっと見せてくれるかな?」
「ご丁寧にありがとうございます。大したことないんでお気持ちだけで…」
「まあまあそんなこと言わずに、ね?」
そう言ってダイケンキは血のにじんだ布を剝がしていった。
「ねぇ、この怪我は一体どうしたの?」
 言葉よりも先に頭の中に記憶の波が押し寄せる…


 いつもの様に酔っ払った声が近づいてくるのが聞こえる。小さく舌打ちして部屋の隅に移動して息をひそめる。
 乱暴に開けられたドアの音と共に安酒とタバコの匂いが入り込む。それから数分もすれば発泡酒のプルタブを開ける音と深夜番組を見る下品な笑い声も聞こえてくる。
大体遊んで帰ってきた時のルーティンはこんな感じだ。
 このまま酔いつぶれて寝てくれればいいけれど…

 壁にもたれてウトウトしていると、怒鳴り声とすすり泣く声で目が覚める。
 そういや昼間はパチンコの新台入荷だったことを思い出した。パチンコに行った日は高確率で機嫌が悪くなる。大方パチンコが下手くそなのに新台入荷したら喜んで打ちに行って大損したんだろう…


「穀潰し!まだいるのか!ようやくくたばる気になったか!」
 穀潰しは僕のことだろう、そういえば名前で呼ばれた記憶もない。
「ユアン、早く酒とツマミ持って来い!」
 これはマズい、ユアンをあいつに会わせる訳にはいかない。前に灰皿同然に扱われかけた時は慌てて庇ったけど、あの時は僕も生きた心地がしなかった。
 だからこそ、僕が行けばいい。

 目を覚ましたふりをして冷蔵庫から缶ビールを出し、乾きものの袋と一緒にテーブルに出しておく。
 酒臭いリングマが汚い手で乱暴に缶ビールを開けて反対の汚い手で雑に開けた袋の乾きものを一緒に口の中に流し込む。

 臭いタバコをふかしつつ対して面白みのない深夜番組を爆笑しながら見ているのを見ると自然と怒りもこみ上げてくるけど、それをじっと耐える。
 下手に抵抗してもかえって危険になるだけだし、僕が庇いきれなかったらユアンも無事にはいられない。火の付いたタバコを顔に押し付けられたり熱湯で満たされた浴槽に浸けこまれたら僕と違って火傷してしまう。僕も熱湯は結構体力奪われるから長時間はマズいんだけど…
 とりあえず酔いつぶれて寝てくれればそれでいい、そして酒の飲み過ぎで病気になったり酒で狂ったバカの頭で車道ダイブして病院送りになればいい、そのまま死んでしまえばものすごくいい!
 しぶしぶ買ってきた乾きものの中にたまたま強い農薬が入っていることを祈りつつ、「このリングマが運良く死んだとして、その後はどうなる?」という疑問に結局行き当たる。
 実際警察なんて頼りにならないし、それこそ借金まみれでも金は金だから上手くくすねることで何とか僕とユアンは生きているけど、そんな金すらなくなったら路地裏に死体が二つ転がって小汚い鳥ポケモンの餌になるだけだ。
 誰も助けてなんかくれない、でも僕はユアンを助けなければならない。僕はきっと幸せにはなれないけど、ユアンにはまだ希望はあるはずだから…

「にぃちゃん、おなかすいた…」
 しまった、ユアンがこのタイミングで起きてしまった…!
 最近はこの時間に帰って来ないから、こっそり乾きものを食べさせてたのがマズかったのか?
流石に近くの畑からぬ、取って来たきゅうりじゃ空腹すら紛れないだろうけど…

「ユアン、お前起きてた癖にシカトしやがったのか!えぇ⁉」
 こんな時だけ無駄に耳ざとくリングマは気付きやがった、しかも手には角ばった酒の空き瓶。缶ならまだマシだけどこれはかなりマズい…
「あ、あ……」
 ユアンは怖がって涙目で震えているけど、あえて僕は気配を消す。
「そんなクソガキはきちんと“しつけ”しないとな!」
 リングマが空き瓶を振り上げた瞬間、ユアンを軌道からずらして素早く方向転換、瓶を反対方向に弾こうとしたが軌道が急に変化、瓶は柱に砕かれて尖った先端が僕に迫って来た。
 怪我したら危ないと聞く首への直撃は防いだけど、右の前足に突き刺さったような鋭い痛みが走る。

 着地も受け身もできずに蹴り飛ばされてタンスにぶつかって落ちた。
 腐りかけた畳に血が広がる。

「お前みたいな疫病神は一秒でも早く“事故死”した方が社会のためなんだよ!」
 知的生命体の恥がよく言えたものだとも思ったけど、乱暴に持ち上げられたちゃぶ台を見て結局力なんだと思い知らされる。
 ユアンは泣きながら部屋に戻っていった。これでちょっとはユアンもご飯食べられるといいな…

「もしもし、お宅うるさいですよ!」
「あぁ⁉」
 野太い雌ポケモンの声が苦情を言いに来たおかげで怒りの矛先が変った。
 多分これでヤケ酒でもやって寝てくれるだろう。
 痛くて立ち上がれないから、畳に血の痕を残しつつ這いずって傷口を洗いに行った。

 後でユアンが寝付けるように面倒見なきゃな…


「えと、ちょっと転んだ時に落ちてたガラスの破片で切っちゃって…」
「そう?切り口は横に綺麗だけど細かなガラスの破片入ってるよ?」
「えっ?」
 確かに消毒して破片は一通り取り除いたはずなのに…
「それにこれ、破片からほんのりだけど匂いがするんだよね、お酒の瓶かな?」
 なんでこのダイケンキはこんなに当ててくるんだよ…⁉
 このまま全部読まれたらどうなっちゃうんだ…⁉

「なんてね、最近推理ドラマにハマってるだけだよ」
 震えそうになる体を必死に抑えてみたけど冗談だったらしい、本気で焦った…
「でも、ちょっと治療の後で全身の検査させてね。気になるところがあるから」
 黙って頷くと治療台に乗せられた。
「まずは破片を全部取り除くから、ちょっと痛いかもだけど頑張ってね…」
 僕が頷くよりも早くダイケンキはアシガタナを一閃、痛みを感じるよりも早く傷口から瓶の破片が全部取り出されていた。
 斬られたのかと思ったけど全然痛くなかった…
「よーしいい子だ、縫合治療はしなくても消毒すれば自然治癒で治るかな」
 そのまま家に置いてた安物とは比べ物にならないぐらい効きそうな消毒液をかけられて、ガーゼを当てて綺麗な包帯を巻いてくれた。

「はいこれで終わり、強かったね!」
 ダイケンキは僕の頭を撫でた。
 痛いのには慣れてるけど、オトナに撫でられるのは変な感じ…
「それじゃあ、ちょっと悪いけど体の様子を検査させてね」
 全身を触られたり目や口の中を見られたり、体温や脈を測られていく。
 時々「ここの打撲やアザはやっぱり気になる」とか「熱湯に浸けられた痕か?火傷には至ってないけど炎タイプだからか?」とか不穏な言葉が聞こえる度に思わず不安になってしまうけど気づかれないようにした。
 変な形の容器を準備して「これにおしっこしてくれる?」って言われた時には流石に混乱したけど、これも検査の一つらしい。恥ずかしがり屋かどうか調べるのか…?
 その後も変な機械で写真を取られたり高さや重さを調べられて、ようやく検査が終わったらしい。

