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※※※※(第十四回仮面小説大会にはエントリーできませんでした……
「睡眠15分前に1回2錠服用すること」
処方箋にはそう書かれていた。
小瓶から取り出した2粒の錠剤を、木製の小卓の上に丁寧に並べ、俺は長いことその錠剤を眺めていた。早く飲めばいいものを……と自分でも思ってはいるのだが、ひどく疲れている時にひとっ風呂浴びたり溜まった食器を洗ったりするのが億劫なように、俺はこれを服用するのが面倒でたまらないでいる。
もちろん、それを飲まなければならない理由があるから、睡眠薬を処方してもらっているのだ。諸々の理由で、俺はひどい不眠症を煩い、ついには薬の助けを借りなければならないまでになってしまった。現在の職場で働き始めてから、もう3度目のハロウィンが来ようとしている……
夜はすっかり更けている……窓の外では、ゴーストやらムウマやらが我が物顔で世界を闊歩しているころだ。同じゴーストの第6感とでもいうやつが同士の存在を察知し、そのせいで頭の辺りがズキズキと刺激されるのが、また眠りを阻害してくるのだ。ああいう自由奔放な連中と違って、俺は朝になったらまた働かなくちゃならない。だから、どちらにせよ無理にでも眠らないといけない。
したがって、俺はこのキノコのほうしを独自にブレンドしたとっておきの睡眠薬を口に含まなければならないのだ……かかりつけのスリーパー医師(いかにも眠りの専門家然としている)によれば、パラセクトとキノガッサとリククラゲの良質な胞子を彼独自の理論で配合した特製薬という。曰く、一口にキノコのほうしと言っても、その三匹のキノコのほうしは微妙に効用が異なっているという話で、それからパラセクトとキノガッサとモロバレルとマシェードとリククラゲの胞子が具体的にどう違うのかを、診療室では延々と聞かされた。スリーパー医師はどうも社会的に何らかの鬱憤を抱えているらしく、その類の連中には往々としてあるように、持論の開陳はやがて同業者への、そして何らかの権威に対する当てこすりへと変わっていったのだが、俺にとってはそんなことより問題なのはオニシズクモの水泡のようにねっとりと俺に付きまとっている、このどうしようもない不眠なのだ。
厄介なことに、ゴーストポケモンという眠りとは無縁そうな俺のようなゴースト——申し遅れたが俺はオーロットである——でも、適切な時間を眠らなければろくに疲れを取ることができないときている。寝不足に陥ると、目元にぽっかりと開いた洞に灯る俺の一つ目の周りに隈ができる代わりに、輪郭がひどくぼやけて、色味もくすむので、まるでいい加減な水彩画のような塩梅になってしまう。それを見て同僚のブロロローム——後で話すが、非常に鬱陶しい——がすかさず、
「どうしたどうしたぁオーロット君! これはもしや……“寝不足”かあ?!」
とか、心配しているのか揶揄っているのかわからないようなことを言ってくるし、
「タイヘン!! タイヘン!!」
とガヤるミミズズもセットになる。わかりやすすぎる奴らの反応がもう目に見えて早くもうんざりしてくる。だから、せめて、俺はスリーパー医師がその芳しくない人生における唯一のレゾンデートルたるこの睡眠薬を飲んで、この夜を凌がなければいけないわけだった。
この医師を勧めてくれたのは同僚である(さっきの馬鹿阿呆どもではない)。あまりにも死にそうな顔をしている俺を気遣って、効く薬というものを探してくれたらしい。心配してくれているというのは素直にありがたい。そうなのだから、とっとと飲んで眠れという話なのだが……
そのくせ眠りたくもない俺もいる。
というのも、唐突な話で困惑されるかもしれないのだが、俺は眠りにつくと必ずニンゲンの夢を見るのだ。
ニンゲン。
かつて、俺たちが住んでいる世界に暮らしていたという存在である。ニンゲンは、俺たち「ポケモン」と呼ばれる生き物が繁栄するずっと昔に存在していた種である。諸説あるが、少なくとも2000年前まではこの世界で暮らしていたのではないか、と「考古学者」の連中は考えている。
「考古学者」というのは、この世界のあちこちに眠っているニンゲンの遺跡を調査し、その歴史を研究している者たちのことだ。そして彼らの調査にたびたび同行するのがご存じの通り「探検家」。遺跡への道中にはたびたび危険が伴うことから、「考古学者」はそうした危険地帯に精通した「探検家」と共に調査に向かうのがこの世界の通例である(中には両者を兼ねる存在もいるが、例外的だ)
そんな連中が大勢いるのは、かつてこの世界にはニンゲンという存在がいたということが広く知れ渡ってからだ。この世界には非常に多くの遺跡やら文献やらニンゲンの痕跡が遺されていることが明らかになった。以来、数えきれない探検家と考古学者たちが手を組んで、危険を冒しながらそれを見つけ出し、研究調査を重ねているというわけだ。
このことを世間では「ニンゲン・ルネサンス」と言っている。どんな教科書にも必ず太字で書かれている用語であり、それ以前と以後では、ポケモンたちの暮らしはバチュルとホエルオーくらいの差があるのだった。
さっきハロウィンがどうのこうのと言った。そいつは10月の末日になると幼いポケモンたちが扮装をして大人たちからお菓子をくすねる行事なのだが、これも考古学者による発見の一例だ。十数年前にとある考古学者がそんな風習があったということを突き止めて以来、祝祭する理由を渇望しているポケモンどものあいだで急速に広まったのである。こういう例一つだけでも、彼らがどれだけ我々の日常に影響を及ぼしているかわかるだろう。
俺が見る夢の話に戻ろう。
その夢というのは……何といえばいいか、常に生々しい感触と居心地の悪さを感じさせるもので、その気味悪さはワンパチの尻にいつのまにかひっついているバチュルのように、ずっとつきまとうのだ。
ある時は、どこか戦場と思しき場所にいる。俺はどうやらニンゲンのようであり、サダイジャの砂袋のような模様をした軍服を着、頭にはヘルメット、腕で細長い銃を抱きしめながら、窪んだ地形にじっと身を潜めている……頭上では絶え間なく銃声が轟いており、そいつはいつまで経っても止むどころか、激しい耳鳴りのようにますます大きくなっていた。辺りを見回せば、同じような姿をしたニンゲンたちが無数にいて、ある者は撃ち殺され、辛うじて生きている者も体中から夥しい血を流しながら大声で助けを求めていた……ニンゲンの言葉であるはずなのに、それが何を意味しているのか、夢の中の俺はわかった。「母親」だった……
また、ある時は燃え盛る火炎に取り囲まれていた。今度の俺は身軽なシャツとズボン姿で、命からがら逃げ出してきたらしい。背後には瓦礫の山。ついさっきまで俺がそこにいたらしい場所は、何かの砲撃を受けてバラバラに倒壊していた。道端には倒れて動かないニンゲンの姿があって、周囲には夥しい血の跡が残っている。ついさっきまで生きていたと思しきニンゲンもあちこちに倒れていた。上空には、何やらいくつもの大きな機械——「戦闘機」と呼ばれているものだろう——が飛び回り、けたたましい飛行音に聴覚がやられそうになる。呆然としているうちに、火の手が少しずつ迫ってくる。けれども、逃げ場はどこにもなくなっている。狭い路地は瓦礫や何やらで塞がれ、しかも火が燃え移ってさながら炎の壁のようになっていた。俺は絶望することすら忘れて、ただその場に立ち尽くしている……と、まあ、このような夢を、俺は眠った夜の数だけ話して聞かせることもできるだろうが、そんなことをしても退屈だろうから、ここで止しておく。
