ポケモン小説wiki
あの113号室をこの113号室で の履歴(No.1)


注意! この作品には官能的な描写が含まれます。
前編からの続きものとなっています。まだお読みでない方はそちらからどうぞ。



1


 おれの背負う岩宿の屋根に陣取ったアイアントが、地層の崖に浅く突き刺さったステルスロックを大顎で挟み、位置を微調整してくれていた。もうちょい下、と目だけで合図をよこせば、彼女は身を乗り出して的確に顎を操り、おれが石杭を叩きやすいよう、その一端をぐッと押し下げてくれる。
 アイアントの顎にアッパーカットをかまさないよう慎重に、それでいて勢いをつけ、おれはステルスロックの釘頭を鋏で殴りつけた。
 カぃ――ぃんッ!
 握った鋏の空洞に手応えが乱反射する、マントルまで鳴り渡る岩石の快哉。これは、うまくいった。いや、いきすぎたくらいだ。新居を切り出すのに必要な深度を超え、地層に余分な亀裂を走らせちまったかもしれない。
 脱皮したばかりで、力加減がうまく掴めないでいた。こないだ収穫したきのみを握り潰したばかりだってのに、またやった。次はもっとこう、軽くノックするくらいにしておくか。
 隣のステルスロックに取っ組みかかったアイアントが、居心地悪そうに顎を離していた。

「……何か、聞こえない?」おれの鋏に乗り移り、アイアントは断層に前肢を押しつけた。虫の中にはこうして、地中を伝わる微細な振動を感じ取れる種族もいるという。「岩の中、何かが動いてる」
「また適当な嘘をつくんじゃあない。怠け者のアイアント2匹とシェアハウスするのは勘弁だぞ」
「そうじゃない。これは――」

 アイアントは言いきる前に、おれの鋏から飛び降りた。振り返り、どことなく含みのある様子で触覚を萎れさせている。「どうした、疲れたか。休憩するか?」と気遣うおれの眉間めがけ、ステルスロックで穿たれた亀裂から、ごぱ! と水流が(ほとばし)ったのだ。

「ちべてっ!?」びしょ濡れになった顔の前で鋏をクロスさせる。「ンちきしょう、湧き水を掘り当てちまった!」
「おじさん、面白」
「お前っ分かってたんなら教えろっての……!」

 帯水層を横断するように貫いた亀裂が、雪解け水を引きこんじまったらしい。ぢゃばぢゃばと吹きこぼれる透徹した清水が、散らされたタマンチュラどものように芝草を転がり落ちていく。

「こんなこともあるの」
「力加減を誤っちまった。腕っぷしも強けりゃいいってモンじゃねえな」
「別にいいじゃん」小さな滝からたまらず退避したおれの鋏を、アイアントの顎がぐいぐい引っ張ってきた。「たまには水浴び、しよ」
「お前がしたけりゃ洗ってやる。おれは……、タイプ的にどうしても、なあ」
「……ちょっと前から思ってたんだけど」彼女がふと目を逸らしたかと思えば、戻ってきた灼眼はじっとりと強膜を狭めていた。「おじさん、におうかも」
「おれも、そろそろ体を洗うべきだと思ってたところだ」
「また嘘……」

