#author("2024-04-12T13:56:22+00:00","","") *宝石の国の激闘 [#h1c48aae] #contents ---- **【Ⅰ】 [#fxclrqx] 四月三十日、月曜日。ゴールデンウィーク、三日目。 「ジェフリー、ハイドロポンプ!」 「マー、クローッ!!」 野良バトルを挑まれて意気揚々と応じた俺は、ヌマクローのジェフリーで相手のギルガルドと戦っていた。斬りかかられたせいなるつるぎを強引に耐え、返す刀でジェフリーのハイドロポンプをゼロ距離から叩き込む。すさまじい高水圧に吹っ飛ばされたギルガルドが木に叩きつけられ、倒れたギルガルドは目を回して戦闘不能に落とされる。相手のトレーナーはギルガルドをボールに戻すと、二匹目のポケモンを繰り出した。 「行け、ジュカイン!!」 「次はジュカインか……! 戻ってこい、ジェフリー! でもって……出番だぜ、クレア!!」 「っぱあ!」 「リーフブレード!!」 ジェフリーをモンスターボールに戻した俺は、続いて足元に控えていたグレイシアのクレアをバトル場に出した。交代の間にジュカインのリーフブレードを食らってしまうが、そう簡単にこっちも倒されるほど弱くはない。 「ジュカイン、もう一回リーフブレード!」 「かわしてれいとうビーム!」 「追いすがれ!」 「クレア、受け止めろ!」 跳躍して右のリーフブレードを回避したクレアだが、鮮やかな翻転を見せてれいとうビームをかわしたジュカインが、今度は左の緑刃で斬りかかってくる。身を縮こまらせたクレアにリーフブレードが直撃し、文字通り身を切られる痛みにクレアの端正な顔が歪む。が、直後にはジュカインをにらみつけ、大きく息を吸い込んだ。 「ふぶき!」 「っぱああぁぁぁーーーーーっ!!」 「ジュカイーーーーーン!!」 攻撃直後の隙を突き、クレアのふぶきが放たれる。命中精度に難があるといわれるふぶきだが、タイミングが合えば超強力な必殺技と化す。まともに食らったジュカインが悲鳴すら上げる間もなくふぶきに飲まれ、体中を凍らされて氷像と化した。 「カー……」 弱々しく鳴くジュカインは、どう見ても戦闘の続行は不可能だろう。地面に着地したクレアが天に向かって雄叫びのような鳴き声を上げ、トレーナーはジュカインをボールに戻す。 「俺の負けだ。セツと言ったな、今日は対戦ありがとう」 「こちらこそ、対戦ありがとうございました」 試合後の礼を交わし、男はポケモンたちと共に去っていく。今回のバトルはお互いの合意があり、賞金のやり取りはなしにしている。男が去っていくのを見て、少し離れたところで試合を見ていた別の男がやってきた。 「よう、セツ。相変わらず、すげえバトルの腕前だな」 「ジェット、いたのか」 男の名は、ジェット。俺が働く塾の同僚で、理科が得意な理系講師だ。 俺は大学で学業に励んでいる傍ら、とある学習塾で社会の講師をやっている。アルバイトといえばアルバイトなのだが、未来溢れる生徒たちの将来に、多少なりとも手助けをして関わっていく仕事である。生徒たちの人生にも影響していく以上、アルバイトという簡単な言葉で片づけたくはなかった。 一方のジェットは俺と同じ大学生で、俺とは逆に「いや、所詮バイトだし」とか裏では言いまくっているのだが「バイトだろうがなんだろうが先生であることには変わりねえ」と、授業の準備は超真面目にやるという、やる気があんのかないのかよく分からない男である。タイプはお互い違うのだろうが不思議と気が合い、同僚だけでなく個人的にも友人だった。 そんなジェットは、クレアとジェフリーにキズぐすりを使い、おいしいみずを与えている俺のところに近づきながら話しかける。 「この前のスリーパー戦の時より、キレが上がってるんじゃないか? 修行してるの?」 「まあな。この前みたいに殺されかけたくはねえし、それにやっぱ、ああいう奴と戦っても勝てるようになりたいしな」 「物騒な世の中になったとはいえ、目の前で友人殺されかかるとは思わなかったぜ」 肩をすくめて笑うジェットと話すのは、数週間前、教え子のスノウが目を覚まさなくなってから起こった事件の一幕だった。スノウの目を覚まさせるべく、オカルトに手を出して彼女の夢の中に飛び込んだ俺らは、スノウを眠らせた犯人とそのスリーパーとバトルをし、塾長も加えた三対一だというのに一度は敗北してしまったのだ。その後、スノウにさらなる「絶望」を与えるべく、犯人とスリーパーはスノウの母親と、俺のことも殺そうとした。様々あって、そこからの逆転劇を演じることとなったわけだが、あれがなければ俺はあの犯人に殺されていたか、最悪永久に悪夢の中だ。そこで、自分の無力を実感したということもあるが……とにかく、俺たちは強くなりたかったのだ。 おかげさまで俺らは、それが終わってからは特訓したり野良バトルを挑んだり挑まれたりと、今まで以上にポケモンをガンガン鍛えていた。途中で別のすったもんだに巻き込まれたりと、本当に俺はこの塾で働いてから退屈していない。 と。 「おみごとです。その戦いの腕、感服いたしました」 「ん?」 クレアたちの治療を終えた俺たちの後ろから、少し高めの声がした。振り返ると、四匹のポケモンが近づいてくる。 「えーっと……?」 うち、三匹は見たことがある。ダイヤモンドのようなものが埋まった円錐形の石を逆さまにし、その上からひょこっと顔が飛び出ているようなポケモン。確か、メレシーとかいうやつだ。口元にあたる部分は豊かな白ひげで覆われているが、くりくりしている瞳とも相まって、どちらかというと可愛さが目立つ。しかし、最後の一匹は見たこともない。 白い服を着た少女のような姿の上半身に、メレシーのものを少し細長くしたような下半身。メレシーとは異なり両手があり、頭には綺麗なピンクダイヤモンドがはまっている。ほかにもピンク色の結晶がティアラのように配置され、両サイドからはひときわ長い結晶体がツインテールのように降りていた。どことなくメレシーに似ているが、見たこともないポケモンだ。 「なあ、ジェット――」 このポケモン、知ってるか? そう聞こうとした俺だったが、ジェットの顔を見て、その言葉は一瞬で止まる。 「…………」 「お、おい……?」 ジェットの顔は、震えていた。顔だけじゃなくて、体中が震えていた。信じられないものを見たかのように、ジェットは愕然とした声を漏らす。 「ディアンシー……」 「なっ……!?」 ディアンシー。名前だけは聞いたことがある。世界のどこかの地底深くに、メレシーの群れが暮らしている鉱脈があり、そこには彼らを束ねる群れの女王がいるのだと。俺も子供のころ、幼稚園で読み聞かせてもらったおとぎ話「ほうせきのくにの おひめさま」で、その名を聞いたことがあった。 だが、あれは単なるおとぎ話だったはずだ。ディアンシーの目撃情報は、この国の長い歴史の中でも、たったの数度。社会科の講師をやっている以上、ディアンシーの名前や姿は知っていた俺だったが、実物を前にしてもそのポケモンが「ディアンシー」であると分からなかったほどである。 そんな、幻ともいわれるポケモンが、なぜ。 頭の中が真っ白になるほどの衝撃の中、そのポケモンはたおやかに一礼した。 「わたくしの名をご存じなのですね。わたくしはディアンシー。ディアマ王国の姫です」 「喋った!?」 立て続けの衝撃で、目の前の光景が理解できない。そんな馬鹿な。ポケモンって喋るのか。いや、そういえばさっきもしゃべっていたか。そんなことより、目の前のこのポケモンが、あのおとぎ話でしか聞かない、幻のポケモン・ディアンシーなのか。 二の句が告げない俺たちに、メレシーの一匹が鋭い声を張り上げた。 「何をぼうっとしておるのだ。姫様の御前だぞ」 「え、あ、はいっ」 「は、はいっ」 メレシーの声に、思わず直立不動の体制を取った俺らの前で、別のメレシーが呆れたように言葉をかける。 「いつまで驚いているのだ。確かに、直接言葉を交わすメレシーは少ないかもしれんが、言語を解すのが人だけと思うな。言語に限らず、在る物のすべてを使えるものが自分だけと思うのは人の驕りぞ」 「す、すいませんっ」 なぜメレシーに苦言を呈されているのかは知らないが、とりあえず驚きを無理やり抑え込む。その横で、ディアンシーが待ちなさいと声をかけた。 「ルイーツァ、初対面の相手に厳しいことを言うのではありません」 「はっ。失礼いたしました」 ディアンシーの声に、ルイーツァと呼ばれたメレシーは頭を下げる。従者を黙らせた宝石の姫は、こちらに声をかけてきた。 「折り入ってあなたたちに聞きたいことがあるのです。人間たちの世界には、ジャイロボールというわざを覚えられる装置があると聞きました。事実ですか?」 「へ?」 姫君の問いに、俺たちは思わず首をかしげた。ジャイロボールを覚えられる装置。おそらく、わざマシンの類だろうか。ジェットは覚えがあるらしく、それならと頷いて案内した。 「隣町のムグリデパートに、そのわざマシンが売っているのを見ましたよ。一台で一万円ほどだったかと思います」 「なんと……」 ジェットの案内に、メレシーは難しい声を出した。ディアンシーも難しい顔をして、なにやら考え事をしている。 「ええっと、お金がない……とかですか?」 「いいえ、違います。お金なら、わたくしの力を使えば簡単に手に入るでしょう。しかし問題は、そのデパート? というお店でしょうか。そちらでその装置を購入する方法なのです」 「というと?」 「わたくしが正直、人間の世界では珍しい存在と思われているのは知っています。そのわたくしが直接買い付けに行こうものなら、大騒ぎになるのは目に見えております」 「そりゃそうでしょうね……」 実際は珍しいどころの話ではない。幻のポケモンとも言われたディアンシーが公衆の面前にでも現れようものなら、大騒ぎでは済まないだろう。国の重鎮や学者に拉致される可能性も十分に考えられる。今だって、俺たち以外の人間がこの場にいないから、こんな風に話が出来ているに過ぎないのだ。 「……であれば、我々が買いに行きましょうか?」 「よろしいのですか?」 「ええ。我々も今週一週間は休みですし、私もキズぐすりやサイコソーダを買い出しに行こうと思っていたくらいです。近くで買っても構いませんが、どうせ大した手間でもないですし、そのくらいなら行きますよ」 「本当ですか。それは助かります」 「お待ちください、姫様」 微笑んでくれる姫様に、メレシーの一匹が声をかける。どうしましたかと続けるディアンシーに、従者のメレシーは忠告をする。 「話をするくらいならまだしも、人間たちに頼みごとをするのはいかがなものかと思われますぞ。この男たちが、私利私欲のために我々を使わないとも限りません。古来より、我々の国を人間が躍起になって探したこともあるではございませんか」 「たしかに、そうですね。しかし、この者たちはそのようなことをしないと思います」 「とは、申されましても……」 何を以って安全認定されているのかは分からないが、ひとまず信頼はしてくれるらしい。とはいえ、メレシーの懸念ももっともである。ディアンシーの姿を求め、莫大な富を注ぎ込んで破滅していった者は、それこそ枚挙に暇がない。さて、どうしたものだろうか――考えていると、動いたのはなんと隣にいたクレアだった。 「っぱあ」 「ん?」 「ぱあ、ぱあ。っぱあ、ぱあ、ぱあ」 「?」 ルイーツァと呼ばれていたメレシーにクレアが何やら話しかけ、ルイーツァは「ふん、ふん」と聞いている。なんだなんだ? 首をかしげる俺らの前で、ルイーツァは主人に声をかけた。 「姫様。どうやらこの男は金のかかる趣味がない上、恋人もおらず『ごうこん』なる別の者との交流の会場にも行かないとのこと。よって、金の使い道がないので、多額の金があっても仕方がないし、さらにこの男の好みは『一つか二つ年下で、可愛くて優しい、料理上手な人間の女の子』なのだそうです。しかも、そんな理想論ばかり言っているからまったくモテないとのことで、我々を私利私欲のために使うこともなければ、姫様に邪な感情を抱くこともないのではないかということでございました」 「どあぁあぁっ!!」 真顔で人の性癖を暴露するメレシーに、俺は盛大にずっこける。つーかクレアもなに人の理想暴露してんだ! 前半はともかく、後半はフォローになってねーよ! そもそもなんで知ってんだ!! 「くっくくっくくっくっく……」 「ジェットてめえもムカつく笑い方するんじゃねー!」 ぎゃあぎゃあとくだらん騒ぎをしたが……その横で、先ほど忠告をしたメレシーが何とも言えない表情で続けた。 「……不安は残るが、信じるとしよう。そもそも姫様の他者を見る目は随一だからな。その姫様が大丈夫だというのなら、結論問題はないであろう」 なんか大事なものを失ったような気もするが、信用してもらえたら何よりだよ。泣きそうになる俺の前で、ディアンシーは「では」と続けてくる。 「人間の国では、ダイヤモンドは高く売れるのですよね」 「値段は様々ですが……」 「それなら、いくつかご用意いたします。少し離れていてください」 「え?」 ディアンシーの言う通り、俺たちは数歩後ずさる。宝石の国の姫様は両手を腰だめに構えると、目を閉じて精神を集中した。次の瞬間、彼女の両手めがけて暴風が集い、俺らはあわや吹き飛ばされそうになってしまう。その風が収まったかと思うと、彼女の手のひらから透明なかけらが零れ落ちた。ディアンシーはその欠片を集めると、お持ちくださいと渡してくる。渡された透明な物体は…… 「……マジですか」 綺麗にブリリアントカットをされた、ダイヤモンドだった。 はっきり言って感動ものだ。宝石について多少学んではいるものの、俺はどちらかというとパワーストーン的な見方をしている。そのため、石の価値について詳しいわけではないのだが、それでもダイヤモンドが高価であることくらいは分かる。そんなものをあんな一瞬で作り出してしまうのだから、そりゃあ彼女たちの姿を追い求めて破滅する人がいるのも納得だ。あまりにもディアンシーという存在が現実離れしていたために、目の前に現れたポケモンを「ディアンシー」と認識できなかったが、俺だって社会科講師をしている以上、存在は当然知っているのだ。 一例として、ある有名な商人がいたが、彼もディアンシーとその力を追い求め、野生のメレシーが出現するところを捜し歩いたがなかなか会えず、最終的に鉱山の奥底で消えていったとされている。真偽のほどは定かではなく、数多くある歴史の謎の一つであるが、この力を見れば真実だとしか思えない。俺は今、もしかして歴史の真実に限りなく近い場所に居合わせているのではなかろうか。宝石よりもそっちの方が感動である。 しかし、しみじみしている俺らのことなどつゆ知らず、ディアンシーは一歩下がると綺麗に一礼。 「そのダイヤモンドをどこかで売って、ジャイロボールのわざマシンを買えるだけ買ってきてください。わたくしたちは草木の陰で隠れてお待ちしております」 「しょ、承知致しました」 独特な高揚感に押されたまま、俺は頭を下げるのだった。 **【Ⅱ】 [#RW67d70] というわけで、ディアンシーたちをその場に残し、やってきましたデパートで。 俺らは、はるばる二時間くらい待ちぼうけをくらわされていた。 理由は簡単、ダイヤモンドを三粒ほど持ち込んだところ、店員さんがぎょっとして「お、お調べしますので少々お待ちください」と飛んで行ってしまったのだ。 時々係の人がやってきて「どこで手に入れたのか」「鑑定書はないのか」などと聞かれたのだが、どこで手に入れたかなんて正直に言ったらいろんな意味で終わりである。鑑定書なんてあるわけないし、その辺は適当に「祖母の形見でございまして」などとごまかすしかなかった。それにしても、軽く調べたところ、鑑定は一週間~十日位かかかるらしいが大丈夫か? ゴールデンウィーク終わっちまうぞ? とはいえ、いきなり「少々お待ちください」で待たせているんだ、ちょうど鑑定士でもいたのだろうか? 首をかしげながら待つことさらに三十分、やっと店員さんが「お待たせしました」とやってくる。 「申し訳ありませんお客様。正確な買取価格の査定には、一週間ほどお時間をいただくとは思いますが、少なくとも本物のダイヤモンドであることは分かりました」 「ってことは、一週間後にならないと売れない?」 「そうですね……やはり正確なところが分からない限りでは……」 「ちなみに、三粒全部売るとすると、ざっくりどのくらいの値段になりますかね? ダイヤモンドなのでかなり幅があるとは思いますが」 「それもちょっと……」 おいおい、勘弁してくれよ。ある程度でもいいから現金を手に入れてディアンシーたちのもとに戻らなくちゃならないんだが。とはいえ二時間待たせられている以上、別の店に持ち込んでも同じような展開になるかもしれないし…… 「――ああ、だったらいいです。別の店に持ち込むんで」 「えっ!」 と、どうしたものかと悩んだ瞬間、ジェットが素早く割り込んできた。ジェットは冷たい目で、店員に思ったことを告げていく。 「二時間もこの場で待たせておいて、それはないでしょう。こちらは今すぐ正確な買取価格を出せと言っているわけではないんです。大体の幅が分かればいいんですが、それすら分からない?」 「それは……」 「こちらとてかなりの幅があることは承知しています。セツ、ネットで相場を調べてくれるか?」 「お、おう、分かった……」 スマホに情報を打ちこんで、相場を検索。げっ、本当にかなりの幅がある。ひとまずジェットに画面を見せると、ジェットは店員さんにそれを見せた。 「軽く調べるだけで相場が出ます。本物なのは分かったんですよね? こちらも多少現金が必要なので、この相場の最低金額でも構いません。正確な金額は後日差額をお渡しいただければ大丈夫です。なんなら手数料を取っても構いません。それが無理なら、あのダイヤを返してください」 「お前、ずいぶんやったなぁ。こっちだって急に持ち込んで迷惑かけただろうに」 ジャイロボールのわざマシンをほぼ全部買い占めて、公園に急ぎ向かう路上で、俺はジェットに声をかけた。 