「結果が分かるまで少し時間かかるからもう少し待ってね、グレース、この子と遊んでてくれる?」
「はーい、こっちこっち!」
 さっきのテンションからは想像できない程静かに部屋の隅にいたアシマリが廊下に出て呼んでいる。
 なんとなく恥ずかしい物を見られた気がするけど、考えないことにして歩きやすくなった足で追いかけた。


 大きなロビーの一角に用意されたおもちゃと絵本の並んだコーナーに案内された。ご丁寧にテレビとDVDプレイヤーも用意されている。
「お腹空いたでしょ?お母さんと一緒に焼いたから食べてみて!」
 調理器具のおもちゃの中に本物の食べ物の入ったバスケットが紛れ込んでいた。
 中には不揃いな焼菓子みたいなのが入っている。
「グレース特製バタークッキー、食べてみて!」
 言われるままに一枚食べてみると、甘くてサクサクで美味しかった。
 これに比べたらきゅうりなんて泥沼の底でグズグズにふやけた青臭い生木だ。
「バタークッキーだっけ?美味しい…!」
「良かった!いっぱい食べてね!」
 勧められるままに食べ進める。これをユアンにも食べさせたいな…

「これって、持って帰ってもいい?」
「そんなに美味しかった?いいよ!」
 満面の笑みでビニール袋にクッキーを詰め込んで渡された。
 前からお菓子を欲しがってたし、明日の朝喜ぶ顔が見れるかな…
「そういえば、まだ名前聞いてなかったね?」
「グレース、だったっけ?」
「あれ?私名前言ったっけ?」
「特製クッキーを出した時に…」
 妙に納得した表情をしている。見ず知らずの相手に名前を明かすことに危機感ないのか…?
「ちなみにお父さんはコバルトって名前なんだけど…」
 こいつ、親の名前まで知ってるんだな…
 僕はあのリングマことは性別ぐらいしか知らないのに…

「…そうそう、君の名前は?学校では会ったことないよね?」
 色々聞き過ぎだとは思ったけど、名前ぐらいは言ってもいいかもしれない。
「ルトガー」
「ん?」
「それが、僕の名前…」
 ユアンはずっとにぃちゃん呼びで僕の名前を知らないし、リングマはそもそも論外。他に知り合いもいないから、僕にとっての名前は“自分で自分を見分けるための文字の並び”だった。
「そっか、よろしくねルトくん!」
「…!」
 ずっと敵か無関係かの世界、そんな中に初めてそのどちらでもない存在が見えた…

 
「とりあえず怪我したところは治療したけど、包帯の交換とか消毒もしたいからまた明日おいで。来れそうならでいいんだけどね」
「ありがとうございます、でも、僕、お金なくて…」
 今更言うのも遅い気がするけど、念のため言ってみるとダイケンキは笑って頭を撫でる。

「学校の保健室は怪我した仔の手当てするけどお金は取らないだろう?それと一緒だよ」
 学校も保健室が何なのかはピンと来ないけど、お金いらない病院って認識だろう。
「それと、夜食買いすぎちゃったから良かったらこれ食べて?」
 コンビニの袋の中にはおにぎりやパン、紙パックの木の実ジュースが入っている。
 普段のペースで食べれば二匹でも一日は賄えそうだ。
「外は暗いから気をつけてね、それと…」
「…それと?」
「困ったことがあったらいつでも来ていいからね」
「…ありがとうございます」


 喧嘩してたって聞いてたわりには仲がいいように見えたし、僕のことを嫌わないどころか頭を触ってくるしものすごく不思議な親子だった。
 もしかしたら家ではまた違うのかもしれないけど、僕にもよく分からない。
「親子って、本当は仲のいいものなのか?」

 自問自答しても答えは出ないので、お土産の袋を持って家に戻った。


「にぃちゃん、このおかしおいしいね!」
「だったら良かった!」
 普段からリングマのいない瞬間は比較的平和な時間だったけど、ユアンがこんな笑顔を見せたのは初めてだった。
「でも、このクッキーはどこでもらったの?」
「……それは、秘密だ!」
 次もある保証のない話をするだけの心の強さは僕にはなかった…


TURN04.50 死神が目覚める日 その2


 次の日も隙を見て公園に行ってみると、またあいつが泣いていた。
「…今度は何があったの?」
「テストで1桁だったから怒られちゃった…!」
「…ゼロ?」
「…ゼロじゃないもん、イチだもん!」
 確か0が何もなくて1はある中では最も少ない数だっけ…

 その後、昨日と同じで夜間外来の出入口から入るとコバルトは治療用の包帯を一式揃えて待っていた。
「なるべく綺麗に治療はするけど、どうしてもガラスの切り傷は痕が残ってしまうんだよね…」
 つまり右の前足にできたこの傷は消えないらしい。そう考えるとあのリングマが心底憎い。
「明日からしばらくは夜勤じゃないけど、グレースに会った公園近くのマンションに住んでるから起きてる時なら遊びに来ていいよ」
 どうしてこのコバルトとグレースの親子は僕に優しくしてくれるのか分からないけど、綺麗になった包帯を巻いて食べ物の入った袋をお土産に持って帰った。


 リングマがいない状態でユアンが眠った時間が夜のそれなりの時間なら、公園近くのマンションに行く。
 503号室のチャイムを鳴らすとグレースがお出迎えしていた。
「お父さんがDVD貸してくれたから一緒に観ようよ!」
「ちゃんと宿題終わってから!」
 台所ではコバルトがかぼちゃをアシガタナで切り刻んでいて、アシレーヌが鍋で何かを煮込んでいた。

「この問題難しいね…」
「ちゃんと問題読んだら行けるよ、ほらこの式は…」
 グレースは悪戦苦闘してるけど、言うほど難しくは感じない。学校は行ってないけどやることは結構簡単だな…?
「よーし、宿題終わり!DVD観よう!」
 DVDBOXのパッケージには『騎獣クルセイダー』と書かれている。
「お父さんこれ買うためにお母さんからお金借りてたんだ、お菓子1ヶ月は食べられるぐらいしたんだって」
 …あのコバルトはオタクってやつなのか?
 色々注意書きが出た後、波打ち際に三角のロゴマークが浮かび上がった。


「すげぇ…」
「なにアレ…超カッコイイ…」
 コバルトのお手製かぼちゃコロッケを食べながらDVDを一枚分見たけど、とにかくすごかった。
 簡単にストーリーを説明するなら、「世界征服を目論む組織に襲われて瀕死の重傷を負ったガオガエンが強化改造による治療を受け、同じく改造されたモトトカゲと共に“に戦う」ストーリーで、モトトカゲとのスタントや“エネルギーを吸収して自分のエネルギーにする能力”を駆使した異能力を使う敵たちとのバトル、様々なポケモン達とのドラマなど、30分の作品を4話まで見たけど、このクオリティは凄みがありすぎた。

「ふっふっふ、その顔はお気に召した顔だね?」
 満足気に笑うコバルトに頷いてDVDのパッケージを見る。
 DVDはまだ沢山あるし、まだまだ楽しめそうだ。

「今日は宿題教えてくれてありがと、おやすみ!」
「暗いから気をつけてね、これお土産」
「またおいで」
「ありがとうございました…!」
 コバルトにかぼちゃコロッケのお土産をもらって、少し高いテンションのまま家に帰った。


 夜にマンションを訪ねるようになってから、僕とユアンは今まで以上に調子が良くなっていた。
 ユアンは顔色も良くなってきたし笑顔でいることが多くなった。
 僕は怪我をしても治りが今までより早くなったし、リングマからユアンを庇う時でも逃げ場のないような思いが少し楽になっていた。
 きっと居場所のないここと違って、家じゃないけど僕のことを嫌わないポケモンのいる場所、それが初めてできたからかな…

