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※♂×♂を想起させる内容が含まれます
Then go talk to a wonderwall
1
空中で大きな円を描いて旋回している黒い影を見ると、いつもトドロクツキだと思ってしまう。目を凝らすと、黒に黄色の羽根が目立つ鳥ポケモン。ここいらでは良く見かけるヤツ。種族名はなんつったっけ?……
かつて2号と呼ばれていたコライドンは、オージャの湖に浮かびながらそんなことをぼんやりと考えている。胸元から突き出した大きな喉袋はちょうどいい浮き輪になるので、湖に来ればこうして水面に仰向けになり、プカプカと漂うことにするのが習いだった。
全身に降り注ぐ太陽の光。かつて「2号」としての彼がいた場所ほどではないが、白く眩い光を放つ太陽を見つめているだけで、コライドンという古代種の本能ゆえか、気分が高ぶってくる。全身の筋肉がはち切れんばかりに伸び、カラダも一回り大きくなったような気がする。
沖合まで泳いでいけば、彼のことを邪魔できるヒトもポケモンもいないので、ここでは心穏やかに過ごすことができた。古代から連れてこられたパラドックスポケモンの放つ威圧感は野生のポケモンにも感じられるのだろう、ギャラドスやヘイラッシャは2号がいる辺りを慎重に避けたし、血気盛んなミガルーサも敢えて絡んでくることはなかった。せいぜい、通りすがりの物知らぬマリルやミニリュウが好奇心を湛えた瞳でひとしきりその精悍な姿を眺めては去るだけだ。
とても穏やかな時だった。目についたものへ片っ端から突っ込んでいくミガルーサのけたたましい水飛沫の音も、遠くから聞いていれば眠気を誘う。
それにしてもあの鳥ポケモンの名前は? 2号は漫然と、悠然と飛び回る影の動きを目で追い、思う。答えはちっとも、出ない。悪いことに、その名前を教えてくれたアイツのことを思い浮かべてしまった。
……けっ。
2号は水面で四肢を勢いよく伸ばし全身の筋肉を緊張させながら、息を吐き捨てた。こんなこと考えてたら気分良く眠ることもできねえ。くるりとカラダを旋回させて体勢を整えると、無心になろうと努めながら、オージャの湖を遊泳した。
古代生まれの2号からしても、この一帯の環境はまずまずだった。自分がいた場所と比べて木々は鬱蒼としていないし、気候は少々
滝壺の近くまで近づくと周囲にはもう滝の激流しか聞こえず、それはいまも上空を飛び回っている相変わらず名前の思い出せないあの鳥ポケモンのやかましい鳴き声やら、ギャラドスの唸り声や、ミガルーサの立てる水飛沫やら、シャリタツどものペタペタ跳ねる音やら、そうした一切の雑音を掻き消してくれた。
2号はこの場所でいま一度仰向けに浮かびながら不貞寝しようとした。聴覚を犯すほどの滝の轟きは、眠気を誘う。やがてウトウトし、あくびを繰り返すようになる。浮力にカラダを委ねて、水面に漂うままになっていると、自分のカラダがあらゆる重みから解き放たれたような気がし、カラダの存在が薄らいでゆき、ただ2号の意識だけが、いつ、どこともしれぬところをふわふわと動き回っている、「2号」であることから軽やかに逃れられるかのような、感覚。
遠くから水飛沫の音が聞こえた。初めは滝の騒がしい音のおかげで耳鳴り程度に思ったが、生憎、パシャパシャという水音は次第に大きくなった。2号はギュッと目を閉じた。今や、自分のすぐ側にある気配が2号のことを否応なしに落ち着かなくさせた。その姿を目にしなくても、2号にはそれが誰だかわかった。跳ねる水が自分の触角や顔にかかるのが鬱陶しかった。熱にうなされている時のように、いまこの時がとっとと過ぎ去って欲しいと2号は激しい苛立ちに囚われてしまう。
「ここにいたんだな」
2号は眠ったフリをしていた。沈黙が流れた後、上空を飛び回る例の名のわからぬ鳥ポケモンが滝にも負けぬ鋭い鳴き声を上げた。
「あ、タイカイデン……」