あの後店員さんは「申し訳ございません、少々お待ちください」と飛んでいき、結局いったん相場の最低額を支払ってもらった。結構無茶をしたのだろう、なんやかんやでさらに一時間待たされたわけだが、ジェットはふんと鼻で笑った。 「最初から一週間待てと言わないで、二時間待たせたことは向こうの落ち度だ。そこを利用しただけさ」 「普段ならそこに突っ込みを入れるところだが、ある程度安くであっても、買ってもらわないと困るのも事実だったしな……」 「だろ? それに向こうは手数料の名目である程度返って来る。上から何か言われてでもない限り、損なんて全くないだろうさ」 「なるほどな」 完全に納得してもダメな気もするが、合計三時間待たされたのも事実である。ディアンシーたちは今頃心配しているだろう。持ち逃げされたと思われていてもおかしくない。急いで戻って、ディアンシーたちを安心させてやらなければ。そう思って、この話題をここまでにして俺たちは最初の公園へ急ぐ。 ……が。 「少々お待ちください」 「はい?」 いきなり後ろから声をかけられ、俺たちは揃って振り向いた。すると、そこにはベージュの上着に赤いブローチをつけ、黒地に金糸をアクセントに添えた高そうなズボンを身に付けた、一人の男が立っていた。見知らぬ男は俺たちに用があるらしく、つかつかと歩み寄ってくる。 「そこの少年たち。そのわざマシンは、ジャイロボールですか?」 「え? ええ、ジャイロボールです。それが、どうかしましたか?」 「いえいえ。そんなに大量に何に使うのかと思いましてねえ。申し訳ありませんが、買占めはよくありませんよ」 「まあ、確かに結構買いましたが……こちらとしても必要でしたし、まだお店にもある程度残っているはずです。転売屋みたいな買占めはさすがにしていませんよ」 手を振るジェットに、俺も大きく頷いた。 確かにジャイロボールのわざマシンは結構な個数必要だったし、あればあるだけよいのだが、買占めや転売が問題になっていることもあり、俺らもすべてを買うのは避けた。詳しくは数えていないものの、三~四個は残っていたはずだ。 それを伝えるが、男は納得いかないらしい。大きく横に首を振り、俺たちの方へと続けてくる。 「それでも、非常識な数でしょう。私が返してきてあげますから、大人しくそれを渡してください。なんでしたら、多少定価に色を付けて買い取りましょうか?」 「いやいや、そうは行きませんよ」 定価に色を付けて買うだなんて、逆に転売屋が喜びそうなセリフである。しかし、こっちも遊びで買ったわけではないし、仮に店に返すとしても、この男がやるべきことではない。そもそもこの男が俺らに絡んでくる必要自体が全くないし、何が目的かは知らないが、行き過ぎた正義感は嫌われる。どう捌こうかと考えた時、男は思わぬ言葉を口にした。 「店に返すから渡しなさいと言っているのです。こちらの言うことが聞けないなら、痛い目に遭ってもらいますよ」 「…………へぇ」 ボールを取り出した男の言葉に、一瞬言葉を失ったが。 逆に俺には、めちゃくちゃ面白い申し出だった。 ジェットが「あちゃー」という顔をするが、次の瞬間俺を見ながらニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。この後の展開が分かったのだろう。そして俺も、考えていることは一緒だった。 「なら、遭わせてもらいましょうか」 ポケモンが一番鍛えられるのは、それなりの実力者と戦う時だ。格下の相手では得られるものが少ないが、同レベルの相手だったら十分な修行になるし、格上であれば得られるものは何倍にもなる。だからこそ俺は、先ほども野良バトルをしていたのだ。 ということで、強くなりたい俺は相手の脅迫を思いっきり買いに行く。相手の男はふっと笑うと、モンスターボールのスイッチを入れた。 「大人に対して、怖いもの知らずですか。いいですねえ、若いって」 「若さとはすなわちバカさであるとは、誰かが言ったことですけどね」 「自分で言いますか。……行け、コドラ」 放られたボールから、出てきたのはコドラ。てつヨロイポケモンという区分に属し、石や水に含まれている鉄分を食べるポケモンだ。鉄鉱石の埋もれた山に巣を作るが、鉄を取りに来る人間と争いになることもあるという。この辺りは理科の講師としてポケモンの生物学も取り扱うジェットの方が詳しいだろうが…… 「行ってこい、ジェフリー!」 俺はもちろん、出てきた相手と戦うだけだ。ボールから飛び出してきたジェフリーが戦闘態勢を取ると同時、男はコドラに指示を出した。 「コドラ、とっしんだ!」 「マッドショット!」 一直線に突っ込んでくるコドラ相手に、こちらはマッドショットをかます。はがねタイプといわタイプを併せ持つコドラに、じめんタイプの技は相当強烈に響くはずだが、コドラはマッドショットの中を勇敢にも突っ込んでくる。 「ジェフリー、避けろ!」 「逃がすな! そのままぶつかりなさい!」 勢いを殺し切れないと判断した俺は、ジェフリーに避ける指示を出す。対するコドラは、左斜め上に跳ぶようにジェフリーに追いすがると、鋼の体でタックルをかました。ジェフリーは吹っ飛ばされはするものの、マッドショットでの勢いの減退に加えて自ら跳んでいたこともあり、大半の衝撃を逃がすことに成功した。あんなもん大したダメージじゃない。 「メタルクロー!」 「れいとうパンチで迎え撃て!」 コドラの左腕が硬さを増し、ジェフリーめがけて振り下ろされる。鈍い音がしてメタルクローとれいとうパンチがぶつかり合い、互角に押し合う二匹だったが、反対側の右腕が横殴りにジェフリーに襲い掛かった。回避も防御もできず、まともに食らったジェフリーは、地面をゴロゴロと転がった。その横で、相手の続く指示が飛ぶ。 「がんせきふうじ!」 「まもる!」 背中から飛び出した大粒の岩石が、放物線を描いて襲い掛かる。いったんその攻撃から身を守ったジェフリーは、素早く体勢を立て直した。 「とっしん!」 「手近な地面にマッドショット!」 ドドドドドッと音がして、地面にマッドショットが突き刺さる。ジェフリーの目の前が泥だらけになり、コドラは足を取られて勢いが緩んだ。 「受け止めろ、ジェフリー!」 俺の指示に、ジェフリーは全身の力を込めてコドラの突進を受け止める。コンクリートすら破壊すると言われるコドラの突進だが、最初のマッドショットの直撃を受けてスピードが落ち、それに加えて二度目のマッドショットで地面を泥まみれにされたことで踏ん張りが効かない。それだけ勢いが殺されていれば、ジェフリーで十分受け止められる。 「クロオォォーッ……!」 「……よし!」 だいぶ引きずられることになったが、ジェフリーは完全にコドラの突進を受け止め切った。相手とこちらがゼロ距離にいる今、反撃にはまたとない大チャンス――! 「ハイドロポンプ!!」 「マー、クロォーッ!!」 これだけ密着していれば、大技だって十分入る。ジェフリー最強の攻撃手段・ハイドロポンプがコドラの顔面に突き刺さり、百キロはある鋼の体が吹き飛ばされる。建物の壁にハイドロポンプごと叩きつけられたコドラは、力なく地面に倒れ伏した。 「コドラ!」 「いいぞジェフリー!」 倒れたコドラをボールに戻す姿を見て、ジェフリーは高らかに一鳴きする。男は続くモンスターボールを投擲すると、中からドリュウズが飛び出してきた。 「コドラを倒しましたか……ただの若造と思って、油断しましたね」 「今度はドリュウズですか……じめんタイプ相手にはがねタイプを続けて出すとは、油断が取れていないんじゃないですか?」 「今のうちに咆えていなさい。こいつは強いですよ」 その言葉がブラフなのかどうかは、俺にはまだ分からない。実際にこいつの手持ちにはがねタイプ以外がいないのかもしれないが、すでに自分のポケモンを一匹倒したヌマクローを相手に、わざわざ相性不利なドリュウズで挑んでくるくらいだ。たしかに、何かを持っているのかもしれない。 「ジェフリー、まだ行けるか?」 「マクロ」 「よし――行くぜジェフリー、マッドショット!」 「跳び上がってアイアンヘッド!」 ならば、こちらも容赦なく叩き潰すのみ! 先手を打って叩きつけられるマッドショットを、ドリュウズはこちら側に跳躍しながら回避する。その勢いを利用しながら、ドリュウズはアイアンヘッドで突っ込んできた。まともに食らったジェフリーだったが、生憎とまだ戦える。 「ドリルライナー!」 「まもる!」 両腕を突き出し、ドリルのように体を回転させながら襲い掛かるドリュウズ。それに対し、こちらはまもるで攻撃を完全に受け止める。緑色の壁が攻撃を拒み、ジェフリーが両腕を解くと同時に軽い衝撃がドリュウズを小さく仰け反らせた。 「よっしゃあ、こいつにもぶちかましてやれ! ジェフリー、ハイドロポンプ!!」 「マー、クロォーッ!!」 大量の水が一気に噴き出され、ドリュウズも見事に吹っ飛んでいく。が、さすがに奴が「強い」といっただけはある。ドリュウズはジェフリーの攻撃を歯を食いしばって耐えしのぎ、その間に男の指示が飛んだ。 「あなをほる!」 「リュウウッ!!」 と、ドリュウズは穴を掘って地面に潜ると、そのままジェフリーの足元まで移動する。来るか――タイミングを合わせ、俺は再びまもるの指示を出す。 ……が。 「まだ出るな、ドリュウズ!」 「――――っ!?」 くそっ、タイミングを読み違えたか! まもるを解除した隙を突き、ドリュウズが強烈な突き上げを放つ。なんとか耐えられないか――ジェフリーを見守る俺だったが、コドラとの戦いと先ほどのアイアンヘッドで手負いになっていたジェフリーに、あの一撃はきつかった。地面に叩きつけられると、げきりゅうを発動することもなく戦闘不能に落ちてしまう。 「サンキュー、ジェフリー」 ゆっくり休んでいてくれ。勇敢に戦ってくれたヌマクローをねぎらうと、俺は足元で戦いを見ていた相棒のグレイシアに指示を出す。 「行ってくれるか、クレア」 「っぱあ!」 残りの俺のポケモンは、あまりドリュウズに相性はよくない。できればジェフリーで倒し切りたかったが、無理だったか。だが、あいつにとってドリュウズが強いと言い切るように、俺にとってクレアは最も信頼しているポケモンだ。強さだけで言えばほぼ互角な手持ちが一匹いるが、そいつは俺の仲間になってくれてから日が浅い。対するクレアは、何度も死線を潜り抜けてきた、かけがえのない相棒なのだ。 「ドリルライナー!」 クレアが飛び出していくと同時、男はドリュウズに指示を出した。こおりタイプのクレアに対して有利な技はアイアンヘッドなのであろうが、いきなりその技を使うことはしないらしい。突っ込んでくるドリュウズを、俺はギリギリまで引きつける。 「今だ、躱してれいとうビーム!」 「っ、ぱぁーーーーーっ!」 「ドリュウズ、よけ――」 ろ、という前に、クレアの反撃が突き刺さった。ギリギリのところで横跳びに攻撃を躱したクレアは、横をすり抜けていくドリュウズの背後かられいとうビームを突き刺したのだ。まともに食らったドリュウズが、自身の勢いに背中から打ち付けられるれいとうビームの勢いも付加して吹っ飛んでいき、頭から壁に打ち付けられる。そのまま墜落したドリュウズは…… 「バカな……たかが、その辺の若造一人くらいに……」 戦闘不能で、目を回していた。男はボールにドリュウズを戻すと、怒りを抑えた吐息を漏らす。どうやら、ポケモンはもういないらしい。 「で……まだやりますか?」 「……いえ、もう十分です」 戦う力は、もうないか。男はそのまま、踵を返す。しかし、数歩を行ったところで、男は凍るような眼差しを向けた。 「ですが、覚えておきなさい。貴方たちの選択によっては、私は貴方たちを殺して差し上げなくてはなりません」 「…………は?」 「私も将来有望な若者の命を奪いたくはないのでね。どうか、賢明な判断をお待ちしていますよ」 訳の分からないことを言い残し、男はその場を後にした。 「遅くなり申し訳ありません」 「まったくだ。姫様をお待たせしている自覚はあるのか」 「ナイト」 「姫様、しかし……」 「ナイト」 「し、失礼いたしました」 途中謎の妨害を食らって遅くなってしまった俺らに、ナイトと呼ばれたメレシーが苦言を呈した。だが、宝石の姫はそれを黙らせ、俺らに問いを投げてくる。 「それで、ジャイロボールのわざマシンというのは、手に入ったのですか?」 「ええ、買えるだけ買ってきました。三十個くらいあると思います」 「なるほど。では、そちらを受け取りましょう」 袋に入れたわざマシンを引き渡すと、ディアンシーからは「見ただけでは分かりませんね」とのお言葉が。いや、まあ、おっしゃる通り。そこへ、ナイトと呼ばれたものとは別のメレシーが、宝石の姫へと話しかけた。 「姫様、その道具、どうやって使うんでしょうかね?」 「人間の道具ですからね。人間に使い方を聞くのが早いでしょう」 「そうですね。というわけでそこの人間、使い方をテキパキ教えるのです」 「エラそうだな、あんたら……」 一番立場が高いはずのディアンシーの方が、謙遜ってものを知ってるんじゃないのか。とはいえ、王族というのは身分や威厳を保つためにある程度尊大な態度を取ることが求められることもあるというし、その点この謙遜するディアンシーなら、周りが厳しくしていることでバランスが取れているのかもしれない。 まあ、こちらとしても、無駄に揉める必要性は見出さない。いや、まあ、宝石の姫君と戦ってみたい気がしないでもないが、さっきの戦いで俺らのポケモンも傷ついているしな。ジェットがわざマシンの使い方を教え、それに対してふむふむと真剣に聞いているメレシー&ディアンシー。試しに一匹のメレシーが技を覚えてみることにしたようだ。技マシンを使って数十秒、メレシーは「ふんっ!」という声と共に勢いよく回転。白とも銀ともつかない渦と共に、メレシーは遠くへ飛んでいく。帰ってきたメレシーの表情からすると、どうやらうまくいったようだ。 「姫様。これがどうやら、ジャイロボールという技のようですぞ。たしかに、この技を私どもの同胞が食らえば、大きなダメージを与えることができるでしょうな」 「そうですね。横から見ても、なかなかの迫力のように見えます。ルイーツァ、技の実演、ご苦労様。貴方たちも、ジャイロボールのわざマシンのご用意、お疲れ様でした」 「ありがとうございます」 「それにしても、ナイトの言う通り、ずいぶん遅かったですね。何かあったのですか?」 「えっとですね……」 このお姫様、結構デキるな。はやる部下を抑えたうえで最初に目的をキッチリと果たし、その後で部下の疑問もしっかり汲み取って対応する。そんな姿に好感を持ちながら、何があったかを正直に報告。ダイヤを売るまでに時間がかかったことを伝えると、メレシーの一匹が驚いたような声を出した。 「姫様のダイヤモンドを鑑定して値段を協議するなんて、失礼ですねえ。姫様が直々にお作りになったダイヤなんて滅多に人間界に出ないのだから、さっさと大金を出せばいいのに」 「何を言う、ヒネーテ。滅多に出なさすぎるから、価値がつけられなかったのであろう」 事実を話しているのかヨイショしているのかは分からないが、そりゃディアンシーお手製の宝石なんて滅多に手に入らないだろう。そもそもディアンシー自体が幻のポケモンと言われているほどなのだ。仮にディアンシーが作ったダイヤモンドを手に入れたところで、どうやって作られたかなんて分からないんじゃないのか。 「ああ、あと、よく分からない男に、ジャイロボールのわざマシンを返せと詰め寄られましたね。ダイヤを売るまでにかかった時間よりは遥かに少なかったんですが、それも少し時間をロスした原因です」 「……わざマシンを返せと?」 「まあ、ある程度残してきたとはいえ、結構な量を買い占めてしまったんで、筋違いの正義感的なアレかもしれませんけどね。ただ、選択を間違えたら殺すとかなんとか言ってましたが……物騒なことになったもんです」 付け加えるように言った言葉に、ディアンシーの顔に影がよぎる。ひらひらと手を振る俺だったが、彼女たちの顔は暗いままだ。え、俺何かやばいこと言った? ジェットが「あちゃー」という顔をしているのに戦慄し、なんとフォローしようか迷った俺だったが、ディアンシーたちは言葉を続けてきた。 「なるほど……やはり、あの国は動いてきたのですね」 「え?」 「わたくしたちの願いを聞き入れたせいで、巻き込まれてしまったようなものです。あなたたちには、このわざマシンをたくさん求めた理由も含め、話しておくのが筋でしょう」 「え、一体何がですか?」 ――そこで、俺とジェットが知ったのは。 俺ら地上の人間が知る由もなかった、地下の国々の話だった。 **【Ⅲ】 [#QpRqu8H] 「改めて名乗っておきましょう。わたくしはディアンシー。ディアマ王国の姫です」 「あ、ご丁寧にどうも。私は、セツと申します」 「ジェットです」 先ほどは驚きのあまり名乗り損ねてしまったが、本来名乗られたのなら名乗り返すのが筋である。いや「ディアンシー」というのが個人名なのか種族名なのかは謎であるが。種族的にはメレシーと同じなんだっけ? 全くどうでもいいところに思考が逸れてしまったが、俺の脱線などつゆ知らず、宝石の姫は話を続ける。 「この地底の奥深くには、わたくしたち……人間が『メレシー』と呼ぶ者たちが暮らす、宝石の国があるのです。一番大きなところとしてはダイヤモンド鉱国ですが、そのほかにもわたくしたちのディアマ王国やヒーラー皇国、アダマス公国などがあります」 「そうなんですか……」 ということは、国の数だけディアンシーがいるのか? いや、共和国的なアレだったら、全員メレシーなのかもしれん。 「その中で現在、わたくしたちディアマ王国と、アダマス公国の間で、領土問題が発生しておりまして……近い将来、戦争が起こりそうなのです。いえ、確実に起こるでしょう」 「……戦争、ですか」 デパートでダイヤモンドの査定を待っている間に調べたが、ディアンシーの神話は数あれど、その発祥はカロス地方だ。そのカロス地方でも、数百年の昔に大きな戦争が起こったという。