 その一方で、グレースの様子が少し変だ。
 今までは聞いてもないのに嬉々として学校の話を聞かせに来たのに、今では聞いても笑ってごまかされる。
 コバルトやレガータってアシレーヌにもそれとなく聞いてみたけど、「友達の方が話しやすいだろうし、良かったら聞いてあげてくれる?」と答えられてしまった。
 ユアンを家に置いて「チャイムがなってもいないふりして絶対に出ない」ように約束させてから、リングマの鉄くずみたいな字を読み解いて乾きものを買いに行くついでに学校近くで待ち構えることにした。
 グレースの部屋に貼っていた時間割が確かならちょうどこの時間だ、学校の傍の工場の木に隠れて様子を見ていると、他のグループに遅れて出てきた。

「この時間に会うのは初めて、かな?」
「⁉」
 待ち伏せ成功と言いたいけど、「誰だあのニャビー?」って声も聞こえたしあまりここにいない方がいいだろう。
「ちょっと聞きたいことあるんだけど、いつもの公園行かない?」


 それなりに遊具のある公園のわりには遊んでいるポケモンはいない。
 何となくブランコに乗って聞き出してみることにした。
「グレース、最近、学校どう?」
「…ルトくんこそ、最近どう?」
「質問を質問で返さないでよ、宿題だと間違いになるよ?」
「むぅ…」
 悪いけど今回は逃がすつもりはない、何としても聞き出してやる…!
「調子いいよ。最近だって、クラスの合唱コンクールで、リーダーに、なった、から…」
 目に涙を溜めながら心配させまいと答えているけど、合唱コンクールは本当だったとしても見逃すつもりはない。
 僕は素早くブランコのチェーンに飛び移り、涙をざらついた舌で舐め取った。
「ど、どうしたの⁉」
「この味は、ウソをついてる味だぜ?」
 リングマの見ていたテレビ番組でこんなシーンのあるアニメだけを特集してたのを知ってたのが役に立った。
「僕は、グレースの夢を守りたいんだ」
 そして、最後に一言本心を告げる。

 動揺したところに本心を告げられて感情が揺れ動きまくって泣きじゃくるグレースの背中をそっと撫でて落ち着くのを待つことにした。


「つまり、合唱コンクールでリーダーになってから変なことされまくっているのか?」
「うん、ぐしゃぐしゃにした楽譜に“音痴”って書いてたり、一部の子は“鼻垂れ”って馬鹿にしてくるし、階段から突き落とされそうになるし…」
 涙を拭って気丈に振る舞っているけど、かなりきつそうに見える。
 普通なら、ちょっとした辛いことでもそれなりに苦しさを感じるのが正常だ。
 そして話を聞く限りだと、最初は子供のいたずらかと思ったけど、最後なんかは普通に一歩間違えればグレースは死ぬかもしれない。俺と違ってグレースはあったかい家にいるんだ…
 なんならやってることは平気で誰かの大事なものを滅茶苦茶にするあのリングマと一緒じゃねぇかよ…!

「やってる奴の心当たりとか先生やコバルトに言わなかったのか?」
「先生は授業ばっかりで相手してくれないし、お父さんも最近忙しいし、お母さんは最近タマゴができるから…」
「先生があてにならないなら、忙しくてもちゃんとコバルトに相談した方がいいんじゃないのか?手紙とかに書いとけば時間ある時に見てくれるし、頼りになりそうだよ?」
「うん、そうする…」
「それで、心当たりは…」

 グレースはしばらく悩んでいたけど、やがて思い出したように一匹の名前を出す。
「もしかしたら、デモンコアちゃんかも…」
「デーモンコア?」
「デモンコア、クラスのリーダーみたいなカヌチャンの女の子なんだけど、そういえば“合唱コンクールでリーダーになるのは私だ”ってずっと言ってた…」
 もう犯獣そいつ一匹しかいないんじゃないかな。
「ビンゴ、だな。明日そいつの動きを見張ってみたらどうだ?すぐに尻尾出すはずだぜ?」
「でも、先生がクラスのリーダーに選ぶくらいだし、悪い仔には見えないけど…」

 気づいたらため息をついてグレースの顔を覗き込んでいた。
「悪い奴は大体外面いいんだよ、現にお前はそいつにいじめられてるどころか階段から落とそうとして殺されかけてる」
「そんな…」
 周囲が優しい環境で育ったんだろう、純粋に困惑できるグレースが羨ましい。
「早いとこ証拠掴んで何とかしよう、急いでやっつけないとグレースが危ないよ!」
「そんなこと言われても、私、上手くできないよ…」
「…動きを探るのが怖いなら友達やクラスの子と一緒にいたら怪我することは少なくなるんじゃないか?何なら先生のお手伝いしたらもう来られないはずだぜ」
「そっか、ありがとう…」
 グレースも少し元気になったらしい。
「また、時間あったら遊びに行ってもいい?」
「もちろん!今日はクッキー焼いて待ってるね!」
 グレースは元気に帰って行った。

 ずっと冷たい灰のようだった心が熱くなっていくのを感じた。
 リングマに向けて積もってきた思いにも似た、けれでもそれは騎獣クルセイダーが誰かを守るために戦うような、そんな気持ちにも似た炎のような気持ちだった。
「これ以上、グレースを俺と同じ目に遭わせるかよ…!」


 とりあえず買わされたものを買いに来た道を戻る。学校には新しい校舎に加えて古い校舎もあるらしい。建物の2階は塞がれていてあんまり使ってないことは分かった。
 そして工場の傍には様々な色のペンキ缶が沢山並んでいる。
 これを使えば大体のシナリオは描ける。
 後は細かい点を修正して確実にすればいい。
 方向性は大まかでも計画そのものは綿密に練らなければならない。

 グレースの家に行く時に、こっそりコバルトの部屋に入ってみた。
 かくれんぼするという建前のもとに入ってしまえば、ちょっとの間は調べられる。
 本棚を覗くと難しい医療の本がずらりと並んでいる中、デスクに一冊だけ古い本が置かれている。
 背表紙には「医療マニュアル」と書かれているけど、何となく読みやすそうに感じた。
 手に取って読んでみようとして、デスクに置かれた写真立てに目を奪われる。
 ゴーグルをかけたフタチマルやゾロアークの写った古い写真の中に、『騎獣クルセイダー』に出演していたガオガエンも写っていた…

「かくれんぼ中だったかな?その写真に気付くとはお目が高いね」
 コバルトが部屋に戻って来ていた。
「ごめんなさい、勝手に入ってしまって」
「グレースに爪の垢煎じて飲ませたいぐらいだよ、それにしても古い写真を見て気付くとは、騎獣クルセイダー気に入ってくれた?」
「はい、今日も続き見るのが楽しみです!」
「そうか、ナバールも喜んでるだろうな…」
 コバルトは少し遠い目をしている。

「ナバール?」
「ほら、騎獣クルセイダーに変身してるタクミ役のガオガエンだよ、昔は一緒に戦ってたんだけどね…」
「昔ってことは、追加戦士だったの⁉」
「いや、そうじゃなくて昔“月下団”ってグループに所属しててね。ナバールは月下団団長、僕はそこで戦ってたんだ」
 …ナバールとコバルト、ニュースで聞いた気はするけど何のニュースだったかな?