 嘘じゃねえ。気にしたことなどなかったが、抱いた雌に体臭を指摘されたのが、割とショックだったんだわ。それをはぐらかしただけだ。ンなこと、アイアントに教えちゃやらねえが。
 クソガキだった頃を思い出したらしく水遊びに余念のないアイアントは、雪解けの落水地点を浅く掘り、掘り出した土で堤防を作り、あっという間に小さな(オアシス)を完成させていた。うまく水の逃げ道も確保したらしい、そこそこの水量を湛えて安定している。……どこか別のところで川を涸らしてなきゃいいが。
 放浪するおれたちが手放しても、ここへ訪れるポケモンどもに知れ渡れば活用してくれるだろう。崖とは反対側、低木を数本隔てて眼下に広がる原野を見渡した。今はまだ下草が生い茂るばかりだが、ここらの丘陵地帯は夏になれば、満開のひまわりで埋め尽くされる。またとない絶景をひと目見ようと、もしくは蜜をひと口啜ろうと、遠方からわざわざ翅を伸ばしてくる虫どもで賑わうのだ。
 いつ出会ったかも定かでないヘラクロスを探しに、ようやくこのひまわり畑まで戻ってきた。あやふやなおれの記憶を頼りにしたせいか道中、うだるような熱波吹き(すさ)ぶ岩山やら、紅葉づくめのコンサートを催す森やら、新雪のような塩を湛えた湖やらを旅してきた。おれがかつてガバイトを懲らしめた洞窟にも立ち寄り、気の利くメレシーに話を合わせてもらったりなんかして、アイアントとの共同生活は基本的に順調だ。
 荒野での滞在が長かったせいか季節の印象も希薄だが、彼女を拾ったのは確か、春の中頃だったはずだ。シェアハウスを始めてから、季節がひとつ巡ろうとしていた。





あの113号室を

この113号室で


水のミドリ

⬛︎⬛︎⬛︎
⬜︎⬜︎⬜︎
⬛︎⬛︎⬛︎

 おれは崖際に岩宿を脱ぎ、ようやく強度を復元した外殻で浅瀬へ伏せていた。土手から両の鋏を投げ出し、体節ひとつひとつを開くように全身を寛げる。掲げた尾節を(たぎ)り落ちる湧き水へちょいと差し、逸らしたひと筋をちょぼちょぼと背中へ引っかけていた。

「ここ、汚れが溜まってる。もっとこまめに水浴びして」
「ふぃ〜。極楽だわこりゃあ……」
「……おじさん、おじさんすぎ」

 眼柄(がんぺい)から尻尾の先まで全身をくまなく這いまわり、アイアントはおれの体節ひとつひとつへ前肢の爪を差しこんでいく。嵐の過ぎ去った住処を掃除するチラーミィばりの丹念さで、華奢な細肢がおれの隙間を何度も往復する。
 これまで面倒くささから沐浴は毛嫌いしてきたが、体節にこびりついた汚れだか老廃物だかをごっそりと削ぎ落とされる感覚は、声が漏れちまうくらい心地いい。失われていた肢の可動域もグッと広がったようだった。右の肢で左の脇腹に触れられたのはいつぶりか、生き別れたアゲハントとドクケイルが再会するくらいの感動モンだ。
 数ヶ月ぶりの大掃除に辟易したのか、おれの尻尾へぶら下がるアイアントが顎を尖らせた。

「気づいてる? おじさんの歩いた後ろ側、いつも垢が落ちてる」
「そりゃあ生きてりゃ垢くらい貯まるだろ。飯を食えばうんこが出るってのと同じ理屈だ」
「……汚じさん」
「何言いたいか知らんがそんな目で見るんじゃあない。仕方ないだろ……まさかこの歳になって脱皮するなんてよ」

 イワパレスに進化してから4回の脱皮を経、すっかり成長は打ち止めになったもんだと思いこんでいた。アイアントどもの蟻塚から切り出した戸建てを(つい)の棲家とするつもりでいたが、数日前、不意に5度目のそれが起こった。
 シェアハウスを始める以前と同様ひとりで済ませるはずだったが、ブランクが空いていたせいかこれがなかなかうまくいかねえ。古皮が眼柄に引っかかり、あわや失明するところだった。見かねたアイアントの大顎が(もぬけ)のおれを割り裂いてくれたおかげで、本来は1日を通して脱皮に専念するところ、昼前には剥き身になっていたのだった。とはいえ脱皮したての柔肌じゃ岩宿は背負えねえから、予定していたひまわり畑への到着は丸2日遅れちまったんだった。

「おあぁ〜……。そこそこ…………」
「またおじさん」
「おれの鋏じゃ、細かいとこまでは届かねえからな。アイアントがいてくれて助かるわ」
「…………っ」見えちゃいねえが、アイアントは触覚をぴこぴこさせているに違いない。「わたし知ってる。〝ヘイガニメイド〟ってやつ」
「……〝適材適所〟? ってそれ使い方間違ってないか」

