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【46】最果ての調整者 の履歴(No.2)


最果ての調整者

たつおか




 この作品には以下の要素が含まれます。


【登場ポケモン】  
ヒスイダイケンキ(♂)・エンニュート
【ジャンル】    
読者参加企画・グロ・殺害描写・最果ての島
【カップリング】  
──
【話のノリ】    
重い・残虐表現有り







目次




第1話・都落ちのキャリア



 シジマ・マコト警視は大陸からの出向警官であり、最果ての島唯一となる警察機構の長であった。

 もっともこの島には既に自衛団的な地元組織が存在しており、シジマが本庁の警官だからと言ってやれる仕事や権限などはまず無いに等しい。
 そもそもがシジマ当人からして既に、自発的にこの島を守ろうという気概は皆無に等しかった。

 齢29のシジマはヤリ手として期待された本庁のキャリアであり、26歳にして警視の肩書を得た異例のエリートであった。
 だが順風満帆に見えた彼の人生もしかし、思わぬところで綾がつく。

 警視着任直後、彼が警備部長として任命された元総理大臣の警護中──よりにもよって元総理は暗殺の憂き目に遭う。
 それだけでも責任は重大であったが、悪いことに斯様な暗殺を成功させてしまった刺客は単なる一般人であった。

 ホームセンターで調達可能な材料から作り出した粗悪な散弾銃を用い、日中演説をする元総理の背後から堂々と近づいて行って撃った。結果として元総理はその凶弾に倒れ、後は知っての通りである。

 国際的なテロ組織の標的にされたや、重火器で武装した刺客に襲われた等の状況であれば同情の余地もあったろうが、事件は完全に警備の不手際を突かれての結果であり、同時にこの一件は国の威信や信頼をも失墜させる結果となった。

 当然ながらこの事件は当時の世情を大いに騒がせ、本来一般人などは知はずもない要人警護の組織体系まで調べ出されては、その長であったシジマ・マコトの悪名を世に広く知らしめることとなる。

 謂わばその時の懲罰的人事により、シジマは大陸本島から遠く離れたこの最果ての島へと『南方警備統括長』などという何の意味もない肩書を背負わされては就任されたという訳であったのだ。

 一連の事情から捨て鉢となっていたシジマに、もはや自身の任務に対する責任感が芽生えようはずも無かった。
 先述のよう、この島には既に地元有志による自衛団という自浄機能があったから、むしろシジマの存在などは有って無きに等しかったといえる。
 とはいえ実質無害のシジマをよそ者として排除するようなことも島の住人達はしなかった。
 それどころかむしろ、前述の壮語に過ぎる肩書を尊んでは、ある種の敬意すら向けてくれたほどである。
 この島の住人達は基本時に善良な人間・ポケモンが多かった。

 しかしながらシジマがこの島に着任して以来──島の治安は格段に改善されていく。
 具体的なその変化とは、シジマの着任以前からこの島に跋扈していたいくつかの反社会的組織の消滅及び弱体化にあった。

 そもそもが険しい空海の気流や潮流に遮断されたこの島は、外界で犯罪を起こした無法者達にとっては格好の潜伏場所と言えた。
 とはいえ大抵の逃亡者は先に述べた自然の防壁によって海の藻屑と消えるが、それ故にそこを乗り越えて島に辿り着く者達は腕っぷしに優れた者が多い。
 そうして裏社会では名の知れたポケモンや人間が居付くとその下にはさらにはみ出し者達が集まりと、当然の如く島には反社会的集団が形成されることとなる。

 島の自衛団は、斯様な連中への対処に明け暮れていた訳であるが──シジマの就任直後、そんな組織は明らかな弱体化を見せ始める。

 その縮小化は顕著であり、中にはそのまま消滅したものもあった。
 島民にしてもこの変化は重大で、シジマの着任時期と鑑みてはこれが全て彼の手腕によるものだと信じて疑わなかった。
 そしてその賛辞を他人事のよう無感動に受けるシジマはとある疑問を胸に抱く。
 それこそは……──
 
──僕は、何もやっちゃいない………

 当人であるシジマ本人だけが知る事実であった。
 着任当時、鬱病の一種も患っていたシジマは終日居宅に引き籠る生活を続けていた。
 組織壊滅の為の活動はおろか、満足に島の住民と会話を交わすことも難しい状況であったのだ。

 それにも拘らず犯罪組織はシジマの埒外で勝手に消滅しては、自動的にその手柄だけをシジマに齎せた。
 件の消滅した組織の中には、当時外界においても名の通ったマフィアポケモンが何匹かおり、それを駆逐したとあってシジマの名声は島外にまで知れ渡るようになる。

 そうして就任3年目となる今──島に巣食っていた反社組織の大半は駆逐され、町は始まって以来の平和を取り戻した状態となった。

 時期的にこの頃はシジマの精神状態も安定し、彼にしてもようやく人間らしい生活を取り戻しつつあった。
 その要因はひとえにこの風光明媚な島の環境と善良な住民達、そしてこの島において出来た『相棒』の存在も大きい。
 その相棒とはこの町へシジマが遣わされるのに合わせて赴任された警察組織のエンニュートであり、彼の部下として仕えてくれたことから交流が始まった。

 その後は鬱病であった彼の世話を献身的に勤め、ようやくその症状が落ち着く頃にはシジマにとってエンニュートは掛け替えのない存在となっていた。
 そんな彼女にシジマが島の荒くれ者を追い出してくれたことの手腕を褒め称えられる時──シジマは胸が潰れる思いがした。

 もっとも当時からシジマは反社組織の壊滅は自然消滅であり、自身が何の手も下してないことは訴えてきたが、それらも実力者の謙遜として取られてはなおさらにシジマの名声を上げてしまう結果となった。
 この島へ来たばかりの捨て鉢な状態であったのなら無感動に持ち上げられるままに任せたのであろうが、愛する人が出来た今、シジマは彼女にだけは等身大の自分を知ってもらいたいと思うようになる。

 かくしてシジマは、一連の『反社組織消滅事件』の捜査を個人的に開始する。
 思えば彼がこの島に就任してから3年──初めて自発的に、警察活動を始めた瞬間であった。



第2話・調整者



 調査を進めるうち、シジマは不可解な符号に気付くこととなる。
 件の反社組織が消滅あるいは極端な弱体化をした契機は、そのどれもが組織の代表および幹部達の『消失』に起因していたことだ。

 それらは死亡や逃亡をしたということではなく、ある時突然にこの島から『消えて』しまっていた。

 トップの消失に組織は浮足立ち、指揮系統を失った荒くれ者達は内部分裂と抗争を繰り返した果て、遂には町の自衛団に駆逐されての消滅を余儀なくされていた。
 その際にある者は町以外の場所へ逃げ、ある者は離島し、そしてある者は抗争の際に負った傷により死亡した。

 斯様にして末端の連中はその末路が知れているというのに、トップの『消失』だけは何の証拠も見出せなかった。
 あるいは自発的に潜伏や島からの脱出を図ったのかとも推測したが、それも考えにくい。
 狭いこの町においてそれら行動を誰にも見咎められずに行うことは困難であり、なおかつ行方不明者達は皆が泳ぎや飛行に特化した者達でなかったことからも、その実行は現実的ではなかった。

 故にシジマは一連の事件を細分化してはその一つ一つを地道に洗い出すことから始める。
 本島で調査をしていた時の作法に則り、シジマはリビングの壁一面に関係団体や主要人物の写真といった情報を貼り出していってはそれを赤の毛糸で結んでいった。


「まずは、『チーム・ゲンガー』………」

 事の起こりは2年前──とあるゲンガーが率いていた組織の消滅から始まる。
 ゴーストタイプのポケモンを多く従えた一家であり、当時この島では新興勢力の一角であった。
 比較的若いポケモンや人間達で構成されたこの組織は違法となる薬物を秘密裏に売買しては、もはや半グレの素人集団とは看過できぬ利益と影響力を周囲に示し始めていた。

 そんな集団がある時、この島唯一の酒場である『カミナリのしっぽ亭』において騒ぎを起こし、客や店員達を巻き込んだ騒動を起こす。
 その巻き添えで店員の一人が負傷し、それでも憤懣やる方ないゲンガーはついに酒場を打ち壊すとまで豪語したがその翌日……彼は『行方不明』となる。