「昔話で良かったらまた聞かせてあげよう、ここに隠れてるのはグレースには内緒にしておくよ」
「ありがとうございます」
 昔話ってのは過去の思い出話みたいなものらしい、とりあえずこの時間を活かして医療マニュアルから手がかりを探すことにした。


・幼いポケモンは好奇心が強く、種族の近い仲間に少し誘われると簡単に危険な場所でも行ってしまう
・眼球は長時間の強い光に弱く、瞼を閉じたり光から目を背けることで対応する
・空気のない環境は3分、水のない環境は3日、食糧のない環境は3週間が生存のタイムリミット(種族によって例外あり)

 使えそうなのは大体こんなところか。
 普通にこの本の知識を全て叩き込んでおけば自力で簡単な治療もできそうだけど、のんびり読んでる時間はなかった。
 元あった場所に本を戻してベッドの下に隠れておくことにした。
 ベッドの下にも本が何冊かあって、それを読もうとした時、元気な「見つけた!」の声で強制終了した。


 翌日、今日は珍しく帰って来ていたマフォクシーがユアンを連れて出かけたので、比較的動きやすくなっていた。
 昨日はそれなりに動いていた工場も、今日はどちらかというと騎獣クルセイダーで戦場になってそうな廃工場みたいな雰囲気だ。
 ピンクのペンキもちゃんと健在、誰かの忘れ物みたいな工具の入った布バッグもキャットウォークに置かれている。

 次にグラウンドの隅にあるフェンスの破れた場所を通って学校の敷地に忍び込む。
 一生必要ないと思ってたグレースの学校情報が意外にも役に立った。
 古い校舎というよりは荷物置き場と化しているのか、普通に1階の窓に鍵がかかっていないレベルには不用心で助かった。
 2階は窓も鉄板で中から塞がれた一室だけで、黒板に五本の横線の模様がある辺り、普段使う感じじゃないだろう。足元に気を付けようと思ったが、意外にもホコリもほとんどなくて自由に動けた。
 古い投光器やラジカセ、余った机なんかもここに保管しているらしいが、蛍光灯がないあたり本当に教室として使う気はないらしい。
 急がないと下校の時間になってしまう。気配を消して古い校舎の周りを確認すると、電気を操作するスイッチは何故か外にあった。ブレーカーだったっけ?
 とは言ってもこれでシナリオは完成した。ぶっつけ本番にはなるけど、やるだけやってみせる…!

 工場に戻ってペンキの缶を曇りかけた鏡の前に運んだ。



 今日は色々と不完全燃焼だった。
 間抜けな癖に合唱コンクールでリーダーに選ばれたグレースに今日も意地悪するのが楽しみで学校に行ったら、今日は何故か他の子と一緒にいたり何なら先生の傍にいたりして、なかなか一匹になる瞬間がなかった。
 まるで誰かに入れ知恵されたみたい。グレースのくせに隙を見せないなんて気に入らない。
 あれは鬱憤を晴らすにはいい材料だったのに、これが毎日続くようじゃこっちだって困る。
 早くどんな風にいじめるか考えなきゃ…

 苛立ちを隠し切れないまま校門を出た時、鏡に写った自分が飛び出してきたような姿のポケモンが走り去って行った。
「デモンコアちゃんだっけ?一緒に遊ぼ?」
 同じ種族はこの町にそう多くない、私と同じカヌチャンなら全員知ってるはずなのに、こんな男の子みたいな声の子は会ったことがない。
「とっておきの場所があるんだ、一緒に遊びに行こうよ!」
「それより君誰?知らない子と遊んじゃいけないってママに言われてないの?」
「こっちは君のことをよく知ってるよ?と~っても悪い仔なんだってね!」
「何馬鹿なこと言ってるの?私は日曜日にだって塾も行ってるし、これからも帰ったらお稽古が三つも…」
「つまり、君の大好きなママは君をマリオネット同然に考えてるんだね!操られるがままに動かされて、反抗したり失敗して使い物にならなくなったら月曜日の燃えるゴミにされちゃうマリオネット同然に…!」
 聞こえてくる言葉に思考がぐちゃぐちゃになる。
 ママが、私をマリオネットとしか思ってない?
 確かに言うこと聞かなきゃ怒られるし叩かれたこともある。
 でも、それは私のことを大好きだからってママが言ってたけど…

「それでもママは、私を大好きだって…!」
「聞いたことないかな?ポカブを育てるのは食べるため、グルトンを育てるのも食べるためだよ!つまりママが君を育ててくれてる理由も分かるよね?」
「まさか…」
 私を、ハンマーの素材にするため…?
 時々機嫌のいい時に言ってくれた『ハンマーにしちゃいたいぐらい可愛い』っていう言葉の意味もこれではっきりした。

「知ってるなら何とかしてよ!このままじゃ私ママに食べられちゃう!」
 奇妙な声に叫んですがりつく。もしかしたら私は来週殺されるかもしれないし、今日家に帰ったら生きたまま全身を引きちぎられてハンマーの素材にされちゃうのかもしれない。
「もちろんいいよ、君が助かる方法はただ一つ、君のママより強いハンマーを作ることだよ!」

 いいハンマーの素材があるから付いてきて、という声が少しずつ遠くなっていく。
 その声を必死に追いかけて行く、これが最後の希望なんだ…!


「ここだよ、早く早く!」
 奇妙な声ははこの工場の中から聞こえてくる。
 中には誰の姿もないし工場の機械も動いていない。
 古びた台車が動いたように見えて心臓が止まりかけたけど、気のせいだったらしい。
 どこかに隠れてるのかもしれないから、慎重に歩いて行く。
 少し入ったところで、階段を上がっていくような金属音がする。
 急いで見回すと、高い所の足場へ上がるための階段から音がしたみたいだけど、誰かが登った姿はない。
「ねぇ、どこにあるの⁉早く最高の素材のありかを教えてよ!」
 そう叫ぶと足場から何かが落ちてきた。
「あれは、精錬された金属だ…!」
 駆け寄ってみると綺麗で丈夫な工具がいくつか転がっていた。
 これでどうハンマーを強化しようか悩んでいた時、上から頭を強く殴られた。
 その後も上から続けて殴られて、背中に何かを刺されたような感覚に続いて首を叩かれ目の前は真っ暗になっていく…



「ねぇ、流石に僕も雄なんだけどな…」
「でも夜の病院はトイレ行くの怖いから…」
 今日はお父さんが夜勤の日で病院にお泊りコースだったんだけど、今日は勇気を出したりしなくてもルトくんが傍にいる。
 とはいっても恥ずかしがったから男の子用の個室を使ってるけど、それでも目に見えて不満な感じ。
「だから、なんで僕まで一緒に入らなきゃいけないの?」
「だって、一緒にいてくれないと漏れちゃいそうな時でも怖くておしっこ出ないから…」
 それこそ家でも夜は結構怖くって、ベッドの中でバルーンの中にこっそりしたことも一度や二度じゃない。
「なぁ、いつまで待たせるんだ?」
「待って、そろそろ出そう…」
 宣言通り、ようやくおしっこが出始めた。
 暗くて怖いから緊張して全然出なかったのに、いざ出始めるとなかなか終わらない。
「はぁ…」
 ちょっと恥ずかしいけど、いっぱい我慢してたから気持ちいい…