そいつは何気なく独り言ちた。タイカイデン、という今の今まで思い出すことができなかった名前をそいつがしれっと口にしたことに対して、2号は面目を潰されたように感じた。あの鳥ポケモンの名前を最初に2号に教えたのも、こいつだったという事実が、なんだか耐え難いものに思われてきた。
「ここ、良いとこ、だよな……俺も好きだな」
薮から棒にそいつは言ったが、2号はダンマリを決め込んでいた。そいつもそれ以上何を言い足せばいいかわからないようだった。
「えっと、その……なんだ、けどさ」
やっとのことで途切れ途切れに2号に呼びかけた。そいつは眠る2号の横に浮かんでいた。耳元でそいつの手脚が水を打つピチャピチャいう音がした。2号のカラダに触れるべきか、恐る恐る伸ばした手の平が、逡巡しているのが伺えた。
「湖でうたた寝するの、いいけどさ。うっかり滝に飲まれたら、流石のお前も危ない……んじゃないか」
2号はカッと目を見開き、ひと睨みした。犬かきしながら2号の様子を眺めていたそいつ——自分と同じコライドンという種族であり、かつては1号と呼ばれていた——へびにらみをされたパモのように怯えた表情を浮かべながらその身を縮こませる。
「余計なお世話だ」
2号は大袈裟な水飛沫を上げながら水中深くに潜り込み、力強く何度も水を掻き分けてその場を去った。息が限界になるまで薄暗い水の中を泳ぎ、水面に浮き上がったときには、滝は既に遠目に隔たっていた。そこに取り残された1号が慌てふためいて周囲をキョロキョロと見渡しているのが見えた。
2
1号のことを知ったのはそう昔のことではない。ついこのあいだのこととも、言えた。
謎めいた博士を名のる女性の手によって突如として連れてこられた世界は、住み慣れた世界とは似て非なる場所だった。後になって、自分は数億年もの時間を移動させられてきたのだと聞かされたが、全く実感は湧いてこなかったし、2号にとってそんなことは、どうでもよいことだった。
それよりも、彼より一足早くこの世界にやってきた同族の方が気がかりだった。そいつが1号と呼ばれていたから、彼は2号と呼ばれることになったわけだが、初めて向かいあったとき、1号は俯きがちにこちらを恐る恐る上目遣いで見上げたものだった。堂々としているべき胸元の喉袋は空気が抜けたかのように、萎んで見えた。
その瞬間から、2号は本能的に1号のことを憎悪した。弱肉強食という掟に生きてきた彼にとって、目の前にいるコライドンのことがやたら腹立たしくてならなかったのだ。だから、親愛を示すためにそっと寄せてきた奴の頬を思いきり打ってやったのだった。アギャッ! と情けない声を出しながら1号はその場に倒れた。
殴られたなら殴り返せばいい、と2号は頻りに拳を強く握りながら冷ややかに相手を見下ろしていた。それが俺たちのいた世界だったろうが? それ以外の考えなど2号には思いもつかなかった。けれども、ゆっくりと立ち上がった1号は、信じがたいことに、再び彼に頬擦りをしようとしたのだった。その時、2号の胸に去来したのは憎悪だけではなかった。実のところ、見てはいけないものを見てしまった、触れてはいけないものに触れてしまった、そのような言語に絶する異世界的な恐怖を、彼は感じていたのかもしれない。
だから、2号はこのおよそ理解しがたい同族を殴打し、足蹴にしたのだった。やむなく仲介に入った博士がマスターボールを投げるまで、それは続いたのだった。
1号を無下に扱うことに対して、2号はいかなる良心の咎めも感じなかった。当然のこととさえ思った。1号は抵抗すらしなかった。奴はいつもヒナのように身を屈め、両手で頭を庇いながら、情けない悲鳴をあげながら殴られるのに任せていた。そんなことをしているのが悪いのだとばかり、2号は思っていた。
いっそう暴力的な考えが芽生えた。そいつは出来心ではあったものの、2号の心の片隅に確かに巣食っていたものだった。この世界には、コライドンという種はたった2匹しか、いない。1号と、2号と。理由はそれだけで十分だった。雄同士であることも、さして気にすることでもなかった。というのも、数億年前の世界でも、雌よりもむしろ雄の方をを犯すことを2号は好んでいたからだった。