そして、世界各地を見てみても、ポケモンの力を用いた戦争はあちこちで起こっている。主に人間がポケモンを使っての戦いだったが、言葉を持ち、王国を作るほどの文明を持つポケモン同士の集団であれば、同じように戦争が起こったとしてもおかしくはない。 「領土問題として揉めているエリアには、メレシーたちが生まれ、また、力の源となる一帯があるのです。ディアマ王国の姫として、メレシーたちの癒しの場を失うわけには行きません」 「なるほど」 「ですが、それは同時に、相手にとっても魅力的な地。アダマス公国の姫は禁忌を破り、その地を手に入れるために、人間に助力を頼みました。おそらく、ジャイロボールのわざマシンを奪いに来たのも、軍事力の増強と、わたくしたちが同じく人の力を借りた時に力をつけられるのを防ぐためでしょう」 「…………」 「選択を間違えたらというのは、おそらく……」 「……私たちがディアマ王国と接触を持ち、味方となったら、ということですか」 「ええ」 こくりと頷いたディアンシーは、残念ですがと首を振った。 「見も知らぬ人間たちを、命の危機にさらすわけにはいきません。我欲にとらわれず、力を貸してくれようとしたあなたたちは、特に。このわざマシンは持って帰るか、お店に返品してきてください。命を狙われることだけは、なくなるでしょう」 「そうですか……」 袋を返してきた宝石の姫に―― 「それなら、大丈夫ですよ」 ――俺は、首を横に振った。 呆気にとられた顔をするディアンシーに、俺は真剣な表情を作って続けていく。 「俺は、訳あって強くならなければなりません。戦争というものがそういった場でないことは承知の上ですが、俺も連れて行ってください」 「なっ……!?」 その言葉に、ディアンシーはさすがに呆気にとられたようだった。隣のジェットも、お前は何を言っているんだと問い詰めてくる。 「戦争ってことは、死者だって出るんだぞ! お前だって死ぬかも知れないだろうが!!」 「いまさらじゃねえか、ジェット。俺がこの前殺されかけたの、お前なら知ってるだろ」 ジェットらしくなく焦った顔をしているが、随分心配されているもんだ。 「それに、あのよく分からん男に絡まれて撃退したのも俺なんだし、話通りなら手を引いたって俺はただじゃすまねえよ」 つーか、どっちにしろわざマシン使っちゃって、力貸した後じゃねえか。そう言うと、ジェットは「はぁ~……」とでっかいため息をつく。 「それ言われたら、撃退した時にお前と一緒に行動していた俺だって睨まれるじゃないか」 「それに関しては完っ全に申し訳ねえ」 ワンチャン、たまたま一緒にいただけだといえば見逃してもらえないだろうか。そんなことを思った俺だったが、ジェットはもう一度ため息をつく。 「まったく、仕方がねえな。同僚が危険な目に遭うのを、黙って見てることなんてできねえよ」 「え?」 「俺も行ってやる。最近ピンポイントにアイアンヘッド覚えたんだ、ちょうどいいだろ」 「……マジで?」 アイアンヘッドということは、相棒のエースバーンが覚えたのだろう。こいつの手持ちポケモンはエースバーン一匹のみだが、俺のグレイシアに負けず劣らずの強さがある。さすがに相性的に不利すぎて正面からやりあうのはキツいのだが、いつかは俺のグレイシアでこいつのエースバーンを倒してみたいと思ったりもする。 「お前が殺されかけた原因の一つは、俺が弱かったこともある。だから、俺も行ってやる」 「ジェット……」 「一応これでも、思うところはあるんだよ。……だから、皆さん」 そこまで言って、ジェットはディアンシーと、お付きのメレシーたちを振り返る。 「俺とセツを、連れて行ってください。俺のエースバーンはアイアンヘッドを覚えたので役に立てるはずですし、先ほどご覧になった通り、こいつは強い」 「で、ですが……」 「姫様。力を借りてもよいのではないでしょうか」 「ルイーツァ?」 迷いを見せる姫君へ、一匹のメレシーが進言した。なんとなく、このルイーツァというメレシーが一番格が高いように見える。 「今はアダマス公国との戦争で、軍事力の増強が急務。兵の数は大いに越したことはありませんし、強い者ならなおさらです」 「私も同意見です。この人間は自分で力を貸すと言っているので、遠慮なくコキ使って構わないかと」 「ヒネーテ、さすがに言い方を考えなさい」 「失礼いたしました」 ヒネーテと呼ばれたメレシーはそこそこ砕けた口調で話すが、ディアンシーがそれを嫌っているそぶりは見せない。君臣を越えた絆というものがあるのだろうか。そして、最後に残ったナイトというメレシーも、俺らを連れて行ってくれることに賛成だった。 「先に人間の力を借りたのは、アダマス公国の姫でしょう。であれば、我々も綺麗事など言ってはおられません。それに、姫様ご自身が、この者は信用できると判断を下されたばかりではありませんか」 「そうですね……」 部下の三匹から説得され、姫君は。 「分かりました。セツ、ジェット、あなたたち二人を、戦争が終わるまで、ディアマ王国の兵士として採用いたします」 「はっ。ありがとうございます」 「誠心誠意、尽くさせていただきます」 自分よりはるかに小さな姫君に、俺は膝をついて頭を下げた。 「うわ、ほんとにメレシーだらけ」 ディアンシーたちに連れられて、俺らは彼女たちの国、ディアマ王国を訪れていた。 想像していたよりもはるかに広く、地下にぽっかりと空いた空洞のような場所。いや、空洞というには大きすぎ、本当に地下世界としか言いようのない広さであった。地面からはダイヤモンドを思わせる宝石の柱が何本も伸びて地面と天井? を支えていて、水もあちこちから湧き出ている。 「ジェット、ここ、地震でも来たら崩落するんじゃねえのか」 「だったらとっくに崩壊しているだろう。……まるで、神話にある地下世界そのものだ」 何らかの力が働いているのか、それとも大自然の奇跡なのか。ふよふよと浮いているメレシーたちは、ディアンシーの姿を見ると頭を下げたり、その後ろにいる俺ら人間を興味深そうに見ていたりする。というか、メレシーは洞窟を掘るとたまに出てくるし、そもそも掘らなくても洞窟の中で遭遇することもあるという。珍しいポケモンでもなんでもないので、メレシー側も人間は見慣れていると思うのだが……この辺のメレシーは違うのだろうか? クレアもきょろきょろと周囲を見渡しながら歩いており、おのぼりさん状態丸出しである。とはいえ、今の俺にクレアをどうこう言える資格はない。俺も同じようなもんだからだ。 奥へ進むと、宝石で作られた王宮のようなものが見えてくる。すっげえ。すっげえ。ぴっかぴか。幼稚園児みたいな感想が出てくるが、そりゃ宝石の国の姫君とくれば、やっぱりこんな城に住んでいるのか。王宮の入り口を警備している二匹のメレシーに「ご苦労様です。客人を通します」と言葉を伝え、ディアンシーは俺たちを案内する。 城の中もぴっかぴかで、人間の世界でこいつを売ったら何億になるだろうとなんとなく思う。そりゃあ、無限の富を巡って躍起になる人も出るわけだ。ちなみに、王宮は天井が高いようだが、高いと言ってもメレシー・ディアンシーのサイズで作られているもんだから、人間の身長だとギリギリである。油断すると頭をぶつけそうで怖い。 「こちらのお部屋で待っていてください。後ほど、お付きの者に案内させます」 角を二つ曲がった先で、ディアンシーは俺らを促した。どうやら目の前にある区画が、俺らにあてがわれた部分のようだ。正方形に整備された場所で、よく言えば非常に開放的だ。 「では、いったん失礼いたしますね」 お付きのメレシーたちと共に去っていったディアンシーを見送り、俺らは適当な場所に腰を下ろす。うーむ、ダイヤモンドの上に座るなんてこんな経験そうそうないぞ。ちょっと削って持って行って……いやいや絶対駄目だろう! 自分の頭をぶん殴って湧いた雑念を追い払う俺に、ジェットがはははと小さく笑う。 「分かるわ、俺でもちょっと邪な感情湧いたくらいだし」 「まったくだ。まあ、信じてくれたディアンシー相手に、そんなふざけたことはできねえけどな」 「そうだな」 「それにしても、王宮だってのに扉すらないのか? こいつはちょっと開放的過ぎるだろう」 そう、よく言えば非常に開放的なのだが、悪く言えば扉もない。眉を顰める俺だったが、ジェットは逆に当然と言わんばかりの答えだった。 「土と石と水しかないような場所なんだし、蝶番という発想もないんだろう。それに、人間と違って着替えという概念もないから、扉というもの自体が必要なかったのかもしれないな」 「いや、そりゃそうだが、王宮だぞ? 敵や内乱に備えて、頑丈な扉の一つや二つくらい用意しとけよ」 「手も足もないメレシーの体じゃあ、そもそも開け閉めできないんじゃないか?」 さすがジェットというべきか、メレシーの生態・生物学的な構造に基づいての扉不要論は納得のいくものである。とはいえ、こちらも戦争の歴史やらなにやらも教える社会科講師だ、有事の際に備えられるものを用意しないのは納得いかない。 「メレシーの中にはサイコキネシスが使えるやつもいるし、そいつに頼むなり前もって扉にくぼみをつけておいてそこに体ごと押し付けて開け閉めするなり、やりようはいくらでもあるだろう」 「メレシーがサイコキネシスを覚えるのはわざマシンかわざレコードがないと無理だぞ。ここのメレシーたちがそれらを手にできるとは思えない」 「スキルスワップなら修行を積めば自力で覚えるやつも多いし、行けるんじゃないか?」 「確かにあれは超能力の一種だが、ダイヤや石で作られた扉の開け閉めに使えるかどうかなんて分からないだろう」 「いや、ある程度ならできると思うぞ? そうじゃなきゃこんな城作れねえよ」 「どのくらいの期間で作ったかにもよるだろうが……」 やいのやいのとやりあいながら、俺らはあれこれ議論をかわす。正直こうやって文明まで築いて生活しているメレシーたちの考えが分かるわけもないのだが、単にやることがないだけだ。地下深く過ぎて電波なんて届かないから携帯電話も使えないし、こんなところで自分のポケモンを何匹も外に出してしまったら何を疑われるか分かったもんじゃない。結果、ジェットと話す以外にやることがないのである。 「っぱあ」 と、部屋を一周したクレアが帰ってきた。眼をしょぼしょぼさせている。床も柱もピカピカなのだから、目が痛くなったのかもしれない。俺はリュックからブイズ用の目薬を出すと軽くクレアに点してやり、ついでに櫛も取り出した。 「クレア、よかったらブラッシングしようか?」 「レイ、レイ」 嬉しそうに寝そべったクレアに、俺の思わず頬が緩む。額の突起から耳におさげ、背中、足と、念入りにブラシをかけてやる。ただし、おさげの先端は手を触れない。そこに触れられるのは、嫌がるからだ。一声かけて尻尾にもブラッシングする俺と、床に伸びているクレアを見て、ジェットは「へえ」と感心したような声を上げる。 「尻尾って敏感だから、嫌がるグレイシアも多いのに、お前のは普通なんだな」 「進化して二ヶ月ぐらいは触れられるのも嫌がってたよ。まあ、自分からは普通に触れてきたけど」 「お前から触れようとすると嫌がる感じ?」 「最初の方はな。でもまあ、少ししたら、俺から一声かけたら触らせてくれるようになったよ。尻尾握って歩いたこともある」 「なんで握るんだよ……」 とはいえ、くすぐったいみたいだから、あまり俺も手は振れないが。すべての体を梳き終わると、俺はぴっぴっと櫛を振るって毛を落とす。と、そのタイミングで、お付きのメレシーが帰ってきた。 「セツ、ジェット。姫様がお前たちにお会いになる。来るがいい」 「ルイーツァさん、わざわざありがとうございます」 「うむ」 あまりメレシー同士の違いは分からないが、なんとなく彼ら三人は分かるようになってきた。 「こっちだ」 ルイーツァに案内され、俺たちは宮殿の奥へと向かう。と、奥には大きな扉があった。ルイーツァは左右を護衛するように立っているメレシーに目線を向けると、二匹のメレシーは頷いて扉の方へと向き直る。すると、メレシーの体が赤く輝き、唸り声のような音と共に扉が開く。どうやら、ジェットとやり取りしていた扉を開けられる開けられない云々は、俺が正しかったらしい。 扉の奥には見上げるほどのダイヤモンドと、その前に立つディアンシーの姿。俺にはよく分からんが、あのダイヤはシンボル的なものなのだろうか? どこか神々しささえ覚えるが、そんな感想はルイーツァの言葉で吹き飛んだ。 「これより、姫様がお話しになる! 皆の者、頭を垂れぇい!」 「はっ」 張りのある声に、部屋の左右に控えていたメレシーたちが頭を下げる。体の構造上、頭を下げるというよりは前傾姿勢を取るに近いか。メレシー流のやり方なんぞ人間の俺らにはできないので、俺とジェットも思い思いの耐性で頭を下げる。俺は片膝と片手をついた下げ方で、ジェットは胸に手を当てて。 「頭を上げぇい!」 その声と共に、メレシーが一斉に頭を上げ、俺とジェットも頭を上げる。一段高いところに座す宝石の姫は、ぐるりと俺たちを見渡すと、先ほどまで話していた声とは打って変わって、凛とした張りのある声を出す。 「皆さん。我がディアマ王国は今、アマダス公国より戦いを挑まれました。知っての通りアマダス公国は、人と関わらぬ禁忌を破り、外部の人間二名に協力を要請したとの情報が入っております。これに対抗するため、わたくしどもディアマ王国は周囲の国に了承を取り、宝石の国の情報を秘匿してくれ、かつ腕に優れた二名の人間に協力を要請することとなりました」 えっ、メレシーたちの世界にも国際社会的なのがあるの? 思わず現実的な突っ込みを入れそうになった俺だったが、そんなことなどつゆ知らず、宝石の姫は続けていく。 「わたくしたちが選んだ二名は、こちらのセツ、そしてジェット。いわゆるポケモントレーナーとしても優秀で、セツは現状、グレイシアとヌマクローを。ジェットはエースバーンを連れています。セツの戦いの腕はわたくし自身が確認しましたし、ジェットのエースバーンはアイアンヘッドも使えるようです。大いにわたくしたちの力となってくれるでしょう」 なぜヌマクローの存在まで知っているんだと一瞬思ったが、そういえばディアンシーたちは、俺のバトルを見ていたと言っていた。ということは、対戦相手のギルガルドをジェフリーで倒したのを見ていたのだろう。 「これより行います軍議は、二名の協力者、セツ・ジェットを加えて行ってまいります。よろしいですね?」 「はっ」 ディアンシーの言葉に、部屋にいた十匹ほどのメレシーは、再度頭を下げることとなった。 数時間後、軍議室。 「それでは、彼らの実力も分かったところで、軍議を始めたいと思います」 ディアンシーの声で始まった軍議は、状況の確認から始まった。 「改めて、相手はアダマス公国。ここより南の方にある国で、国力としてはほぼ互角です。両国の間には61番小広間~66番小広間と、セクレト大広間・オンデル大広間・プレイス大広間の三つの大広間があり、セクレト大広間とオンデル大広間の境目に両国の国境が引かれています」 この説明は二度目だが、地図情報はいくら聞いておいても損はない。古の時代から、戦は敵と味方の境目はどこか、周囲の地形はどうか、兵力はどうか、それらを両方とも見た時に、敵が取りうる作戦は何か。対するこちらは、どんな手段を取ればいいのか。それらが見える要素は多いが、そのうちの一つが地形なのだ。 「アダマス公国の要求は、国境線があまりにもアダマス公国寄りになっているから、セクレト大広間とヒロンツ宝道、66番小広間を割譲せよということだけれど……実際に使い勝手のいい大広間を二つ所有している以上、国の本土から国境線までの距離はどちらも同じ。相手の要望がヒロンツ宝道であることは分かり切っているわ」 「聖なるダイヤほどではないにせよ、我らにとって力の源となりますからな」 分かり切っていることをあれこれ話してくれるのは、万が一分かっていなかった者がいた時のためと、そもそも外部からの援軍である俺らがよく分かっていないからだろう。聖なるダイヤって何なんだと疑問に思うが、聞く限りメレシーたちにとって大事なものなのだろう。口は出さずに成り行きを見守る。 「国力がほぼ互角である以上、兵力も同様に互角に近いと思います。しかし、だからこそ勝敗は分かりません。勝てても甚大な被害が出ては意味がありませんし、万が一負けてはどうしようもありません。相手も人の力を借りた以上、どんな手段で攻めてくるかも分かりませんしね」 「…………」 「以上のことを踏まえたうえで、皆さんの意見を聞かせてください。活発な議論を許します」 その言葉と同時、メレシーたちが侃々諤々の議論を交わす。この軍議が一回目なのか二回目以降なのかは分からないが、ディアンシーの指示通り、かなり活発な議論が飛んだ。 「私は人間たちの力を得た今こそが、戦いの好機と考える! いっそのこと逆侵攻作戦を展開し、オンデル大広間ごと手に入れてしまってはいかがだろうか!」 「何を言う! 人間たちの力を得たのは相手も同じ条件だろう! もしも相手の人間の方が強ければ、逆侵攻作戦どころかセクレト大広間の防衛すら危ういわ!」 「馬鹿な! お前は我らが姫様の見立てた人間が、禁忌を破ったかの国の王の見立てより劣っているというつもりか!」 「そんなわけがあるまい! それはまさに、下種の勘繰りというものだ!!」 「それでは先に人間たちを突撃させるのはいかがか? 盤面を荒らすだけ荒らしてもらい、死ぬまで戦ってもらえればそれなりの働きができるだろう。我らの情報が洩れる心配もなし、この策をいかが思われる?」 「それでこそ相手の思うつぼだ。臣が思うに、人の力というのはどちらの国にとっても一種の切り札足りえるはず。それであれば、前線に入れずに後ろの方に控えさせておくのではあるまいか? その状態でこちらが人間を先に出せば、あえなく潰されて終わるであろう」 今どさくさに紛れて、俺らを切り込み隊長にして死ぬまで使い潰す案が出なかったか? 向こうも国を守るために必死とはいえ、目の前で自分を使い捨てにする案を出されるとさすがに思うところがある。