 ふと気づくと、ルトくんが私の方を見たまま固まってた。

「おーい、ルトく~ん」
「…ん?ああ、ついボーっとしてた…」
「そんなに私のおしっこしてるとこ珍しかった?」
「いや、そんなのじゃなくて…」
 よく考えたらスリッパみたいなトイレでおしっこしてるから、私のおしっこもおしっこの出てる場所も、全部斜め前から私を見てるルトくんにはまる見えのはずなんだけどね?
「ユアンの世話してる時の癖でつい、な。雌がしてるとこは初めて見たけど…」
「そっか、弟のお世話頑張ってるんだっけ?」
「俺が面倒見ないと誰もいないからな、最近はユアンなりに頑張ってくれてるけど…」
 一瞬普通の男の子っぽかったのに、また大人びた感じに戻っちゃった。

「ねぇ、ここ紙で拭いてくれない?」
「…自分でやれよ」
 ちょっと頑張って誘ってみたけど断られちゃった。仕方なく紙を切って割れ目を綺麗に拭き、全部流して出た。

「ちゃんと綺麗に洗えよ?」
「分かってる、ねぇルトくん」
「なんだ?」
「ほっぺがピンク色になってるよ、なんか付いた?」
「…」
「おーい」
「…あぁ、さっき絵の具が跳ねたからそれが顔に付いたのかもな!」
「もぅ、意外とおっちょこちょいなんだね!」

「…グレース、先行っといてくれる?」
「いいけど、おしっこ?」
「わざわざ言わなくてもいいだろ…」
「いや、私もルトくんのおしっこするとこみたいなって」
「やめろ!」
 私から離れて背中を逆立て、完全に戦闘態勢になって叫ばれた。
「ごめん、ちょっと言い過ぎた…」
「…私こそごめんね、恥ずかしいよね」
 珍しく感情を剝き出しにしてた勢いに負けて外に出たけど、今日は負けただけだ。
 私だけ見てないのが悔しいってのもあるけど、見たいって欲望の決め手は好奇心。
 いつか必ず、ルトくんのおしっこしてるとこをこの目に焼き付けてやるんだ…!

 謎の決心をしてから戻ると、お父さんが何か忙しく電話の応対をしていた。
 お仕事にしてはクラスの子の電話番号の書いた紙を出しているのが気になったけど、私がいても分からないことだし、騎獣クルセイダーを見る準備でもしておこうかな!



 一番奥の個室でそっと火を放ち、ペンキの付いたままだった毛を燃やしておく。
 計画は上手く行った、何も問題はない。

・ペンキを使ってカヌチャンの姿になり、一匹でいる所を狙って友達のふりをして工場に誘導する。
・キャットウォークのへの階段を紐で結んだレンチを引っ張り上げることで、たった今階段を上ったように錯覚させる。
・工具を餌にしてキャットウォークのすぐ下に来るように誘導する。
・工場に落ちていた工具を上から落とす。

 医療マニュアルの情報によれば、上手くどれかの工具が突き刺されば計画はこの時点で大成功だったけど、プラスドライバーが一本刺さっただけだったので、通常通りの計画に戻した。

・工場にあった台車を使って古い校舎の2階にある教室に運び込む。
・投光器の配線で古い椅子と机に縛り付けて固定する。
・工具の中にあったホッチキスで瞼を固定しておく。
 それまでは意識を失っていたけど、流石にホッチキスで瞼を留めると痛みで暴れ出したので、首を3発殴って気絶させておいた。
 また声を出されても面倒なので、部屋の隅に転がっていたボロ雑巾をペンキに浸しておいたものを口の中にねじ込んでおいた。
・そして投光器の向きを調整して、でたらめな周波数に合わせたラジカセのイヤホンを両耳に差し込んで音量をMAXにセットする。
・リングマが見ているような犯罪ドラマの事件現場のように足が付かない程度の飾り付けをする。
・仕上げに鍵穴とドアの隙間に油粘土をねじ込んでフェイクのバリケードを作り、外からブレーカーを起動させれば完成。
 学校も行ってない僕の浅知恵だけど、グレースが楽しく学校に行くためにはこれぐらいの賭けには出なければいけない。
 頬の毛にペンキが残ってたことにコバルトが気づいてなければ問題ない。

 このままデモンコアってやつが3週間発見されなければ全て上手く行くだろうし、学校に行けなくなるなるだけでも十分だ。そのためにわざわざ瞼を開かせて投光器を点灯して来たんだ。
 ついでにラジカセもでたらめな周波数に合わせてリングマが布団の下に置き忘れた安物のイヤホンで聴かせてやる大サービス付きだ。


 不思議と心の中に勇気が湧き上がってくるのを感じた。
 これまでは防戦一方だった傷だらけの日々だけど、これが上手く行けば僕はグレースの夢を守ることも、あのリングマをやっつけてユアンと幸せに眠ることができるかもしれない。
 まるで僕が騎獣クルセイダーに変身する力を手に入れた気分になって、高笑いでもしたくなったけど、コバルトはもちろんグレースにもユアンにも知られてはいけない。
 1秒間に10回呼吸するような気分のまま深呼吸をして気持ちを落ち着ける。

 このまま戻ろうと思ったけど、後ろ足のきゅっとする感じにしたくなっていたことを思い出した…


 翌日はユアンに貰い物のきんぴらを食べさせながら、外がやけにうるさい事に気付いた。
 幸いなことにリングマは外に負けないレベルのいびきをかいている。そっと薄いガラス越しに外を見ると、グレースの通う学校にパトカーが大集合しているらしい。救急車も来てるのか?
 外には出ない方がいい気がしたけど、パトカーと聞いてユアンは無邪気にはしゃいでいた。本当に逮捕すべき野郎と助け出すべき小さな命に気づかない馬鹿しかいないのにな…

 夜になるとこっそりと抜け出してグレースの家のインターホンを押した。
「良かった、お父さんが学校に呼ばれて私だけじゃ心細かったから…」
「学校に?何かあったのか?」
「それがね、実は…」
「とりあえず、入れてくれるか?」
「うん、入って…」


 用意してくれていたクッキーとジュースにありつきながらグレースの話を聞く。
「実は、デモンコアちゃんが旧校舎にキンカンされてたんだって」
「デモンコア、誰だっけ?」
「ほら、この前ルトくんが私に意地悪する奴だって言ってた…」
「そんな奴もいたっけ。それでキンカン?監禁か?」
「それそれ。昨日の夜からずっと行方不明になってたらしくて、今日のお昼頃に工事のおじさんが見つけたって…」
「死んでくれたの?」
「ううん。お父さんの電話盗み聞きしたら生きてるみたいだけど、耳が聞こえにくくなって目はまったく見えなくなっちゃってるんだって…」
 昨日のあいつか、一晩じゃ流石にまだ死んでくれなかったか…

「それと…」
「それと?」
「話しかけてもまともな返事が帰って来ないらしくて、ずっと“ハンマー”とか“ママ”とか“食べられる”みたいな単語しか言えなくなっちゃってるんだって。必死にお母さんに助けを求めてとっても怖かったんだろうね…」
「あぁ…」
 当初の予定とは大きく異なったけど、これで合唱コンクールでグレースの邪魔をすることは不可能だろうし、何なら学校からいなくなるかもしれない。

「今日は安全のために家に帰ることになったんだけど、学校から来たファックスだと“とっても大柄で肉食のポケモン”に注意した方がいいんだって」
 注意をそらすために黒板にはアンノーン文字で『MARIONETTE』と刻み込んでおいたが、それがいい感じに作用してくれたらしい。
 仮にあれが飾りだと気付いても僕に辿り着くことはないだろう。