「二件目は『ゾロアーク・ファミリー』………」

 これは最初の事件から数か月後の出来事──市街地において一般住民とのいざこざが切っ掛けであった。

 ゾロアーク率いるこの組織は町の縄張りを主張しては、複数の商店に対し見ヶ〆料を要求した。
 そうしたゾロアークの交渉は話し合いなどとは程遠く、恐喝や脅迫といった暴力に訴えては対象商店を従わせようとするものだった。
 この時もそんな交渉術を遺憾無く発揮していたゾロアークを見かねて仲裁に入った一般人(ポケモン)が負傷したことにより町は騒然となった。

 この時のゾロアーク・ファミリーは町を支配する二大勢力の一右であり、この一件は残る巨大勢力との全面戦争にも発展しかねない危険性を孕んでいた。
 しかしながらそれも、おおよそ尻すぼみな結末に終わる……。
 ファミリーの長であったゾロアークが──『消えた』のだ。

 商店街での騒ぎがあったその夜を境にドンであるゾロアークとその他の有力幹部数名、さらにはその護衛を務めていたであろうポケモン達は、一夜にして消えてしまったのだった。

 当時は敵対していた『ケッキング一家』による誘拐や暗殺を囁かれ、同組織も数日後にはそれを表明したが、その関与を決定づける証拠は何ひとつとして出されなかった。
 こういった組織間の悶着においては、制裁対象の死体あるいは殺害の瞬間を収めた映像などを広く公開することがマフィアの通例であるにも関わらず、ケッキング一家はそれをしなかった。
 
「いや、出来なかったんだ……なぜなら、このゾロアークと幹部達を始末したのは自分達ではないから……」

 先のチーム・ゲンガー同様に、シジマは関連図上でこのゾロアークから引っ張っていった毛糸を『とある地点』に結びつける。


「そして最後は、ケッキング一家だ……」

 言わずと知れた最後のひとつにシジマは意識を集中させる。
 件の一家はこの島においては最古参の反社組織であり、それこそ組の沿革はこの町の創設にまでさかのぼる。
 町の黎明期には共に発展を手伝い、そこに住む人々の守護者たる役割を果たしてきた集団ではあったのだが、ある時を境に一家はその性質をがらりと変えた。
 
 元より一家は町の商店や個人を問わぬ住人達から少量の『護衛料』なる金銭を徴収していて、町においてもそれは古くから続く慣習として根付いてもいた。
 確かに当初は部外者の選定やトラブルの解決にも一躍買っていたことから、住民達も納得の元それなりに友好な関係も築けてはいたが……それも今代の親分であるケッキングに首領の座が移ってからは一変する。

 ケッキングの考える組織の運営方針とは、いかに島民を自分達へ依存させるかに尽きた。
 島民を守るべき存在・有事の際には戦う存在であるということを知らしめるべくにケッキングが取った行動は、必要以上に他組織との抗争を引き起こすことにあった。
 それによって当初の目論見が果たされるとケッキングは画策した訳ではあったが、それに巻き込まれる島民はたまったものではない。
 
 しかしながら斯様なケッキングの企みも万事が上手くは運ばなかった。
 当時、町の自衛団には腕自慢のポケモンが一人おり、町において組織間の抗争が起きるや迅速に駆け付け、喧嘩両成敗とばかりに双方の構成員達を叩き伏せては事態を収拾していた。

 これでは当初の目論見が達成出来ないと踏んだ一家は、事もあろう彼の暗殺に着手する。
 そのポケモンが毎回、出先の決まった屋台で昼食をとることを突き止めた一家は──そこの店主の家族を人質に取って脅迫し、事もあろう彼の食事に毒を盛った。

 当時、同伴していたポケモンが異変に気付き敏速に対処したことで最悪の自体は免れたが、それでも彼は渡されたホットドックの半分近くを齧り取っていたことから生死の境を彷徨うこととなる。

 元からの生命力もあり辛うじて最悪の自体は免れたが、それでも彼が伏せている間は一家にしてもチャンスだ。
 その翌日には侵略然として町の制圧に乗り出すかと思われたが……──

「…………消えた」

 シジマは呟き、ケッキングの写真にマーカで×字に叉(さく)を刻む。
 かくして、この島を影から牛耳っていた組織はその全てが壊滅し、町は始まって以来何の反社会勢力も背景に持たない状態となっていた。

 そうしてシジマは最後のケッキング一家へくくり付けた毛糸を他の勢力と同様の収束点へと導く。
 やがて一歩後退り、目の前に展開される関連図を俯瞰すると──

「後は……足で追って、『ここ』に辿り着くしかないか」

 呟きつつ、射貫くような視線をシジマは『そこ』に注ぐ。
 三大勢力の破滅のその先は──『調整者』とシジマの名付けたひとつの付箋へ括られていた。
 



第3話・共通の存在



 現場百篇とはいえ事件はもう2年も前の出来事だ。
 正直なところ、これからの聞き取りには何の収穫も期待していなかったシジマではあったが……

「あぁ、覚えてますよ。あの日のこと」

 目の前で聞き込みに応える『ティニ』を名乗るビクティニは、そう言って朗らかに笑った。
 誰あろう2年前、ここカミナリのしっぽ亭における『チーム・ゲンガー事件』で負傷した従業員が彼であった。
 場所は事件の現場でもあったカミナリのしっぽ亭──そこに置いて開店前のティニを相手にシジマは当時の話を聞いた。

 あの日、同店において酒量の進んだゲンガーは正体を失くし、周囲の客達に対して絡み始めたという。 
 この店には平素用心棒変わりになっている常連(ダイケンキ)も居たがこの時は不在で、一連のゲンガー一味の乱行もそれを見越してのものであった。

 店の女将であるピカチュウが当時そんな彼らを戒めた訳ではあるが、その注意に一同はなおさらに逆上の度合いを高め、遂には実力行使とばかりに店内において各々の技を駆使した乱闘へと発展……その結果、騒動の巻き添えを受けたティニが負傷した。

「その時、店に居合わせたお客さん達を覚えてますか? 具体的に名前なんて分かってたら助かるんですが……」

 メモにペンを走らせたまま訊ねるシジマに対し、ティニも『ゲンガーさん達の方はよく知りませんが』と前置きした上で、当時店にいたメンツを数えていく。
 そうして語られる数名の客の中にヒスイ・ダイケンキである『ムラクモ』の名前を書き留めてシジマは小首を傾げた。

「このムラクモさんって……さっきは『居なかった』って言ってませんでしたか?」
「あぁ、いつもお店を守ってくれてるのは普通のダイケンキの『むらまさ』さんです。種族と名前が似てますよね」

 そういうことかと思い、この時にはシジマも特にその存在へ注意を傾けることも無かった。
 かくして一騒動の後、騒ぎを聞きつけた件のむらまさが駆けつけたことでゲンガー達は店を出る。
 そうしてそこでの目撃談を最後にして──彼らは消息を絶った。

 とりあえずここで収集できる情報はこんなものかと思い、開店前の忙しい時間を割いてもらった感謝を伝えるとシジマも店を後にする。
 その後、同じ足で向かった先は町の服装店であった。

 そこはドレディアのリリーが経営する店であり、こちらは『ゾロアーク・ファミリー幹部消失事件』の際に、彼らが直前まで居座っていた店となる。

「──酷い有様でしたよ。急に押し掛けてくるなり『金をよこせ』だなんて……あれじゃ強盗と変わりませんよ」

 当時を振り返る彼女は思い出すのも嫌と言った体で、しかめた顔を左右に振った。
 しかしながら悪印象の恩恵か2年近く経った出来事であっても、あの事件の記憶は彼女の中に鮮明に残っていた。

 ゾロアークが数名の手下を連れてリリーの店を訪れた時、店内には既に二名の客がいた。
 その内の一人であるオオスバメの『リュヌ』が仲裁に入ってゾロアークを戒めた訳ではあるが──それを受けボディガードも兼ねていた取り巻きのブーバーンが問答無用でリュヌを打ち据える。

「あの時のリュヌさんはピクリともしなくて……私はてっきりそのまま殺されたのかと思いましたわ」

 結局ケガの度合いは大したことも無かったものの、完全に不意打ちとなるそれを受けたリュヌは流血と共に失心をし、場は騒然となった。
 その後は騒ぎを聞きつけた自衛団が駆けつけたことでゾロアーク達も引き下がり事なきを得たが、一連の騒動を目の当たりにしたリリーは当時、今後もこれに悩まされるのかと思うと酷く絶望したとため息の度合いを深くした。