そういう夢を見ることは往々にしてあることだとは、かのスリーパー医師の言である。特にゴーストタイプの連中には傾向として比較的多く見られますね、とも付け加えた。これはあくまでも仮説に過ぎないが、ある種のポケモンにはニンゲンと共存していた古代の記憶や感覚というものが無意識下において保存されていて、それが夢というかたちで、頭隠して尻隠さず式に砂浜から飛び出しているカブトプスの尾剣のように、思いがけないかたちで表出するのではないか、という理屈である。
あるいは——と、スリーパー医師は気の浮かない様子で付け加えた——ムシャーナどものようなオカルト主義者からすれば、俺は格好の研究対象になるかもしれないとも言った。ニンゲン時代の伝承によれば、進化前のボクレーはニンゲンの子どもの彷徨える魂が転生したものと言われる。その理屈から言えば、オーロットである俺の魂には最初からニンゲンそのものの記憶が内蔵されているのだから、そのような夢を見ても当然というわけだ。しかし、私は夢分析の専門家ではない。そんなものはムシャーナどもの非科学的仕事だからな。あくまでも私は眠りそのものに関する科学的な(ここに医師は強いアクセントを置いた)専門家なのだ……(と言って、その話は打ち切られた)。
眠りたいけれども、眠りたくない。曖昧でどっちつかずで、したがって何にもならない思考を弄びながら、俺は何年費やしてきたんだろう?……いや、そんなこと考えていては駄目だ。余計に気分が落ち込むし、悪いことにしかならない。
顔と胴の裂け目にある口と一応は呼べる部位にやっと錠剤を放り投げ、水を入れたコップを手に取り、俺の樹体を支える脊髄のような芯状のソウルに水をかけるようにして飲んだ。ため息を吐きながらコップを元の位置に戻すと、その脇に置いてある宝箱の形をした貯金箱に目を留める。
こいつは3年ほど前、タウンの雑貨屋で買ってきたやつだ。店の片隅に放り捨てられたように置かれていたので、一見売り物には見えなかったのだが、なぜだか俺はそいつを見た瞬間に心を捉えられた。貯金なんてちっとも考えたこともなかったのに、これでお金を貯めようなどと我ながら謎めいた決心をして購入してしまったのだった。
俺自身、意外なことだったが、それから今日まで1日たりとも貯金を怠ったことがない。どんなに疲れていても、部屋に帰ってくると必ず1枚、貯金箱に入れているのだ。誰しも不思議と忘れない習慣というのがあるものと思うのだが、俺の場合はこれだった。どんな夜であったとしても、必ずどこかで俺は貯金箱のことを思いだし、持ち合わせから1枚のコインを貯金していたのだ。
試しに片手で掴んでみるとずっしりとした重みを感じる。いくらくらい貯まっているか、俺はぼんやりと頭を働かせてみる。これを買ってきた時から数えれば、そろそろコイン1000枚くらいにはなっていてもおかしくないんじゃないか。だとしたら、少し仕事を休んでどこかでゆっくり過ごすには十分な額になっているか。
何か美味いもんでも買うか? それとも南の島にでも? それとも……ぼんやりと空想を巡らせているうち、ようやっと欠伸が込み上げてきた。パラセクトとキノガッサとリククラゲ、どいつのキノコのほうしかは知らないが、ともかく薬の効果が出始めたようである。
ベッドに潜り込んで目を瞑ると、こわばっていた頭の力が抜けて、ゆっくりと枕とマットレスに樹体が沈み込んでいく。そうしつつも俺はただ朝を待っているようなのだが、ぼんやりとした思考に、またニンゲンのひどい夢を見させられるんだろうな、という懸念と諦念が鬱陶しい広告のように割り込んできた。
申し訳程度に口元に巻いたクリムガン色のネッカチーフを弄りながら6本の根をもぞもぞと動かして職場への道を急ぐ。
目覚めは最悪とまでは言わないが、最悪でないだけマシという程度だ。疲れは取れたようで取れていない。冬が近づきつつある冷え冷えとした朝の風は、樹木に魂を宿らせた俺にとってはいっそう辛い。うららかな春とかうだるような夏の方が、まだ生気を保つことができる。
昨晩——といっても数時間前のことだが——はこんな夢を見た。やはり俺はニンゲンであり、真っ暗な闇の中にうずくまっている。周りには俺と同じようにうずくまっているニンゲンが大勢いた。驚くべきことには、一人いるだけでも息苦しいと思えるようなスペースにざっと100人くらいはいるのではないかというほどに密集している。手足を動かそうとしたが、どちらも鉄鎖で繋がれていた。まったく身動きの取れない俺は、外側から聞こえる激しい波の音を聞いている。どうやら俺たちは船の中にいて、どこかへ運ばれているらしい。薄暗い闇の中に、ニンゲンの白い目だけが光っていた。波と波のぶつかり合う音、突き上げられるような激しい揺れ、淀みきった空気には混じる耐え難い臭気……そこでは、その単調な繰り返しが、永遠に続くように思われた。
うつらうつらしているうちに、いつの間にやら意識は現実に移っていた。一応、眠れたことは眠れたのだろうが、気怠さはほとんど抜けていない。安眠できそうなところに、悪夢じみた夢ばかりを見せられるのだから処置なしだった。
石や木材や鉄骨を抱えたワンリキー種やドッコラー種の長い列にぶつかった。まるで何かのパレードのように、我が物顔に通りの中心を闊歩するのを、俺を含めた通行人たちは通りの端からどこか恍惚とした顔つきで見つめている。
タウン。
今は誰しもにそう呼ばれているこの土地は、かつてはとある探検隊ギルドの本部を取り囲む小さな集落に過ぎなかったそうだが、「ニンゲン」の遺産が次々と発見されるようになって以来、電光石火の勢いで発展を遂げていった。歴史あるギルドの建物を中心にして、同心円状に次から次へと目新しい建造物が形作られていった。
せいぜい自分らの種族の外見を模した掘立て小屋とか木や石で簡単な作りの家を作るのがやっとだったポケモンたちは、ニンゲンの遺産を通じて次々とその様式を自家薬籠中のものとしていった。ニンゲンの技術を真似るうちに不思議な発見もあった。初めて見るはずの「ビルヂング」とか「マンション」という様式は、なぜだかポケモンたちにとって馴染み深いものであったし、あたかも失われた故郷に戻ってきたという感慨を抱く連中も少なからずいたのである。ニンゲン時代に彼ら彼女らと共生していたポケモンたちの深層記憶が呼び覚まされたのだ、と考える者もいた。
タウンの建築ラッシュは永遠に続くように思えた……建物が一つできれば、そこに住む連中が現れ、そこに出入りする連中も、その周辺にたむろする連中も現れる。そしてその隣にまた新しい建物や広場が作られ、どこからともなくまた新たな連中が流入し……タウンというのは、カビゴンの食欲にも等しい貪欲ぶりなのだ。
とりわけ、タウンの建築で目を引くのは文字通りの中心点となっているギルド本部の建築だろう……地頭のいい連中が「ニンゲン」から取り入れたありとあらゆる建築技術を試す実験場と化した建築のユニークさについてここで詳述すると長くなるし、俺だってそこまで詳しく語れる自信がないから省略するが、その横幅はかのホウオウが翼を広げたかのようであり、本当に必要なのかと思えるくらいにつけられたいくつもの尖塔は、さしずめそのきらびやかな冠羽とでも言える……その上、建物の機能としては必要のなさそうなディテールが満載で、なんでも中央部の最も大きな尖塔には全てのポケモンたちの彫像があしらわれる予定と聞いた。ここのギルドのリーダーは、何か世界の全てを表現しないと気が済まない性癖でも持っているらしい。おかげでギルド本部の工事は、俺が生まれる以前から延々と続いている。
こういうタウンの成り立ちを、俺はまだボクレーだったころに故郷で世話になったカメックスの爺さんから何度も聞かされたものだ。つまるところ、これだけの変化が、爺さんがゼニガメからカメックスに進化するまでのあいだに起こったってことなのだ。
ああした建築資材を供給するために、探検隊や調査団の需要も跳ね上がっていた。今では大小のギルドがタウンには満ち満ちており、未開地の探検調査や遺構調査代行から、古式ゆかしいお尋ね者の大捕物やら迷子探しまで、年がら年中何かしらの仕事を受け持っている。ピンからキリまでいるこういう連中向けのビジネスがいくつも生まれるのも当然の成り行きである。というのも、俺がそのギギギアルの一部となっている仕事についても同じことが言えるからだ。