力づくでうつ伏せに組み伏せた1号を背後から間髪も入れずに犯した。悲鳴が上がるのも構わず、長く伸びた触角をキツく引っ張り上げながら、2号はこの地に飛ばされてきてからというもの、ご無沙汰になっていた交尾に耽ったのだった。
肉が乱暴にぶつかり合うたびに、1号は雄か雌かもわからない悲しげな鳴き声を上げたものだ。それに構わず、2号は腰を振り続けた。ゾッとするような水音、1号の腕や喉袋が苦しげに草と擦れ合う音が殺風景に響いた。黒い尾に隠れた肉襞に、ペニスが出ては挿入るのを見下ろしながら、精を吐き切るまで、悦に浸った。
欲望が高まれば、昼夜も問わなかった。博士の目につかないところで、1号を完膚なきまでに叩きのめし、身勝手な交尾をした。溜まったものを吐き出すだけ、吐き出したら、さっきまでの高ぶりが嘘のように消えてしまって、2号はうんざりしたように呆然とした1号を放って去って、ぐっすりと眠ったものだ。
そんな日々は、不慮の事故で博士が命を落とし、その代わりにAIとなった博士が仕事を引き継いでからも続いた。もっとも、2号には生身の人間とAIの人格との区別など、ちっとも関心はなかった。ただ、自分より弱い1号を思うがままに苛むことだけが、孤絶した地の底での愉しみだった。そのくせ、都合の良い時にしか、1号の存在を思い出すことはなかった。
だから、1号と呼ばれたコライドンは地底の楽園からひっそりと姿を消した日も、2号はそのことにしばらく気づきさえしなかった。気づいたとて、すぐに、忘れてしまった。
だが、やがて博士——正しくは、博士を模した人工知能——の手元から離れなければならなくなって以来、行くあてのなくなった2号は、ひょんなことから、今のトレーナーの手に収まることになった。トレーナーといっても、制服を着た、見るからに幼い子どもだった。
そして、そのトレーナーの元には、よりにもよってあの1号がいたのだった。
何があったのかは知らない。だが、再び2号のもとへ帰ってきた時、1号はもはや孤独で弱っちい存在ではなかった。彼の側には2号の見知らぬ人間たちと、初めて目にするポケモンたちが共に、いた。
楽園の守護竜——博士からそんな大仰な異名をつけられていたことなど、2号は旅仲間たちに言われるまで気が付かなかったのだが——として、突如として現れた見知らぬ人間たちの前に立ちはだかった時、それまで怯えたように身を縮めていた1号は、2号に立ち向かった。1号は、ついこの間まで自分が好き勝手に扱っていたか弱い存在ではなくなっていた。
今度は、完膚なきまでに叩きのめされたのは2号の方だった。
それまで少しも見せたことのなかったアクセルブレイクによって、彼のテラスタルが打ち砕かれた時、おぼろになる意識の中で2号は、ずっと軽蔑してきた1号の強靭な眼差しを見た。それにどんな言葉を当てはめるべきなのか、掟の世界でしか生きてこなかった2号にはよくわからないまま、意識はぷつり、と途絶えた——
虫ケラだと思っていたアイツに、ボロボロに負けた、この俺が。悔しさとも虚しさともつかない感情の次にやってきたのは、勝者と敗北者という二者択一の世界しか理解できない者特有の恐怖だった。
——俺は、アイツに、殺される。
エリア・ゼロ深くで息を潜めていた2号のもとに、あの若いトレーナーと1号が再び姿を見せた時、これまで自分がしてきたことの報復を果たしにやってきたのだとばかり、2号は思っていた。
再び1号に相見えることになり、もうどうなっても構わないという覚悟で臨んだ。地に突っ伏したのは、またしても2号の方だった。下等、としか思っていなかった相手に二度もねじ伏せられた2号は、もう、立ち上がる気にもなれなかった。このまま、1号の奴がトドメを刺してくれるのだろうと思った。力が劣ったからには、何をされようと抗うことなどできない、ただそれだけ。