「それは災難でしたね……それで、その時現場にいたもう一人っていうのは誰です? リュヌさん以外にもお客さんが『もう一人いた』と……」
「え? あぁ、そうそう。その時はね、ムラクモさんもいたんですよ。ヒスイ・ダイケンキの。最初はそのムラクモさんの日用品を揃えようってリュヌさん達が来店してて、その後にあの連中が押しかけて来た訳で──」
「ムラクモさんが………」

 メモを取るシジマの手が止まる。またその名が出てきた。
 この時シジマの脳裏には、まったく不確定ながらひとつの仮説をそこへ象り始めていた。
 されど今はまだ輪郭すら定まらないそれを心の隅に留めたまま、シジマはリリーの店を後にする。

 そうして最後に訪れたのはケッキング蒸発の直前に巻き起こった、『むらまさの暗殺未遂』の現場であるヘイガニの屋台であった。

「俺はあの時、けっして許されねぇことをした……それでもむらまさは笑って許してくれたんだ。償っても償いきれねぇよ!」

 店主のバーバーは語りながらに涙ぐんでいっそう鼻頭を赤くさせると、大きく洟をすする。
 この事件の概要は、前日の『とある誘拐事件』から始まる。

 屋台を引いて町の中を巡るバーバーは、昼の12時には決まって中央広場に店を広げていた。
 売り物はホットドックを始めとした惣菜パンがメインであり、それなりの年数に渡って商売を続けているバーバーは町においてもちょっとした顔となっていた。
 
 件の被害者であるむらまさとは顔見知りであり、昼の一時(ひととき)は彼の店でホットドックを買いそこで語らいながら昼食をとるのがむらまさの日課となって久しかった。
 しかしながらあの日の昼は、彼がそこに安らぎを求めることは叶わなかった。

 事件概要の通り、むらまさは毒物の混入されたホットドックを摂取して昏倒する──それを仕組んだのは誰でもない店主のバーバーであった。

 彼にしても一連の犯行は自発的に行われた訳ではない……その時バーバーはケッキングの手によって妻と子供を人質に取られ、彼らの要求に従わざるを得なかったのだ。

「当時摂取してしまった毒物は、それでも致死量に近かったと聞いています。むらまささんも運が良かったですねぇ……」

 一連の話をメモにまとめながら世間話程度に合いの手を打ったシジマではあるが、次いで返されたバーバーの答えにその手は止められることとなる。

「運よくその時のむらまさには連れがいたんだ。そいつが即座に異変に気付いて、飲み込んだ毒を吐き出させてくれた」

 バーバーの言う『連れ』の出現に、シジマは僅かに瞼を剥くと上目遣いの眼光を鋭く彼へと向けた。
 そして後に続く言葉を制する様に──

「……その連れ合いとは、『ムラクモ』さんですね?」

 シジマはその名を告げた。

「おう、知ってたのかい? あいつァいつも昼はカミナリのしっぽ亭で食うんだが、その日はむらまさに誘われてて一緒だったんだ」

 おかげでむらまさを死なせずに済んだ──と改めてムラクモへの感謝に涙ぐむバーバーではあったが、そんな彼を前にしてももうシジマの意識はそこへ向かうことは無かった。
 これまでに聞き込みをした三件の事件における『共通点』を見つけると同時、そこにはとある人物(ポケモン)が浮かび上がってはその存在を強調している。

 メモに書きだしたその『人物』の名を見つめ続けるシジマは、そんな正体不明の閃きの糸を手繰るよう、

──調整者……

 無意識に手帳へペンを走らせては、『ムラクモ』の名を幾重にも丸く曲線で囲い続けた。




第4話・そのポケモン



 関連図の展開された壁面を前にシジマは考えて続けていた。

 事件関係者達の写真や情報の付箋によってモザイク調に彩られた壁面もしかし、その中央だけは一枚の写真が張り付けられただけで空白に等しかった。
 そこには数名のポケモンが一堂に会した集合写真が貼られており、その中において集団の端にひっそりと映ってるのが──

──状況的に、この人で間違いない……
 
 目下シジマが『調整者』と仮定するムラクモその人である。

 シジマの考える調整者とは、この島においては過去に一連のマフィア達が担っていた役割に他ならない。
 言わばそれは一種の武力干渉であり、話し合いでは解決の見出だせない問題を秘密裏に片付ける役割のことである。

 事その手の界隈において、鹿爪らしくも『裏』や『闇』などと形容されるそれらは本来、集団社会にとって無くてはならない自浄作用の一つなのであった。

 しかしながら時に人体の免疫が過剰反応によりアレルギーを発現するのと同様、社会における調整者もまた『調和』という本来の目的を逸脱し、暴力一辺倒の『手段を用いることのみ』に傾倒してしまうことがある。

 そうなってしまうともはや彼らは人体に仇を為すノイズ以外の何者でもなくなり、それこそが先に壊滅した数多の反社会的組織達なのだった。
 そしてその存在に窶してしまった彼らを排除したムラクモこそは、シジマの考える『調整者』として最も相応しい存在といえた。

 個人の利益を優先するでもなく、組織に害する原因を秘密裏に解消していく存在……しかしながら、

──いったい何を想ったら、一個人がこんな行動が取れるんだろうか……

 虚ろとも取れるほどに抑揚無い表情で見つめてくる写真のムラクモを、シジマもまた見つめ返しては思いを馳せる。

 彼の素性は単に町人の証言からだけではどうにも捉えにくい部分が多い。
 奇しくも自分と同じ三年前にこの島に現れたという彼は、その付き合いもごく限られた人数に限られていた。
 
 故に聞き込みをしてみても『ヒスイ・ダイケンキの』といった情報しか知らない町人がほとんどであり、また親交のある者達の証言でも『いい奴!』や『案外世話好き』、『何を考えているのか分かりづらいがノリは良い』等々……聞いた者によって二転三転するムラクモ像は、一向にシジマの中で靄をかからせたままだった。

 依然としてそんな壁のムラクモを見つめたまま、飲むのを忘れていたコーヒーを思い出したようにすすったその時、

『もう冷めちゃってるんじゃないの、それ?』

 傍らに寄り添ってくる声と気配にシジマは我に返る。
 そうして左隣へ視線を転じれば、

『やっぱり冷たくなってる……美味しいのこれ?』

 抱きつくようにして身を密着させてきたエンニュートが一人、首を伸ばしてはシジマの手にしたカップからコーヒーをすすった。

「集中してる時にはこれが良かったりもするんだよ、チカ」

 そうして揶揄うように絡んでくるエンニュート・チカの腰を、シジマもまた苦笑いげに抱き寄せる。

 彼女はシジマがこの島へ着任するのに合わせ、共に大陸から渡って来た警官ポケモンだ。
 もっともその頃のシジマは鬱と絶望の極みに在り、ようやくに正気を取り戻して彼女の存在を確認したは一年も後のことだった。

 当初は部下と上司という関係の延長線上だったのだろうが、それでも親身にシジマのケアに勤めてくれた彼女の献身により今日の自分があると言っても過言ではないとシジマも感謝してやまない。
 そもそもが今のこの調査とても、そんな彼女に等身大の自分を知ってもらいたいという思いに駆られての行動であった。

『もうこの島に悪い人はいないの?』

 同じ関連図を眺め見ながら、順を追って組織の変遷を目で辿ったチカはそんなことを聞いた。

「個人ではまた幾人か残っているようだけど、組織的なものは残っていないかな。もっとも……新たな集団がこの島に集まりつつあるっていう情報はある」
『……どういうこと?』
「本庁から知らせがあったんだ。大陸を出たヤトウモリの一団ががこの島を目指してるってね」

 シジマの視線は再び写真の中のムラクモへ注がれる。
 始まりこそはシジマの興味と意地によって始められた調査であった。
 しかしながら新たな組織の脅威が疑われる今、自ずと町や島の治安維持には島民達の結束と、そして暗部を担う役割の者が必要となってくる。
 その為にも……

「僕は彼の事を……事の真相を知りたいんだ」

 見つめるシジマの目には、本島においてヤリ手と称されていた頃の精悍さと集中力が戻りつつあった。
 そうして写真越しにムラクモと対峙しているうちに、シジマは彼と直に面接してみたいという強い衝動に駆られる。