 耳あたりのよいおべんちゃらに機嫌を直したらしい、アイアントは大顎を器用に振るっておれの隙間から脱皮クズを摘出していく。マイホームのインテリアを精緻に彫りこむだけはある、細かい作業はお手のモンだった。おれに限らず甲殻を纏ったやつなら、アイアントのメンテナンスをありがたがること請け合いだろう。
 背中側にこびりついた汚れをあらかた掻き出し終えたのか、彼女はおれの脇腹をしきりにせっついて、寝返りを促してくる。今度は腹側もやってくれるってのか。こりゃ、後で何をねだられるかわからねえな。
 そうしておれは手際よく丸洗いされ、最後にアイアントの大顎が尾節の付け根へと伸びてきた。

「ここも、洗ってあげる」
「……おい」

 ちんぽがしまわれている虫孔を暴こうと、小さな顎が櫛状板(くしじょうばん)をまさぐっていた。あれから何度も体を重ね、どこをどういじればおれがその気になるのか、分かりきったような手捌きを披露してきやがる。こじ開けられた虫孔の隙間から水が忍びこみ、あまりの冷たさにおれは顔を(しか)めていた。
 くすくす。おれの尻尾へじゃれつくようにしがみつき、半身浴するアイアントが大顎をゆるく開閉させる。

「皮を被ったままじゃ、みっともない」
「おまっ……。そんな下品なジョーク、どこで覚えてきた」
「どういうこと」怪訝そうな灼眼がおれを半睨みにする。「おじさんいま、またおじさんぽいこと言ったの」
「……。いや、なんでもねえ。ともかくちんぽを洗われるなんざ、おれの柄じゃねえンだわ」
「脱皮のときは、わたしに任せきりだった」
「それとこれとは別モンだ」
「〝持ちつ持たれつ〟ってやつだと、思うんだけど」
「……。今度は、間違っちゃねえけど」

 おれがひっくり返っているのをいいことに、(わき)に停めておいた岩宿へそそくさと潜りこもうとする繊細な体。空き巣に入られるすんでのところで、おれは伸ばした両鋏で押し留めた。このままじゃ、ロフトからメレシーの宝石を持ち出してきやがるだろうから。決まってそれが、アイアントがおれを交尾に誘うときの合図だった。
 振るった鋏を(おもり)にして仰向けから戻り、体節を伸び縮みさせることで水をふるい落としながら、アイアントを締め出すように玄関へ陣取った。交尾の予兆を振り払ってもギクシャクしないくらいには、おれたちのシェアハウスはうまくいっていた。

「悪ィが呑気に駄弁(だべ)ってる暇はねえンだ。到着が遅れちまったせいで貯蓄がほとんど残ってねえ。おれは資材を交換してくる。きのみ探しが得意なアイアントは、いっぱい()っている場所に目星をつけてくれ。やれるな?」
「……まだ2日分はあった」交尾のお誘いを先んじて牽制され不服なんだろう、だがそれを己から切り出すこともできないとみた。言われのない当てつけが飛んでくる。「おじさん、勝手につまみ食い、したの」

 脱皮してすぐに食いすぎると胃が膨れ、それで外骨格が固定されちまいそうで、ほとんど飲まず食わずだった。今朝確かめたときにはロフトに乾燥チーゴが3粒ほど残されていたはずだ。アイアントもおれも食ってねえとしたら……、まさか施錠してあるはずの玄関をすり抜け、性悪なエルフーンがコソ泥しに来たってのか。
 責任をなすりつけるのは、よくねえな?