だが近寄ってきた1号は、2号を手にかけることなど、しなかった。むしろ、初めて会ったあの時と同じように、そっと自分の頬を寄せ、頬擦りをしたのだった。
かつてのようにそのツラを殴ることはもうしなかった。できなかった。2号はただ茫然として、石像のように1号の頬の感触を感じていた。同じコライドン同士なのに、まるで違う生物のように、柔らかく、温かかな鱗だった。
——やっと、一緒になれるな。
トレーナーから投じられたモンスターボールに吸い込まれる瞬間に聴いた1号の囁きは、2号にとっての謎として耳に刻み込まれた。
3
沖合まで泳ぎに行く、少し前のことである。
「ここにも随分馴染んできたんじゃねえか」
ピクニックの時間、木陰で休んでいる時、旅仲間のセグレイブが隣によっこいしょ、と座り込んでから、ふと、そう言った。
新しいボールに収まってから、2号にはこれまでとは違う日々が待っていた。1号とはもちろん、他の面々からも距離を置いていた2号に、まずズケズケと近寄ったのが、このセグレイブだった。遠くに見えるナッペ山に暮らしていたという彼は、別に頼んでもいないのに、何かと2号の世話を焼きたがった。——俺の渾身の「きょけんとつげき」を受け止められたのはアンタが初めてだったからなあ……というのが、わかったようでわからない、奴の言い分だった。
氷の髭を頻りに弄りながら、2号の返事を待っている。急に、何、変なこと言いやがるんだ。2号はムスッとしていた。
「口数が少ねえ代わり、表情がわかりやすくて助かるな」
ニヤニヤしながら、2号の脇腹をつつく。人目につかない場所ならば、胸も触ってくるだろう。こいつにそういう下心があるのは知っていた。少し前、列柱洞の辺りでピクニックをした時には、ちゃっかり誘ってまできた。いいじゃねえか、ドラゴンってのはお互い、惹かれ合うもんなんだよ……といかにももっともらしく言うのが小賢しかったが、2号とて他の連中のことをとやかく言えないのはもどかしかった。
「トレーナーがアンタを捕まえなんかして。俺らも内心はどうなるもんかと思ってた。何てったってアイツはずっとアンタに怯えてたみてえだからな……ま、満更でもなさそうで、安心したぜ、ほんと」
そう勝手に解釈されるのはいい迷惑だ、と2号は小さく唸り声を上げた。こっちには、割り切れないことがたくさんあるってのに。
「ねえねえ」
急に気配を感じて前を向くと、旅仲間の一匹であるモトトカゲが、2号の顔をぶしつけなまでに覗き込んでいた。セグレイブと同様、隙あらば2号に絡みたがる生意気な奴だった。自分の遠い祖先らしいポケモンが同時に二匹も現れたことで、なおさら興味を掻き立てられているらしい。
「お前さ、ぶっちゃけさ、アイツと、どうなの」
また、その問いかけだ。ピクニックのたび、こんな風に奴は1号について、しつこいくらいに尋ねてくるのだった。自分たちの遥か未来の姿である、ちっこいトカゲにまで揶揄われるのは癪だった。返事をする代わり、モトトカゲを睨みつけるが、相手は元よりそんなことは気にもしていない。ますます面白がって、ジロジロと2号のことを見つめてくる。
「ねえってばあ、だんまりしてないで、なんか言ってってば」
クソガキめ、2号はそっぽを向き、高台の物見塔を見るともなく眺めた。モトトカゲは勝手に話を続けた。
「なんていうかな、俺は、アイツも、お前のことも感じが良いと思ってるよ。強いし、かっこいいし、目立つし、デッカいし、どっちも俺にないもの、持ってるし」
だから何だと言い返しそうになったが、すかさずモトトカゲが言葉を継いだので、口を挟めなかった。
「そりゃ、昔のこと? は、ちゃんと謝れば、って思うけど。でもさ、俺考えたんだけど、アイツにとってお前って、ただ一匹の存在だし、お前にとってアイツも、そういう存在なワケじゃん? おまけに、俺……聞いちゃったんだけど、お互い……そうなんだろ?」
そう言って、指で卑猥な仕草をしたので、どっからそんなこと聞いた? と身を乗り出しかけたところで、モトトカゲは褒めてもいないのに照れくさそうに舌を出して、おどけた。