 周囲の情報や個人的感想を纏めただけでは一向に明確なムラクモ像はつかめない……やはり最後は、自身の目と肌を触れ合わせることにより彼の人物像へ輪郭を持たせる他に無い。

「……──ちょっと出かけてくるよ」
『こんな時間に今からァ?』

 手にしていたカップを押し付けるようチカに渡すと、シジマは踵を返し玄関へと向かう。
 
『どこに行こうっていうのよ?』

 そうして手に取ったコートに袖を通すシジマは、その問いに対して流し目を返す。
 その視線は問いを発したエンニュートではなく……

「彼に……ムラクモさんに、会ってくる」

 背後の関連図に張られた、写真の中のムラクモへと注がれていた。




第5話・期待外れの男 



 町を離れた森林エリアとの境界にその小屋はあった。

 周辺に他の建物など無い草原の立地に加え、すっかりと夜の帳も降りた今時分では、そんな小屋から漏れ出る灯りだけが何よりもの目印となってシジマを導いている。
 そうして目的地であるムラクモの小屋へと歩を進めながら、

──遂に会える……

 近づくごとに胸へ沸き上がる対面への期待をシジマは宥めた。
 
 捜査線上に浮上した関係者に会うだけだというのに、万感やる方無いといった今の心境は不思議な高揚感をシジマに覚えさせてやまなかった。
 思えば自分がこれほどまでにこの事件へのめり込んだ契機こそ、この『ムラクモ』にあると言っても過言ではない。

 遂には小屋の前の、出入口と思しき引き戸の前に立つと──シジマは逸る気持ちを落ち着かせ、やがて意を決して引き戸をノックした。
 そうして返答があるまでの間、その場で佇まいを直してはネクタイなども整えて対面の瞬間を待つが……見つめ続ける引き戸は一向に開かれる気配を見せなかった。

 今だって明かり取りの小窓から灯りが漏れていることからも、屋内に誰かしらが居ることは間違いない。
 ならばノックが小さかったかと、今度は先ほどよりも強めに中指の拳骨を戸板へ打ち付けるもしかし……やはり家主がそこから現れることはなかった。

「まいったな……どう解釈すればいいんだ?」

 鋭く響き渡ったあのノックをもはや聞き逃すことなどあり得ない。以上を踏まえるのならば、考えられる可能性は居留守を使われているということになる。
 だからと言ってまさか勝手に戸を開けて入っていく訳にもいかず、今夜の来訪は空振りかと諦めかけたその時──何の前触れもなく、眼前の門戸は突如として開かれた。

 威嚇するような力強さや手早さもなければ、一切の演出性もなく開かれたそれに虚を突かれ、シジマもまた表情を呆けさせてしまう。

 灯火の淡い後光を背負い目の前に立っていた者は一匹のヒスイ・ダイケンキ──それこそは、今日までシジマの心を捉えては放さなかったあの『調整者(ムラクモ)』に他ならなかった。

「ムラクモ……さん?」

 ようやくの邂逅に万感の思いが胸に湧き上がることを期待したシジマではあったが……実際に対面するにあたり、シジマは僅かな落胆を胸に覚えては、そこに困惑を覚えざるを得なかった。
 その理由の最たるはムラクモの容姿にある。

 戸を開くため後ろ足で直立したムラクモは確かに長身ではあったが、それとても平均的なダイケンキのそれと変わらない。
 加えては頑健、岩の如くであったむらまさと前日に会っている記憶も手伝ってか、目の前で猫背に上背を屈ませたムラクモはなおさらシジマの目には細く小柄な印象に映るのだった。

 それに困惑するあまり、来訪の意思も伝え忘れては立ちつくすシジマをしばし見つめた後──ムラクモは一言として発することなく踵を返し、家の中へと戻っていってしまう。

 その様子にようやくシジマも我に返った。
 礼を失してしまった事を悔いながら門前払いを告げられたかとも思ったがしかし、戸口は依然として開かれたままだ。
 シジマはそれを拒絶の意思ではないのだと身勝手ながらに解釈し、意を決してはムラクモの家へと歩み入った。

 室内は外装からの印象に反し、存外に広く思えた。
 玄関部と思われる土間の隅には炊事の為の竈と水場が設置されており、上がり框を隔てた室内は一切の間仕切りの無い大きな一間となっている。
 斯様な室内の中央には作業台然とした大机が布置されていて、その上には何かの彫刻と思しき彫りかけの木片が鎮座していた。

 予てより彼が彫刻細工や建具の製作を請け負っていることを調べていたシジマは、すぐにムラクモが仕事の最中であったことを察する。
 そして一方のムラクモはと言えば──そんな作業台の前にしつらえた角材組みの簡易な椅子に腰かけてはシジマを見上げていた。

 見れば斯様なムラクモと対面する様にもう一基、同じ造りの椅子が置かれている。
 寡黙でありながらも彼なりに接待されていることに気付いて恐縮すると、シジマもまたそこに腰を下ろし──ようやくに二人は対面を果たしたのであった。

 しかしながらいざ会見を経るに、

「あ、私は大陸警察官シジマ・マコト警視であります。この島では島内の治安維持の為に、警察官業務などをさせていただいてます」
「…………」

 シジマは簡易的な自己紹介の後、二の句が継げず黙りこくってしまった。
 対峙するムラクモもまた相槌を打たなかったことから、場にはただ沈黙が流れた。
 しかしながら不思議であったのは、そんなムラクモを前にしながらも一切のプレッシャーが感じられないことにシジマは疑問を覚える。

──はたして彼は……本当に僕の考える調整者なんだろうか?
 
 今に至る直前までシジマが抱いていたムラクモ像とは、 冷酷冷血な殺し屋という多分に誇張されたイメージだったと言える。
 しかしながらいざ目の前にした彼の印象は、そんな血生臭さなどは微塵も感じさせることの無い、さながら植物のごときに平穏なポケモンであった。

 その気配たるやは、まさに『無』と称するのが相応しい。
 一連の寡黙な仕草は『ただそこに在る』といっただけの風情であり、事実シジマは仏像と対面しているのではないかと幾度も観察する目をしばたかせたほどである。

 それ故に脳裏に浮かんだのは、『調整者』の正体は果して本当にムラクモであるのかと訝る疑いであった。

 腐っても警察官のシジマは自身をリアリストであると自認している。
 しれでもしかし、この小さな島において影から反社会組織の排斥に動いてきたこのムラクモに対し、どこかヒーローめいた期待を向けていたのは確かであった。
 それがいざ対面するに、目の前に居るのはおおよそそんな活動など想像だにつかない無気力なポケモンが口数も無く座っているばかりである。

──やはり僕の発想が飛躍し過ぎていたか……?

 遂には根幹から考えに対しても疑問を持ち始めた時──この日初めてムラクモがシジマに対して口を開いた。

「………君の手筈か?」

 依然としてこちらを真っすぐに見つめたまま、ムラクモは微動だにせずほんのわずか口先を動かしてはそう発した。
 その思わぬ問いかけに、我に返ったシジマもまた間の抜けた声など漏らして訊ね返してしまう。
 前後の意図が測れない唐突な質問は、果はたして自分に投げかけられた物かの判断もシジマにはつかない。

 やがて見守る先のムラクモはしばしシジマに注いでいた視線を他へ巡らすと、さながら周囲を探るかのようゆっくりと眼球を往復させた。
 そして次の瞬間やおらとして立ち上がったかと思いきや、先ほどまでの緩慢さが嘘のよう身を瞬発させ──ムラクモは左肩からシジマへと体当たりを敢行した。

 所詮は人間であるところのシジマにはそんな突然のムラクモに対し、まともな対応など取れやしない。
 突然のそれに辛うじて意識だけは反応し衝撃に備えるのが精一杯であり、そして無情にもラクモは駆け出しの勢いそのままにシジマを左肩に捉えた。

 そしてさながら突風に煽られるかのようにしてシジマは……ムラクモに身を預けたまま小屋の外へと弾き出されてしまうのだった。



第6話・新勢力の台頭



 最短で出世を登りつめたキャリアであっても、格闘訓練のカリキュラムは他の職員と変わることなく履修してきている
 だからこそ発火するかのごとくに激突してくるムラクモの突進が、どれほどの痛みと衝撃を肉体に及ぼすのかをシジマは理解していた。