とはいえ、俺はタウンの歴史について一から十まで詳述するつもりはさらさらない。脇道から逸れたことを仔細に渡って喋り散らかすのは、老人か無能な営業部の連中——俺はまもなくそいつらの騒音の悩まされることになるだろう——のどちらかだ。俺には俺の仕事があった。
かくとう連中の行列がやっとまばらになったのを掻い潜って、俺は職場への道を急いだ。
「おやぁ?」
俺の左側からねっとりとした鬱陶しい声が聞こえる。
「どうしたんだいオーロットくん!」
俺はシカトするが、そんなことお構いなしだ。
「相変わらず死んだコイキングよりも死んだ酷い目をしてるじゃないか!……悩みがあったらいつでも相談していいんだぞ? だぞ!」
「……ちょっとうるさいんで静かにしてもらえるか」
「けど、この俺の眼は曇りないから間違えない! オーロットくん、イヤなことがあったんだろう。わかる! わかるよ!……」
ブロロローム、という相手の名を呼ぶ代わりに俺はこいつのことをじっと睨みつける。できる限り、ベトベターやダストダスを見るような目つきで。
「別に、何でも、ない」
句点までわかるようにはっきりと言ってやっても、ブロロローム(いちいち言うのがめんどくさい名前だ)は変に陽気な態度を崩さない。
「本当かあ?!」
俺は心を無にして、ブロロロームの騒ぐのを聞き流しながら、目の前の仕事に集中する。右手でペンを握るというよりは掴み、我ながらすっかり手慣れた動作で書類の上にさらさらと文字を走らせていく。
「お得
「ニンゲン・ルネサンス」以来、探検隊の需要が爆発的に増したことは周知の通りだが、そういう奴らが増えるということは、当然ながら彼ら向けのビジネスの諸々も発達することになる。単純なところでいえば、探検家の拠点を提供する不動産、奴らへの依頼を仲介する業者(あるいはその下請け、下請けの下請け……)であり、探検に必要な道具を売買する店(タウンの中心部に構えるカクレオン商店本店などギルド本部に負けず劣らぬの巨大さだ)、宿泊施設、不慮の事態に遭遇したために諸々の保険を提供する業者……それに、誰も表立って口にはしないが、どうしようもない性の捌け口を提供する風俗だとか。
我が「お得の掲示板」社は、こうした探検家や考古学者向けのサービスや施設に関する情報紙を毎週発行している。西の大陸ならここの宿を拠点にするとこうこうこう言うサービスや特典があってお得ですよ〜、だとか、大陸間を横断するラプラス便を待つ合間に暇を潰すのにちょうどいい酒場はコレだあ! とか、とにかく探検家の連中が興味を持ちそうなものをなんでも紙面で紹介する。それで、そいつをあちこちのギルドとか探検家が集う店なんかに置いてもらう。
俺はここの編集部に所属して、その「お得の掲示板」なるものに載せる記事を受け持っている。縁あってこの仕事に就いてから3年ほどになるが、仕事自体はだいぶ慣れた。楽しくか楽しくないかで言えば、楽しくないわけではない、といったところ。給与は低くもなければ高くもない。人手が少なく、俺にかかる負担が大きいことを除けば、特に不満は持っていない。
真面目に仕事をしているとまでは言い切れなかったが、職場ではそれなりに働きぶりを評価されているようだった。編集長のジジーロンは、一心不乱にデスクに向かっている俺のそばを通りがかるたびに、何やら心配そうな視線を向ける。もともとお節介がちな種族であるせいなんだろうが、変に気を遣われても困る。努めて俺は目をニッコリとさせてご心配には及ばないと繰り返している。
「ああっ! また弊ラッ社の広告断られちゃっ……たああああああああああ!」
「タイヘン! タイヘン!」
ブロロロームとミミズズのバカどものバカ騒ぎが俺のところにまで聞こえてくる。営業部、という部署名が真実であるならば、奴らは「お得の掲示板」の設置や紙面への出稿を受け持ったりしている、はずで、ある。とはいえ、こいつらがまともに仕事しているのを俺は見たことないが。このあいだ、ホクホク顔でブロロロームが持ってきた広告がろくでもない風俗だった時はウッドホーンを食らわせたくなった。
とかく、この仕事をまともにしないバカどものおかげで、必然的に俺は営業までしないといけなくなる。それが、目下最大の不満である……
「校了2日前なのに、これじゃどうしようもできねえワラワラワラ! 終わったワラワラワラ!」
「カイシャツブレルゥ! ツブレルゥ! イクイクイク!……」
ブロロロームのしゃかりきなエンジン音も、ミミズズの三対の奇妙な腕(じゃなくて、体毛か。正直どっちでもいい)がかちゃかちゃ鳴るのも、耳障りである。
こんな連中に真っ当な業務を求めることは、サイホーンに掛け算を教えることよりも難しいのではないか(なんてことを言ったらサイホーンに失礼だが……)。とはいえ、ポケモンたちが従事しているビジネスの体系というのも、恐らくはニンゲンたちのそれを模しているのに過ぎず、それもメタモンのへんしんにも及ばぬ猿真似だから、こんなことになるのもごく自然の成り行きなのだろう……そう考えることにして、俺はさしあたって現状から目を逸らすことにする。
オフィスの最奥にあるジジーロン編集長のデスクは雲がかっている。これも校了間際になると恒例のことで、普段は穏やかな編集長が、神秘のきりを身にまとわせてだんまりを決め込むようになる。朧げな霧の中から一対のほの赤い点がぎらりと光っている。
「うっす、お疲れ様です、先輩」
そんな編集長を尻目に、後輩のギルガルドが畏まったシールドフォルムで俺に話しかけてくる。後輩、と言っても入社は俺とさして変わらないし、経験という意味で言えばこいつの方がだいぶ上だ。だから、先輩と言いつつも、ギルガルドはくだけた口調で俺に話しかけてくる。
「今日も眠そうですけど、大丈夫ですか? あの薬、ちゃんと飲んでるんです?」
「まあ、なんとかな」
例のスリーパー医師を紹介してくれたのも、この後輩である。付き合いはそれほど長くはないが、何かと気を利かせてくれるので、数少ない職場の良心だ。
「先輩が倒れると、うち色々まずいんですから、ほんとカラダには気をつけてくださいよー」
ギルガルドはなおも大騒ぎをするバカ二匹を見遣り、見なかった振りをするかのようにすぐ視線を戻した。
「相変わらず、やかましいですね」
「まったくだ」
「でも、まあ、静かすぎるよりはいいんじゃないか、とも思いますけどね。うち、人少ないし、なんだかんだ、あれ見てると笑えますし……あ、霧吹き、使います?」
「おっ、センキュ」
ギルガルドがひらひらとした腕に隠し持っていた霧吹きを受け取ると、早速頭の葉に吹きかけた。潤いを得た葉がぴんと元気よくそそり立つのを、俺は葉脈に流れる神経から感じ取る。
霧吹きはニンゲンの遺物のなかでも屈指の発明である、と個人的に思っている。ニンゲンの——おそらくは俺よりずっと小さい——手に合うように作られているから、扱いに少し慣れが必要なのが玉に瑕だが、最低限の水で、無駄に濡れることもなく頭を水分で湿らせることができるというのは、一応樹木の身である俺にとっては何よりも重要でありがたいことなのである。
「後ろ、やりましょっか?」
「頼む」
霧吹きを渡すと、ギルガルドは帯のような腕を器用に使いながら俺の枝では届かないうなじの葉に水を吹きかけてくれる。別に頼んだりはしていないが、それ自体はとてもありがたい申し出である。不眠と目処のつかない仕事のストレスで憂鬱な気分が、これで少なからず晴れるというものだ。
「編集長、怒ってますねー」
ギルガルドの言葉が、しゅっ、しゅっ、と水を噴く弾けるような爽やかな音のリズムに絡み合う。
「しょうがないだろ」