「ってことで……じゃっ。次は、期待してるね」
言うだけ言ってモトトカゲは颯爽と駆け出し、みんなの方へ戻っていった。テーブルの周囲では、1号とマスカーニャがボール遊びをしていた。こぼれ球にモトトカゲは思い切り突進すると、ボールは勢いよく孤を描いて、オージャの湖の沖合まで飛んでいく。
「だと、よ」
セグレイブは少しばかり笑いを堪えながら言った。ろくでもねえこと、吹き込みやがって……2号はセグレイブの方を睨みつけたが、奴はわざとらしい驚き顔を見せる。
「まあ、すぐにとは言わねえけどよ。きっと、そっちの方が、楽しく過ごせると思うぞ?」
そしたら、俺はアンタとアイツと、3匹同時に楽しめるってワケだ……惚気るこのハゲ頭を引っ叩きそうになったところで、自分たちの周囲にウジャウジャいるシャリタツの一体が出し抜けに「ヌシ?!」と叫んだ。草むらに隠れていた色とりどりのシャリタツたちが一斉に顔を出して、湖に目を向けた。ボールを取りに行った1号が勢いよく湖に飛び込んだ音を、ヘイラッシャが現れたと勘違いしたのだった。1号は豪快な犬かきをしながら、浮いたボールに辿り着くと、器用に口で咥え込む。その姿を2号は見つめていた。
「……まだサンドイッチできねえのかなあ」
よいしょ、と立ち上がる際、さりげなく太腿に触れてくるので、2号は軽くしかめ面をする。それを氷竜らしく涼しい顔で受け流した。
「俺もいい報告期待してるからな……話の続きは、また今晩……かねえ」
セグレイブはのうのうとピクニックの方へ戻って行き、一匹残された2号の頭の中では相変わらず、同じことが、ずっと駆け巡っていた。
どうして、アイツは俺のことを許すんだ。
許すだけじゃなく、あの時のことなんか、まるで無かったみたいに振る舞いやがるんだ。
俺はお前を下に見て、虫ケラ同然に扱った敵なんだぞ。
なぜ復讐して、俺から受けてきた鬱憤を晴らそうとしねえで、のうのうとピクニックなんてしやがるんだ。
お前より弱い俺を、とっととねじ伏せたらどうなんだ。
なぜだ。
なんでなんだよ。
くそったれ!
4
タイカイデン、と頭上を飛ぶ鳥ポケモンの名前を反芻しながら、2号はオージャの湖を横切るように泳いでいた。けど、どうせすぐにタイカイデンだかダイカイデンのどちらだかわからなくなって、しまいにはなんとなくの音の響きだけを残して忘れてしまうのだろう。
「待ってくれよ」
振り向かずとも、1号だとわかった。しばらく気づかないふりをしていると、1号は泳ぐ2号と並走するように隣合った。広げた触角を翼代わりにして、軽やかに水上スレスレを滑空している。
2号は黙って泳いでいたが、とうとう根負けして1号と目を合わせてしまった。1号はホッとしたように、にこやかに微笑んだ。
「あのさ」
押し黙る2号の威圧感に一瞬たじろぎながらも、1号は意を決したように、
「サンドイッチの前に、見て欲しいものがあって……一緒に来て欲しいんだけど」
そんな誘いを1号がするのは仲間になって初めてだった。どんな魂胆なのか、2号にはわかりかねた。
「なんで」
「なんで、とかっていうのはないけど、とにかく、来て、欲しい」
仲間になってしまった以上、断ることもできなかった。無理に断ったところで、今度は世話焼きのセグレイブとモトトカゲがまたぞろしつこく突っかかってくるに決まっていた。
仕方なく、ついていったのは湖畔から離れた湖の小島だった。シャリタツの他には、ヤドンやトロピウスがまばらにたむろしている、のどかな場所。水辺の近くにあるオージャのヌシが開いた洞穴の入り口に、二匹のコライドンは腰を下ろした。ピクニックをしているところからは、陰になって見えない。
まず、1号は途切れ途切れに何かを話した。2号はこの状況が何となく不服に思われて、別に物珍しくもない湖面を厳しい形相で睨んでいて、話はよく聞いていなかった。
「あのさっ」
いきなり耳元で叫ばれて、面食らって振り向いた2号は、次の瞬間には1号と口が重なっていた。