 それ故にムラクモの肩口が腹部へと直撃した瞬間には、爆発するかのごとき痛みを覚悟してシジマも呼吸を止めたが……

「ッ──……あれ? どういうことだ……!?」

 しかしながら、あれだけの勢いで身を触れ合わせたにもかかわらずシジマは一切の衝撃はおろか、さながら羽毛が降り立つかのようにしてムラクモの体に乗り上がっていた。

 そしてこの段に至り、一連のムラクモの行動が攻撃に由来するものではなく、自分をあの場所から救い出してくれたものに他ならなかったことをシジマは理解する。

 担がれて以降、小屋を出て草原を四脚で駆け抜けるムラクモの上において、シジマは辛うじてその背へしがみつくように体位を保っていた。
 そうして兜の錣(しころ)に横顔を押し当てては打ち付けられる風圧に耐えていると……

(……聞こえるか、シジマさん)

 不意な声が聞こえた。
 否、それは確かに『声』ではあったが耳介を通じてではなく直接脳へと届くような響きを帯びていた。
 それこそは骨伝導に通じるからくりであり、立ち向かう暴風が耳をつんざく現状においてもムラクモの声はクリアにシジマへと届いていた。

「き、聞こえます! 一体どうしたと言うですかッ、こんな急に!?」
 
 非常事態といって差し支えの無い今の方が、先の会見時よりもスムーズに会話出来ている事実には皮肉を覚えずにいられない。
 そんなシジマの裏返る声に対し、

(……それはこちらが聞きたい)

 一方のムラクモだけは、先程と変わらない抑揚の無いイントネーションでそれに応えていた。
 
(……先に君が門戸を叩いた時、既に小屋の周囲には複数人の気配があった。当初私は君があれらを連れてきたのかと訝ったんだ)  

 ムラクモの返事にシジマも来訪時の状況を思い出す。
 あの時ムラクモがノックに応じず中々に顔を出さなかったのは、既に己の小屋を囲む不穏な気配に警戒をしていたからだ。
 
(……背後や周囲へ目を凝らしてみるといい)

 告げられるムラクモの言葉に従うまま、側面の後方へと目を凝らせば……そこには今走るムラクモと並走して追って来くる何者かの影が伺えた。
 月明かりが照らす周囲において、地を這うそれら黒い陰影は水の染みのよう闇夜に輪郭を浮き上がらせている。

(……察するに、あいつらは君を追っていたのだろうな)

 鼻を鳴らすムラクモの口調に、どこか倦んだ感情の機微がようやく現れた。
 一方でシジマは今の状況が全く理解できない。
 何故に自分が追われていて、ならばそれは何者の指図によるものか……混乱する頭では何の答えも仮定も導けないまま、やがてムラクモは立ち止まった。

 それに我に返りシジマはしがみついていた顔を上げる。
 ムラクモの背から見渡すそこはどこか岩礁の一角であった。
 シジマもそこから空を見やり、さらには特徴的な岸壁を遠景に確認しては現在地の把握に努めるも、

「どこですか、ここは……?」

 自分が島のどこにいるものか、全くといっていいほどシジマには分からなかった。
 担がれていた際のムラクモの速度やここに至るまでの所要時間を考えるに、そう遠くまで運ばれたとは思えない。せいぜいが町とムラクモ邸の中心点から海岸へと下った程度の場所だろう。

 そしてその程度の距離の場所ならば、シジマとて今日までに幾度となく散策しているはずだろうに、現在地の特定など皆目検討も付かなかった。

 しかしながらそんなシジマの思考も中断を余儀なくされる。
 今この場に立ち尽くすシジマとムラクモを取り囲むよう、二人を追ってきたあの影法師が次々と集結してきたからだ。
 10はくだらない人数に周囲を取り囲まれると、ようやくに静止したそれらの輪郭をシジマも確認する。

 シジマ達は今、このくるぶしまでの高さに海水の満ちた岩礁において、無数のヤトウモリに囲まれた状況にあった。
 それを確認するや先日来、大陸から受けていた反社会組織の密入国に関する報告を思い出す。

「黒蜥蜴団………」

 思わず漏れたシジマの呟きに、その傍らで立ち尽くしていたムラクモは尋ねるような一瞥を投げ掛ける。

「一時期、大陸において名を馳せた窃盗団です。数年前に大がかりなガサ入れでアジトを強襲されて、壊滅状態にあったと聞きましたが……」

 一人ごつるようそれを伝えるシジマの言葉はしかし──思いもかけない人物によって引き継がれることとなる。
 それこそは……
 
『──実際のところ、団はもっと早い時期にこの最果ての島へと上陸していたのよ』

 不穏なこの場には似つかわしくないほどに高く澄んだその声に呼応するよう、前傾姿勢で両肩をいからせていたヤトウモリ達は一様に平伏しては頭(こうべ)を落とした。
 それそこはヤトウモリ式おける最上級の礼の執り方であり、そしてそれが向けられる者とは彼等の──この組織『黒蜥蜴団』の首領たる者へと捧げられる礼儀に他ならない。

 そうしてかしずく団員達の間を歩み進んでくるその人物を目の当たりにした刹那──シジマの顔はその一時表情を無くし、

「あぁ、違う……人違いだと言ってくれ………ッ!」

 しかし次の瞬間には、もはや悲哀に近い色を為してはその眉元へ深い皺を刻み込んだ。
 斯様に憔悴著しいシジマに対し掛けられる、

『残念だけど、『初めまして』とはいかないようね……マコト』

 気怠るげに語尾を上げるその特徴的な口振りは、この3年間において幾度となくシジマの耳を擽(くすぐ)り続けた響きであった。
 やがて互いの距離を数メートルにまで近づかせると、降り注ぐ月明かりの下において、声の主の目鼻立ちをシジマの目にも明瞭とさせた。

 シジマの目の前には誰よりも信頼し、そして愛して止まなかったはずの恋人(チカ)が……──

『ごめんなさいね、全部ウソだったの』

 黒蜥蜴団・首領にして一同の女王『ハルヴェチカ』が──彫刻のごとき均整な女体を、月下に燦然と降臨させていた。




第7話・地獄の釜の蓋が開く



 遡ること3年前──大陸における団の存続を断念したヘルヴェチカは、単独でこの島へ上陸を果たしていた。

 前後して同時期に島へと航るシジマ一向の存在を知り、思わぬ警察関係者との鉢合わせに臍を噛むもしかし、すぐにそれが行幸であると悟る。

 調べるにその時の責任者たるシジマは前後不覚の状態にあり、随伴している者もポケモン一匹ならば赴任先にも警察関係者はいないという状況にあった。
 即ちは最高の隠れ蓑を神がヘルヴェチカに膳立てしたかのようなこの好機を、彼女もまた逃すことなく我が物とする。

 同行者であったルカリオを船上で亡き者とすると、そのままヘルヴェチカは何食わぬ顔でシジマに付き従い、以降は後に続く3年間を公私に渡る彼のパートナーとして演じることとなった。

「嘘だろ……あれが、全部嘘だったなんて嘘だろッ!?」

 一連の事情と真相を打ち明けられたシジマは周章狼狽にヘルヴェチカへと真偽を質した。
 そんな元パートナーの取り乱す様を目の当たりにし、ヘルヴェチカはさも申し訳なさげに眉元をしかめるもしかし──

『本当にごめんなさいマコト……貴方のこと、これっぽっちも愛してなんかなかったわぁ』

 その口角は目尻にまで吊り上がっては、おおよそポケモンが取るべきではない愉悦の色をそこに浮かべる。
 もはや目の前にいる者は愛すべきパートナーなどではなく、ただの悪辣な犯罪組織の長で有ることを理解した時、シジマは膝からその場にくずおれた。

 目の前でひざまずく憐れなオスを前にし、女王たる本能を刺激されたヘルヴェチカは絶頂にも近い優越に浸っては狂ったように哄笑を上げる。
 しばしそうして嗤い続けてはシジマを見下ろしていたヘルヴェチカではあったがしかし……突如としてその貌に疑念の色が浮かぶや、