「へぇ、それは外を歩く時も結構気を付けないとな」
「だったらリングマとかは特に気を付けないとね!」
「…あ、ああ…!グレースも狙われないように気を付けろよ?」
 突然グレースの口から出てきた“リングマ”という単語に動揺してすぐに返事をできなかった。
 何かの手違いであのリングマが通報されて、生まれたことを含めた全ての悪事が芋づる式に出て来て逮捕されるなら、夢の中でもいいからそんな未来に出会いたい。

「そうだね、でも私は何故か大丈夫な気がするんだ」
「どういうことだ?」
「何となくだけどね、この事件は誰かが私を守ってくれるために起こした、そんな気がするんだ」
「…」
「なんてね、困った時はルトくんが助けてくれるから大丈夫だよね!」
「おいおい、せめて騎獣クルセイダーにしてくれよ?」
「でもルトくんはタクミとちょっと似てる気がするよ?」
「そりゃ種族も近いからな」
「そうじゃなくて、それ以上に魂が似てるというか…」
「『やれやれ…テメーが働いてきた悪事、そのツケは金では払えねーぜ!』こんな感じか?」
「すごーい、ルトくんはタクミそっくりだよ!」
 グレースは騎獣クルセイダーみたいなヒーローが本当にいると信じているらしいけど、今はそれでいい。
 きっと僕だけがヒーローを待ちきれずに現実を見てしまっただけだから…


TURN04.75 死神が目覚める日 その3


 あれから数週間、グレースの合唱の練習に付き合ったりコバルトのご飯にご馳走になったり、ユアンの面倒を見たり、リングマの繰り出す理不尽の嵐にじっと耐えたりしたけれど、特にデモンコア関連で僕にとって悪いニュースもなく、デモンコアの家族どころか同族のポケモン自体が投光器に照らされた影のように町から消えていなくなったらしい。
 どうしてこんなことになったのかは俺にも分からないけど…

 一つだけ確かなことは、いじめられなくなったグレースは合唱コンクールのリーダーとして奮闘、見事に学年での金賞に耀いたことだけだ。
「これで夢に一歩近づいたよ!」と得意げに賞状を見せて来たら誰だって分かるけど。



 その日は運悪く具合が悪くてしんどかったところに、リングマから暴力を振るわれた後に塩水をかけられてしまった。
 随分手の込んだ事しやがると内心毒づいたけど、全身がだるくて泣いているユアンを慰める気力すらなかった。
 立ち上がることもできずに血と毛玉の混じった胃酸を畳にぶちまけた数分後には窓から投げ捨てられていた。

 他に誰も住んでないような安普請の平屋アパートだから、投げ捨てられても大した痛みはない。
 けれど具合の悪いところに塩水をかけられた後なら、別のダメージに変換されて容赦なく赤ゲージからも体力を奪っていく。
 ユアン、夕飯の用意はできそうにないよ…
 視界が消える直前に一瞬だけシャボン玉を見た気がする。


 口に入ってくる木の実の味を必死に求める。
 今の木の実は甘くない。辛い?苦い?渋い?酸っぱいね?
 というかどうやって僕は木の実を食べている?
 ホッチキスで留められた訳でもないのに重い瞼をこじ開けると、グレースが心配そうに覗き込んでいた。
「道に倒れてたの覚えてる⁉お父さんの治療があと2時間遅れたら死んじゃってたんだよ…」
 グレースに言われても頭が回らないぐらい痛い。炎タイプであることを考慮しても高い熱が出ているらしい。
 あれが死ぬ前の感覚だとしたら、死ぬ時はなるべく苦しくない手段を考えたいな…
「そんなに心配しなくても休めば元気になるから、ゆっくり寝ててね」
 コバルトに頭を撫でられて、再び眠気に思考を手放した。


 隣でグレースが眠っている。
 カーテンから差し込んでいるのは朝日か?
「おはよう、顔色も良くなったしもう大丈夫かな!」
 念のために体温を測られたけど反応を見る限り大丈夫だろう。

「そういえば今日って…」
「ああ、7月26日だね」
 待てよ、確か俺が倒れたのが24日の昼過ぎで今は26日の朝…?

「じゃあ僕は丸一日…⁉」
「君の体は頑張りすぎてたんだ、丸一日眠ってても大丈夫だよ」
「いや、問題なのは僕じゃない…」
 丸一日僕があの家にいなかった、それで一番危険に晒されるのは僕ではない。

「ユアンが、ユアンが危ない…!」
「ルトくんの弟がどうかしたの…?」
「なんだって!それは本当かい⁉」
 どうやらグレースの部屋で寝かされていたらしい、急いで外に飛び出そうとするとコバルトに止められる。
「万一に備えて僕も行こう、こう見えても僕だって速い乗り物持ってるんだよ?」


 四つの足にタイヤを付けたコバルトは息切れ覚悟で走っても10分では足りない距離を僕とグレースを乗せたままカップ麺を作るような時間で到着した。

「なんだ朝っぱらから安眠妨害しやがって!」
「お宅にユアンってお名前のヒメグマがいると聞いたのですが?」
「…お前には関係ないだろ!」
 コバルトに詰め寄られたリングマは、一瞬図星のような反応を見せて色落ちした傘を掴む。
「二度と来るな!出ていけ!」
「下衆が…!」
 一瞬コバルトの姿が黒っぽく見えたような気がしたが、振り下ろされた傘をアシガタナで受け止めて逆に斬り落とした姿は普通だった。
「しばらく眠ってろ、ポケモンの皮を被った悪魔め!」
 傘を斬り落としたアシガタナの刃を横にしてリングマの利き手を叩き、柄で素早く後頭部に一撃叩き入れるとリングマはその場に崩れ落ちた。アシガタナで斬るまでもなかった相手にすら手も足も出なかった自分が情けない。
 そしてコバルトが滅茶苦茶すごい…

「…君も、大変だったんだな」
 返す言葉が思いつかなかったけど、邪魔物はこれで片付いた。


「ルトくん、大変だよ!」
 グレースの声で我に返り、慌てて家の中に入るとぐったりしたユアンが倒れている。
「ユアン、しっかりしろ!」
 手足は冷たくなっているし、呼吸の様子も変だ。揺さぶって声をかけても反応がない。
「一体一日で何があったんだよ!返事してくれよ!」
「落ち着いて、症状を確認するから…」
 コバルトが症状の診断をしている中、ふと近くに灰皿が落ちているのに気がついた。濡れた吸い殻が何本も入っているのに灰皿に液体の入っている感じがない。
「この灰皿、水がなくなってる…?」
 それを聞いたダイケンキの顔が深刻そうになる。
「灰皿の水?だったら急いで病院に搬送して治療しないと!」
 確かタバコにはものすごい毒が入っていて、吸い過ぎると死に繋がるとは聞いたことがある。
 その毒でリングマが死んでしまえばいいと思ってたのに、ユアンが毒にやられちまったのかよ…!
「タバコ水を誤飲したヒメグマをそっちに搬送する、急いで治療の準備を進めてくれ!」

 再びコバルトのタイヤ付けた謎のマシンに乗って病院を目指す。
「そういえばルトくんのおうち、おもちゃが何もなかったね」
 グレースの言葉に何かを返すだけの余裕もなかった…


「ルトくん、元気出して?きっと良くなるよ」
「…」
 グレースの慰めも拒まないこと以外何もできる気がしない。
 治療は進められたものの、ユアンは病室でいろんな器具に繋がれて目を覚まさない。
 もし僕が倒れていなければ、もし僕がユアンの事を少しでも話題に出していれば、もし僕がコバルトみたいにあのリングマを倒せる力を持っていれば…