「体節を掃除してくれたとこありがてえが、アイアントお前、己の顔は洗ったか? 頬にチーゴのへたが付いてるぞ」
「えっうそ!?」
「嘘だよ」
「………………」あっけなくボロを出したアイアントがおれを睨む。「おじさんさ、やっぱり嘘つき」
「カマをかけたんだ。もっともおれが食ってねえんだから、お前しかいねえだろ」

 アイアントは観念したのか、はたまた破綻を織りこみ済みでおれをおちょくっていたのか。つまみ食いの罪状を棚に上げておれの鋏から飛び出すと、尻をふりふり自由を満喫するように闊歩していった。はしたない仕草はやめなさい、乾かさないと風邪ひくぞ、危ない場所には近寄るな――などと父親ヅラして忠告しそうになって、おれは口を引き結んだ。

「……それじゃあ、楽しんでこいよ」
「おじさんに言われなくても、そうする」

 顎を軽く掲げただけで、アイアントは振り返りもしなかった。湿った芝草を6本肢ではしゃらはしゃらと掻き分け、小さな背中が低木の合間に見えなくなっていった。岩宿を落ち着けたキャンプ地へ、日暮れまでには戻ってくる。おれたちが別行動を取るとき、いつしかこれが暗黙のルールになっていた。今のところアイアントはきっかりと門限を守り、悪い虫ともつるまずおれと夕飯を共にしている。それがいつまで続くとも限らないが。

「……さて、どうしたもんか」

 濡れたままマイホームを着こんじまうと、アイアントに蒸れてにおうだなんだと言われかねん。用事を済ませるのは乾かしてからにするか。
 岩宿の屋根へよじ登ると、低木の向こうに青葉のひまわり畑が茫洋と広がっていた。その終端から飛び出した小さな銀鼠(ぎんねず)色の粒が、あっちへふらふら、こっちへゆらゆら、己の勘を頼りに舵を切っている。きのみを探すならこの土地に棲まう者へ訊ねるのが手っ取り早い。閑散としたひまわり畑は突っ切り、その先で生い茂る森にぽつんと目立つ桃色――ランドマークになっていそうな桜の大樹を目指すのがいいだろう。ああいう場所には大抵ポケモンどもが集まるからだ。まあそんな野暮、おれより食料の探索に長けているアイアントへわざわざ口出ししたりはしないが。
 鋏を噛み合わせ、そこへ顎を乗せる。遅れを取り戻そうと前日は歩き通しだったせいか、水()みでも拭いきれない疲弊が全身にこびりつていた。強まってきた陽射しにじりじりと背中を焼かれながら、おれはうつらうつらと微睡(まどろみ)の航海へ舵を切っていった。





 おれのものよりも融通の利きそうな鋏が、ウブとノメルをその中へとしまいこんだ。手入れが行き届いているのだろう、微かな摩擦音もなく握り締められれば、刃の隙間からにじみ出た搾り汁がもう片方の鋏へと注がれる。そこへツボツボの醸造酒を適量。しっかりと刃が噛み合わせられた鋏は、激しく揺すられようとも果汁の1滴さえ逃さない。そうしてできたカクテルとやらが、カゴのみをくり抜いて作られたカップへと注がれていく。輪切りのラムを1片添え、グライオンはおれの前へ滑るように差し出してきた。

「どうぞ。塩を舐めながらお楽しみください」

 おれの目線の高さしかない切り株へ置かれたカップの縁には、奥側半分にだけ砂利ほどの大きさの半透明な結晶が付着していた。硬いきのみを圧搾して果汁をいただくってのは誰しも思いつく知恵だろうが、グライオンはそれを洗練させ、ここいらのポケモン相手にふるまっている。こだわりの強いヤツってのはいるもんだ。塩を加えるなんて余計に喉が渇くだろうに、おれには想像だにできない技巧が尽くされているのだろう。
 両の鋏でカップを傾け、カクテルとやらをまずはひと口。鼻孔を抜けるような酸味に、ほのかな渋みと甘味が同居する芳醇さだった。ふた口目を含み、すかさず塩を舐めてみる。身構えたよりもしょっぱくはない。荒削りにされた塩の粒はべろの上でゆっくりと解け、ノメルの酸味を抑えつつウブの甘味をほんのりと引き立たせてくれる。まあ、空きっ腹に流しこめばなんだって一級品になるが。