霧の立つ方を見遣りながら、やれやれと両手をひらひらさせた。ジジーロンの姿がもはや視認できないほど、編集長のデスクは真っ白けになっていた。オフィスの湿度が高まって蒸し暑くなってきたので、ギルガルドは腕を如意棒のように伸ばして窓を開ける。
「明後日には校了紙を渡さないといけないのに、広告が半分も埋まってないんだから」
俺は伸びをしながら答えた。
「今回も、やるしかなさそう……ですかね」
「だな……」
「楽しい楽しい電話攻勢のお時間がやって参りました」
棒読みで独り言ち、しばらくしてから、ふう、とギルガルドは霧吹きを盾に持ち替えた。
「参りますね、マジ」
「本当だ」
電話攻勢、とは文字通り電話で目星をつけた取引先に電話をかけ回ることである。あのバカどもが断られたところも含めて、俺とギルガルドが手分けして、懇切丁寧にご出稿をお願いするんである。どうせ、ブロロロームのバカもミミズズのど阿呆も、ふわっとしたことしか言っていないに違いない。相手方にはたぶん小社が何をして欲しいのかすらも伝わっていないことだろう。もしかしたら不審な電話と思われていたかもしれない。まあ、いつものことだ。
というわけで、一息つき終わった我々は、棚から持ってきた連絡先のリストを二匹で半分こして、ノルマの広告数を確保できるまで電話をかけ続けることになる。
余談ではあるが、世間一般的にはこの電話こそニンゲンの発見によってもたらされた最高の文明の利器と言える(俺にとっては断然霧吹きだが)。何せ、電話線を四方八方に巡らせて、電気を送るだけで、どんなところにでも連絡を入れることができるのだから。
とかく電気に関して言えば、この世界では事足りないことなど何もない。これだけ肥え太ったタウンでも、電力はエレザードたった一匹でまかなえてしまうのだから。とある考古学者のつい最近の考察によれば、ニンゲンはこの電気を発生させる方法を巡る葛藤が衰退の遠因になったのではないかという。この点に関して言えば、俺たちの世界はだいぶ安泰のようである……。「お得な掲示板」社のようなビジネスが成り立つのも、ひとえにこの通信網のおかげだ。考古学者たちによるインターネットの解析が進めば、これよりも遥かに通信が速く、便利になるとかいう話だが、正直これでも十分という気もする。
「先輩、厳しそうだったら俺、多めにやっとくんで大丈夫ですよ? いい加減、電話攻勢も慣れましたし」
「いや、どうせいつものことだから……それに、薬もお前の勧めたやつを処方してもらってから、前よりはだいぶ楽になった」
「本当すかあ?」
ギルガルドは俺の顔を覗き込む。柄のところについた薄紫色の目に浮かぶ白い瞳は、なんだか心を見透かしてくるようだ。
「何だ」
「いや、別に、何と言うこともないんですけど」
いかにも何かを言いたげな素振りをしていたが、ギルガルドはそのまま向きを変え、盾で刃を隠した。
「とにかく、無理はしないでくださいよ……先輩」
ギルガルドはその後の言葉を継がないまま、霧吹を丁寧に机の片隅に置いて、受話器を持つと、意を決したように数字の並んだボタンと電話帳を交互に見始める。まずは、馬鹿と阿呆がしくじった先方に連絡して、丁寧に事情を説明するところからだ……
「お得の掲示板」社を退勤する頃には辺りはすっかり夜になっていた。校了日直前のてんてこまいの1日にしては、これでもまだ温情的な方ではあった。食事をするのも忘れるほどに——元々ゴーストだから、必ずしも食わなくてもいいとはいえ、なぜか味覚は存在するから食事自体はする、つくづく不思議なことだと思うが——仕事に明け暮れていたので、外がすっかり暗くなっていることも、まるで意識の埒外であった。
あの業務執行妨害部の連中は、いても邪魔なだけなので早々にご帰宅願い、濃い霧をまとっているジジーロン編集長を尻目に、我々は懇切丁寧な口調で小紙への出稿をお願いし続けることをした。いつもお世話になっております、「お得の掲示板」社でございます……「お・と・く・の! け・い・じ・ば・ん・しゃ・です……へ? お世話になってない? いえいえ、ゆるく、ゆるく、お世話になっておりますから……ははは……このたびは少しお願いがありまして……はい……いつも弊社が出しております「お得の掲示板」のですね……はい……最新の号がまもなく校了になるんですが、実は広告枠に空きが出てしまいましてね……急なお願いで大変恐縮なんですが、×××××ポケ(広告料は企業秘密だ、一応)で結構でございますので、これもお付き合いですから、どうかご協力をいただけますと大変にありがたいのですが……はい……はい……
どうにかこうにか、全体の8割ほどの出稿まで持ち込んだところで、流石に夜遅く電話をかけても迷惑がられるだけだからというのと、俺の顔がよほど怖いものだったのか、それとなくジジーロン編集長が止めに入ったために、戦いは翌日に持ち越されることになったのである。
帰り際、ちゃんと薬飲んでくださいね、とギルガルドがウインクをした。まあ一つ目だから、瞬きしているのも同然なのだが。
「……あ」
気がつけば、俺は石畳みの通りの上にぼんやりと立っていたんである。
道中、考えにもならないことを頭で巡らせていた——いや、単に巡らせようとしていただけかもしれない——ので、どこをどう通ってここまで到達したのかも、記憶になかった。ただ、この場所が今朝出勤した時に、資材を抱えたワンリキーやドッコラーどもの大行列に遭遇した通りであることは確かだった。つまりは、俺はいつも来ては帰る道を夢遊病者的に歩いていただけなのだった。
何を考えていたのか、夢のようにさっぱりと忘れてしまっていた。きっと、仕事のことだったのだろうが、それを思い出すことを無意識的に拒絶しているのか、俺は本当に思い出すことができなかった……こんな風にして、毎晩苦労して落ちた眠りで見せられる夢も、ど忘れできれば少しはQOL(この略語が「心身の健康や公私にわたる人間関係、経済的環境や住環境など、生活全般の充実度や満足度」を意味していることは、近年の考古学者たちによる大規模な調査で明らかになったことである)が上がるのだが。
通りに整然と連なったレンガや石で造られた建物の向こうに、タウンの象徴たるギルド本部ビルが見えた。噴火してまもない火山のように、ねっとりとした岩石やマグマのような外装をまとったそのビルは、夜の灯を受けていっそう妖しい雰囲気をまとっており、ギルドの建築という以上に、もっと何かしら厳かなもの、例えば何か偉大なものを祀る霊廟を感じさせる。だとすれば、周辺を取り囲む建物たち偉大な者の墓所を守る副葬品といったところか。アリアドスが器用にも蜘蛛の巣の網目を広げていくように、その副葬品どもが増しましていくタウンのダイナミズムには、つくづくめまいがする……
その街並みの間から、ズガドーンをずっと巨大にしたような、堅固な石造りの建築物があった。しまった、と思い俺は咄嗟に目を逸らした。だが、少し遅かったようだ。気分が少なからず沈んでいる時に、「大学」の建物は嫌味のように俺の目の前に現れる。
何を言っているかわからないだろう。別にわからなくてもいいし、わからせたい気持ちもない。だが、時と場合に応じて、どうしても話さなければならないこともある。
……俺自身のことについて、簡単に話そう。
といっても念押しするが、俺は別に偉大な探検家でも、これから偉大なことを成し遂げるであろう考古学者でも断じてないからには、さほど大したことなんかない。……
……
…………
……………………
まず、俺のニンゲンに対する関心はどこから来たのか。
タウンの凄まじい発展ぶりを教えてくれたのはカメックスの爺さんだと、さっきどこかで言ったと思うが、それだけじゃなく、俺は爺さんからいろんな「文化的なこと・もの」を教えてもらったのだ。
となると、結局は俺の生い立ちに軽く触れなければいけないのだが、まず俺には父親というものがいなかった。母親も……血が繋がっている、という意味でなら、いない。