「僕が、ユアンをこんな目に遭わせてしまったんだよな…」
「そんなことないよ、だって…!」
 グレースも返す言葉が思いつかないらしい。無理もない。
「そうだ、実は私のお母さんもここに入院してるんだけど、実は病気じゃないんだって」
「病気じゃないのに入院?」
「そう、私はもうすぐお姉ちゃんになるんだって!」
 弟か妹ができる、ということか?
 僕にはしくみがあんまり良く分からないけどな…


「にぃちゃん…」
 気のせいかと思ったけど確かに聞こえた。
 眠っていたユアンが弱々しく目を開けていた。

「グレースは早く看護師さんを呼んで!」
「分かった!」
 グレースが呼びに走っている間にユアンの手に触れる。

「ユアン、分かる?すぐに助けてもらえるから頑張って!」
「あり、が、と、う…」
「ユアン?」
 呼びかけても返事がない。近くにあった何かのメーターも横線と0が表示されていた。
「ユアン、まだ眠かったのか?話たいことも聞きたいこともいっぱいあるんだよ?」

 グレースが呼んできたポケモン達が必死に起こそうとしていたけど、コバルトは残念そうに首を横に振った。


「きっと良くなるから、元気出してね?」
「うん…」
 待合室に用意されたオレンジュースも今日は酸っぱいだけの冷たい汁に思える。昨日までだったらグレースと同じように美味しく飲めたはずなのに…
 グレースはユアンがもう二度と目を覚まさないことをまだ知らない。もしかしたら知らない方がいいかもしれないけど。
 コバルトも仕事に戻ってしまった。これから僕はどうすればいいだろう…?
 あのリングマは今まで以上に僕を攻撃することは間違いないだろうし、最悪の場合僕は殺されてしまうかもしれない。 というよりあの家で僕とリングマだけになる、ユアンの死に気づけばその日のうちに“事故死”に仕立て上げられてしまう。
 警察なんて頼りにならない。コバルトだって病院でのことやグレースだっているし期待はできない。無理もない話だけど。
 ユアンの死は機械の部品が一つ外れたみたいに僕のいろんなことを狂わせていく。
 止まっていても孤独か死ぬか、進んだとしても孤独か死ぬか、僕の行動に関係なく運命は迫っている。

 僕の力で戦うことも考えたけど、コバルトみたいにボールペン片手に倒すどころか拳銃を手に不意打ちを仕掛けても、あの汚らしい手で首の骨をへし折られるかサンドバッグのように苛立ちの捌け口になり果てて死ぬか、あるいは僕に想定できない程怖い手段で死んでいくか…
 畜生、ユアンはあいつのタバコのせいで死んだのにこっちはやられっぱなしかよ…!

 いろんな感情がぐちゃぐちゃになってただ小さく震えているのが精一杯だった。
 ユアンの目が開くよりも前に“泣いても無駄、それどころか殴られる”と気づいて以降流さなくなった涙はこんな時も流れないままらしい。
 欠伸でもしてみるか?…やっぱり無駄だな。
 仮に涙を流せたところで何かを残せる訳じゃないし、まだ血を流した方が傷と痛みを残せる。

 いつの間にか西日も沈みかけているガラス越しに救急車の赤い光が見える。
 それを見て、絶望の中に放り出された僕の頭は回り始めた。

 どうあがいても絶望、だけどあきらめない。


「グレース、ちょっと家に忘れ物があるから取りに戻る」
「お父さんはしばらくここで待ってろって言ったけどいいの?」
「大丈夫、そんなに時間はかからないから」
 それだけ言い残し網戸を、開けて外に出た。


 開けっ放しだったドアは一応閉じていたけど鍵なんてかかっているはずもない。
 案の定リングマは酒に酔い潰れて眠っているがむしろ好都合だ。
 空いてるのは全部強めの酒だしさらにいい。

 押入れの奥から赤いタンクを引っ張り出して中身を確認すると、ほんのり酸っぱい臭いがした。
 リングマは冬になるとヒーターに使う燃料を買って一匹ぬくぬくと使っていたが、夏まで放置されてすっかり変になっているらしい。
 これだけ余ってるなら僕とユアンも寒い思いをせずに済んだのかもな…
 即席の湯たんぽ代わりになってあげた頃が懐かしい。
 大きめのタオルを持って来て、タンクの中身に浸してリングマの腹にかけてやった。
「お腹出して寝たら風邪ひくよ?」
 ユアンに言ってたみたいにわざと聞いてみたけど反応はない。そのまま眠っていればそれでいい。
 残ったタンクの中身は上手く運ぶのに苦労したけど、予定中心地とリングマの周囲を中心に巻いておいた。
 そして、部屋の隅に転がっていたガラスの灰皿と吸い殻を拾い上げて床に置いた。
 ユアンはこの灰皿の水を飲まされて死んだんだ、水なんか入れてやるかよ…!
 転がっていた吸い殻は乾燥しているおかげで手間が省けそうだ。
 吸い殻をぎっしり詰めなおして、箱からタバコを一本取り出す。
 そして煙を吸わないようにしながら点火、断面全体に火が点いた瞬間に消して灰皿に突っ込んだ。
 燃えずに残った吸い殻の山に、小さなオレンジ色の光が見えている。

「僕の、時限爆弾だ…!」
 グレースの夢を守る時は登校できなくなるだけで十分だったけど、今回は確実に死んでくれないと終わりだ。
 けれども何もしなければ僕が死ぬかもしれない、だったらやってみる価値はある。
 ドアに鍵をかけて隙間から火を吹いて変形させて、鍵は近くの自販機のゴミ箱に捨てて走り出した。


「ルトくん!大丈夫だった⁉」
「…何とか、これで上手くいくはずだけど、僕はこれから…」
 仕掛けを終えて数時間、最初に出会った公園で待っていてくれたグレースと話していると背後から強い殺気を感じる。
「避けろ⁉」
 怯えたグレースを咥えて横に飛ぶと、地面が抉れるような音がした。

「ルトくん、あれ、何…⁉」
「…あいつ、確かに焼き殺したはずなのに⁉」
 全身の毛皮が焼け焦げ、あちこちに火傷ができながらも、ゴルフクラブ片手に僕を殺しにやって来たリングマはもはや狂気で動いてるとしか思えなかった…
「グレース、早く逃げろ!」
「でもルトくんはどうするの⁉」
「こいつはもはや騎獣クルセイダーの敵レベルだ、時間稼ぐから早く!」
 グレースの動きを追う余裕すらない、コメント待たずにこいつを何とかしなきゃ…!

「死にやがれ二酸化炭素製造機!!」
 滅茶苦茶に振り回してくるゴルフクラブを僕の方に誘導しながら躱し、口の中に毛玉を蓄えていく。
 僕とあいつが正面に入った瞬間、その一瞬で決める…!
 リングマがクラブを上段に構えた、今だっ!
 口の中に入れた毛玉を一気に解き放ち、火の粉よりも上の火力、炎の誓いの火力で毛玉を燃焼させて撃ち出した。
 よし、体に全弾命中…!
「すごいよルトくん!私より誓い技上手いよ…!」
「グレースが教えてくれたからだよ、じゃなきゃ僕は覚えられないし…」
 胴に激痛が走った感覚と地面に転がっていたのが同時。

「ガキども、腐葉土になるまでなぶり殺してやる…!」
「嘘だろ⁉火傷したとこ狙って左目まで焼けてるのに…⁉」
 こいつを動かしてるのが何なのかすら分からない、とにかく今は痛みで動けないということしか…
「たぁっぷり耕してやるよ!」
 ゴルフクラブがゆっくりと振り上げられていく。僕はここで、死ぬのか…?
「やめて!」
 水の誓いを放ちながら僕を庇おうと視界の前に入った震える青い体は、必死に動いたことを物語っていた…
「ほう?いい女だがどうだ?玩具になるなら痛いことなしにしてやろうか?」
「おじさんきもいよ!来ないで!」
 バルーンで必死に牽制するグレースが、あっけなく奴の足で蹴り飛ばされた…

「グレース…!」
 倒れるグレースに呼びかけても返事がない。
 もう今度こそ終わってしまうのか…?
 ユアンも、グレースも、そして僕も、あっけなくこんな奴にあっさり殺されて終わってしまうのか…?
 何一つできないまま?何も守れないまま…?
 震えが止まらない右の前足に包まれる感触、生きてるだけでもまだ良かったが、このままじゃいずれどちらも殺される…
 あのリングマからグレースを守るには、下手な守り方じゃダメだ…
 そうだ、殺すしかないんだ…
 守るためには、殺すしかないんだ…
 だけどその力がないから、守るための、殺す力さえあれば…!