クレアも「グレイィ」と唸っているが、分はわきまえているらしい。横目で軽くディアンシーを見ると、いつになく真剣な目で会議の成り行きを見守っている。最初は俺らを逃がそうとしてくれていたけれど、それでも戦いに加わるとなったら容赦なく使うのを辞さないみたいだ。だが、それでいい。支配者というのはそうでなければならないだろう。 数十分後、国難を救うべく交わされた議論がひと段落し、ディアンシーはそれではと発言した。 「セツ、ジェット。貴方たちはどう考えますか」 「そうですね……」 ディアンシーから話を振られ、俺は先ほどのメレシーたちの提案を考える。当たり前だが、どの意見も決して間違ってはいない。俺とジェットを最前線にぶち込む意見と後方に控えさせておく意見など、意見同士が対立することはもちろんあったが、どれも「人間」である俺らを仲間に加えたことをターニングポイントとして考えているのだ。 で、あれば。 「私の意見ですが、パートナーのポケモンベースで考えるなら、私はグレイシア・ヌマクロー・ミミッキュの三匹、ジェットはエースバーン一匹です。戦争の相手もメレシーたちの国である以上、相手の軍勢もこちらと同じく、大部分をメレシーの兵で構成されているはずです。そこにアイアンヘッドで強烈な一撃を放てるジェットとエースバーンは切り札として後ろに控え、逆に私は最前線に立って戦いを挑むのはいかがでしょうか」 「わざわざ戦力を分散させるというのですか?」 「そういう考え方もありますが、同時に出し惜しみをするわけでもなく序盤で使い捨てるわけにもいかない折衷案とも考えられます。相手の人間が攻めてくれば迎撃し、そうでなければポケモンを一匹出して迎え撃ちます。ただし、使うポケモンはあくまで一匹。無理はしないで退却します」 「一匹では、人間が出ている強みがないのではあるまいか?」 「だからこそ、別の方向性から攻めるんです。人間がいるというのは、同時に人間の知恵を使用できるというわけです。相手の苦手な鋼タイプで攻撃できるというだけではないんですよ」 少々、机を借りてもいいですか。俺は姫君に許可を取ると、紙に地図を描き始めた。そんな俺の前で、ジェットが話しかけてくる。 「お、歴史にも詳しい社会科講師サマの出番かな?」 「からかうなよ。そんな暇あったらそっちも策を考えてくれ。姫様、続けてもよろしいですか」 「ええ。貴方の策を述べることを許します」 やや上から目線な気もするが、実際上だからいいだろう。許可をもらい、発言権が俺にある以上、腰を折られることもないだろうしな。 「では、私の作戦をお伝えいたします。戦場は国境からややこちら側に引き込んだセクレト大広間。相手の領土であるオンデル大広間からこのセクレト大広間まで来るには、多少の長さがある隘路を抜けなくてはなりません。そこで、大広間の出口にステルスロックを配備。その上でステルスロックに打撃を受けた敵部隊に、パワージェムの一斉射撃を叩き込んで都度撃破していく作戦を具申いたします」 「なるほど。興味深い作戦ですが、それでは最初の一波を仕留めただけで終わってしまうのではないですか?」 「だから工夫をするんです。よろしいですか。陣形としては――」 **【Ⅳ】 [#tSaTifJ] 「……来たな」 クレアの耳がぴくりと動いたのと、俺が顔を上げたのはほぼ同時だった。現代人は本能の死滅した生き物だともいわれるが、あながちそうでもないらしい。 結局あの後、軍議では俺の案が採用され、各部隊への伝達と準備が急ピッチで進められた。すぐにでも戦いは始まるかと思ったが、こちらも向こうも相手の出方を伺っての睨み合いが一日続き、相手の方が焦れた感じだ。そりゃそうだろう、俺の知る限り、この戦争は向こうが侵略を仕掛けてきている。睨み合いのまま戦いが始まらなければ、俺らは体力的な損だけで済むが、向こうはそうはいかないのだ。 もっとも、睨み合いのうちにステルスロックをはじめとした準備は揃っている。後方から補給部隊が来てくれ、オレンの実一つとヒメリの実一つを支給された。体力を回復できるオレンの実はともかく、ポケモンが覚える技は四つなので、ヒメリの実は明らかに一つでは足りないが、ないよりはマシだ。 広間の奥から、ざわめきが聞こえる。明らかに緊張感を増した空気に、ディアマ王国のメレシーたちも一斉に国境の通路を睨みつける。ヌマクローのジェフリーと、ミミッキュのセイルも戦闘態勢に入り、その緊張が続くこと二分。 「かかれえぇ!!」 こっちにも聞こえるほどのデカイ声と共に、洞窟の奥からたくさんのメレシーが現れる。が、次の瞬間 「があぁぁっ!!」 飛び出してきた瞬間、ステルスロックの尖った岩が食い込んで、先発のメレシーたちは悲鳴を上げる。 「今だ、パワージェム、発射ぁ!!」 「はああぁぁぁっ!!」 「ぎょああぁぁぁっ!!」 最前線にいたディアマ王国のメレシーたちが、一塊にやって来たアダマス公国のメレシーたちにパワージェムの一斉射撃を食らわせる。なまじ人間の声を喋るからか、だみ声の悲鳴に思わず耳をふさぎたくなるが、そんなことやってる場合じゃない。 「第一陣、退けぇ!」 俺は技を撃たせ終わったメレシーたちに、その場からどくように指示を出す。技を撃った直後は、どうしても隙ができる。その隙を強引にキャンセルしたメレシーたちは、ほぼ転がるように左右へと捌けた。しかし、元々技の終わりで一瞬止まった体を無理やり動かしたので、再起不可能なほどに体勢が崩れる。この体勢を立て直すまで、約二秒――これが乱戦の状況下なら、十回死んでもおつりがくる。 だが。 「第二陣、前へ! ――撃てぇ!!」 その隙を補うために、俺はメレシーたちを三隊に分け、それぞれに横陣を敷かせていた。第一陣が体勢を立て直す隙を補うように第二陣が技を撃ち、続く第三陣が技を放っている途中に、体勢を立て直した第一陣が再度後ろにつけておく。すると、最後の第三陣が退いた後には最初の一陣が二撃目を放てる。 パワージェムの三段撃ち……かつての戦争で、有名な武将がやっていたとされる戦法を、ディアマ王国軍に合うようにアレンジしたものだった。もっとも、あの戦いは天候・地形その他から、実際に技の三段撃ちを行ったのかどうかは疑問が残るが――今は歴史の真実を追求している場合じゃない。 「いいか、勇猛果敢なディアマ王国のメレシーたちよ! 相手に入口を抜けさせるんじゃないぞ! こちらにはヒメリの実もある、撃って撃って撃ちまくるのだ!!」 「おおぉぉぉっ!!」 咆え声と共に、メレシーたちが間断なくパワージェムの射撃を食らわせる。だが、メレシーという種族はもともと、攻撃力が低くて防御力が高い。あっという間に突破されそうになるが、そのタイミングで攻撃力に優れるクレアのふぶきが隘路の出口にねじりこまれる。クレアの隣にはジェフリーが構え、効果抜群のマッドショットで取りこぼしを防ぐ二段構えだ。 だが、相手もさるものだった。メレシーたちを盾にして、強引に切り破るように黒い影が立て続けに飛び出した。それに追いすがるように姿勢を低くし、転がるように飛び出してきたのは、銀髪の人間の姿。黒い影は、ガラルニャースの進化系・ニャイキングだった。二匹のニャイキングは、鋼の爪を振りかざしてこちらに向かって突進してくる。となると、銀髪の人間はトレーナーか……って、嘘だろっ!? なんと、ニャイキングのトレーナーと思しき男は工具店などで売っているハンマーを振りかざして、思いっきり突っ込んできたのだ。あまりにも予想外の行動に、俺の動きは一瞬止まる。その隙を突いて、ニャイキングはかなりの至近距離まで突っ込んできた。 「ジェフリー、ニャイキングにマッドショット! セイルはシャドークロー!」 俺は大慌てで指示を出し、ジェフリー達の反撃は間一髪で間に合った。ジェフリーのマッドショットは跳躍して避けられるが、セイルのシャドークローが突き刺さった。交差するように、二匹目のニャイキングのメタルクローがセイルに直撃。が、直撃したにしてはあまりに軽い手ごたえに、ニャイキングの動きが一瞬止まった。 「ニャキッ!?」 「キュー……!」 「隙あり! セイル、横のニャイキングにシャドークロー! ジェフリーは跳んだニャイキングに引き続きマッドショットだ!」 「ミミッキューッ!!」 ずしゃあん、という音と共に、シャドークローがニャイキングの体にねじり込まれる。一方のマッドショットも命中するが、それでもニャイキングは強引に体勢を立て直すと、メレシーたちの群れの中に突っ込んだ。 「させるか、クレ――」 「――死ねえぇ、小僧おぉぉっ!!」 「うっ――!?」 「グレイッ!?」 続く指示を出そうとした俺だったが、ニャイキングのトレーナーが距離を詰めるには十分すぎる時間だった。脳天を叩き潰そうと振り上げられたハンマーが、暴風の勢いで振り下ろされる。とっさに身を翻した俺の右肩すれすれを、ハンマーの先端がすり抜ける。後一瞬遅かったら、俺の右肩は粉々に粉砕されていただろうし、さらに遅かったら頭蓋骨を砕かれてあの世行きだっただろう。 「おぉおおおぉおお!!」 「ぶっ――」 次の瞬間、振り下ろされたハンマーを握る右腕が、肘撃ちとなって俺の腹部に叩き込まれる。凄まじい衝撃に思わずうずくまりそうになった俺だったが―― 「ぁああぁああああ!!」 「がっ――」 「グレイ、アーッ!」 ――同時に握り固めた左の拳を、奴の頬骨に思いっきり叩き込んだ。人を全力で殴ったのは、おそらく数年ぶりだろう。続いて俺を援護するように、クレアがシャドーボールをぶちかます。れいとうビームでなかったのは、まだ人間に対して本気で攻撃を仕掛けられないからだろう。トレーナーに向かっての直接攻撃なんて、ポケモンバトルのルールでは禁じられているからだ。シャドーボールの直撃を受けた人間も吹っ飛んで転がったのを横目で見ると、俺はクレアと共に距離を取る。 「痛ってぇな、畜生……!」 堂々とルール違反をやりやがってと思ったが、戦争というこの状況であれば、トレーナーへの攻撃禁止という綺麗事のルールなど吹っ飛ぶのか。一瞬思い浮かんだ感情を、俺は無理やりねじ伏せる。今目の前のこと以外を考えたら、死に直結しかねない。頭を振った俺の前に、アダマス公国軍の鬨の声。どうやら、クレアの援護が抜けた隙を突き、パワージェムの一斉射撃を潜り抜けたらしい。広場の左右に散開し、げんしのちからやパワージェムを撃ち返してくる敵軍に、こちらもすぐに陣形を組みなおして迎撃に当たる。そんなディアマ王国軍の横っ面を殴りつけるようにニャイキングがアイアンヘッドで頭から突っ込み、ジェフリーがそれを追いかける。横ではセイルがもう一匹のニャイキングと剣戟を繰り広げ、クレアは俺を護衛するように前に立ち、敵軍にれいとうビームを叩き込む。俺は壁に背をつけて、クレア・セイル・ジェフリー達に指示を出しながら戦況を見据える。しかし、ジェフリーに指示は聞こえているのか。味方の攻撃を文字通りの援護射撃として突撃してきた敵軍と、こっちの軍勢がぶつかり合う。 「セツ殿! こちらは危険です、お早く!!」 「わかった!」 さながら乱戦となった今、敵を攻撃するすべのない俺はいったん退くべきだろう。クレアを護衛に付けて、俺は素早く退避する。が、次の瞬間、横合いから強烈な衝撃が飛んできて、俺はもんどりうって地面に倒れた。思わず咳き込む俺だったが、左手を地面につけて立ち上がる。骨は――多分、折れてねえ。悔しいが人間は、直接的な戦闘力は高くないのだ。 一旦味方の陰に隠れ、俺はセクレト大広間の後方まで下がる。本陣よりは一歩手前だ。敵味方どちらもメレシーだからか、本陣までやってくる者にはかなり冷たい目線が向けられる。 「くっそぉ……パワージェムか、あいつは」 敵のぶっ放したパワージェムの流れ弾が直撃したのだろう。あるいは直接狙われたのかもしれないが、そのあたりはどうだっていい。ポケモン用のサイコソーダを無理矢理一気飲みし、俺は今度は後方に控える。立て続けに上がる悲鳴に目を向けると、先ほどのニャイキングがメタルクローでメレシーたちを打ち倒していた。ジェフリーの追撃を振り切ったか。すると、指揮官として控えていたメレシーが、俺に指示を下してくる。 「セツ! あのニャイキングを抑えろ!」 「了解! クレア、れいとうビームだ!」 「っ、ぱあぁーっ!!」 殴り込みをかけてきたニャイキングめがけ、クレアのれいとうビームが炸裂する。クレアに指示を出すと同時、周りのメレシーが退いたのは幸いだった。相性で圧倒的に有利なニャイキングに、正面から攻撃はかけられないのだろう。横っ面を張られたニャイキングは、怒りに燃える目でこちらの方を睨みつける。しかし、メレシーの撃滅が最優先とでも言われているのか、俺を無視して別のメレシーに襲い掛かりやがった。アイアンヘッドが直撃し、悲鳴と共に崩れ落ちる味方のメレシー。着地を決めたニャイキングだったが、同時に背中から泥の弾丸が突き刺さった。 「ナイス、ジェフリー!」 「マクロー!」 見事なタイミングで背後からのマッドショットを直撃させたジェフリーに、賞賛を入れつつ俺はわざとニャイキングの前に立ちはだかる。前方を俺とクレアに。後方はジェフリーに。挟み撃ちをされたニャイキングは、いよいよ俺らの相手をすることになったらしい。身構える敵のニャイキングに、俺は息を吸い込んで指示を出した。 「ジェフリー! マッドショット!!」 「クローッ!」 俺の声と共に、ジェフリーはマッドショットで攻撃する。対するニャイキングは、そのマッドショットを横っ跳びに避けると、ジェフリーめがけて突っ込んできた。 「まもる!」 両腕を交差させたジェフリーの前で、黄緑色の壁が展開。壁を解除すると同時、小さな衝撃波がニャイキングの耐性を崩させた。隙だらけの体勢に、俺はジェフリー最大火力のハイドロポンプを叩き込む。壁に叩きつけられたところに、駄目押しとばかりにクレアのシャドーボール。戦闘不能に落ちたニャイキングを見届けると、ジェフリーはくるりと踵を返した。 整然と整えられた陣形は、今や両軍のぶつかり合いに歪み、崩れて混ざっていく。両軍互角であるがゆえに、敵を一匹倒す度に、味方が一匹倒れていく。不毛な総力戦は、鬨の声と砂埃と悲鳴が轟く死の輪舞曲。その最中、俺はあることを思い出してゾッとした。 「しまった、セイル!!」 自分が退却することに意識を持っていかれ、セイルのことを忘れていた。たしか、もう一匹のニャイキングと激闘を繰り広げていたはずだが…… 「ちくしょう、トレーナーがいきなり消えるなんて、なんてことをしちまったんだっ!!」 自分の愚かさに反吐が出る。しかし、こんな状況でそんなことを悠長に言っていられる余裕はない。気づくや否や、俺は自分のポケモン達に告げていく。 「クレア、ジェフリー。こっからセイルを救出に向かう。クレアは左を、ジェフリーは右を固めてくれ」 「っぱあ」 「マクロ」 「よし――行くぞっ!」 クレアたちが頷くのを見て、俺は再び戦場の最前線へと飛び込んでいく。げんしのちからだろうか、すぐ隣を岩がドドドドドッと抜けて行って、ハッキリ言って死ぬほど怖い。だが、爆音渦巻く戦場の中で、どこかの感覚がマヒしたのか、足を止めようとは思わなかった。 「いたぞ、人間だ!」 「ディアマ王国の助っ人など倒してしまえ! 行くぞ!!」 「クレア、ふぶき!!」 目の前に現れたのは、アダマス公国のメレシー三匹。先ほどのニャイキングと、そのトレーナーとの戦いでもなんとなく察したが、この状況では対人間にも容赦なく襲ってきやがる。とはいえ、そういうのは嫌いじゃない。指揮官を潰すのは、戦闘の鉄則だからだ。パワージェムの発動体勢に入るアダマス公国のメレシー兵に、俺は先手を取ってクレアのふぶきをねじり込んだ。悲鳴を上げてなぎ倒される敵兵に、今度はジェフリーのハイドロポンプ。メレシーの一匹を戦闘不能に落とし込むと、立ち上がってきた二匹の兵士にれいとうビームとマッドショット。れいとうビームは見事直撃、マッドショットで狙った一匹は攻撃を躱して反撃に出たが、ジェフリーのまもるで防御した隙に横合いからクレアにれいとうビームを叩き込ませ、返り討ちにして吹き飛ばす。 兵士が地面に墜ちるのを見ると、進行方向にいたメレシーは思い切り踏んづけて先を急ぐ。先ほど奴らと激戦を交えたところに行くと、セイルは――いた。戦場の床に、仰向けになって倒れている。まさか、死んじゃったんじゃ……戦慄しながら、俺は駆け寄ってセイルの体を抱き起こす。 「セイル! セイル!!」 「ミ……ミミッキュ……」 「よかった、無事だったか……!」 ごめんな、ごめんな――何度も謝る俺だったが、セイルは片手を振ってくれる。気にするなということだろうか。ありがたくて涙が出る。 「セイル、すぐにボールに戻すからな。……ところで、お前とやりあっていたニャイキングは?」 「ミ……ミ……」 「……ん?」 セイルが指さした先には、倒れ伏しているニャイキングの姿。まさかお前、勝ったのか? 相性不利な相手に、しかもトレーナー抜きで。セイルの実力にじーんとするが、感動している場合じゃない。 「セイル、本当にありがとう。ゆっくり休んでくれ」 「ミミッキュ……!」 腰のベルトからボールを出すと、俺はセイルをボールに戻す。はっきり言って大金星だ。元々セイルの戦い方が野生時代に確立されていて、ゲット後も俺自身がそのスタイルを変えなかったこともあるだろうが、よくトレーナー抜きで頑張ってくれた。心からの感謝を込めてセイルのボールをベルトに戻すと、俺は倒れているニャイキングを睨みつける。その先には銀髪のトレーナーまで倒れてやがった。人質にできると飛び交う技の中を潜り抜けながら駆け寄ったが……俺の動きは、思わず止まった。 「死んでる……」 何らかの直撃を受けたのだろう、左腕が半ばから吹っ飛んでいた。どくどくと血があふれているが、ぴくりとも動かない。しかも、顔も右上の上の当たりが大きく凹むような歪んだ造形になっていた。ダメージは骨格まで行っているかもしれない。きっと、嫌な当たり方をしたのだろう。 「うおわっ!」 と、俺の目の横をパワージェムの光が掠めていった。