『シジマ……あの男はどこ?』
 
 半ば唐突にそんな問いを発した。
 掛けられるその声に、すっかり泣きはらした顔を上げるシジマにはしかし、そんなヘルヴェチカの意図すら理解できない。
 
 この時ヘルヴェチカの視界には件のシジマともう一人、彼をここまで連れてきたムラクモが控えているはずであった。
 しかしながら今目の前に居るのは頽れたシジマただ一人であり、ムラクモの姿などは何処にも窺えない。

 その変化に対し、ヘルヴェチカは得も言えぬ胸騒ぎを覚える。
 今この場には8匹の配下(ヤトウモリ)が集結していた。もしあのムラクモが抵抗を試みたところでも、数の暴力を以て制圧できるはずだ。
 ……と、その時はそう思っていた。

 しかしながら人智を越えた事態は──その地獄の釜の蓋はまさに今、開けられたのだった。

 最初の異変はその音にあった。
 なにか物体を、強く鈍器で打ち据えるような重低音の響きに一同はその方向へと目を向ける。
 視線の先にはヤトウモリの一匹が立ち尽くしていたわけではあるが、どうにもその様子が違う。

 さながら風に煽られた頭髪を天にたなびかせているかのようなシルエットが月明かりの下で黒く展開されていたが、すぐにそれが想像する状況とはまったく異なることに気付く。
 そもそもが一切の体毛を持たぬヤトウモリにとって、風に煽られるような毛髪の類いがあるはずもない。
 目の前で繰り広げられるシルエットの意味合いとはすなわち──その頭部を斬り落とされたヤトウモリの首根より吹き上がる、凄まじい勢いの出血に他ならなかった。
 
 そしてそんなヤトウモリの傍らにはまるで影のように寄り添うムラクモが、上目使いにヘルヴェチカを見据えていた。

 色彩の一切が消えた宵闇においては鮮血もなお黒く、それの滴るアシガタナはさながら墨を滴らせた筆のようにすら見える。
 そんなムラクモが突如として身を伏せたかと思うや、あの痩躯の長身は瞬く間に場から消え失せた。
 その突然の消失にヘルヴェチカを始めとするヤトウモリ達はそれぞれに視線を巡らせては宵闇に溶け込んだムラクモを探し出そうと躍起になるも、もはや完全にその姿を見失ってはただ狼狽えるばかりである。

 月明かりだけの宵闇において、ヤトウモリ達の黒い体色は皮肉にも夜の明度の中ではその輪郭を浮き上がらせる結果となった。
 その逆に深い藍を湛えたムラクモなどは、むしろ闇の中に溶け込むようである。
 古来より斥候や暗殺者の衣類に藍染めが多く使われるのにはこうした視覚効果を得る目的がある。
 現時点におけるムラクモは、まさに天然の迷彩に身を包んだ暗殺者と言えた。

 そして斯様な刺客の手に掛かる次なる犠牲者は、一団よりも遠く離れた場所に陣取っていたヤトウモリの悲鳴に端を発する。
 見れば直立したヤトウモリは仲間達の元へ駆け寄ろうかと、櫓をこぐかのよう両腕をばたつかせていた。
 しかしながら泥濘(ぬかるみ)に捕らわれているのか、もがくほどにヤトウモリの体は足元へと飲み込まれていく。

 しかしながら、それも奇妙な話だった。
 今現在、一同が身を置くこの場所は岩盤の硬い岩礁地帯であり、多少の身動きで足が捕られるような砂浜など微塵も存在していない。
 それにも関わらず見る間に頭の標高を低くしていくヤトウモリの体が胸元近くまで地に沈んだその時──ようやくに皆は、その不可思議な現象の答えを知る。

 そのヤトウモリの足元には、身を低くしたムラクモが左右にアシガタナを往復させていた。
 そしてその刃が行き過ぎるごとにヤトウモリの上半身は、達磨落としの玩具さながらに沈んでいくのである。

 一連の出来事において、ヤトウモリは端から走り出してなどいない……足元から輪切りに寸断されて身を低くしていく様が、一様に走りながら地に埋まって行ったように見えていただけだ。
 
 やがては肉体のことごとくを細切れとされて首だけが転がると、再びムラクモは夜陰に溶けて一同の前から姿を消した。
 この段に至るともはや場は完全に恐怖と混沌に支配され──ヤトウモリ達の顔色をただ蒼然とさせるばかりであった。



第8話・宵の黒百合



 相手が見えていようものならば闘志も奮えようし玉砕とても可能だ。
 しかしながら今のムラクモはまるで突風のごとくに現れては消えるを繰り返しながら惨殺を行う、一方的な捕食者に他ならない。
 目に見えぬということが余計にヤトウモリ達の疑心暗鬼を強め、さらには心底にある恐怖をなおさらに掻き立てては、委縮させてしまうのだった。

 それでも5匹の一団が動いた。
 仲間同士で背を合わせるように陣取ると、そこから周囲を窺いつつ徐々にその円を狭めていく。
 もっともそれはムラクモを迎え撃つべく転じたのではなく、あくまでも我が身を守る為に身を寄せあっただけに他ならないのだが。

 そんな折り同士の背が触れ合う感覚を覚え、瞬間ヤトウモリ達は身を固くした。
 密着していては逆に身動きがとれなくなる。
 それゆえに適度な距離を保とうと両隣を確認し合ったヤトウモリ達はしかし……そこに違和感を覚えては互いを見合わせる。

 双方にはまだそれぞれに距離が存在していた。互いの背が肉迫するほどには至っていないのだ。
 ならば今、全員の背に当たっているものは何か……いったい誰が自分達の中央にいるものか……──。 
 5匹が同時に首を振り返らせては己達の中心に居るものを確認した瞬間、ヤトウモリ達はそれを理解すると同時にまた、終わっていた。

 振り返るヤトウモリ達の視線は、そこに身を旋回させるムラクモを瞬間確認した直後には皆──足元の水辺に鼻先を押し付けては、眼球や鼻孔に染み入る海水に粘膜を焼かれる。
 5匹が互いの身を寄せようとしたあの時、既にそれを察したムラクモは滑るように移動し、足元の隙間から察せられる事なく浸入しては、ヤトウモリ達の中央に陣取っていたのだ。

 輪となり立ち尽くすヤトウモリ達の肉体は、頭部を失った首から同時に鮮血を吹き上げ、やがては前のめりに倒れていく。
 その際に湧き上がり続ける血柱が緩やかに放物線を描いては放射状に倒れ逝くその、歪な黒百合の花弁が咲き開くかの如き中央からは……悠然とムラクモは歩みだしてきては残党の元へと進んだ。

 従来の歩方ではない直立歩行の緩慢な進みであっても、もはや迫り来るムラクモを前に最後の一匹となったヤトウモリは動き出すこと叶わない。
 一連の凄惨にも過ぎる仲間の死に様とそしてムラクモの気配に圧されてはもはや、抵抗はおろか逃げ出す事すらも叶わなくなっていた。

 そんな一匹の前を通りすぎる際には、ムラクモも一瞥も送らずただ横凪ぎにアシガタナを閃かせた。
 そしてムラクモが数歩を歩き去る時間差を置いて、ヤトウモリの両手が牡丹のように手首から堕ちる。
 瞬く間に両腕から迸る血流に慌てふためき、それの止血を試みようとするも掌を失った末端ではどうすることも叶わずにヤトウモリは、それらを腹部へと押し付けては止めようと試みる。
 しかし両腕を腹へ押し付けさせた瞬間──腹腔にも真一文字に線が走りそこが嘴のよう上下に開口するや、雪崩さながらに臓腑が零れ出しては足元に肉の直垂(ひたたれ)を垂らした。
 両手首からの出血に加え、さらには腹部よりも零れ出す内蔵を抱えてはもはやどうすることも叶わず、ヤトウモリは混乱の中ではみ出した己の腸をかき集めるうちに絶命した。

 斯様にして歯牙にもかけず一同を惨殺しては平然と歩み進んでくるムラクモを前に気圧され、

「あ、あぁ……あああ………ッ!」

 シジマは歯の根も合わせられずに狼狽した声を漏らしては尻餅のままに後ずさる。
 その際に後ろ手をついた指先に、硬質で滑らかな何かが触れるのを確認しシジマも我に返った。