「さっぱりしているな。そのままでも美味いが、塩を舐めることでその、なんだ……、深み? が増した。組み合わせの妙ってヤツだ」
「ああ、よかった」

 おれの拙い食レポにも満足したらしい、不安げに注視していたグライオンの頬がほころび牙が覗いた。4分咲きの桜から散ったひとひらが偶然、置いたカップへと吸いこまれ水面に波紋をひとつ作った。こんな小洒落たモンはおれの趣味じゃねえ。飲んだ感想を伝えるのも、取引の一環としてだった。
 カップについた結晶に目を細めていると、前の冬を思い出す。朧げなおれの記憶を頼りにひまわり畑へ戻ろうとしたことが災いし、おれたちは雪降りしきる塩湖へ迷い至った。そこで出会ったキョジオーンに世話になったんだが、別れ際彼女から塩の塊を分けてもらったのだ。
 モノを運び、また別のモノと交換する。イワパレスってのはつくづく旅をするのに適した種族だと思うのだが、あいにく同族は縄張り争いにご執心ときた。物腰柔らかなグライオンはわずかな風に乗って長距離を流れ、以前はおれのように放蕩の旅をしていたという。鋭い鋏と体を支える二股のしっぽ。どことなく親近感が湧いちまったのか、はたまた同業者の先輩へ尊敬の意を示してか、けっこうな量の塩を割の渋い交換条件で譲っちまった。

「このカクテルは私が砂漠に滞在していた頃、初めて口にした酒なんです。あそこは岩塩がよく採れる土地でした。ここは海からも山からも遠いでしょう。もう再現できないものかと諦めていたのですけれど、まさか本当にイワパレスさんが運んできてくださるとは……。おかげで思い出すことができました。なんとお礼をしたらいいか」
「まあ、これも何かの縁、ってやつだ」

 以前ヘラクロスとつるんでいた折にも、グライオンに1杯奢ってもらっていた。かつては彼もこの森に住み着いたばかりで、飲み物作りの腕もまだまだ青二才だったのを思い出す。そのときしきりに塩についての憧憬を聞かされていたのだが、手土産に運んでみて正解だった。こうも喜んでもらえるとイワパレス冥利に尽きるってモンだ。
 当時は流れ者だったグライオンもすっかり馴染み、ツボツボのつがいを迎えこの大桜に棲みつき、常連のポケモンどもからは親しみをこめられ『すなあらし』と呼ばれているそうだ。特別な名前があれば住処にも愛着を持てるというもの。これは天井裏に隠蔽した枢密だが、イシズマイだったおれも初めて切り出したワンルームに愛称をつけていた。初脱皮で彼女を手放す羽目になった際、あまりの喪失感から三日三晩しょげこんだきり名前はつけていない。
 塩の塊がえらく気に入ったのだろう、懐から取り出したそれを鋏でつまんでうっとりと眺めつつ、グライオンは空になったカップを下げにきた。

「よければもう1杯、お作りしますよ」
「悪ィな。酒はほどほどにしているんだ」
「アルコール抜きにもできますが」
「そりゃどうも。気持ちだけありがたく受け取っておく」

 ヘラクロスの住処について有力な情報が得られなければ、夏まで付近に逗留することになる。どれ、アイアントと合流したら『すなあらし』のことを教えてやるか。甘い味のきのみは食わず嫌いしてばかりだが、グライオンの手腕にかかればペロリもといゴクリかもしれない。酒を混ぜるのはまだ早いが。
 塩の塊と交換した、砂漠で採掘されたという水晶混じりの岩(ひんやりしていた)を背中へしまいこみ、おれはグライオンを呼び止めた。

「おかわりの代わりといっちゃなんだが、ひとつ訊きたいことがある。この辺りで、ヘラクロスは見かけなかったか? カラサリスか、もしくはアゲハントをつがいにしているはずだ」
「ヘラクロスのお客様、ですか。そうですね……」浮遊するグライオンの尻尾が所在なげに揺れ、地面にでたらめな模様を描く。「前の晩春に1度、お見えになったはずです。桜が満開の繁忙期で、なにぶん詳しいことは覚えていないのですが……、確か、アゲハントのお連れ様がいらっしゃったような」
「そうか。……どこから来たか、とか、何か喋ってはいなかったか」
「いえ、そこまでは……。イワパレスさんのお力になれず、心苦しい限りです」
「いや、前の春には見かけた、ってだけでも大儲けだ。ありがとな」