母はセキタンザンだったが、世間的な常識からしても血が繋がっているかどうかは甚だ怪しいものだった。後年発見されたニンゲンによる「卵グループ」に関する一連の研究を引用するまでもなく、母子の種族が一致することは誰しも経験から知っていた。ボクレーのころから、周囲が俺に対して注ぐ眼差しにどこかぎこちない、必要以上に憐れむような感じがあったことにも、早くから気づいていた。だからオーロットに進化する頃になって、母親に詳しい事情を打ち明けられた時も、さほど驚きもしなかった。
この世界じゃ孤児なんてとてもありふれている。何せ、タウンから一歩でも外に出れば、そこはカオスの世界だ。例えば、ニンゲンの遺跡周辺は、時空間に原因不明の揺らぎが無数にあり、そいつをあるものは「不思議
そういう野蛮な連中に襲われて命を落とす者は少なくなかった。奴らの巣窟に足を踏み入れる探検家や考古学者たちはもちろん、ダンジョン周辺の小さな集落が奴らの襲撃を受けるなりして壊滅させられることも、決して珍しいことなんかじゃなかった。
要するに、俺が元いたと思われる集落もそのような運命を辿ったようである。その頃の俺はまだタマゴの中だったが、幸いタマゴをかち割られることはなかった。それを哀れに思った誰かがタマゴを拾い、「育て屋」に預け、やがて今の母親がそれを引き取ったというわけだった。襲撃の記憶はない。あいにく、拾われた頃の俺はまだタマゴから生まれたばかりだったので、その時の記憶があろうはずがないのだが。
波瀾万丈な生い立ちに思えるかもしれないが、わりかしよくある話だ。タウンを歩いてみて、すれ違う親子の組み合わせを調べてみれば、すぐにそのことがわかるだろう。「育て屋」にはタウンや集落の外で見つかったタマゴが今日も数えきれないほどに集まっているし、そんなタマゴを求める連中もひっきりなしなのだ。膨張を続けるタウンにあって、子どもやら人材はいくらあっても足りないくらいなのだ。
つまらない身の上話を俺はしてしまっているようだ……単刀直入に話すのも、それはそれで面倒なことだ。
カメックスの爺さんの話に戻ろう。爺さんとは、当然のことながら俺とは何の血縁的な繋がりはないし、母親ともない。ただ、一匹きりで子育てしている母親のことを心配していたのだろう、ふらっと家にやって来ては、すすんで家事を手伝ったり、母親が出かけている間に俺の面倒を見てくれたりした。
俺にとっては、だからカメックスの爺さんは親父のようなもので、事情を飲み込めるほどに分別がついてからも、その意識はあまり変わらなかった。爺さんはむかしどこかの探検隊に所属していたらしく、よく昔の話をしてくれた。俺が爺さんから聞いた話はそれこそたくさんあるが、中でも俺の興味を惹いたのは、考古学者たちと一緒にニンゲンの遺跡を調査して回った時の話だ。爺さんの記憶は実に鮮明で、まるで昨日探検から戻ってきたばかりのように話すから、俺はすっかり夢中になって話に耳を傾けたものだ。
カメックスの爺さんはよく、自分の蔵書を持ってきては読み聞かせをしてくれたものだった。それは調査の過程で拾ってきたものだったり、タウンにいくつかある古本屋でまとめ買いしてきたものだったり。とにかく、爺さんは何かしら本を持ってきては、一枚の紙にぎっしりと、俺には読めそうもない文字がぎっしり詰まった本を朗読した。幼いボクレーだった俺にはもちろん、爺さんの語り聞かせていることはほとんどわからない、のだが、俺はなんだかとてもワクワクして、少しも眠くなんてならなかったし、その不思議な文字列、言葉の思いがけない響きで、いくらでも楽しげな空想を膨らませることだってできた。
一通り本を朗読し終わってから、カメックスの爺さんはいま読んだことが何だったのかを、噛み砕いて俺に説明した。それは「文学」のことであったり「音楽」のことだったり、そして「美術」のことだったりした。そして、俺がいま生きているよりも遥かに昔、ニンゲンというものがいて、奴らはそうした優れた「芸術」の数々をこの世に残した、ということを知ったのだ。俺はあの頃爺さんの話を聞くのが何よりも好きだった。いくらでも聞いていたかった。
知識がついてくるにつれて、「考古学者」という存在に惹かれるようになったのもごく自然の成り行きだったと言えよう。カメックスの爺さんは探検家だったから、間接的にしか彼らのことを知らないと前置きしながらも、たくさんのことを教えてくれた。知らない、と言いつつもやけによく物事を知っているなと思って、何気なく突っ込んでみたことがある。すると、カメックスの爺さんは
「俺もな、むかしは『考古学者』になりたいと思った時期があるのさ」
お前だけに言うけどな、と打ち明けた。
「ま、おつむが悪かったから、夢のまた夢だったけどな!」
がははは! そう大口を開けて豪快に笑う爺さんの優しい表情は、ずっと俺の印象に刻まれている。
かつて一度だけ爺さんの手引きでタウンへ連れていってもらったことがある。あれはちょうど「クリスマス」というイベントが行われている最中のことだった。この催しも考古学者たちの研究によって復元された、かつてのニンゲンたちに由来する文化だった。タウンのあちこちで、オドシシの橇を引かせたデリバードたちが、満足げな表情で子どもたちのプレゼントの入った箱を渡して回っていた。クリスマスが再発見されて以来、彼らは自分の忘れていた使命を思い出したかのようにいきいきとしていた……俺もそんなデリバードからプレゼントをもらった。何をもらったかはもう忘れてしまったものの、きらびやかなイルミネーションが至る所に巡らされたタウンの景色とともに、その思い出は俺のなかでずっとみずみずしい。
成長するにつれ、タウンの誘惑に抗うことはできなくなっていった。もちろん、故郷に愛着がないわけじゃなかったが、カメックスの爺さんがその一部を話してくれたニンゲン時代の文化や遺物について、もっとたくさんのことを見聞きすることができるというなら、俺は何を投げ打ったって、たとい母親と喧嘩別れをしたって、村を出ていく覚悟を早くから決めていた。
俺は、考古学者になりたかった。
当然だが周囲には反対された。特に母を説得するのは至難のことだった。母もまた、かつては遠い別の集落にいたのを、ならず者の襲撃で追われるように転々
今では、その気持ちもよくわかる。ずっと誰かと離れ離れになり続ける人生を送ってきた母からすれば、ようやく安住できた土地で得た誰よりも可愛い一匹息子である俺とまで別れるなんて考えられないことだった。
けれど、カメックスの爺さんだけはただ黙って俺の背中を押してくれたんだ。だからこそ、あの時、俺は意志を貫き通すことができたんだと思う。爺さんも粘り強く母と話をしてくれたのもあって、母も最終的には折れてくれ、俺のことをタウンへ送り出してくれた。無茶を言ったことは承知している。俺がいた村は決して若いポケモンが多いわけではなかったし、ましてや森に近しいオーロットのような種族とあらば、親だけじゃなく、他の住民にとってもありがたい人材であることは明らかだった。だから、それについては、俺はひたすらに感謝することしかできなかった。
……じゃあ、なんで俺はいま考古学者とは微塵も関係がない「お得の掲示板」社でしこしこ働いているのか。
簡単なことだ。結局、俺は考古学者になんてなれなかったからだ。
探検家になるためにギルドで修行を積むように、考古学者を目指す者はタウンにある大学に入学する必要がある。それはカメックスの爺さんも言っていた。
当然、俺はそうした大学を受験したけれども、ことごとく落ちた。筆記試験では、あまりにも多くのことを課された。それ自体は覚悟していたが、ニンゲンたちの世界に対する興味だけでは、到底補えないような知識がそこでは要求されていた。古本屋で買い求めたただでさえ古びた教科書を、まるで窯で焼成したかのようにくしゃくしゃになってしまうまで読み込み、ありとあらゆる文章に線を引いた。全てを捧げるつもりで猛勉強した。にもかかわらず、俺は常にあと一歩だけ、何かが足りなかった。