やばい、あとちょっとでも顔の位置が違っていたら目が潰されていたところだった。というか俺も死にかねない。こいつが死んでいて俺が生きているのは、実力でも何でもない、ただの運だ。 「クレア、ジェフリー! 本陣まで戻るぞ!!」 「ぱあ、っぱあ!」 「マクロ」 少しクレア達がふらついた。気づかなかったが、きっと俺に向かって飛んできた攻撃を撃ち落としてくれたりもしたのだろう。全力疾走で本陣まで転がり込むと、俺たちはどっと座り込む。改めてクレアとジェフリーを見てみると、やはり何度か攻撃を受けてしまったのか、かなりのダメージを負っていた。 「いったんこりゃ休憩だ。今すぐ治療するからな」 小型のナップザックから、俺はすごいキズぐすりを取り出した。クレア、ジェフリーに使ってやり、続いて水を取り出して一気飲みする。セイルは……少なくとも、当分の間休ませるか、元気のかけらがなきゃ無理だ。とはいえ、一度戦闘不能に落ちたポケモンに使って再度戦闘の場に放り出すのは、倫理的に問題があるような気もする。しかし、この戦争のさなか、倫理もクソもないのでは――そう迷った俺の背中を蹴飛ばしたのは、悲しいかな指揮官として控えていたメレシーだった。 「セツ! ボサッとするな、逃げるなど許さん!」 「逃げたんじゃねえよ、ニャイキングも倒したし、なんならトレーナーも死んだよあれ!」 「だったら次の敵を倒さんか!」 「っざけんな、治療と小休止ぐらいさせやがれ! こっちにまで死ねってのかてめえ!」 「その通りだ! 勘違いするな、人間は本来我々と交流はできんのだ! この地下王国の秘密は守らねばならん、貴様は死ぬまで戦って来い!!」 「こいつ……!」 「よさんか!!」 先にこの指揮官をぶん殴ってやりたかったが、その声に待ったをかけたのは、姫君と一緒に行動していたはずの、ナイトというメレシーだった。 「愚か者! 姫様が見立ててきた人間に何を言う!」 「ナイト様! しかし長い間、我々の地下王国は人間には知られてはならぬと――」 「馬鹿者! 今はそのようなことを言っている場合か! 目の前のアダマス王国軍との戦いに全身全霊を尽くせぬようなら引っ込んでおれ!!」 「ぐっ……! わかり、ました……」 何か言いたそうな指揮官だったが、ナイトは一睨みで黙らせる。ナイトはこちらへ振り返ると、軽く頭を下げてきた。 「済まなかったな、セツ。この指揮官も優秀なのだが、優先順位を履き違えたようだ」 「いえ、大丈夫ですよ。その辺は察しています」 「感謝する。しかし、この指揮官の言うことも分かる。キズと体力が回復次第、戦闘を続行してほしい」 「承知しました」 すぐ近くでは、叫び声と指示の声と、技が飛び交う音と悲鳴が聞こえてくる。味方の悲鳴か敵の悲鳴かは分からないが、ナイトからすれば分かるのかもしれない。味方がやられているのなら、黙ってなどいられないだろう。 とはいえ、体力の回復は最優先だ。俺はいったん壁を背にして座り込み、再度水を飲んで息をつく。先のナイトの言葉を受け、俺はセイルをもう一度ボールの外に出した。 「ミミッキュ……?」 「すまんな。これ以上戦わせるつもりはないけど、なんせここは戦場だ。最悪の事態に備えて、こいつを使わせてくれないか」 「ミミッキュ……」 リュックから取り出した元気のかけらを使用して、すごいキズぐすりでダメージを回復。それから、クレア・ジェフリー・セイルの三匹にそれぞれおいしい水を一本ずつあげると、いったん壁にもたれかかった。体力の回復に全力を尽くそうとしたのだが、横で技が飛び交う音と悲鳴と絶叫が上がっているんじゃ、気が休まらん。しかし、こうやって休憩しているだけでも、身体は少しは休まるだろう……と思いたい。 五分か、十分か、それ以上か。ある程度休んで腕時計を見る。すると、信じられないことに二十分も休んでいた。そんなに休んでいた気はないのだが、命を懸けて戦っていたのは相当精神的にきつかったか。多少は回復した気もするが、完全回復には程遠い。 しかし、これ以上休んでいるわけにもいかない。味方が目の前で戦っているのだ。 俺は片足ずつ地面を踏みしめて立ち上がると、自分のポケモン達に声をかける。 「セイル、あれだけダメージを負ったお前を、今日は戦わせるつもりはない。だから、無理せずゆっくりと休んでくれ」 「ミミッキュ」 「クレア、ジェフリー。お前たちはどうだ?」 「マクロ」 「……っぱあ」 二匹の様子を確認すると、ジェフリーは頼もしく立ち上がった。一方のクレアも一拍遅れて立ち上がるが、ちょっと無理をしているのは見てわかった。俺は腰のベルトからモンスターボールを取り外すと、クレアをボールの中へ戻す。 メレシーたちは一般的に、いわタイプの攻撃とフェアリータイプの攻撃を得意とする。このうち、フェアリータイプならまだいいが、いわタイプの攻撃を食らった際、こおりタイプのクレアは大ダメージを負ってしまうのだ。対するじめんタイプのジェフリーは通常よりもダメージを抑えることができ、こういう場面では彼の方に軍配が上がる。 キズぐすり系は受けたダメージこそ回復できるが、失われた体力まで完全できる代物ではない。もちろん、戦う元気という意味では問題なく回復するのだが、すべて薬に頼り切って強引な戦闘を続行するトレーナーは、いつかポケモンから愛想をつかされてしまうだろう。 「行くぞ、ジェフリー」 「マクロ!」 クレアとセイルがいない今、一緒に戦えるのはジェフリーだけだ。この頼もしいヌマクローと共に、俺は戦場へと飛び出した。 「はぁっ……はぁっ……、っ、あ……」 どれだけ戦ったかは分からない。退却を命ずる反響音と共に双方の軍勢が引き上げたのは、それから二十分ほど後のことだった。背中を洞窟の壁に付け、敵が襲ってきたらその方向にジェフリーでマッドショットを撃たせながら戦ったが、そんな受け身の戦術ではダメージがかさむばかりだった。勢い込んで戦場へと戻ったはいいが、あの後の戦果は敵の雑兵を数匹倒した程度だろう。ジェフリーの強さは俺も信頼しているが、とはいえ兵数という意味では一匹だけでは心もとない。しかし、これがポケモン同士の戦争であるのはありがたかった。つまり、パワージェムにしろムーンフォースにしろげんしのちからにしろ、技を撃つ力であるパワーポイントが尽きたら終わりなのだ。技ごとにパワーポイントの差はあるが、攻撃技の中で百発も二百発も撃てるものはさすがにない。 人間だったら銅鑼や法螺貝に当たるものなのだろう、大きく響く音がして、両軍の兵士が退いていく。 別動隊でもいない限り、奇襲がないのも安心だ。しかも今回は、ディアマ王国の国力に詳しい者によると、相当量の戦力を動員しているらしい。となると、相手側も休まなければならないだろうから、少しばかり落ち着ける。とはいえ、相手の人間がヒメリの実を大量に持ち込んでいるなどがあれば終わるので、油断なんてできないのだが。 「セツ、無事か」 「……まあな」 ガタガタになりながら引き上げてきた俺の前に、ジェットが姿を現した。ジェットはディアンシーのいる本陣に控え、敵軍の奇襲に備えていた。心理的には俺と同様相当厳しい時間だったろうが、物理的な体力面と、相棒クロッサーの戦う力は十分残っているだろう。 「セツ、ディアンシーの護衛を頼む」 「なんだって? ジェット、お前は?」 「俺は動けるメレシーたちと共に、戦場の様子を確認してくる。ただのバトルだけじゃない……死者も出ただろうからな」 「……そうだな」 両軍の兵士が退いた以上、早々に奇襲はないだろう。だが、立っているだけならまだ何とかできそうな気がした。 数十分後。 「……セツ、戻ったぞ」 「……ジェットか」 情けなくも、壁によりかかるようにして立っていた俺の前に、渋い顔をしたジェットが帰ってきた。 「詳しくは現在調査中だが、戦闘不能者は両軍合わせて三百程度、それから……死者は、二百くらいだ」 「……そうか」 ジェットの顔に暗い影が落ちた理由は、それで分かった。ポケモンバトルは何度も見ただろうし、医療従事者の子供ということは聞いているが、二百という死者の数を見たのは初めてのはずだ。それに巻き込んでしまったのは俺なだけに、本当に申し訳なく思えてくる。 「あと三十分ほどで会議が始まる。……行けるな?」 「……あたりめーだろ」 「……分かった。先ほど戦っていた兵士たちは現場指揮官を除いて休息に入るそうだ」 「てーことは、俺は休めねーわけだな」 「安心しろ、三十分は休めるからよ」 「馬鹿言え、それをこの状況で休むとは言わねえよ」 「……ハッ」 少しだけ笑って、ジェットは再び真顔に戻る。 「俺は先ほど様子を見てきた人として、会議の報告を少しまとめる。また後でな」 「ああ、また後で」 くるりと背を向け、歩き出したジェットだったが、その動きはいったん止まり。 「……セツ」 「なんだ?」 「戦場はひでえもんだった。強くなりたいと願って、戦いの場に行くのは結構だが……間違っても、死ぬんじゃねえぞ」 言い残して、会議の場へと去っていった。 俺はさらに情けなくも、どっと床へと座り込むのだった。 「それでは、今日一日の戦果をご報告いたします。まず初めに、今日一日で大勢は我が軍に傾いたと言っていいでしょう」 始まった会議は、戦が続いている中にしては明るい滑り出しだった。もっとも、お互いに死者も出ているのだから、底抜けに明るい声は出せないが。 「両軍の軍勢は千程度。このうち、激突したのは互いに五百です。戦闘不能者は両軍合わせて三百二十、うち死者は二百十。我がディアマ王国軍の戦闘不能者は百十一で、アダマス公国軍は二百十九。死者はこちら側が五十七で、アダマス公国軍が百五十三となります」 「概ね、犠牲は三対七といったところですね」 「はい、戦闘不能者は後遺症が残る程度の者は少なく、八割強が数日間の休息のもとに原隊へ復帰できる見込みです。しかし……」 「その数日をかけずに決着をつけたい、ということですね?」 「左様でございます。特に現在は戦況がこちらへ傾いているうえ、敵の人間の一人、インタリオ・キャビティを討ちました。調査部隊の報告によると、相手方が力を借りた人間は二名ですから、現在相手の戦力は大幅に落ちていると言っていいでしょう」 「インタリオ?」 「敵の人間の名前です。ジェットの言うところによると、名前や住所を記した道具が出てきたようです。彼のポケモンはニャイキングが二匹ですが、我が軍の報告によりますと、一匹はセツのヌマクロー・グレイシアが仕留め、もう一匹はセツのミミッキュを追い込んだようですが、戦闘中にトレーナーにパワージェムの流れ弾が当たって注意が逸れたところをミミッキュがラッシュをかけて倒したそうです」 「なるほど。そのニャイキングはどうしましたか?」 「ボディプレスの心得がある我が軍の兵士が始末しました」 「分かりました。できればこちらで捕えて交渉材料にしたかったですが、反乱の危険を考えれば無理でしょうね」 「ご理解いただけて幸いでございます」 ナイトというメレシーの報告に、ディアンシーは質問や相槌を入れながら聞いていく。軍としても一流なのだろう、状況の報告は的確で詳細。時折ディアンシーが補足をする場所もあるが、それはナイトの説明が分かりづらいというよりも、注釈を入れさせて分かりやすく共有するためのようにも聞こえてくる。 ……とはいえ、あの言い方だと、俺のポケモンが奴のニャイキングより弱いみたいに聞こえるのが気になるが、今やっているのは集団戦の戦争だ。それに加えて、今の報告を聞く限りでは、あのニャイキングたちは殺されたのだろう。もはや一対一でのバトルで再度実力を測ることはできないが、そんなことにこだわる必要はない。 「今宵、何らかの行動がないのであれば、明日には戦争が続行されるかと思います。今回は敵軍に通路を抜けられ、広間の入り口に通頭保が作られています。したがって、ステルスロックによる行動制限は通じないといっていいでしょう。戦闘開始の合図とともに、パワージェムなどの撃ち合いになることが予想されます」 「そうね。相手の兵力が削がれている上に通路を抜けられているのなら、三段撃ちをかけるよりは横陣を敷いて一斉射撃がいいかしら?」 「私もそう思います。また、一気に決着をつけるため、攻撃能力に優れた者を前線に出し、短期決戦を図りたいと思います。その点では、強烈な吹雪を放てるセツのグレイシアにも前線に出てほしいのですが、よろしいですか」 「そうね。問題ないけれど、今日セツはよく戦ってくれました。明日も前線に出るのなら、休息するための寝具などは上等なものを用意してください」 「かしこまりました」 「…………」 その言葉に、一瞬嫌気がさしてしまったのは事実である。戦争というものを、俺は甘く見ていたのだろう。敵も味方も死んでいく姿に、戦意が若干削がれたのが分かる。だか、ここまで来たら乗り掛かった舟だ。前線に出なきゃあ強くなんてなれねえし、そもそもここまで来た以上、後戻りなんてできなかった。 その他、いくつか決まり事と確認をし、軍議が終わる。 割り当てられた場所に行き、ポケモン達をボールから出して夕食を取る。メレシーたちの飯の中で、人間が口にできるのは水くらいだ。ガラル地方ではカレーライスを作ると聞いたから、とりあえずコンビニで買ってきたカレーを食べる。しかし、保存方法もない状況だ。今日はギリギリでまともなものを口にできたが、明日はせいぜいレトルトパウチ、それからはパンとブロック状の栄養食くらいのものだろう。なんちゃらメイトといったはずだが、その名前が思い出せないくらいには疲れているらしい。 体を横たえると、どっと眠気が押し寄せてくる。硬い床の上だというのに、俺は泥のように眠っていた。 **【Ⅴ】 [#tAaTifJ] 耳を覆いたくなるような悲鳴と、激しく巻き上がる土煙。人間一人を潰し、大勢を傾けた翌日だというのに、戦場は一日目に勝るとも劣らぬ地獄の修羅場。単なるポケモンバトルとは全く違う、死神の祝福と隣り合わせの薄氷の上で、二日目の戦闘も終わりを告げる。 この日の戦いでも、俺は戦闘開始と共に、技の応酬の前線に立った。クレアのふぶきとジェフリーのマッドショットの連打を続け、やがて抑えきれずに突っ込んできた敵兵と壮絶な死闘に雪崩れ込む。 後に残るのは、吐き気のする空気に、凄まじい戦いを潜り抜けての、己が強くなった実感。そして、死神の刃を首筋に当てられながらも、今日一日を何とか生き抜くことのできた感覚だった。 だが、今度こそ勝負の天秤は完全にこちら側へと傾いた。もともと今日の戦闘開始時では有利だった状況に、相手はメレシーのパワージェムやムーンフォースで攻めるのに対し、こちらは同規模のわざに加えてこおりタイプ最強とも目されるグレイシアのふぶきや、タイプ相性に優れるヌマクローのマッドショットもついている。死闘に雪崩れ込んだ時点ではさらにこちらに有利となった状況で、ディアンシーと部隊長であるナイトは、満を持して虎の子と言えるジャイロボール部隊とジェットのエースバーンを押し込んだのだ。戦いそのものは今日もお互いのパワーポイントが尽きるまで続いたが、相手はもはや総崩れに近い。なんとか部隊を維持しているという状況だろう。人間はもう一人いるはずだが、やはり初日に相手の人間一人を討ち取れたのはデカかった。 戦いが終わり、軍議が始まる。相手が策を用意していた場合に備え、こちらも複数のシミュレーションを交わしていく。 「……では、これにて解散とします。ディアマ王国へ、光を!」 「光を!!」 最後に、皆で勢いよく気合を入れて、この日の軍議は終了した。 割り当てられた場所に行き、夕食を取る。この日の晩飯は、レトルトパウチの牛丼だ。メレシーたちに支給される食事では、俺ら人間の腹は満たせない。常温でも十分保つから、食えると言えば食えるのだが……温かいものでもないので、この食事に楽しみを見いだせるかっつーと、まあ、微妙だ。ただ、肉はやっぱり力が出る。死んでしまっては元も子もないから、出てくるだけかもしれないが。 クレアたちにも触診、キズぐすり、サイコソーダを与え、可能な限りのケアをする。キズぐすり系の消耗が激しい。明日の戦闘は乗り切れるだろうが、明後日は怪しい。修行になるとは思ったが、正直、戦争というものを甘く見ていた。早く戦争が終わってほしいと心から願う。 ポケモン達のケアを終えると、俺は再び横になる。この日もどっと疲れが押し寄せてきて、俺の意識は瞬く間に闇の底へと落ちていた。 動きがあったのは、翌朝だった。 「姫様。アダマス公国の姫が、護衛と共に使者として訪れましたが、いかがなさいますか」 「いよいよ来ましたね。用向きは聞きましたか?」 陣形を整えていた俺らの前に、兵士二名がやって来た。曰く、敵陣から使者が来たとのことだ。戦いの流れはこちらに向き、相手の戦力が大打撃を受けた今、使者の要件は概ね分かる。もちろん姫君も分かっているのであろうが、それはそれとして用向きに関する問いを投げた。主君からの質問に対し、兵士のメレシーは大きく頷いて続けていく。 「曰く、この戦争を終わらせたいと、訪れた使者だそうです」 「相手は何人で訪れましたか?」 「護衛の兵士が二名と、人間が一名。そして、アダマス公国の姫の計四名です」 「なるほど……」 相手の規模を聞いたディアンシーは、少し考えるそぶりをする。数秒の沈黙ののち、王国の姫は指示を出した。 「護衛の兵士は一名のみ。人間は通して構いません。それに、公国の姫を加えた三名を通しなさい。こちらは私とルイーツァ・ヒネーテに、セツとジェットを加えた五名で会談します。万一の時に備え、ナイトは軍をまとめておきなさい」 「承知いたしました」 軍の上層部がてきぱき動き、会談の準備が整えられる。俺は特にやることはないが、心の準備は整えておかなければならないだろう。 「通しなさい」 「はっ」 息をついた俺の前で、姫君の凛とした声が響いた。 入ってきた敵国のディアンシーは、こちらの姫様と見比べても遜色のない美しさだった。幻といわれたポケモンが二匹も目の前に現れて、俺は本当にこれが現実かどうかが一瞬分からなくなってしまう。 しかし、そんな俺の印象は、相手の護衛を見た瞬間に吹き飛んだ。 