 感触の鋭い足元の岩礁とは明らかに肌触りの違うそれをシジマもまた本能的に手にし、両手にしたそれを目の前にかざした時、シジマは総ての事件の真相を悟るのであった。

 目の前において晒されていたものは、何者かの頭骨であった。
 牙を有した歯並びから察するに、恐らくはポケモンの物と見ても間違いはなさそうだ。
 そして闇に目が慣れたシジマの視界には──その足元の至る所に転がる無数の骨片が、月光を受けては白く輝きを返す様に唖然とし、その中において朧気ながらに理解もする。

 この場所はムラクモの処分場であったのだ。

 後に知ることではあるが、この一帯は潮の満ち引きにより夜にだけ岩礁が露となる特性を持っていた。
 陽のある日中は海底に沈むことによってここに晒された亡者達の遺骸が人目につくことはない。
 加えて島を取り囲む特殊な潮流により死体はこの岩礁から流されることもなく留まり続けるのだ。

 そして骸達はこの場所において塩の満ち引きと風雪に晒されてはやがて朽ち、遂には消滅して海へと帰していく……ここはそういう場所なのであった。

「……消えた組織の幹部やボス達は、皆ここで処分されたんだ………ムラクモさんにッ」

 ゲンガーもゾロアークもそしてケッキングも……皆、事件があったあの夜に此処へと誘導され、そして今のヤトウモリ達同様に処分されてはこの島から『消えた』──そして今日、新たにここには自分とそしてもう一匹のポケモンが加わることとなるのだ。
 それこそは、

『──ま、マコト! 助けて! マコトぉッ‼』
「ち、チカ………」

 今、シジマの元へ駆けつけては縋りついてきたヘルヴェチカに他ならなかった。




第9話・チカ



『アイツは貴方が連れてきたんでしょ!? だったらどうにかして! 私だけは助けて! お願いよォ!』

 つい数分前には『愛していない』とまで断じた相手への変わり身に、この時ばかりはシジマも恐怖を忘れてはヘルヴェチカへと懐疑と侮蔑の視線を注いだ。
 裏切りに疲れたそんな元恋人の倦んだ視線の意味にもヘルヴェチカは気付かぬ様子でただ必死に媚び、

『セックスならいくらでもさせてあげるから! 何でも言うことだって聞いてあげるわッ!』

 ついにはシジマの手を己が肢体にまで誘導しては場違いな誘惑まで仕掛けてくる始末である。
 そして遂には、

『だったら、あなたも団の幹部に取り立ててあげる!』

 事もあろう警察官であるシジマを反社会組織へスカウトするという節操の無さには、思わず先刻まで胸に覚えていた憤恨を上回る哀れみがシジマの心を満たし、得も言えぬ寂寥感すら覚えさせた。

「チカ………僕らはもう……──」
『お金だって食べ物だって男だって、なんでも希望通りになるわ! 暖かい場所があってゆっくり眠れてお母さんがいて……』

 縋るヘルヴェチカから出される誘惑の言葉達がいつしか俗欲のそれからより根元的なものへと変化していくのを彼女自身は気付いていない。
 それら一般人であったのなら難なく手に入れられる平凡でささやかな幸福を、最上級の欲望と同列に挙げるヘルヴェチカを目の当たりにした時──シジマは己が胸に蟠っていた怒りや悲しみが霧散するのを感じた。

「チカ……」
『マコトお………』

 飾りも衒いも無く、あの端整な面を子どものように泣きじゃくらせながら救いを懇願するヘルヴェチカに対し、シジマの心はついに動かされてしまう。
 そしてそんな彼女の抱き寄せるべく、シジマの両腕が伸ばされたその時──突如としてヘルヴェチカの表情が驚愕に硬直した。
 顔面は仮面然と目を剥いたままに凍りつき、瞳は上目に剥き上がる。
 やがて、

『ッ──ケ、ケペペッ! ケペッ、エケペペペペペ、ッ……ッ!』
「ち、チカ!? いったいどうし……──」

 おおよそ生物らしからぬ機械的な発声と共に肉体は痙攣をし、前のめりにシジマへとすがり付いていた体全身が繰り糸に引かれるようにして持ち上がった次の瞬間──

「エブァォァ────……ッ」

 開け放たれたヘルヴェチカの口中からアシガタナの切っ先が覗くやそれは飛び立つよう跳ね上がり、脱皮後に打ち捨てられる蛹さながらの無情さを以てはヘルヴェチカの背を裂いて虚空へと振り上げられた。

 支力を失い己の胸へと落ちてくるヘルヴェチカを抱き止めたシジマは、彼女の背が寸分違わずに両断されては左右に展開される様をそこに確認する。
 恐らくは尻から貫かれ、そのまま胎内をアシガタナにおいて横断された後、最後は背へと向かい刃を引き上げられたのだろう。

 やがては腕の中のヘルヴェチカもシジマの腕からずれ落ちてその傍らに身を横たえる。
 そうして一切の障害がなくなったシジマの視界には──月明かりを逆光にして見下ろしてくるムラクモの赤い眼光が映っていた。

──あぁ……僕も、物みたいに壊されて彼女の隣に並ぶのか……

 当然の思考の帰着とも言うべきか、他人事のようにそう思った。
 シジマは一連の事件にまつわる真相へと辿り着くだけに留まらず、今においてはその目撃者でもあるのだ。

 しかしながら不思議と……この段においてはもう、シジマは一切の恐怖も感じてはいなかった。
 それどころか、こんな終わり方もこの時にはまんざらでもなく思ってすらいた。

──真相には辿り着けた……もう僕の人生にも陽の目が当たることだって無い………それに、今ならチカも一緒だ……
 
 最後の瞬間に皮肉じみたものではあったが笑みがひとつ口元に浮かぶ。笑って死ねるのならば上々だ。
 斯様にして捨て鉢に、後はどうにでもなれと身を呈したシジマではあったが──均衡の失われた彼の正気と日常性は、思わぬ切っ掛けによって取り戻されることとなる。

「……怪我はないか、シジマさん」

 ふいに目の前のムラクモがそう語りかけた。
 まるで躓いた程度の様子を伺う気負いの無さでそう訊ねてくるムラクモの口調は、今しがたまで惨殺の限りを尽くした者の言とは思えぬほどに平坦なものであったと言える。
 しかもそれは無理に態度を取り繕っているといったものではなく、元よりムラクモはシジマが来訪した時と変わらぬ心持ちのまま一連の虐殺行為を執り行っていた。
 それにしても中てられて途端に日常性を取り戻すシジマは、

「──む、ムラクモさんッ……僕は、僕は……ッ!」

 むしろ正常な感覚を取り戻すほどに狼狽しては過呼吸に言葉を喘がせた。

「……大丈夫だ、落ち着け」
 
 しばし咳き込むなどして深呼吸を繰り返すうち、完全にはほど遠くとも平静を取り戻しつつあるシジマは改めて傍らのムラクモを見上げる。

「なぜ……僕を助けるんです? 僕は他の反社会組織の崩壊もあなた手によるものだと確信を得ていますし、何よりも今日の一件においては目撃者だ……」

 尋ねるシジマの言葉など聞いているものか、ムラクモはアシガタナを納めると屈み込み、足元の海水を両掌にすくってはそれで顔を洗っていた。
 やがて飛沫を振り払いシジマへ向き直ったかと思いきや、

「……告発するというのであれば好きにすればいい。全て事実だ」

 言い捨てるや背を向け、 ムラクモは歩き出し始めてすらいた。
 そしてこの段にいたりようやくにシジマも確信を得る。
 それこそは……──

──この人は、『調整者』なんかじゃない……

 その結論を得るに至る。

 思い返すに、ムラクモによって今日のヘルヴェチカにまで至る反社会的組織が壊滅を余儀なくされたのは、それら全てが直接間接を問わず彼の生活に干渉を及ぼしたからに他ならない。 
 もし仮にそれらのいずれかでもムラクモと、そして彼に類する何者かにも干渉をしなければ、今頃は彼らとても大手を振って町の支配に勤しんでいたことだろう。
 
 ムラクモにしてみればただ、衣類の毛玉や靴に入り込んだ小石を取り除く程度の感覚で、これら異物の排除をこなしていただけである。
 しかしながら、

──それだけで済ませてしまって良いものなのだろうか……

 それを為した当人の思惑とは別に、あれら裏家業人達の一斉退場は「それだけ」のことで片付けられるようなものではなかった。
 事実町は有史以来初となる真の平和を今、人知れずにここに成し遂げてしまっていたからだ。
 不意にシジマの心にその思いが去来した時、