それから浪人を何度も繰り返していたある時、俺の中で何かがプツンと弾けてしまった。枝が重みによって突然折れて、地面に落ちていくように、何を犠牲にしたとしても構わないと思っていた俺の熱意は、突如として萎えてしまった。幾度となく、あの頃の熱意を取り戻そうと試みてみたが無駄だった。一度消えてしまった火は、ヒトカゲの尻尾のそれのように、もう取り返しがつかなかった。そのことを察し、悟り、やがて受け入れるためには、それなりに長い時間を要することになった。そんなことを認めるなんてあり得ないことだと当初は思っていたが、ぼんやりと月日が経つのに身を任せているうち、渋々ながらではあるが、こんな自分を受け入れるようになって、何も感じなくなってしまっていた。
俺はすべてをきっぱりと諦め、適当な職を得て、まあ曲がりなりにも平凡に日々を送っている、というわけだ。
「お前なら出来るさ」
カメックスの爺さんは別れ際、そのふくよかな腹で俺を優しく包み込みながらそう言ってくれたのを、忘れることなんてできない。
だが、今となってはこのザマだ。
俺が挫折したという事実を、母やカメックスの爺さんに知られることが恐ろしかった。あれだけ俺の意志を受け入れ、信じてくれた相手のことを、俺はこんなにもあっさり裏切ってしまったのだから。合わせる顔なんてあるはずもない。
別に今の仕事に深い愛着を持っているわけじゃない(辛いというわけじゃないが)。けれど、里帰りする気にもなれない。もしかしたら、案外みんな帰ってきた俺のことを受け入れてくれ、母親などはむしろホッとするのかもしれないけれど、カメックス爺さんが少しでも寂しげな顔をする想像は、俺を耐え難くさせた。
石造りの街路に、小さな水たまりができていることに気づく。
いま、雨なんて、降っていないのだが。そこだけ、にわか雨のようになっていた。
——俺はいま一体、何をしてるんだ?
俺は足掻くように目に見えるものに目を留めようとし、じっくりと目を凝らしていた。石畳の繰り返される模様や凹凸、「カロス式」または「ガラル式」に積み重ねられたレンガの規則的な連なり、街灯の細長いフォルム、雄しべのように垂れ下がる電球、暗い空、どこにいても存在を主張するギルド本部の建物……だが、そんなものを気まぐれに観察したところで、得られるものは何もないことはわかりきっていた。実際、目を離せばすぐにそいつは俺の意識から消え失せ、覚えこんだつもりでいたその特長の一切も何一つ思い出せなくなり、残るのは心許ない印象だけだ。それにしたって、俺ごときの印象なんて、ただの虚像に過ぎないのだ。カメックスの爺さんが教えてくれた言い回しで、やけに印象に残ったものにこんなのがあった。「もねは一つの目にすぎない。だが、何という目なのだろう!」——「もね」というのが何を指すのかは諸説芬々で、ある考古学者は画家の名前というし、何かの機械の名称とも言うが、ともかく、それに比べれば俺は一つの目に過ぎない。本当に、単なる一つの目に過ぎないのだ(実際、俺は一つ目である)。
そんな目をしているから、俺は何も見通すこともできなくて、当然なのだ。当然だったのだ。そうなんだ、そう……
俺以外に誰も通行人がいなかったのは幸いだった。
帰ってくる頃には、もう夜中だった。今日は色々なことがあったが、詳しく話す気力はない。ひとまずなんとか目処が立ちそうなところで切り上げて、残りは明日に賭けることにした、とだけ言っておこう。予断は許さないが、この職場で幾度となく経験してきたことだ。好むと好まざるとにかかわらず、慣れっこにならざるを得ないことなのだ。
「……」
部屋の灯りをつけ、休憩の気持ちでベッドに横たわると、これまで感じていなかった疲労がどっと全身に押し寄せてきた。平日の真っ只中なのに意味もなくタウンをウロウロなんてして、翌朝クソほど後悔するのはわかりきってはいたことだった。何か食わなければいけなかった。いや、飯はパスするにしても、最低限シャワーを浴びておかなければ。植物のカラダは、そうでない連中と違ってあまりにも繊細で、少しの水やりを怠っただけで、随分と悲惨なことになってしまうからだ。
とはいえ、固いマットレスに寝そべったまま、俺は何をする気も起こらなかった。ましてや、次の日のことを考える余裕など微塵も。いやが上にも朝というのがやってくる。そうなったら、その都度場当たり的に対処していくだけだ。対応が後手に回ろうが、悪手だろうが、知ったこっちゃない。
そして、薬に頼らなければ眠気はやって来ないのだった。不眠にかかっていなければ、このままどこかで意識がぷっつり途絶え、朝の陽射しが顔に差して自然と目が覚めるのだろうに。こんな終わったコンディションで、俺はこれからもまだまだ働き続けなければならない。
放り投げた鞄の中でコインがぶつかり合って、かちゃかちゃと音を鳴らす。おもむろに動いた指がそのうちの1枚をつまみ取って、何となく灯りにかざして眺めてみた。逆光を浴びた金貨は、当然のことだが真っ黒に見える。起きていることも、眠ることにも億劫でいる俺は、それにたいして何の感慨も持たずに、虚しく小一時間過ごすことができた。
ああ、せめてシャワーだけは浴びよう。その後のことはその時考えよう……ぼんやりとしながら、俺は浴室へ向かいがてら、ごく自然な動作で摘んでいたその金貨を貯金箱へ押し込んだ。
「……?!」
貯金箱が突如、真っ白な光を放ったのはその瞬間のことだった。そこから、まるでマルマインが大爆発する寸前みたいな放射状の光線が部屋中を照らしていたのだ! まばゆすぎて、部屋中の色という色が真っ白になってしまっていた。とても直視に堪えるような光ではなかったので、俺は咄嗟に顔を手で覆っていた。それでも指と指のわずかな隙間から光は水のように溢れ出して、俺の疲れ目を苛むように刺してくる。
何が起こっているのか少しもわからないまま、俺はその場にうずくまってじっと耐えていた。どれだけ光が続いたのかわからなかった……けれどもやがて、激しい光の点滅は穏やかになり、そして静まった。
俺はようやっと顔を上げた。視線は自ずから、貯金箱の方へと向けていた。だが、その途端に俺の脳裏から貯金箱のことはどこかへ消えてしまった。というのも、そんなことよりも、よくわからない奴が目の前にいたからである。
「あー! やっと気ぃついた?」
見知らぬ相手は、いきなり俺の手を握ってぶんぶんと握手をしてくる。何が何だかわからないまま、俺は本能的に後ずさって距離を取った。
「だっ、だ、誰だ、お前っ!!」
「いやー、しばらく起き上がらなかったから、驚きすぎてソウルが飛んでっちゃったかも? って心配したけど杞憂だったねー、うん、良かった良かった!」
「ちょっと待て、ちょっと待て! だから!」
「ん? どったの?」
「『どったの?』も何もあるか!……お前、いきなり俺の部屋に忍び込んで、どういうつもりだ!」
「『忍び込んで』? ん?」
そいつは首を傾げる。いや、傾げたいのはこっちの方なんだが……俺が何を言いたいのかどうも理解できていないらしい。面倒な。
「忍び込んだだろう! ここは俺の部屋だ。用がないならとっとと……」
「別に僕、忍び込んでなんかないよ! ずっと前からここにいたもん!」
「……はぁ?」
悪気など少しもないどころか、相変わらず顔に張り付いたようなニッコリ顔を崩さない。俺は少々気味が悪くなってきた。あるいは、不眠が行き過ぎてとうとう幻覚を見るようになったか。もともと何年も前から、俺は夢か現か、よくわからない心地にしばしば陥ってはいたが……
「嘘つくな! これ以上、ここに居座ったらケーサツを呼ぶからな……!」
「もー、せっかちだなあっ」
両手を腰に当ててそいつは憤る。だから、そうしたいのはこっちの側なんだっての!