「…………!!」 それはあの時、ジャイロボールのわざマシンを買ったとき、俺に絡んできた、あの男だった。 なるほど、やっぱり正義感なんかではなく、こうなると予期して絡んできたのか。もっとも、買いに行ったのか最初から奪おうとしたのかは知らないが。男は俺に目線を向けるが、何も気にしていないかのように目を逸らす。妬みも恨みも殺気もない、何を考えているのか分からない目だった。 「アダマス公国の姫自らやってくるとは驚きね。わざわざ戦争中の敵国に、一体何の御用かしら」 悠然とした笑みさえ浮かべて、口火を切ったのはこちらの姫君。アダマス公国のディアンシーは頭を垂れるような仕草をすると、小さく首を横に振った。 「お忙しいところ、お時間を頂き感謝します」 「用件を言いなさい」 「……はい。今日は、我らがアダマス公国より、ディアマ王国に対し、和睦の申し入れをしに参りました」 「和睦? 降伏の間違いでなくて?」 相手のディアンシーの言葉に対し、即座に言い直させるこちらの姫君。それもそうだ。和睦では単に争っていた国同士が争いをやめて親しくすることや和解することを指している。完全に決着がつき、相手に服従する降伏とは意味が違うのだ。 言い直しをされた相手のディアンシーは、そう言われるのは分かっていたと言わんばかりに、さらに頭を垂れてきた。 「私も、自らの国を守る責務があるのです。完全にアダマス公国の支配下に入る降伏など、選べるわけがありません」 「いきなりの主張とは大したものね。では、そちらは一体どのような話を持ってきたの? まさか本当に和睦だけ言いに来たわけではないでしょうね」 「もちろんです。賠償として、領土の割譲および、ヤミラミが好む宝石三千をお渡ししたいと存じます」 「話にならないわね。その条件、本当にこちらの立場に立って提示してきたものかしら?」 相手の言葉を跳ね除けて、こちらのディアンシーは言葉を返す。しかし、この言葉の跳ね除けこそが、交渉開始の合図だった。 こちらが条件を出し、相手がそれを飲む。相手が条件を出し、こちらがそれを聞く。こちらが条件を出し、相手がその代案を出す。相手が条件を出し、こちらが受けたり、跳ね除けたり。話を聞く限り、こちらも大それた条件は出さないつもりのようだ。いきなり禁忌を犯して人間の力を借りた相手国に宣戦布告をされ、やむなく自らも人間の力を借りて対抗することになった。結果としてこちらも禁忌を犯してしまったために、戦勝国としての権利の主張を控えめにし、国際社会に対する「致し方なかった」という立場を主張するためのものが多いように見える。つまり、自分たちはあくまで自らの国を守るために人間の力を借りただけであり、国さえ守れればそれでよい、権利を主張しないのがその証拠だ――という立場を取りたいようである。 ほぼディアンシー&部下のメレシーたちの間で交わされていく交渉だったが、戦争終了後の人間の扱いをどうするかの話が途中から始まったため、このためでもあったのかと納得する。簡単に言うと、莫大な金になるダイヤモンドを貰える代わりに、誰かに地下王国のことを喋ったら、喋った相手ごと殺されてしまうらしい。ひええ。 いきなり命の危機にさらされることとなってしまったが、戦慄する俺の印象なんぞ知ったこともなく、和平交渉は大詰めを迎えつつあった。 話をまとめると、こまごました取り決めはあるが、概ね ○この戦争はアダマス公国側から禁忌を犯して仕掛けたものであり、ディアマ王国は国を守るため致し方なく禁忌を犯してしまったことを国際社会に周知する ○戦争の結果はディアマ王国側の勝利で終わったことを国際社会に周知する ○敗戦側のアダマス公国は、オンデル大広間までの区間の領土をディアマ王国に割譲する。戦場の痕を掃除するのはアダマス公国とする ○敗戦側のアダマス公国は、ヤミラミが好む宝石五千をディアマ王国に譲渡する ○人間には一定の給金をダイヤモンドで支払い、本戦争及び地下王国のことを内密にするよう証書を交わす ○人間が地下王国のことをセツ・ジェット・エンバスト以外の人物に喋ったことが確認できた場合、即座に地下王国側から喋った相手と喋った人間を抹殺する であった。 まず、アダマス王国側のディアンシーが精神を集中し、両手の中に大量のダイヤモンドを作り出す。ああやってダイヤを作り出すのは、どのディアンシーにも出来ることらしい。俺・ジェット、そしてエンバストと呼ばれたあの男にも、ダイヤモンドが十粒ずつ渡された。質がどうなのかは分からないが、「質のいいものにしてください」なんて言うわけにも行かない。そんなことを言ってしまったら、喋るどころか地下王国を出る前に殺されかねない。 この地下世界に紙はないので、公正証書のようなものは岩で作成、それにガリガリと彫る形で作られていく。うーむ、なんて書いてあるのかさっぱり分からん。岩に彫られた内容に、二匹のディアンシーがサインをするために証書のほうへと近づいた。 次の瞬間、「シュッ」という空気を裂くような声と共に、斜め下からボールが飛んだ。そのボールは二匹のディアンシーそれぞれに過たず命中すると、姫君たちを吸い込んで地面に落ちる。 「…………はっ?」 「なんだとっ!?」 いきなりの暴挙に、しばらく言葉が出なかった。しかし、揺れるボールを前にして、俺たちは口々に驚愕の声を上げていく。そのボールを投げた相手は、エンバストと呼ばれた男だった。投げたボールは、よりにもよって超稀少なマスターボール。野生のポケモンを必ず捕まえることの出来る最高性能のボールで、その強すぎる性能ゆえに市場に出回ることはないとも言われる。生産数・入手手段共に限られている、俺も本物を見たことは一度しかないようなボールだった。 カチッ、という音がして、マスターボールがディアンシーの捕獲に成功したことを知らせてくる。それは同時に、両国にとって絶望を告げる音でもあった。 「くっくっくっ……」 そして、エンバストと呼ばれた男は、捕獲されたボールを拾い上げると、王国中に響くような高笑いを上げた。 「はーっはっはっはっ! ここまで上手く行くとはねえ!!」 「貴様、一体何を!」 「おっと、動かないでくださいね? 下手をすれば……」 詰め寄るメレシーに、エンバストは先日会ったときよりもさらに芝居がかった声で返してくる。ボールを放ると、出てくるのは二匹のディアンシー。出てきた瞬間、何かの行動を起こそうとするディアンシーたちだったが、エンバストはそれより早くディアンシーたちをボールに戻すと、わざとらしく腰のベルトに装着する。 「ボールに入れたまま、このマスターボールを粉々に砕きます。そうなったら、あなたたちの愛する姫様は、あっという間にお亡くなりですよ」 「くっ……」 色めき立つメレシーたちと俺ら二人の前で、エンバストは悠々と告げて見せる。足をとどめる俺らの前で「賢明な判断です」と笑うほどに。エンバストは腰のモンスターボールを放ると、そこに出てきたのはボスゴドラとドリュウズだった。あのコドラ、この短期間で進化しやがったのか。自身の左右を護衛で固めたエンバストは、俺らに手を出してきた。 「では、まずはセツ・ジェット。貴方たちのダイヤモンドも、この私によこしなさい。一人ずつですよ」 「なんでだよ、お前ももらっただろうが」 「馬鹿ですねえ。ディアンシーが直々に作ったダイヤモンドなんて、いくらで売れると思っているのですか? あればあるだけいいのですよ」 「ちっ……!」 戦争の報奨金をすべてよこせと言われるが、姫君を人質に取られていては身動きもできない。仕方なく俺は、エンバストにすべての宝石を渡す。奴は宝石を確認すると「結構です」と呟いて―― 「――がっ!?」 次の瞬間、視界がブレた。叩きつけられた感触と、左頬に走った痛みが、殴られたのだと伝えてくる。クレアはすぐに俺の傍へ駆け寄ると、エンバストを睨みつけてぱあぱあ鳴いた。 「大人しく渡した割に、やってくれたなクソ野郎……!」 クレアの横で呪詛を吐くと、エンバストは歪んだ眼で笑って見せる。 「そりゃあ、そうでしょう。貴方は私のポケモンをやってくれましたからねえ。ただで済むとお思いですか?」 「へっ、要するにバトルで勝てなかったから、くっだらねえ仕返ししたってことか」 「分というものを教えてあげているだけですよ。それとも、こうすればいいですか?」 醜悪に笑ったエンバストは、マスターボールを一つ放る。その中からディアンシーが出るや否や、ドリュウズがその喉元に腕を当て、ボスゴドラが両腕を掴んで後ろ手に掴む。 「姫様!!」 「くっ――メレシーたちよ、構わずやりなさ、ぐぅっ!!」 ディアンシーが叫ぶより早く、ドリュウズのメタルクローが命中。後ろ手に拘束しているボスゴドラにダメージが入った様子はないから、ある程度手加減しているのだろうが……メレシーたちも自身の主君に手を上げられ、人質という形を今まで以上につきつけられては何もできない。ただならぬ様子とディアンシーたちの声に、軍をまとめたナイトが突入してきたが、数は多くてもできることなんて何もない。 「ジェット。貴方も早く、そのダイヤモンドを持ってきなさい」 「…………」 その結果に満足したエンバストは、ジェットに宝石を持ってくるよう指示を出す。ジェットは一つ頷くと、俺にちらりと目線をやった。 「…………クレア」 「……っぱあ」 何かをするつもりだと悟った俺は、小声でクレアの名前を呼ぶ。クレアも何かを察したのか、少しだけ身を低くした。ジェットはドリュウズとボスゴドラが見張る中、エンバストに宝石を差し出した。奴の意識が、宝石に向いたその一瞬―― 「あのボールにれいとうビーム!」 「ボスゴドラにローキック!」 クレアめがけて、指示を出した。同時にジェットがエースバーンのクロッサーに指示を出し、疾風のごとき速さで飛び込んだクロッサーが蹴りを見舞う。人質を優先すべきか主人を守るべきか、一瞬だけ迷った隙を突き、クロッサーのローキックは過たずボスゴドラに直撃した。強力なダメージを撃ち込まれたボスゴドラは思わずディアンシーを離してしまい、クレアのれいとうビームはエンバストがとっさに縮こまるように屈んだことで回避されるが、そこに俺が全速力で突進してエンバストに肩からタックルを入れる。狙いはもちろん、ディアンシーたちを捕らえているマスターボールだ。組み付いた俺は有利な体勢を生かし、さっきクレアが攻撃していたマスターボールを奪い取り、後ろ手に後方へぶん投げた。 主人を危機にさらされて、仲間にも大ダメージを負わされたドリュウズはキレて反撃の体勢に入るが、主人を助けに行こうとした目の前でクロッサーが二撃目を放とうとしているのを見て、咄嗟にクロッサーにドリルライナーを入れてしまう。その一瞬、完全にノーマークとなったディアンシーが即座に距離を取り、メレシーたちの名を叫ぶ。先ほど突入しきたナイト率いるメレシーたちが宙を舞い、パワージェムやらげんしのちからやらをマスターボールにボカスカ打ち込み、続いてボディプレスが炸裂。ボールが砕かれる音がして、ディアンシーの一匹はこれで完全に解放された。 「ぁああぁああああ!」 「ぐううううううう!」 俺とエンバストの取っ組み合いに、ボスゴドラとドリュウズがアイアンヘッドで突っ込んでくる。進路上にいたメレシーたちが悲鳴を上げ、続いて攻撃を食らった俺の体にもかなりの衝撃が走って来るが、無茶苦茶にエンバストに食らいつく。だが、エンバストに膝蹴りを叩き込まれ、口の中に酸っぱい味が広がった。意地でエンバストに組み付くが、メレシーの群れを突破したボスゴドラが俺の体を横殴りに殴りつける。吹き飛ばされてゴロゴロと地面を転がり、体中に激痛が走る。痛みを無理やり抑えて立つと、左手に何かを握っている感じがした。吹き飛ばされた際にむしり取ったものだろうか。見てみると、奴のマスターボールだった。 「っりゃあ!」 思いっきりボールをぶん投げて、ディアンシーが出てきたのを確認するや否やボールを思いっきり踏んづける。モンスターボールは意外と脆く、踏んづければ壊すこともできる。さすがにマスターボールはモンスターボールよりだいぶ硬くて、足が思いっきり痺れやがった。出てきたディアンシーはエンバストへの攻撃を企てたようだが、俺がボールを踏み砕いた光景を見て動きを止める。 「あなた……敵なのに、どうして……?」 「もう敵じゃねーだろ、戦争は終わっただろうが」 「でも、同じ人間なのに……」 「同じ人間だろうがなんだろうが、あいつの行動は気に食わねえよ」 「…………」 「姫様っ!!」 アマダス王国の護衛としてやって来た兵が、主君の復帰に声を上げる。アダマス王国のディアンシーは兵の頭に手を置くと、エンバストの方を睨みつけた。ボスゴドラとドリュウズが突っ込んだことで、メレシーたちはいったん距離を取る。エンバストの足元には、粉々に砕けたメレシーの欠片。先のアイアンヘッドの直撃を受けたか。かなり無残な死に方をしているが、ここ数日で感覚が狂いやがっているのか、我ながら思ったより動じない。 ……と。 「っ、ぐっ……!」 脇腹に、再び痛みが走った。思わず腹に手を当てると、どろりとした生暖かい感触がする。そういえば、俺もボスゴドラに殴られたんだった。畜生、相手のインタリオといいこいつといい、容赦なくダイレクトアタックかましやがって……! 怒りに身を任せて睨むと、エンバストはダンッと地を踏んだ。 「舐めた真似を――! 若造風情が、私の夢をおおぉぉぉっ!!」 「うるせえええぇぇぇぇぇっ!!」 ほざく男に、それ以上の声量で怒鳴り返す。怒りを排出したからか、少しだけ頭が冷静になった。 「なんだよ、夢って。その敬語の皮まで剥げ落ちてんだ、随分大それたものなんだろうな?」 「決まっているでしょう! ディアンシーの作る『聖なるダイヤ』……宝石商でなくとも、一度は夢見る幻の秘宝! 地下王国一つのエネルギーを賄う、世界一美しいポケモンが作る、世界一美しく強大な宝石――欲しくない者がどこにいる!」 「まあ、だからマスターボールなんてものを二つも使ったんだろうが……だったら、捕まえた後にとっとと地上へ出ればよかっただろうがよ」 「貴様が言うか、若造が! この地下王国を人が知り、国家や大富豪が攻め込んだら一体どうなる! すべての国のディアンシーは捕まり、人間たちの意のままに聖なるダイヤは作られる! 幻とされる『聖なるダイヤ』が無数に作られてしまっては、希少価値など塵芥だ!!」 「……ああ、よく分かった。だから、地下王国を知る者を消したかったのか」 だったら、俺からダイヤを取り上げてぶん殴るなんてしないで、さっさと殺ればよかったのに。 とはいえ、一度自分を倒した者を圧倒的に有利な状況で殺せるとなれば、一発二発いたぶりたくもなるか。 「私はまた、必ずここへと戻って来ます! ですが、私以外にこの地下王国を知る者を、生かしてはおけない!」 「さっきの条約の中身からして、戻ってくる前にお前も消されそうな気もするがな」 「斜に構えたことをほざくな! ジャイロボールの時といい、今回といい――何度も何度も何度も何度も邪魔しやがって、若造があぁぁ!!」 話しているうちに感情が高ぶってきたのだろう。二匹のディアンシーと遠巻きに囲むメレシーたちの前で、エンバストは頭をかきむしった。顔を上げると、そこにあったのは、血走った眼と、カネの魔力に魅入られた貌。その顔を見たジェットが、ぽつりとつぶやくように言った。 「……やばい。あれは多分、理性を失いかけてる」 「…………」 完全にキレた人間が、何を起こすかなんて分からない。そして、人質たるディアンシーを失った今、メレシーたちはこいつを容赦なく始末するだろう。だが、ボスゴドラにドリュウズと、メレシーたちにとって相性は最悪。そして、先の動きや以前戦った感覚を見る限り、メレシーの一般兵たちではこいつらを倒すことはできても、莫大な犠牲を払うことになる。そうなれば国の再建には余計な時間がかかることになり、新たな火種も生みかねない。 ……だったら。 「ジェット、俺が行く」 「はっ?」 「あいつは俺に、この地下王国を知る者を生かしてはおけないって言ったんだ。さんざん喧嘩を売ってきた相手だ、買ってやるよ」 「馬鹿言え、お前がこれ以上前線出たら、ポケモン無視してお前自身を殺りかねないぞ!」 「今更だろ?」 あいつは多分、なんとかして脱出しようとする。そして、そうなったら再びこの地下王国へと攻め込むだろう。そして同時に、入念な下準備の上で、俺とジェットを殺しに来る。どこか人目につかないところでやるか、先ほどのダイヤを使ってロケット団みたいな連中と手を組むかは知らないが。少なくとも、一度ぶつかった上に人質のディアンシーを解放し、奴の野望を踏みにじった俺らを……特に直接的に激突した上にディアンシーたちを二匹とも解放した俺を、放っておくことはないだろう。 そして俺も、ここまで悪意を向けられて、黙っていられるほど人間出来てはいなかった。深呼吸して、クレアと共に、エンバストの方へと一歩踏み出す。 「……エンバスト。ディアンシーたちを狙うなら、先に俺を倒しに来い」 「……なんだと?」 「いずれ、折を見て始末する気なんだろう? だったらゴタゴタ言ってねえで、とっとと俺を殺しに来いよ」 「どこまでも……どこまでも、私を、コケにっ……!」 「ジェフリー」 ボールを放り、俺はヌマクローのジェフリーを出した。ジェフリーの方もつい最近戦ったばかりの相手はよく覚えていたのだろう。再び闘志を燃やしたのが、身構える背中から伝わってくる。そして、一度彼を倒したからだろう、ドリュウズが前にやって来た。爪を広げて戦闘態勢を取るのを見て、エンバストは灼熱の眼光で咆える。 「……殺すッ!!」 ――どくんと、大きく心臓が脈打った。 **【Ⅵ】 [#tXaTifJ] 「行け、ジェフリー!」 「ドリュウズ、ドリルライナー!!」 怒りをそのまま指示に変え、エンバストはドリルライナーの指示を出す。ドリュウズが突っ込んでくるのを見て、俺もジェフリーに指示を出した。 「まもる!」 「飛び上がってそのままあなをほる!」 が、一度ジェフリーの戦いを見せてしまったために、『まもる』の存在は割れていた。