「ムラクモさん!」

 シジマは去り逝くムラクモを呼び止めていた。
 それを受け無感動に首だけを振り返らせるムラクモに対し、シジマは『とある提案』を持ちかける。

 場合よっては聞き捨てならぬ提案をこの後シジマは展開していく訳ではあるが、その概要を聞き終えてもなおムラクモの眠たげですらある表情は眉ひとつとして動かなかった。
 やがてシジマが全てを語り終えるのを確かめ、その後に2~3のやり取りを交わした後は、

「……好きにするといい」
 
 ただそれだけ応えて再び踵を返すと──今度こそムラクモははもう振り返ることもなかった。
 やがては深夜の岩礁に一人残されたシジマは、しばし今しがたムラクモへとプレゼンした己の構想を再確認する。

 そうして虚空に漂わせていた視線を今一度、足元のヘルヴェチカに結び片膝をつくと、

「僕は僕の仕事を始めるよ。僕が本来すべきであったことを…………君に、見てもらいたかったことを」

 語り掛けながらにその横顔へ手を添え、見開かれたままであった瞼を覆っては瞑目させた。
 しばしそうして最後の時を過ごし──やがてはその視線も振り切ってシジマは顔を上げる。


 そして震える足腰で頼りなさげに立ち上げると、シジマは若干の未練を残した様子で歩き出してはこの場を後にした。
 闇なお深いの宵の岩礁には既にムラクモはおろか──何者の影もまた残されてはいなかった。




エピローグ



 その日の正午、ムラクモはカミナリのしっぽ亭において遅い昼食にありついていた。

 昼の書き入れ時も既に過ぎた今時分、店内に居る客はムラクモただ一人だ。
 しかしながら昼時を過ぎているとはいえ、町唯一の社交場がこうまでも閑散としているのには訳がある。
 それこそは、少し前より表の広場で行われているイベントに町の連中が皆集まっているからに他ならなかった。

 別段、それに興味のないムラクモはただ默然と焼き魚の身をほぐしては口に運び続けていたが、それでも時折り聞こえてくる歓声とあるいは感嘆からは、如実に町人達の興奮が伝わってくるのが伺えた。

 しばししてそれも落ち着くと、表にいたであろう数人のポケモン達が入店してきては席につく。どうやらイベントは恙無く終了したようだ。
 すぐさま接客に迎えたティニに対し、客達も駆けつけ一杯とばかりに人数分のエールを注文すると、後は今しがたの興奮を再び町人同士で語り始めるのだった。

 そんな一団をよそに食事を続けていると更に新しい客の入店があった。
 店へ入るなり馴染みとばかりにティニへ軽口の挨拶とエールを頼むその声を聞きつけ、ムラクモも僅かに顔をを上げては声の方角を望む。
 視線の先において、まっすぐにこちらへと向かってきていたのは、

「よう、ムラクモ。そいつは遅い昼飯か? それとも早い夕飯か?」

 もはや了承も取らずに席の正面へと座り込んだむらまさに対し、一方のムラクモもまた質問への答えとも会釈ともつかない様子で小さくひとつ頷く。
 一見すればムラクモの態度は酷くそっけなくも見えるが、これがいつものやり取りとして常態化している二人はどちらも気にする様子もない。 
 そうして依然食事を続けるムラクモを前に、
 
「聞いてくれよムラクモ。ちょっとしたニュースだぜ?」

 むらまさは今しがたまで表の広場で見聞きしていた出来事を話して聞かせる。
 それこそは、
 
「あの警官のシジマも大した奴だな! この島に渡ろうとしてた窃盗団をここと大陸側の連携で挟撃検挙だとよ」

 誰でもない、あのシジマ警視にまつわるものであった。
 その話題に味噌汁を啜っていたムラクモも僅かに上目を上げてはむらまさを見つめ返す。

 この日シジマが広場において島民に報告したものは、件の国際的窃盗グループ・黒蜥蜴団をこの最果ての島において水際検挙したという報告だった。
 件の窃盗団は大陸で名を馳せた経緯もあってか、ここの島においても知らぬ者はいない。
 それがもはや壊滅状態にまで追い込まれ、さらにはそれを為したのがここ最果ての島の一警官とあっては一躍、最果ての島の存在は国際的にも知れ渡ることとなった。

「特に驚いたのは、長年消息がつかめなかった団の女ボスをシジマがこの島で検挙したって部分だ。……もっとも逮捕の時のいざこざもあって生きたままって訳にはいかなかったみてぇだがな」

 犯罪組織とはいえ被疑者死亡での事件解決はさすがに後味が悪かったらしく、語るむらまさもまたその部分は言葉を濁した。
 そんなむらまさの語りに耳を傾けながら、ムラクモは既に数週間前となったあの夜の会話を思い出す。



『──黒蜥蜴団の摘発とそして駆逐は全ての僕の手筈で行われたと大々的に発表します』

 思わぬ申し出にその真偽を図ろうと見つめるムラクモに向かいシジマが語ったのは以下のような内容であった。

 自分が全ての事件を解決させたと内外に認知させることで、そこに生じるトラブルや残存団員からのヘイトをシジマ一身に向かわせるというのが、この提案の目的であった。

 それによりムラクモの手柄を横取りしてしまう事には気が引けるがと謝罪した上で、しかしながらシジマはこれら結果によって生じる一切の称賛や名声は受けないとも明言した。

 そして同時に今後は自分が表立って反社会勢力による抵抗とヘイトの矢面に立つこと、そしてそれらと戦い続ける意思を伝える。
 シジマはこれが今日まで職務を放棄していた己の責任であると明言すると同時に、この役割に対し『島の調整者』という呼び方をした。

 一方でムラクモにもそれに異存はない。
 そもそもが一連の排除活動も、義心にかられたや島の平和を守る為だとか言う使命感の類いは微塵として無いのだ。
 ただ己の生活と、そしてこんな自分に関わるごく小規模な者達を守れればそれだけでムラクモは満足だった。
 しかしながら、

『……想像以上の損を被ることにもなりかねないぞ』

 ムラクモは思わずシジマの身を案じてはらしくもない忠告をする。
 いかに組織は過去のものになろうとも、島にはまだ組織の残党が残ってはくすぶり続けている。
 そこにシジマが一連の原因の張本人として名乗り出れば、一同は必ずやその落とし前を着けようとシジマへ悪意を向けることだろう。
 しかしながら、それこそがシジマの狙いでありそして……

『本来、僕が為すべき仕事なんです』

 そう繰り返し断言した。

『この島に来てからの僕は、我が身哀れさに酔いしれて本来の職務をないがしろにしてきました。……もし僕が3年前に自分の仕事を全うしていれば、ティニ君もリュヌさんも、そしてむらまささんだって傷つかずに済んだんです』
 
 同時に見下ろすシジマの視線は、死後の虚ろな視線を虚空に投げるヘルヴェチカの遺体へも注がれていた。
 彼の言う『傷つかずに済んだ』存在の中には当然彼女もまた含まれていて、むしろシジマは斯様なヘルヴェチカにこそ哀れみと、そして贖罪の念を抱いているのかも知れなかった。

 だからこそ今一度、一警察官としての本分に立ち返り、その職務を実行したいとシジマは申し出たのである。
 その、覚悟とも取れる言葉を聞いては、以降ムラクモも何も言えなかった。
 そもそもが進んで他人に干渉しようなどと言うこと自体が柄ではない。
 
 だからもうシジマに対し、何の励ましも忠告もすることなくムラクモは背を向けた。
 ただその去り際に……

『……守る権利が自分だけにある、と思うのもまた傲慢だ。警官以前にこの島の住人足らんとするのならば、皆を頼れ』

 それだけを付け加えると、後は振り返ることもなくムラクモはシジマの前を辞したのであった。
 それから幾ばくか過ぎた今日──シジマはあの時の覚悟と責任を果たすべくに立ち上がったのだった。



「…………」

 回想の中、味噌汁の水面に写る自身の仏頂面をしばし見つめたムラクモもやがてはそれを煽り一息に飲み干す。
 そうして器を下げ、目の前にむらまさを確認すると──

「……それは良かったな」


 ムラクモはただ一言、いつもと変わることなくぶっきらぼうに応えては食事を終えるのだった。











【 最果ての調整者・完 】


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