「何がせっかちだ……どう考えてもこれは不法侵入……!」
「だーかーらあ! ほらほら、これ! 見てよぉ!」
そう言って、腰に巻いたベルトを指し示す。そこにかけられていたのものは……なるほど、ようく覚えがある。俺が、ついさっきまで金貨を溜め込んでいた貯金箱。とはいえ、まだ俺の頭の中では何一つとしてつながらない。
「……それがどうした?」
「君、この宝箱に3年くらい? 毎日金貨入れてたでしょー? それが、さっきのでちょうど1000枚になったの!」
だから、僕が生まれたってわけ、と奴は言った。俺は一瞬、言葉がわからなくなってしまったのかと焦った。
「え? 何が? 何だって?……」
くそ、頭が痛すぎる。幹にヒビが入りそうだ。ひどい疲れと不眠に挟み撃ちされているというのに、不条理なことまで考えなければいけないとは! 何て一日!
「うーん、どこから説明すればいいのかなあ?……あっ、ってか自己紹介まだだったよね、僕ったら、うっかりぃ!」
てへー! 茶目っけたっぷりのつもりか、舌を出しながらやつは言う。目頭を抑える俺を横目に、相手は勝手に話を進めていく。
「僕、サーフゴーっていうの! 進化前はコレクレーって言ったんだけど」
「……」
「そんで僕、ずっとこの宝箱で暮らしてたの。コレクレーって種族はこういうとこにこっそり暮らして、誰かに金貨をいっぱい集めてもらうんだあ。僕の場合は、たまたま君だったみたいだね」
そこまで言われても、事の次第をすっかり理解できるほど大学にも入れない俺の頭は明晰でも何でもない……ただ、それを飲み込むまでの俺の思考をつらつら書いていては、いつまで経っても話を進めることができないだろう……かいつまんで言うと、コレクレーという種族は金貨を集めたがる生態を持っており、そのために多少悪どい手段でも何でもする。例えば、宝箱を拾ったやつに金貨を集めるように無意識的に仕向けるだとか。
このサーフゴー? とかいうやつの言うことを間に受けるなら、この1000日もの間、俺が貯金するのにやたら執着していたのは、キノコに乗っ取られるパラセクトよろしく、こいつにいいように操られていたからということになる……が、それはそれとして、
「俺の貯金は……」
「え? 貯金?」
「俺がその貯金箱……に入れた、1000枚の金貨は……」
「あー! それはねー」
と言って、サーフゴーは自分の脇腹を軽くつまんでみせる。意図のわからない行動に、俺は自ずと悪人ヅラになる。
「僕のカラダ、金貨でできてんの。要するに、君が集めたお金が僕になったってこと!」
「……」
「ん? どーした?」
「つまり……?」
「つまり? んー?」
「……お、俺の……貯金は……!」
「うん! 全部いただいちゃった! いやー、ほんと協力してもらって感謝するよぉ、ありがとねえ!」
「…………」
力なく腕が垂れた。すっかり脱力してしまい、振り上げたくても腕に力を入れることができなかった。何だろう、このままソウルがすっかり抜けて、普通の樹木になってしまいそうだった。
俺はあの雑貨屋でとんでもない代物を摑まされたみたいだ。最悪、という言葉では済まされない、もっとどす黒い不運を踏んじまったも同然に思われた。
しかし、このサーフゴーは、俺の気持ちにはとんと検討もつかないらしく、ニコニコとした笑顔を崩さないでいる。それ以外の表情など存在しないかのように。
「ってことで、今日からよろしくねえ、オ〜ロちゃんっ!」
「………………………………は?」
「こうしてコイン集めてもらえたのも縁だしぃ、僕、君と一緒に暮らすことに……うん! いま決〜めたっ!」
「………………………………………………………………はあ?!?!?!」
………………………………………………………………はあ?!?!?!
「いやいやいや! ダブルピースでテヘペロされても困るんだが! 何言ってんだお前?!」
「そんな辛気くさい顔しないでよー! 一匹より二匹の方が確実楽しいじゃん?」
「いやいやいや! 誰がお前と一緒に住むと決めたんだよ?! 俺はまだ何も言ってない!」
「えー?」
「空惚けんな……!」
「だって、これってど〜考えても、一緒に住む流れじゃない? オロちゃん僕のために1000枚しっかりコイン貯めてくれたわけだし? ほぼほぼ『運命』じゃーん?」
何が「住む流れじゃない?」だ。
何が「わけだし?」だ。
何が「ほぼほぼ運命じゃん?」だ!
何一つ理屈が通ってないだろうが!
俺がコインを1000枚貯めたのは、文字通り貯金のためであって、あの宝箱型の貯金箱に忍び込んでたお前の私腹を肥やすためじゃ断じてなかった! それで勝手に進化されて、唯一の俺の縋りどころだったものが無に帰しただけじゃなく、その元凶であるこいつと何が楽しくて一緒に暮らさなきゃならないんだ……?
そんなことを言っても、サーフゴーめ、聴く耳を持たないようだった。俺の話をさっぱり理解できてないような表情できょとんとして俺を見るばかり。どうなってんだ!