ドリュウズは大きく飛び上がってジェフリーを飛び越えると、あなをほるで地面に潜り込む。 「!」 ズガアァァン、という音が聞こえてくるかのような超強烈なアッパーカットを食らい、ジェフリーの体が跳ね上がる。それは先日戦ったときなど比べ物にならない破壊力を以って、ジェフリーの体に牙を剥いた。先の戦場はこいつらのことも相当鍛えたということか。墜落したジェフリーは手を突きながら立ち上がるが、そこへドリュウズがアイアンヘッドで頭から思い切り突っ込んでくる。それを睨みつけるジェフリーの体から、ゆらりと青い光が立ち上った。 「全力で迎え撃ってねじ伏せる! ――ハイドロポンプ!!」 まもるの存在が割れた以上、先ほどと同じ作戦でやられてしまう恐れがある。ジェフリーは両足でしっかりと大地を踏みしめると、大きく息を吸い込んで必殺の一撃を解き放った。 「オオオオォォォォォ!!」 エンバストの絶叫と共に、ドリュウズが力任せに突っ込んだ。トレーナーの荒波が立った痛々しいまでの想いを聞き取ったのだろう。俺のポケモンを、そして俺自身までもねじ伏せようとするドリュウズの一撃に、ジェフリーも渾身のハイドロポンプで壊し流そうと、発動したげきりゅうの特性を以ってねじり込む。お互いの意地が激突した拮抗を、なんとドリュウズは貫いた。ほとんどの威力は殺された攻撃だったが、攻撃が入れられてしまったことそのものが、向こうに軍配が上がったことを十分すぎるほどに知らしめる。 だが、ジェフリーも負けてはおらず。よろめきはしたものの、踏ん張り抜く。 「もう一発、ハイドロポンプだ!」 「マー、クローッ!」 「ドリュウ――」 さすがに、指示は間に合わない。ジェフリーのハイドロポンプに貫かれ、今度こそドリュウズが吹き飛んでいく。壁に叩きつけられたドリュウズは、なおも苛烈な眼光を向けるが―― 「ド、リュウゥ……」 「ドリュウズ、立てぇっ!」 最初の意地のぶつかり合いで相当の体力を消費したところに、この一撃はキツかったと見えた。どうっと大きな音を立て、地面にそのまま崩れ落ちた。それでも響くエンバストの怒鳴り声に、主人の声に答えようとするが、もはや体がついていかない。戦闘不能に落ちた姿に、エンバストはドリュウズをボールに戻した。 「ボスゴドラ!!」 「グオオオォォォォン!!」 「ッ、クローッ……!」 続くボスゴドラをバトル場に出したエンバストと、巨大な咆哮を響かせるボスゴドラ。対するジェフリーは戦闘続行の構えを見せるが、ドリュウズとの戦いで強烈なあなをほるの直撃を受け、そこにほとんどの威力が殺されたとはいえ、アイアンヘッドのダメージまで重なっている。さらには本気のハイドロポンプを二発も撃ち、既に限界近くになっていてもおかしくない。 「れいとうパンチ!」 それでもなお、勇敢に拳を握りしめたジェフリーの気迫に応えんと、れいとうパンチの指示を出す。握った拳に冷気が集い、ジェフリーはありったけの力を拳に込めて駆け出した。 ――が。 「メタルクローで受け止めろ!」 「ドォーッ!」 俺の指示は最適なものとは言えなかった。ポケモンは自らと同じタイプのわざを繰り出す場合、相乗効果で威力が上がることが確認されている。ジェフリーはみずタイプとじめんタイプを併せ持つので、れいとうパンチの威力は残念ながら上がらないのだ。しかもそれを、ボスゴドラははがねタイプのメタルクローで受け止める。突っ込んできたジェフリーを簡単に打ち払うと、そのままボスゴドラはジェフリーの体を横殴りに殴りつけた。地面を滑ったジェフリーは、一度だけぴくりと痙攣すると、その体から力が抜ける。げきりゅうの光も霧散してしまい、彼は完全にここまでだろう。 戦闘不能となったジェフリーをボールに戻―― 「とどめだ、首めがけてヘビーボンバー!」 「――――っ!?」 ゾッとした。ジェフリーにキャプチャーネットが届くまでの間が、永遠のように長く感じる。幸いなことに、飛び上がったボスゴドラがジェフリーの首をへし折るより早く、ジェフリーはモンスターボールの中へと吸い込まれた。 ――こいつ、マジで殺しにかかった。先ほどの咆え声で分かってはいたが、やはり実際に行動として取られると、その灼熱の感情が伝わってくる。ジェフリーを殺し損ねたボスゴドラが、地割れでも起こさんほどの威力で地面に着地すると、次の瞬間。 「そのままあの男にアイアンヘッド!!」 「ドオオオォォォォォーーーーーーッ!!」 「――――っ」 どぐんっ、と。突っ込んでくるボスゴドラに、二度目の心臓の大きな脈打ち。目が見開かれるのが自分でも分かる。 右下から、冷たい風が吹いてきた。 目線を落とすと、クレアの体がわずかに白色に明滅し―― ――目が、合った。 すっと、小さく目を閉じて、ふうっと、大きく息を吸い込んで―― 「――おおぉぉああぁぁぁーーーーーーっ!!」 「――グレェアアァァァーーーーーーーッ!!」 咆哮したクレアの体から、雪色のオーラが爆発した。薄く脈打つ氷のオーラがクレアの体を取り巻いて、茶色と白銀に揺れる瞳がボスゴドラを睨みつける。俺の周りにはオーラも何も当然出ないが、怒り、好戦、冷酷、高揚、殺意、昂ぶり、万能感……ありとあらゆる感情が渦巻き、裂帛の高揚感が沸き上がる。 「ふぶき!!」 跳び上がるように前に出てくるクレアの動きに合わせるように、俺は右下から腕を振るう。次の瞬間、クレアのふぶきが唸りを上げて、突っ込んでくるボスゴドラに正面から激突した。三百キロはあるというボスゴドラの体が一瞬でベクトルを反転させ、凄まじい勢いで吹っ飛んでいく。地下王国の壁に叩きつけられたボスゴドラは、ずるずるとへたり込んで床に落ちた。 「ボスゴドラ! ボスゴドラ! ……ったく、何やってんだ、たかが今一つの技程度で!!」 エンバストの怒鳴り声に、ボスゴドラは何とか立とうとするものの、倒れ込んで完全に戦闘不能となってしまう。相手のポケモンがいなくなったと見たのだろう、周囲にいたメレシーたちが一斉に攻撃態勢に入るが、それより先にエンバストは懐へ手を入れた。 「今更なりふり構ってなどいられるか! 出てこい、相棒!!」 以前の勝負からこれで終わりだと思っていたが、三匹目がいるのか。投げられたボールから飛び出してきたのは、先ほどと同じ、ボスゴドラ。しかし、鎧に刻まれた複数の傷が、先ほどのボスゴドラとは別格であると知らしめる。エンバストは右耳のピアスを引き抜くと、ボスゴドラに突き付けて咆え声を上げる。 「美は玉石、力は鉄鋼! 鉱石は我が為の道標なり、我、汝の絆と共に、彼の至宝を追い求めん! ……メガシンカッ!!」 白色の光に包まれて、鋼の鎧は重く厚く、原石たる岩は消え、磨き上げられた鋼が残る。もはや衝撃波と錯覚させるほどの咆哮と共に現れたのは、威風堂々とした美しさすら感じられる、鋼の鎧の重戦士。 「メガボスゴドラ……!」 メガシンカは、ポケモンとトレーナーの心が一つにならないと起こせないと言われている。何故メガシンカと言う現象が起こるのかも、何故通常の進化と異なり、戦闘不能になったり戦いが終わったりすると元の姿に戻るのかも、一切分かっていないという。一つだけ分かっていることは、メガシンカしたポケモンは、進化前など軽く凌駕する強さを誇るということである。 「行くぞ、ボスゴドラアァァ!!」 「ドゴオオオオラーーーーッ!!」 「来い、エンバストオオォォ!!」 「レエイアァァーーーーーッ!!」 咆哮と共に、エンバストがアイアンヘッドの指示を出す。すさまじい重量感と圧迫感で土煙を巻き上げながら突撃してくるボスゴドラに、思いっきりふぶきを叩き込んだ。命中精度に難があると言われるふぶきだが、真正面から一直線に突っ込んでくる相手になら当てやすい。しかし、ボスゴドラは両腕で頭をガードして、強引に吹雪を切り破った。 「飛び越えろ、クレア!」 だが、分かる。相手がたった今こっちの吹雪を打ち破ったことも、相手と自分の距離感も。手に取るように、すべてが分かる! 「れいとうビーム!」 「ストーンエッジィ!!」 ボスゴドラの突撃を跳躍して飛び越えたクレアは、振り向きざまに強烈なれいとうビームを叩き込む。エンバストは回避や防御の指示ではなく、ストーンエッジで迎撃させた。暴悪なまでの質量を持つ岩の刃が何本も何本も迫り上がりながらクレアを襲い、クレアとメガボスゴドラの中間地点で激突した。クレアのれいとうビームがストーンエッジの刃を粉々に砕き、ボスゴドラの体に突き刺さる。一方、競り上がる先から砕かれながらもクレアをめがけて次々と襲い掛かる岩の刃は、ついにクレアの体に食らいついた。突き上げられたクレアを見るや否や、エンバストは次の指示を出す。 「ラスターカノン!」 「れいとうビームで打ち破れ!」 「着地際をめがけてアイアンヘッドだ!」 「ドーッ!」 「ちぃっ!」 空中で体勢を立て直すクレアの前で、メガボスゴドラはラスターカノンを打ち出した。対する俺はれいとうビームで迎撃させるが、そもそもストーンエッジで叩き上げられたところに撃ち込まれてきた追撃を無理やり迎撃していたのだ。いくらなんでも、着地際の体勢は無茶すぎる。れいとうビームはラスターカノンの弾丸を一瞬で粉砕し、ボスゴドラの体にも命中するが、技同士の激突で下がった威力を強引にタイプ相性で耐え抜いて、ダメージを無理やり押し殺しながらクレアの体に突っ込んだ。そのまま、クレアの体がボスゴドラごと飛ばされていき、岩盤の壁に激突する。地面に墜落したクレアの体に、エンバストは唾をまき散らしながら指示を出した。 「ヘビーボンバー!!」 「ドオオオォォォォォーーーーーッ!!」 ――ドクン、と。心臓が再び跳ね上がる。 この時点で戦闘続行が可能であれば、追撃としては最良の一手。しかし、戦闘不能であれば、過剰な攻撃で命にもかかわる。だが、だからこそ「殺す」という相手の明確な意思が伝わってくる。 「跳べえぇッ!!」 だが、理屈じゃない、感情で分かる。クレアはまだ戦える。俺の指示に、クレアは両手両足をばねのようにして側面へ思いっきりジャンプする。ヘビーボンバーを回避されたエンバストは、次々と攻撃的な指示を下す。 「グレイシアの真上の天井に、ラスターカノン!」 「さらに飛び退いてシャドーボール!!」 「ストーンエッジ!!」 「左に回れ、クレア!!」 とんでもない速度で次々と技を繰り出すのは、メガシンカの影響か。シャドーボールとストーンエッジが激突し、爆音を立てて相殺される。左から回り込むように駆けたクレアに、俺は続いてれいとうビームの指示を出した。 「かわしてアイアンヘッド!」 「クレア、避けられるか!?」 れいとうビームをかわされた隙を突くかのように、アイアンヘッドが襲い掛かる。俺の声に応えるように、なんとかクレアも攻撃をかわした。横をすり抜けていき、無防備な背中を見せやがったところに、俺はシャドーボールをぶちかます。直撃、爆裂。ボスゴドラはつんのめるように体勢を崩すが、クレアもこれ以上の追撃は無理だ。体勢を立て直したクレアの前で、同じく態勢を立て直したメガボスゴドラ。 「アイアンヘッド!」 「いい加減、ぶっ潰してやる!!」 奴の戦い方は、そろそろ分かった。多少の攻撃を無理やりガードし、圧倒的なパワーとタフネスでねじ伏せる。理不尽なまでの戦い方を可能にするのは、奴の体を守り通す鋼の鎧。あれがキズナの力で生み出したものなら、確かにエンバストは幻のポケモンを追い求めるほどの実力者だった。 ……だが。 「地面めがけてふぶき!!」 奴の巨体を支える脚力がどれくらいかは知らないが、ふぶき一発にストーンエッジとラスターカノンで軽減されていたとはいえどれいとうビームを二発もらい、ついでにシャドーボールの直撃も一発。いくら効果がいまひとつだったり、自身のタイプと関係のないシャドーボールであるとはいえ、何度も何度も俺のグレイシアの攻撃を受け止められるとは思わないことだ! 「ドオォッ!?」 突撃してきたボスゴドラが凍った地面に足を取られ、滑って大きく体勢を崩す。そんな隙だらけの姿、今の俺とクレアが見逃すはずがねえ! 「持っていけ、れいとうビーム!」 「なっ――」 それを見ていたエンバストの顔が一瞬でひきつる。さあ、完全無欠の直撃だ、耐えられるもんなら耐えてみやがれ! 「ドアアァァァーーーーーッ!!」 いつも以上にキレの増した冷撃の一閃が、ボスゴドラの体を吹き飛ばした。壁に叩きつけられたボスゴドラは、腹と足を壁に縫い付けられた氷像と化す。両腕は動かせるだろうが、体ごと動かすには腹と足の氷を砕くか溶かすかするしかない。だが、それより先にとどめを刺す! 「終わりだ! 思いっきり、ふぶ――」 「ラスターカノン!」 「はっ!?」 なんと奴は、身動きできないボスゴドラに、攻撃の命令を出しやがったのだ。ボスゴドラは両腕でラスターカノンを作り出し、クレアめがけてぶっ放してきた。意表を突かれたその反撃は、放ったふぶきと交差するように飛んでいき、クレアの体に直撃した。悲鳴を上げて吹っ飛ぶクレアに、背筋に冷たいものが走る。 ふぶきはふぶきで命中したのに、ボスゴドラはまだ動く。氷を両腕で粉砕し、それでもなお立ち上がる。一方のクレアも、両腕と顔だけを上げてボスゴドラを睨みつけた。エンバストは舌打ちし、しつけえ野郎だと怒鳴りつける。 「首圧し折って終わりにしてやれ! ヘビーボンバー!!」 「叩き返すぞ、クレア!!」 「グレエエェェェ――」 瞳孔が狭まり、クレアは跳躍するボスゴドラを睨みつける。雪色のオーラが三度きらめき、彼女の体を青とも白とも黄金色ともつかない光が取り巻いた。その姿が目に飛び込み、俺も混じり気のない殺意を込めて指示を出す。 「クリスタルスター!!」 「――アアアァァァァァーーーーーーーッ!!」 跳躍。上から圧殺しようとするボスゴドラめがけ、クレアは下から流星かと錯覚させるほどの勢いを以って突っ込んだ。一瞬だけ、ボスゴドラの攻撃と激突し―― 「でえぇああぁぁぁーーーーーーっ!!」 「っぱああぁぁぁーーーーーーーっ!!」 「ドオオォォォーーーーーーーーッ!!」 位置エネルギーと重力エネルギーとタイプ相性をすべて跳ね返し、ボスゴドラを思いっきり突き上げた。四百キロ近くあるメガボスゴドラを自分ごと天井に叩きつけたクレアは、着地するや否や戦闘続行の姿勢を見せる。ボスゴドラは一瞬だけ天井に止まっていたが、次の瞬間、轟音を上げて地面に思いっきり墜落した。ボスゴドラは数度体を震わせるが、次の瞬間、弱々しい光を散らして、元の姿に戻ってしまう。 「……あ……あぁあ……」 そして、敗北したボスゴドラの姿を見て。 「ああぁぁああぁああーーーーーーっ!!」 エンバストは頭を抱えて崩れ落ちた。どんどんと地面を殴りつけて悔しがる姿を見るに、奴のポケモンはこれで最後だったのか。周囲のメレシーたちが一斉に攻撃態勢に入り、パワージェムの一斉掃射を食らわせる。 「があぁああっ!」 吹き飛ぶエンバストに、続いて数匹のメレシーがボディプレスを繰り出した。膝蓋骨と脛、二の腕と肘の部分に次々と。 「っぱあぁぁあぁ……」 クレアの雪色のオーラが掻き消える前で、エンバストの骨が折れる鈍い音が、こちらまで聞こえてきた気がした。 崩れ落ちたエンバストの手足が、完全に明後日の方を向く。腕と足を圧し折られ、エンバストは悲鳴と絶叫を上げる。思わず眉をしかめたくなる声だが、メレシーたちは気にした素振りもない。 「姫様。エンバストの無力化に成功しました。このまま始末してもよろしいでしょうか」 「よくやりました、ディアマ王国の兵士たち。……かまわないわね、アダマス王国のお姫様?」 「もちろんです。そして、このような男を連れ込んだ処罰も、どのようにでも受けるつもりです」 「それはすべてを終わらせてからにしましょう。セツ、ジェット、貴方たちもよろしいですね?」 「……ああ、ちょっといいですか」 ディアンシーの質問に、ジェットは一つ頷いたが、俺はそう簡単に頷けない。手を上げて待ったをかけると、ディアンシーは不思議そうな顔をした。 「どうかしましたか?」 「いえ、さっき割とマジで殺されかけたうえに殴られましたし、俺のポケモン達も容赦なく殺そうとしてたんで。殺す前に一発思いっきりぶん殴っていいですか」 「どうぞ」 呆れたように苦笑を漏らすディアンシーの声に、俺はありがとうございますと頭を下げる。そのまま俺はエンバストのところへ歩み寄ると、その胸倉をひっつかむ。 「さっきはぶん殴ってくれてありがとよ! 礼だ、遠慮なく受け取っとけえぇぇっ!!」 握り固めた拳で、俺はエンバストを殴り飛ばした。このゴールデンウィーク中、因縁付けられるわ殴られるわでさんざん溜まってきた苛立ちが一気にスカッとした瞬間である。もんどりうって倒れたエンバストは、さっきまでの咆え声や気迫はどこへやら、弱々しい声を漏らすだけだ。とはいえ、俺がぶん殴った一発はともかく、両手両足まで折られているんだ、情けないとは言えねえよ。 これが聖人君子であれば許しを与えて改心を促すところだろうが、生憎こちとら常人だ。巡り合わせもあったとはいえ、自分を殺そうとしたようなやつをこの状況で見逃すほど、俺は人間出来ていない。というか俺が見逃そうとしても、周囲のメレシーたちが許さないだろう。 「終わりました」 「そう」 「……は……は……」 殴った拳を振りながら戻る俺の前で、エンバストが震える。顔だけを上げて、なぜか楽しそうに笑いやがった。 「情け……ねえ……こんな、偽善者に、やられる、なんてよ……」 「あ?」 「戦争を終わらせ……っぐ、きゅ、救国のヒーロー気取りか……?」 「ヒーロー?」 聞き返すと、エンバストは青くなり始めた顔で、嘲りを宿した顔で笑う。 「結局お前も、金とダイヤに目が眩んだ、クズ野郎だ……」 「…………」 「宝石の美しさも知らねえお前は……目先の金に目の眩んだ、俺以下のクズ野郎だよ……」 「……ハッ」 今更負け犬の遠吠えにしか聞こえないし、挑発にしかならないのも分かっているが。 それでも否定せざるを得ないのは、俺もまだまだ青いってことかね。 「ほざけよ、クソ野郎。