 おれは『すなあらし』を後にし、帰りしな森ですれ違うポケモンどもにヘラクロスについて尋ねてみたものの、これといった収穫はなかった。やはり遠くの住処から観光しに来ていただけ、なんだろうか。だとしたら望み薄だ。おれにもグライオンのような翼があれば捜索範囲を広げることもできたろうが、あいにくナックラーばりの機動力なら待っていた方が得策だろう。
 なんだかんだと思案しているうち、できたばかりの湧水地まで戻っちまっていた。ロフトの2割ほどを占領していた塩の塊があっけなく()け、物理的にも肢どりが軽くなっていたとはいえ、門限としている夕暮れにはほど遠い。
 ついでに雌を引っかけていこうかとも思ったのだが、どうにも食指が動かなかった。川べりでおとなしそうなオニシズクモを見かけたのだが、どう声をかけたもんかと鋏をこまねいているうち、知り合いらしきデンチュラが彼女を連れ出していっちまった。
 シェアハウスを始めてから他の雌を抱いたのは3度、いずれもアイアントと別行動をとっているときに限った。そんくらいのデリカシーは捨てちゃいねえ。岩山から滑落したセキタンザンを助け、コンサートの会場設営を手伝っていたナットレイからは誘われ、塩を譲られるに至ったキョジオーンは地層の美しさを口説きまくった。どの娘との交尾もとびきり刺激的だったが……思えば偶然にも虫グループを避けているのは、無意識にアイアントを意識してのことだったか?

 ――ぶるぉおおんッ!

 白日の彼方から不意に低音が鳴り渡り、一直線におれ目がけて急接近していた。仰げば迷いなくこちらへ墜落してくる細長い影。ワナイダーが丁寧に仕掛けたトラップでさえ吹き飛ばしかねない衝撃波を伴って飛来するそいつに、おれは左の鋏で照準を合わせていた。

「おおーい、懐かしい顔がいるね!」いつか見たメガヤンマがにやついたまま、禿げかけた低木を気にもせず急停止してみせる。おれが岩を撃ち出すとは微塵も危惧していない、空を統べる者の傲岸さがあった。「黄色いのが咲くまでまだ随分あるってのに、いやにせっかちなやつがいたもんだ」
「お前は……」

 鋏を下ろす。思い出してきた。あれはちょうどヘラクロスと別れてすぐだったか、このメガヤンマに道を尋ねられたのだった。異邦者のおれは目的地の洞窟までどうにか案内してやったのだが、迷っていたってのは建前で、その洞窟に連れこまれメガヤンマの相手をする羽目になったのだ。見知らぬポケモンには付いていくなと、こればかりはアイアントへ口酸っぱく言い含めている。
 積極的な雌は嫌いじゃねえが、相手の良心につけ込むような陋劣(ろうれつ)さはいただけない。鬱憤を晴らすように虫孔をほじくり倒し、翅にぶっかけてしばらく飛べないようにしたのち、こんこんと説教を垂れてやったのだが、深々と気をやっていたメガヤンマの脳みそには届いちゃいなかったらしい。

「今度はどこへ道案内してやればいい。灼熱の岩山か、雪降りの塩湖か? どこにだって連れてってやるが、途中で帰してくれなんて泣き言漏らすんじゃあないぞ」
「けッ、なあンだよ。前のことまだ根に持ってるのかい? ……でもよお、今回は騙すような真似しないでも、交尾(セックス)してくれるんだろう? なんせアタシが一番乗りのようだし……アンタも、アタシを断る理由なんか、ないだろ〜?」
「おい待て、なんで出会って2秒で合体、みたいな話になってるンだ」
「……なんだ、知らないのかよ」
「くどいぞ」
「黄色いのを見にくる呑気な奴らは、わざわざこんな端っこまで来ないもんでなあ」前肢でひまわり畑の終端を指し示しながら、メガヤンマはおれへ耳打ちしてくる。「ここいらは、ヤリモクのヤツらが集まるナンパスポットとして有名なんだよ。ちょいと時期が早いもんだけど、アンタもそのつもり……、なんだろう?」
「……なるほどな」