「もー、頑固だなあオロちゃんはっ!」
「いやいや、何がだ!」
つうか「オロちゃん」言うな! 「ちゃん」付けされると、すごくそわそわする……それと、変な猫撫で声で話すのもやめろ。
「いったい、どういう教育受けてやがんだ……!」
「えー?」
「『えー』って言われても!……」
「んー……あっ、そうそう、言い忘れてたけど」
そういうと、サーフゴーはそのニッコリとした笑みを絶やすことなく、指をパチンと弾く。驚くべきことに、指先からみずでっぽうみたいに金貨が飛び出して、床の上でじゃらんと音を立てた。
「!!」
「お! いい反応だねえ!」
サーフゴーは大喜びしている。俺は何が何やらわからないで、ホゲータみたいに脱力している。
「ねー、すごいでしょすごいでしょ! これが僕の『ゴールドラッシュ』。これで、いっぱいオロちゃんのこと、養ってあげるからねえ!」
「……はあ?」
「んー?」
サーフゴーは首を思い切り横に傾げた。傾げすぎて、もはや煽っているみたいだった。
「ほらほら、ここはもっと喜ぶとこだよオロちゃ〜ん!」
「いやいやいや! これは……駄目だろ!」
「いいに決まってんじゃん! だって僕から取れた新鮮なお金だよー?」
「いや、聞いてるのはそこじゃねえし!」
こいつのやることなすことにいちいちツッコミを入れるのも疲れてきた……けど、俺はますます反応に困って、要らぬほどにオドオドとしてしまっている。
「でも、これならようくわかるでしょ? 1000枚の金貨は僕のために使っちゃったけど、僕がいる限り、オロちゃんはお金に困ること全然ないってことなんだから!」
「駄目だ、駄目だ!」
「ん〜?」
「だから『ん〜?』じゃねえ! そんな顔して指咥えんな! そんなことあってたまるか! だいたい、そんな金使ったら犯罪! どう考えたってドロボー……」
「犯罪? ドロボー? え? え? 何で? どーして?」
「お前って奴はああああああああああああああああ……!」
俺はこいつに一体なんて話し聞かせればいい? アーケンからワンリキーまで、とことん話が通じず、俺はコダックみたいに頭を抱えちまってた。樹冠に生えた髪の毛代わりの葉をしゃにむに掻きむしると、何枚かちぎれて、はらはらと舞い落ちる。
こいつが相当なマイペースらしいことはわかった。が、おろおろしていたらあっという間にペースを握られちまう。本来は、どう考えたって俺が優位に立つべきところ。不法侵入してるこいつと、被害者である俺……なのに、こうもじりじりとサーフゴーの思うようにさせられているのは、俺の話の持って行き方が下手だからか。確かに、大学での面接はそれはもう惨憺たるものではあったが……ってまた嫌なことを思い出させる!
「と、とにかく、この金は使えない」
「ど〜して?」
「出元がわからん金を使うわけにはいかないからな!」
「だから僕のカラダから出したって言ってんじゃん、オロちゃんも見たでしょ」
「そういうことじゃねえってのっ! 分かれっ! あとその……『オロちゃん』って呼び方やめろっ」
「もー、オロちゃんわからずやぁー」
「わからずやで結構! いいから、とっととここから出てけ……」
「……んー、でも、わからずやなところもぉ、なんだかオロちゃんのオロちゃんたる所以? って感じでいいかもってところあるよねー。よし、僕はもう決めちゃったから! オロちゃんとこで暮らすっ!」
「勝手に話進めんな!」
「これからよろしくねーオロちゃん!」
「お、おいっ!」
訝しむ俺を尻目に、サーフゴーはもう部屋でくつろぎ始めた。ソファーで横向きになってバックルに取り付けた宝箱から取り出したロトム型スマホ(いや、そんなもの、いつどこで手に入れた……?)をいじくる。
「そんな心配しなくても大丈夫だってー、迷惑だけはかけないからさー」
「いること自体、既に迷惑なんだが……」
「僕にしても1000枚もコイン集めてくれたわけだから、恩義ってもんもあるしぃ?」
「いらん!」
「本当は嬉しいくせにー」
「何でそうなる……!」
俺は裂けた口が塞がらなかった。そのうえ、自分の部屋、自分だけの部屋によそ者が居座るだけで気分が非常に落ち着かない。俺のプライベート以上の、もっと大事な何かを凌辱されたように感じた……くっそ、こうなったら。
俺は根にぐっと力を入れて幹を屈め、ウッドホーンの体勢を取った。こんなこと滅多にしないことではある。かつてニンゲンとともに暮らしていた時代には、ポケモン同士が闘うということは当たり前だったとされているが、今日ではユナイト競技だとか一部のスポーツでしかバトルが行われることはない。無論、野外でそんなことしようとすれば即、保安官にしょっぴかれる。とはいえ、手荒いことは承知の上。少しでも威圧してやらなけりゃ、このバカにはわからない……
後先のことは何も考えずに、横たわるサーフゴー目がけて尖った枝を突き立てた。
手応えは、全然、なかった。
「……おおっと!」
「?……?!」
何が起こったのかわからないままに、いつの間にか倒されていた俺は、そのままの勢いでベッドの上に寝そべるかたちにさせられてしまった。
「ふふふ……」
「お、お前っ……」
「僕を舐めてもらっちゃ困るよオロちゃ〜ん? 僕ってさあ、こう見えて結構タフなんだよ?」
「……お、おう」
「コレクレー族って、っぱコイン1000枚集めるにはど〜したってタフで時にはドライになんないといけないんだから。オロちゃんの今の腕力? くらいならぶっちゃけお茶の子さいさいよ?」
ほら、もう離さないからね? といって、サーフゴーがかけてくる力は確かに凄まじいものがあった。金貨でできてるカラダにのしかかられると、しっかりとした重みがある。俺の細い枝ではビクリともしやしなかった。
「離せ! 離せって!」
「でも離したらまた手荒い真似するじゃんかー」
「だからどうした! ここは俺の部屋であって、お前に居候される謂れなんて……」
「僕のこと信用してない?」
「当たり前だ! いきなり現れてクソほど図々しい……!」
「じゃっ、今晩はもう離さなーい!」
「お、おいっ! 何言ってんだ」
「んー、いっぱいおしゃべりしてたら、僕、なんだか眠くなってきちゃったなあ……進化にも結構エネルギー使ったし……うん、じゃあ今晩はもう寝よっか、オロちゃん!」
ってことで、おやすみ!……サーフゴーは仰々しく欠伸をすると、有無を言わさず、そのままへたり込んじまった。俺にのしかかったまま。
「おい!……おい!……」
叫びかけたときにはもう健やかに寝息を立ててやがった。どかそうとしても、びくともしない。なんて奴だ! 全身の力が抜けて、その重みが全部俺の上にのしかかってくるので、身動きが全然取れない。
「く、くっそ……」
悪態を吐いてもどうにもならなかった。もどかしげに枝先を動かすのが精一杯な俺は、不本意にもこのサーフゴーめと添い寝などする羽目になっちまった。
まあ、前置きが長くなったが、幸か不幸か、これが俺の物語の始まり始まり、ってわけだった……どうなることやら。
ポケモン小説wiki新連載
辛抱する木に
〜2025年全編公開に向け鋭意執筆中乞御期待〜
目次
中書き
第十四回仮面小説大会に出せなかった作品を、わるあがきのテイで出しました。
オーロットくんも言った通り、長い前置きになりましたが、ラブコメBLチックな小説になります。主に、樹木と金貨の。
先は長そうと自分でも感じてますが、とりあえず形になった第1話を先行してあげることにしました。wikiの更新滞ってたからね。
また一つ、デカい仕事に手をつけてしまった……と自嘲しながらも、彼らの尊さ(?)で乗り切っていければなあって思いますので、応援のほどどうぞよろしくお願いします。
作品の感想やご指摘はこちらかツイ垢 へどうぞ
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