お前は俺がヒーロー気取りで行ったり、目先の金だけで行ったりした奴に見えるんだな」 「違うとでも言うつもりか? その慢心が、ヒーロー気取りの、何も分からんガキだと――」 「欲望だよ」 「――なんだと?」 きっぱりと言い切った俺に、エンバストは訝しげな眼を向ける。 「俺は強くなりたかった。ちょうど戦争が起こったから、力を試せる機会だと、強くなれる機会だと思って手を貸した。俺がここに来たのは、吐き気のするような汚ったねえ欲望だよ」 「――あーあー、だっせえなあ。なにが欲望だ、気取ってんじゃねえよ、小せえ男だなあ、小せえ小せえ」 「その小せえ男にてめえは負けたんだ。そんな奴にすら勝てなかったなんて、お前は小せえ上に弱ぇんだなあ。弱ぇな弱ぇな、敗北者」 最後まで怒らせて来る男に、可能な限り言い返す。相当カッコ悪い姿を見せた気がするが、まあいいや。 「すみません、お待たせしました」 「あんなに言われているなら、セツが処理しますか?」 「いえいえ、大丈夫ですよ。さすがに」 さっきまで死ねだの殺すだの言い合っていたくせに、戦いが終わって少し落ち着くと、どうやら日和るものらしい。単なる自己満足かもしれないが、まだ「殺人者」にはなりたくなかった。 「やっぱりガキだなぁ、自分を殺そうとした奴を、仕留めることすら――」 そんな姿に、エンバストが再び嘲りを宿すが。 「うるせえ、敗北者。さっさと死ねよ」 言い返した俺と、ほぼ同時に。 「殺しなさい」 ディアンシーの冷たい指示が飛んだ。メレシーたちが宙を舞い、ボディプレスが直撃する。 ガギュ、という声がして。 美しき宝石を扱った商人、エンバスト・アステリズムは、醜い嘲りと共に、死んだ。 「…………」 首を圧られ、死んだ男を目の前に。 俺は膝を突き、エンバストの死に顔を見つめていた。 奴のポケモン達はボールから出され、メレシー達が容赦なくボディプレスで抹殺していく。ボスゴドラ二匹も、ドリュウズも。主であるエンバストにどれほど懐いているかは知らないが、奴の死を知った後に何をするかも分からない以上、後腐れなくすべてを始末してしまうのが早いのだろう。人に知られることを禁忌とした、地下王国の中なら、特に。 きっとエンバストはポケモンともども行方不明者として扱われ、死体が見つかることすらないだろう。捜査線上に俺らが浮上することもあるかもしれんが、証拠不十分で捕まえることすらできないはずだ。地上で絡んだ理由と、存在すら知らぬ地下王国の戦争を結び付けられるような奴がいたら、天才を超えて狂人だろう。 とは、いっても―― 「アダマス公国に加担した人間とポケモンは、完全に全滅か。……敗者とはいえ皆殺しとは、戦争ってやつは惨いもんだな」 「違うぞ、セツ。少なくともエンバストは、余計な欲さえ出さなかったら、生きて帰ってこれたはずだ」 「……そうだな。そもそも、俺に言えることじゃねえか」 「それはそうだ」 だが、こいつと一緒に地下に来た、インタリオという男は戦争で死んだ。こいつらと敵味方が逆だったら、俺らは無事に戦争を切り抜けられただろうか。ふう、と息をつく俺の前で、クレアが小さく一鳴きした。 「おっ、そうだった。クレア、頑張ってくれてありがとうな」 まだ、心臓はドクドク言っている。戦いの余波か、人の死を目の当たりにした感情か。それを考えるよりも先に、クレアの治療をしなくちゃならない。すごいキズぐすりと、サイコソーダが一つずつ。薬のストックはほとんどない。戦い続けるのも限界か。 メレシーたちは狼藉者の死を確認すると、ディアンシーに報告に上がる。いかがなさいますかという声を受け、姫君はそうねと頷いた。 「まず、セツ・ジェットの両名を休ませなさい。特にセツには良質な部屋を。そして、アダマス公国の姫君。もしこのエンバストや貴方に協力した人間の薬や食料があるのなら、全てこの二人に与えなさい」 「分かりました。すぐに対応いたします」 「分かっているとは思いますが、戦争の決着はつきました。勝ったのはわたくしたちディアマ王国。しかも、攻め込んできたのはあなたたちである上、人間とのかかわりを持つという禁忌を破り、しかもエンバストという欲に塗れた男を連れてきたがために、地下王国全てを存亡の危機に貶めたのは貴方であると知りなさい」 「…………承知、いたしました」 ディアマ王国の姫君の言葉に、アダマス公国の姫君は、頭を垂れて頷いた。 **【Ⅶ】 [#tZaTifJ] 「……はい、承知いたしました」 「では、よろしくお願いいたします」 訪ねてきたメレシーから用件を聞き、俺は去っていくメレシーを見送る。彼の要件は、概ね三時間後には俺たちを地上に帰す準備が整うので、そのくらいに集まってほしいとのことだった。エンバストの遺品はひとまず全部届けられたが、スナック菓子と財布に入っていた現金数千円、そして彼に本来の報酬として与えられた宝石だけもらい、後は打ち捨てていくこととした。腕時計やら何やらも持っていくことを考えたが、どこから足がついて疑いの目が伸びるかも分からないので、足のつきそうにないものだけをいただいていくことにしたのだ。なお、金はジェットと折半で、スナック菓子はそれぞれ好きなものをもらっていくことにした。ちなみに薬は全部俺。そりゃそうだ、バトルしたのは俺のポケモンなんだから。 「うし」 ついでに王宮内を見て回る許可を得た俺は、荷物を背負って立ち上がった。メレシーたちにとって良質な部屋とはいったものの、俺ら人間にとって良質と言えるかだどうかはまた別だ。背中は硬い鉱物の上だし、寝転がってもバッキバキ。部屋にいても面白いことも特にないので、許可された範囲で王宮内を見て回る。綺麗で冷たい水が流れ落ちる岩の裂け目、場所によって透明にも七色にも反射する床。ある程度人間の王宮に近いところも多いが、何の部屋なのか分からないところも多数ある。練兵場というか訓練場というか、そういう場所もあったのだが、さすがに戦争が終わった当日に訓練してる奴はいなかった。 ちなみに水はめっちゃうまい。「おいしいみず」にも劣らないレベルだった。せっかくなので、クレア・ジェフリー・セイルの三匹もボールの中から外に出し、このうまい水を飲ませてやる。三匹ともすごい勢いでゴクゴク飲んでいるのだが、その美味さもさることながら、バトルで失った水分補給もしたいからか。戦争に行く際、俺らにも水はたくさん支給されてきたが、もしかしたらここから取ったのかもしれない。飲み終わって一息つくのを見届けて、俺はポケモンを再びボールの中へと戻す。だが、クレアを戻そうと来ると、彼女は嫌そうに首を振った。 「レイ、レイ」 「ごめんって。地上に戻ったらすぐにポケモンセンターに連れて行くから、ちょっとだけ我慢しててくれよ」 ジェフリー・セイルはともかく、普段はボールの外を好むクレアも中へと入れていたのは、できるだけ負荷を避けるためだ。バトルで負ったダメージはエンバストの遺品にあった薬で回復しているものの、失った体力や水分まではいきなり元には戻らないし、バトル中にあんな変化まで起こしたものだから、可能な限り負担を減らしたかったのだ。 あんな変化、現実で起こったのは初めてだ。以前にも一度だけ、教え子・スノウの夢の中にサイコダイブした時に起こったことがあったのだが、あれは夢か現実かも分からない。しかし、今回は明確に現実の世界である以上、すぐにポケモンセンターに運び込んで異常がないかを見てもらうことが何よりだ。 クレアもそれが分かるのか、少し不満そうにしながらも、ボールの中に戻されてくれる。三匹のボールをもう一度ベルトに固定すると、俺は再び地下王国の散策をする。人間の世界のような娯楽はないが、彼らはここでつつましく生きているのだろう。そんなことを思いながら地下の世界を見て回ると、三時間なんてあっという間だ。指定された場所へと行くと、既にジェットが待っていた。 「よう。もう俺らを送ってくれる準備は整っているってよ」 「そうか。姫君、戦争が終わった直後でお忙しいところ、お送りいただきありがとうございます」 「頭は下げなくて構いませんよ。こちらこそ、貴方達には助けられましたし」 「うむ。この度は誠に大儀であった」 言葉を返してくるのは、ディアマ王国の姫君だ。隣に控えているルイーツァからの言葉も、慣れてしまえば味がある。 すると、少し離れたところに立っていたアダマス公国の姫君が、俺たちの所へやって来た。 「セツ、ジェット。敵にもかかわらず、私たちを助けてくれてありがとう。おそらく人間と関わることはもうないと思うけれど、もし機会があったなら、貴方たちのような者を連れて来れるよう、見る目を養いたいと思います」 「お褒めに預かり光栄です」 まさか戦争に来て、敵対する国の姫君からお礼を言われるとは思わなかったけど。でも、元々は。 「私はあくまで、ディアマ王国に雇われたから戦ったにすぎません。こう言うのもどうかと思いますが、個人的にはアダマス公国に敵意も何もないんです。だからもし、そんな機会が訪れるというのなら、遠慮なく私たちを呼んでください」 「ふふ、そうね。……セツ、これを」 そう言って姫君が渡してきたのは、空にかざすと七色に光る漆黒の玉と、薄いピンク色がかかったダイヤモンドだった。報酬のダイヤならもう十分もらったが、これはいったい何だろう? 疑問に思う俺に、姫君は笑顔で答えてくれた。 「玉の方は、ポケモン達に宝石の力を宿すもの。ポケモン達は自分自身のタイプのほかに、内に秘めたもう一つのタイプを持っています。パルデアと呼ばれる地方をはじめとした一部の場所では、そのタイプを強く引き出すことができるようですね」 「テラスタル……」 パルデア地方で、ポケモン達の内に眠る強い力を引き出す技法。発動させるための道具はテラスタルオーブと言い、俺らが以前通っていた高校では、成績優秀な一部の生徒だけがもらうことができたはずだ。あいにくと、俺は一部の成績が非常に悪く、もらうことはできなかったが、まさかディアンシーから直々にもらうことができるなんて。 「もう一つの宝石は、絆のダイヤと呼ばれるもの。握り、強く念じると、私たちと言葉を交わすことができます。人と関わる禁忌があるので、どんな場合でもとは行きませんが……この先、私たちの力が必要になった時、それを握り、私たちを呼んでください。王族の誇りにかけて、貴方に恩を返しましょう」 予防線を張るところが、本来交わってはいけなかった地上と地下を思わせる。俺とアダマス公国の姫君に絆があったかどうかは知らないが、ただ少なくとも、悪い感情は持たれていないだろうことは分かる。信頼か、借りか、それとも別の何かだろうか。それを推し量ることはできないが、いつか必要になった時、ディアンシーの力を借りられるのはとても大きい。 「ありがとうございます。ぜひ、頂戴いたします」 間違っても、絶対に売らないようにしないとな。他のダイヤと取り違えてしまうことのないよう、大事にしまった俺の前で、それならばとディアマ王国の姫君もやってきた。 「では、私からも、絆のダイヤを」 「えっ!? 姫君からもですか!?」 「戦争が終わった後、狼藉者から助けてもらったのはアダマス公国のディアンシーと同じです。もっとも、わたくしも人間と関わる禁忌の都合上、いつも力になれるとは限りませんが……それでも、貴方が本当に困ったとき。そのダイヤを握り、念じ、わたくしたちを呼びなさい」 「……かしこまりました。姫君、本当にありがとうございます」 深く頭を下げる俺に、姫君は一度頷きを返すと、続いてジェットの方へと目線を向ける。 「ジェット、ソルダートから話は聞きました。ソルダートは兵士としても優秀でしたし、貴方のポケモンとなっても立派な働きができるでしょう。彼は人間の言葉を話せませんが、だからこそ地上に連れて行っても大きな問題はないはずです。貴方が彼のトレーナーになることを、ディアマ王国の名において許可します」 「ありがとうございます」 ソルダート……初めて聞く名前であるが、話なら推測するに、ディアマ王国の一般兵か。ジェットと何らかの交流があって、一緒に行くことを決めたのだろうか? まあ、言葉を話せない普通のメレシーなら洞窟などに結構住んでいるし、捕まえているトレーナーもそれなりにいるみたいなので、そう考えれば問題はないか。まさかそのメレシーの姿を見て、そいつが地下王国から直接一緒にやって来たなんて思わないだろう。 俺たちにそれぞれ話を終えると、ディアマ王国の姫君は、一つ頷いて問いかけた。 「セツ、ジェット。これから貴方達を、地上の世界へ送ります。最後に何か、言い残したことややり残したことはありませんか?」 言い残したことか。それならと、俺は自分のボールを放り、クレアたちを外に出す。自分のポケモンにも挨拶をさせると、最後に素直な感謝を伝える。 「ディアマ王国、アダマス王国の両姫君。そして、ルイーツァ、ナイト、ヒネーテ。それから他のメレシーたちにも、本当にお世話になりました。また力になれることがあれば、是非是非私を呼んでください」 「っぱあ」 「マクロ」 「ミミッキュ!」 ポケモン達も挨拶を終え、ジェットもそれに続いていく。 「私からもお礼を言わせてください。ソルダートさんも、責任を持ってお預かりします。いつかまた、是非お会い致しましょう」 「ええ」 少女のような可愛らしい笑顔で、姫君は最後に頷くと。 「それでは、行きましょう!」 俺たちの方に、手を出してくれた。 「うーっ……」 地上に戻ってきた俺達は、実に数日ぶりに日光を浴びた。思いっきり伸びをする俺らに、二人の姫君は笑顔で告げる。 「わたくしたちは、不用意に人に見られるわけには参りません。ですので、二人とはここでお別れになります」 「承知しました」 本来は交わることのなかった、人間たちとディアンシー。分かっていたのに、離れるとなるとちょっとだけ寂しい。それに、俺らには絆のダイヤがあるけど、向こうには何もないんだった。ふとそんなことに思い至った俺は、少しだけ姫君に待っていてもらい、近くの石屋へと全力ダッシュ。宝石店というより鉱物を扱っている店なので、値段も手ごろなのがありがたいところだ。目的の鉱物を二つ買い、姫君の所へと走って戻る。遅くなりましたと手渡したのは、赤く光る鉱物だ。 「これは?」 「ガーネットと呼ばれる宝石の、ロードライトと呼ばれる種類です。人間がつけた石言葉はいろいろありますが、今回は友愛って意味で贈らせてください」 『勝利』という意味もあるので、ディアマ王国の姫にはともかく、アダマス公国の姫に贈るのは適切かどうかは怪しいが、どんな意味で贈るのかを伝えておけば大丈夫だろう。単に俺が好きな石ということもあるので、この先二度と会えないかもしれない宝石の姫に、形はどうあれ、俺と交流を持ったことを覚えておいてほしくなったのだ。 「絆のダイヤと違って、やり取りできる機能はないんですけど。それなら鉱物ですし、地下世界で持っていても問題ないかなと」 もっと人間っぽいものを贈ることも考えたが、これから国際社会に人間とかかわりを持ったことを報告するのなら、取り上げられたり破棄させられたりする可能性も大いにある。ならば、少しでもそんな可能性は低くしたい。それが単に、俺の思い込みにすぎなかったとしても。 そしてそんな願いは、姫君達には正確に届いたようだ。 「分かりました。貴方からの贈り物、ありがたく受け取りましょう」 「アダマス公国の姫君として、貴方に感謝を」 「ありがとうございます」 それでもリスクはあるだろうに、受け取ってくれた姫君に、万感の思いを込めて頭を下げる。頭を上げると、笑顔を向ける二人の姫君。メレシー達も俺達も、クレアやクロッサー達も笑顔を返すが、そろそろ本当にお別れだ。 「セツ、ジェット。貴方たちのことは忘れません」 「二人とも、ありがとうございました。お元気で!」 最後の言葉を残し、姫君は臣下のメレシーたちと共に、地下の世界へと帰っていく。風と共に砂埃が舞い、思わず目を閉じてしまうが、再び目を開けた時には、ディアンシーたちの姿どころか、地下世界の入り口さえも綺麗さっぱり消えていた。少しだけ余韻を噛み締めて、俺はくるりと踵を返す。 「行こうぜ、ジェット」 「そうだな。まずはポケモンセンターか?」 「ああ。んで、そこでポケモン達を預けたら、とりあえずメシだな。あったかいやつとか出来立てのやつとか、ここ数日食ってねえし」 違いないと頷くジェットに、俺は深く頭を下げる。 「ジェット。今回は巻き込んでしまって、本当に済まなかった。そして、俺と一緒に飛び込んでくれて、本当にありがとう。お前のおかげで、無事に帰ってくることができたよ」 「へっ。昼飯の奢りで勘弁してやる」 パンっと背中を一度叩いたジェットは、すたすたとセンターの方へと歩き出した。そのさっぱりした態度が、とてもありがたくて。 「おう。胃が破裂するまで食ってくれい」 ジェットの隣に並びながら、俺はこの同僚にして友人と、自分のポケモンたちと、地下世界の住人たちに。 心の中で、もう一度お礼を言うのだった。 Fin **後書き [#aHXnoGO] お久しぶりでございます。夏氷でございます。 実に二年半ぶりというとんでもないことになっていますが、五幕書き終わった記念として、劇場版よろしくの長いお話を書こうと思ったら、こんなことになってしまいました。 今回はその「劇場版よろしくの長い話」にしたかったので、幻のポケモン・ディアンシーとの邂逅をテーマに、同時に主人公が一気に修行する話に仕上げました。敵が宝石商なのでテラスタルも考えたのですが、迷ってここはメガシンカ。対立させたのは第三幕「悪夢の刻印」でセツとクレアが覚醒した、雪色化です。 そして相変わらず「セツ」と「クレア」は、SVのフリー対戦によく潜っておりますので、もしマッチングすることがあったら、対戦相手としても味方としても、楽しく戦っていきましょう! バトルの申し込み鋭意受付中でございます。 何かございましたら、なんなりとお寄せくださいませ。いただいているコメントが、執筆の励みになっております。 それでは、今回もお目汚し、失礼いたしました。 ……あ、またしてもじゃくてんほけん使うの忘れた。 **なんでもお気軽にお寄せください! [#gYVezoO] #pcomment()