 振り下ろされるゴルフクラブがとてもスローで、痛みに備えてぎゅっと目をつぶることだけしかできないのかよ…


――ガキインッ!

 振り下ろされたゴルフクラブが何か金属とぶつかったような音がする。
 恐る恐る目を開けると、黒い何かが俺を狙ったゴルフクラブの一撃を防いでいた。
 …コバルト?
 にしては青くなくてむしろ赤い…?
「何だこいつ、どこにこんなオモチャ隠し持ってやがった…⁉」
 あいつの驚く様子に目を見開くと、黒の金属の体を持ったおもちゃみたいなポケモンが、僕に背を向けてYの字に翼を広げていた…
「こんなオモチャ叩き壊してやる!」
 ヤヤコマぐらいの大きさしかなさそうなのに、ゴルフクラブでいくら殴られてもそのポケモンはびくともしないどころか、しまいにはゴルフクラブの方が折れてしまった。
「何なんだよ、このポケモン?何しに来たんだよ…?」
 一体何なのかすらも分からず新たな敵に警戒する俺に、そのポケモンはゆっくりと俺の方を向いた。
 背中は黒だったけど、表は赤と黒の綺麗な姿をしていて、灰の煙のような首元や灰と白で輝きを見せない瞳が明らかにただのポケモンじゃないことを示していた。
 得体の知れないポケモン。なのにその姿を見た時、俺は始めから知っていたようにその名前を呼んでいた…
「イベル、タル…?」
「…!」
 俺の呼びかけにイベルタルが反応した…?
「まさか、守ってくれてるのか…?」
「♪」
 ゆっくりと頷くような仕草を見せた時、僕の心に光が差し込んだのが分かった。
 暗く重く固まっていた心がグレースにほぐされて、このイベルタルが内側から繭を砕いてくれたことで見えた光だ。それが業火や返り血の光だとしても、俺は掴んで見せる…!
「一緒に戦ってくれ、イベルタル!」
「!」
 願いに応えるようにイベルタルは翼を広げて飛び立ち、リングマのブレイククローを難なくすり抜けて上昇、旋回しながら黒いエネルギー弾を乱射した…!
「クソがあぁっ⁉」
 イベルタルの悪の波導の乱射の前にリングマは捌ききれずにダメージを受けて膝をついた。

「♪」
 あいつを本当にやっつけた、俺の声に耳を傾けるどころか、聞いてくれるポケモンがいるなんて…
「!」
「…俺が、あいつを殺せってことか?」
 イベルタルの提案らしき反応を確認した時、イベルタルの姿が消えて、その直後に俺の背中に熱が乗り移るのを感じた。
 熱さはあるけど不快感はない、むしろこの感覚が俺の一部だったみたいだ…

「このガキ、急に調子に乗りやがって…!」
 折れたゴルフクラブを短刀のように構えて傷だらけで突進してくる様も、今では滑稽に見える。
 心に浮かんだイメージの通り、口の中に火の粉を蓄えあらゆる思いを乗せて叫ぶ。

「リングマよ、焼け死ね!」

 火の粉がイベルタルの姿になり、リングマの体を貫いて飛び去った。
 ただそれだけのはずだったのに、リングマの全身から俺のものじゃないような赤黒い炎が噴き出して燃やし始めた。
「クソオオッ、なんで俺がこんな目に、こんな目にぃぃっ…⁉」
 炎に焼かれながら狂い悶えていたリングマの動きが叫び声と共に突然静かになり、後には灰の山が残っているだけだった…


「…あれ、ルトくん?」
「良かった、グレースも無事だったんだな…」
「特に怪我もしてないし、さっきのきもいリングマは…?」
「……やっつけてくれたんだ、通りすがりのポケモンが」
 あのイベルタルは姿を消してから全然見えないけど、グレースにはこれでいい。

「それで、ルトくんはこれからどうするの…?」
「…そうだな、俺はこれから旅に出ようと思う」
「旅って、お父さんに相談したらきっとなんとかできると思うから…!」
「いいんだ、これまで助けてくれたおかげで俺も今日まで生きられたとこはあるし、これ以上迷惑もかけられないからな…」
「そんな…」
 また泣き虫モード発動しそうになってるのを、そっと頭を撫でてみる。
 正直どうなるかは分からないけど、ここにいて迷惑かけるぐらいなら俺一匹で生き抜く方法を考えた方がマシなはずだ…
「…じゃあ、ちょっと待っててね…!」
 涙目で慌てて走って行った数分後、ショルダーバッグやらカメラやら色々大荷物を抱えて戻ってきた。
「これ、おうちに置いてあったから持って行って!」
「こんなバッグ、一体どこから…?」
「お父さんが台所に置き忘れてたんだ、色々入ってたから役に立つと思うよ…!」
 中を開けると食料や水の他に簡単な救護キットやお金、色々な連絡先や対処法について書かれたマニュアルも入ってる。
 しかも騎獣クルセイダーのストラップの裏に俺の名前書いてるんだが、これって…?

「あと、一緒に写真撮ってくれる?」
「いいけど…」
 ゲーム機を開いてグレースがボタンを押すと黒い丸の横が光り一枚、さらに四角いカメラで一枚。
「はいこれ、時間経つと写真になるよ」
 渡された写真を受け取った時、体に熱いものが全身に行き渡る感覚がした。
「なんだこれ?体が光って…」
「ルトくん、それって…」
 お互いにこのイベントが進化の兆候だと気付くよりも早く、俺の姿は一回り大きくなっていた。

「なんか、ニャヒートに進化できたな…」
「クラスの男子より進化早いなんてすごいよ!」
「そっか、ありがとう…」
 予想外のイベントが起こったのは、多分あいつを殺して経験値が入ったからだろうけど、行方をくらますなら進化した方が都合もいい。
「元気でね…」
 口元に優しく触れる肌の感覚。
 初めてなのに、もう二度と感じられないのかと思うと今更俺も辛くなってくる…
「グレースも歌手になってね、俺がどこを旅してても歌を耳にするぐらいの立派な歌手に…!」
「うん、頑張る…!」


 泣き声混じりな小さな歌声と共に鰭を振って見送られながら、町の境目まで来た。
 遠くでは大火事が起こっているらしくアパートがあった辺りが炎の光に照らされているがあれでいい。帰る場所のふりをした戻りたくない場所なんてあってないようなものだから…

 いつの間にか写真に変わっていた俺とグレースのツーショットをバッグに戻して、行く先もあてもない冒険への第一歩を踏み出した。



 to be continued…


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