「な、何すんだっ!」
咄嗟に1号のカラダを突き飛ばして、2号は身を退け反らせたが、それから、どうすればいいのか、全然、わからなかった。
「ごめんって」
照れくさそうに1号は癖毛のように飛び出した羽飾りを掻いた。かといって、ちっとも悪気はなさそうだった。
「お前と戦ってから、それはもう色々と考えたんだ。お前を許すべきか、どうか、とか……お前にいじめられてた時は、悲しい、しかなかった。お前を殺したい、って思わなかったっていうなら嘘になる」
殺す、という言葉に、2号は本能的に反応し喉袋を微かに、縮ませた。
「なんで、俺を殺さなかった」
話を続けようとする1号を制して、やっとのことで、そう、言った。
あの地底で俺を倒した時に、お前はどうとでもできただろ。
俺はそれで別に良かった。
されて当然のことに、逆らう気もなかった。
それで、お互い、せいせいできた、だろ。
「変な理由かもしれない。けど、同じだから、お前も、俺も」
あの頃のようにオドオドとしているくせ、その眼差しは確信めいて、2号の顔をピタと見据えていた。ふと、手に何かを握らされるのを感じた。見ると、赤い、糸のようなもの。
「なんだよ、これ」
「タマンチュラの糸、それも色違いの、なんだけどさ」
1号は下顎をぺったりと喉袋に密着させて俯いたが、すぐに持ち直して、2号の顔をまた、真っ直ぐに見つめた。くろいまなざしを注がれたみたいに、なぜだか逸らすことのできない顔つきだった。
「あちこち探して、やっと見つけられた。見つけた日には、こうやって、俺から話そうと思ってた」
「だから、どういうことなんだよ……」
「お前、まだ2号って言い方にこだわってるだろ?」
否定できないことを言われて、2号は返答に窮した。
「これからはさ、1号と2号、じゃなくてコライドン同士、付き合いたい。この時代に俺とお前がやって来たのも、きっと意味があるって、思うから……そして、できるなら、さ」
ゆっくりと体重をかけて押し倒されるのを、2号と呼ばれたコライドンはもはや、拒むことはできなかった。かつて強姦した相手と、こんな形でまたカラダを交えることになるだなんて、思わなかった。水辺にいる野生たちが見ているのも構わず、二匹は交わった。1号はあの時と同じように、けれどもあの時とは違うやり方で、2号の性器をしゃぶり、その性器を尻に受け入れた。くぐもった喘ぎ声が、二匹のコライドンから漏れた。
もはや1号ではないコライドンの中に射精して萎えるまでの間、まだ硬さを残し微かな痛みのある性器をぼんやりと見つめながら2号は、水辺に倒れ込んでいた。日は少しずつ傾いて、それに呼応して自分のカラダも小さくなっている気がした。
「ちょっと強引だったけど……これで『おあいこ』ってことで……そうでもないか」
モトトカゲも顔負けな茶目っ気で、奴は言い、すぐそばの水辺でカラダを洗い出す。
「俺は、これから、何て名乗ればいい?」
2号以外の呼び方を知らないコライドンは、しゃがみこんだ背中に向かって呼びかけた。
「そうだなあ」
しばし空を見上げながら考えたが、すぐに腹の虫を鳴らした。
「ゆっくりでもいいからさ、考えよう。俺も、お前の力になりたいから、さ。えっと……サンドイッチはもうできたことだろうし、とりあえず、帰ろっか」
「って……おい!」
俺はお前みたいに羽ばたくこと、できねえんだぞ、と言おうとして、羽ばたく1号の後姿に目が眩んでしまった。考えは、まだ、うまくまとまらなかった。アイツは俺にとって何なのか。何であるべきなのか。自分の新しい名とともに、それも見つかる日が来るのか。
「……わからねえ、お前のことが、ちっとも、なんでだ、なんでだよ、なんで……」
岩壁に向かって、話しかけていた。そのおかしさにも気づかなかった。指先には、受け取ったタマンチュラの糸がまだ、絡まっていた。血の通った、温かな1号の鱗の感触は、なおも自分の鱗に残っている気がした。
頭上では「タイカイデン」がまた一鳴きしていた。