 おれが湧水池に戻った際、喉を潤している先客がいた。ガーメイルだった。ヘラクロスについて訊ねたかったのだが、「おい」とおれが声をかけただけで、そいつは蜜をくすねているところをビークインに見つかったか、というほどの慌てぶりで飛び去っちまった。何も敵意を向けたわけでもあるまいし、と胡乱(うろん)に思っていたが、ここがそういう場所だってなら納得だ。体格もタイプ相性も優れた同性から声をかけられるってのは、それだけで恐怖の対象になり得るだろうから。
 しっかしおれの嗅覚も鈍ったか。多くのポケモンが棲みつくコミュニティには大概こうした出会いの場が設けられている。染みついたフェロモンが嫌でも雄をその気にさせてくるもんだが、メガヤンマから教えられるまで一向に察せなかった。……おれもそろそろ枯れるってか?
 老いの兆候を暴露して盛り上がるなんざいよいよだ。おれは右の鋏を掲げあげ、邪険に振ってみせた。

「そうか、邪魔をした。それじゃあな」
「おいおい、感動の再会だろう? 何をそんなに急いでる」メガヤンマが意味ありげに前肢をすり合わせる。「せっかくだ、これも何かの縁だろ。アタシと1発(ソク)ってけよ」
「1度抱いた雌にはこだわらない主義だ」アイアントとはもう数えるのも億劫なほど体を重ねていた。「雄漁りなら別でやってくれ」
「なあンだよ、シたばっかかぁ? つれねェな〜。まさかつがいを持った、なんて冷めたこと言わないでくれよ〜?」
「つがいがいたら、こんなとこに来ねえだろうが」

 ちら、と低木の間からひまわり畑を透かし見る。アイアントが帰ってくる気配はまだない。それどころか草原は不自然なまでに静まり返っていた。我が物顔で羽音を轟かせるメガヤンマに因縁、もとい色目をつけられないよう、虫どもが息を潜めているようにも思える。
 築浅の一軒家をしげしげと眺め回しながら、メガヤンマは前肢で牙をすりすりやっていた。初めて邂逅したバタフリーとコンパンが、お互いの体つきが似ていることを確かめるような興味深さだった。

「なんだい、これがアンタのつがいだって? シマシマにぶっかけるのがいいのかい」
「背負ってやるやつと、つがいにするべきやつは違う。今んとこは、どんなスケベな雌だろうが、つがいにするつもりもねぇよ」
「ひひッ、相変わらずで安心したよ。……じゃ、アッチの方も、まだまだ現役なんだろう?」
「あいにく分けてやれる食料もないときた。こういうとき、雄は雌に恵んでやるものだからな。ああ実に残念だ」
「そんなん要らねえよ〜。アタシとアンタの仲じゃないか。ぶっ濃いザーメン恵んでくれたら、さ〜……♡」
「……」

 メガヤンマが口を開き、揃った牙の隙間から舌先をちろちろ見せびらかしてきた。あまりの露骨な仕草に、相変わらずなのはお前の方だろう、とさえ返せなかった。やたらとグイグイ来る彼女の複眼はあからさまな焦燥の色を宿していて、おそらく逆ナンはしばらく失敗続きで雄日照りなのだろう。
 欲求不満を見透かされたことにバツの悪さを感じたのか、振り払うようにぱしん! とメガヤンマが翅を強かに打つ。

「なに、アタシが気に入ったヤツに限って、さっさとつがいを作っちまうもんだからなあ。ここらで言や、グライオンもビブラーバもイ〜イ雄だったってのによぉ。……そういう雄に限って、ずっと昔のことだってのに未だに思い出しちまう。ちょうどアンタとヤった前の日のことだったな。可愛らしい顔つきだったってのに、つがいがいるからって律儀にフりやがって……。ッたくあのヘラクロスは」
「――おいちょっと待て、ヘラクロスに会ったのか!?」
「なんだいその食いつきっぷりは。まさかアンタ、そっちもいけるクチだったのかい!?」
「そうじゃあない。おれたち(・・)はいま、そいつを探して旅してたンだわ」
「……ああ?」

 メガヤンマは訝しげに小首を傾げていたが、おれの言い違いは気取られずに済んだようだ。アイアントとシェアハウスしている、と知られりゃネチネチと突っかかってくるに違いない。「誤魔化さなくていい。雄どうしでもイけるったって、アタシは別に気にしねえからな〜」すっかり交尾するつもりでいるメガヤンマの勘違いを正すのも億劫で「まあいいだろ」とおれは話を戻した。

「で、ヘラクロスにちょっかいかけたのは、どのあたりだ」
「別れたのはあの、桜の樹の下。見えるか〜? 『すなあらし』って呼ばれてる名所、みたいなとこなんだがなあ。お、ちょうどいまグライオンがきのみを搾ってる」おれの目線じゃ茂みに遮られて確かめられないが、図らずもその名前には聞き覚えがあった。「あのヘラクロス、道に迷ったってすり寄ったら、おひとよしにもあそこまで道案内してくれてねぇ」
「……同じ手口でも、おれならカモれると思ったわけか」
「ひっひひ、過ぎたことはイ〜じゃんか。実際そうだったし」メガヤンマは悪びれもしなかった。「んで、アタシの誘いを断ったヘラクロスは『僕、つがいがいるんです』『大事なんです。……ごめんなさい』だとかほざいてたっけ。ッひひ、もうほとんど泣き顔になっててよ、あのあと住処にとんぼ返りして、大好きな雌に慰めてもらったんじゃねえか」
「どの方角へ帰っていったか覚えているか」
「もちろん覚えてるぞ〜。……ま、こっからは、タダじゃあ教えらんねえけどなァ〜♡」
「………………」

 長い舌で牙をちろちろ舐めまわしながら、メガヤンマはどうする? と口端を吊り上げて訴えてくる。思わず長いため息をこぼすと、ブロロロームがエンストしたみたいな喉鳴りがした。ここはヤリモクの虫どもが跋扈する即ヤりナンパスポット。ならば、ヤることはひとつだろう。
 彼女は場所を移す手間さえ惜しむはずだ。おれはひまわり畑を再度顧みた。アリアドスどもがカサつき始める時間帯にはほど遠いが、アイアントが戻ってくるまではいくばくもない。その前に、ヘラクロスの居場所を吐かせてやるしかないだろう。――それも、メガヤンマの嬌声と一緒にだ。

「わーッたよ。おれも暇じゃねえんでな。手早く済ませるぞ」
「――ッへひひ、そうこなくっちゃあ」

 逞しい牙をニッとむき出しながら、メガヤンマは翅をひとつ豪快に打ち震わせた。




つづく



なかがき
シェアハウス、続きました。余裕で半年空いてます。前作のあとがき見たら続編書くよ! 的なこと記してあってビビりました。筆遅いくせに勝手なこと言わんといて!
前作でアイアントちゃんを蟻塚から引き抜いたわけですが、彼女の目的がはっきりしてないんですよね……どういう大人像に成長したいか、とか決めてなかったもので。なんならイワパレスおじさんもこのまま旅してるだけでいいのかっていう。続編初めておきながら着地点が見えずに墜落しそうです。おー怖。
pumaさんにはナイショなんですけど、勝手にメガヤンマさんを登場させちゃいました。素敵なイラストでこの子の魅力に気づかせていただいたので、濡れ場ずっと書いてみたかったんですよね〜〜〜次回更新で気合い入れて書きますのでどうぞお許しを。


コメントはありません。 Comments/あの113号室をこの113号室で ?

お名前:

トップページ   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.